プロローグ:断罪の舞踏会
「お前との婚約は、ただの設定ミス。この世界のバグなんだよ、エーデルガルト!」
煌々と憎らしいくらいにこの場を照らす豪勢なシャンデリアの灯り。騒めく人の中心に、揺らめく影を踏み締めて私は確かに立っていた。本来ならば隣にいるはずの婚約者を目の前に力をなくした私の腕はただ重力に従って下に伸びるだけ。
彼の婚約者として一人この国へ来て、恋愛感情はなくとも良きパートナーとしてこの国を守っていければと思っていた。その想いはナイフのような言葉に無惨にも砕かれて、霧散。
「カスティエル殿下、これは一体どういうことでしょうか。」
「この状況で理解できないなんて頭が悪いとしか言いようがないな。」
「……頭の悪い私にもわかるようにお話になってください。」
「だから、おれの婚約者となるべき運命の人は、隣にいるこのリアだけだって言っているのだ!」
「キャス……!」
意思疎通の取れない異国語を操りながら、自分が絶対正義だという態度のカスティエル殿下の横で、リアと呼ばれた女性――セシリア嬢が彼の胸元にもたれ掛かり、まるで恋愛小説のヒロインにでもなったかのようにうっとりとした表情でこの場に酔いしれている。
「待ってください。カスティエル殿下、それは一体……。」
「まさかここまで言ってもわからないのか?仕方ないな……バグのお前でもわかるように言ってやるからよく聞けよ?」
先ほどまで野次馬根性丸出しで小さな騒めきを起こしながら高みの見物を決め込んでいた面々が息を呑んで成り行きを見守る。そんな中、ゆっくりと口火を切るカスティエル殿下の唇を私はただ見つめることしかできなかった。
「おれはお前と婚約破棄して、愛するリアと婚約するんだよ!」
さっきから同じ主張をされるばかりで何の脈絡もないカスティエル殿下の話に溜め息を吐きたくなる。いきなり婚約破棄だなんて。しかも、それが至極個人的な理由だけで?まさかとは思うが国王陛下はこの件についてお認めになっているのか。チラリと高みに誂えられた玉座を見れば、そこにある瞳はただ固く閉じられているだけで何も語ろうとはしなかった。
――まさか、本当に国王陛下もお認めになっているというの?
背筋がぞくりと粟立つ感覚。折角綺麗に整えて、鳴りを潜めていた私のみっともない癖っ毛がぴょこぴょこと動き出し始めたのを感じ、まずは自分を落ち着かせるために一度深呼吸。次いで、私は彼らを真っ直ぐ見つめカーテシーを披露。皇女として恥ずかしくないようにと厳しい教育係の元で何度も練習したそれはその場にいた者全てが息を呑むほどに美しかった。
「……婚約破棄、謹んでお受け致します。カスティエル殿下。」
もう出会った頃の彼はいないのだ。この一年、出来うる限りの手は尽くしてきた。それでもダメだったのだから、仕方ない。私の言葉は彼の耳には一切届かないのだから。
思わず漏れそうになった自嘲を何とか呑み込んで、くるりと踵を返し、私のために空けられた出口までの花道を一歩踏み出そうとした瞬間――
「待て、エーデルガルト!誰が勝手にこの場から逃げて良いと言った!」
「……はい?」
これ以上何があると言うのか。呼び止められたカスティエル殿下の言葉に足を止めて振り返る。その先にはおれの出番はまだまだだと言いたげに鼻息を荒くしたカスティエル殿下の姿。
「大事なイベントはこれからだ!これまでリアに数々の嫌がらせをし、ひいては殺人未遂まで!」
「一切身に覚えがありませんわ。」
「しらばっくれるつもりだな!まだまだあるぞ。数え切れないほどの罪状があるから覚悟するんだな!」
「そこまで言うからに何か証拠でもあるのでしょうか。」
「ひどい悪あがきだな。これからいくらでも証拠は出るだろう。――捕えよ!」
ホールに響き渡るカスティエル殿下の怒号。その声に応えるように真っ白な騎士団服の群れがホールの両脇から私を取り囲むようにしてやって来る。この白い制服は近衛騎士団の制服だ。
「王家に仇なすものを早く捕らえるのだ!」
さらにボリュームを上げたカスティエル殿下の声に、にじり寄る近衛騎士団員。そして、カスティエル殿下の背後に控えていた、近衛騎士団長が動き出す。このホールのシャンデリアにも負けないほどの光を放つプラチナブロンドの髪を揺らし、余裕たっぷりの足取りで私のすぐ目の前へ。
汗を握り締めていた手を掴まれ、咄嗟に引っ込めようとしたけれど、それも叶わない。一歩、後ずさろうとする私に構わず、手を取ると表現した方が良いほど優しい手つきで触れ、天井を見上げるほど高い位置にあったプラチナブロンドの髪が一瞬のうちに下へと移動。大理石の床に敷かれた赤い絨毯の色合いと妙に似合っていて思わず息を呑んだ。これではまるで捕まえる、ではなくて。
「な、何をしている!早くエーデルガルトを捕らえよ!」
慌てふためくカスティエル殿下の声。対照的に私を捕らえるために目の前に来た近衛騎士団長――アルマール様は、一つ一つの動作に余裕綽々といった様子で。私を捕らえるどころか私の手を取り、あろうことか片膝をついて腰を折っている。これではまるで騎士が求婚をしているかのような――
「あなたはもう十分過ぎるほどやってきました。」
「あ、あの……。」
「もう、無理に背筋を伸ばさなくても大丈夫ですよ。……ガッティーナ。」
「え……?」
――ガッティーナ。
それは、世界でたった一人しか知らない私の呼称。それをどうしてアルマール様が。
見下ろすアルマール様の綺麗に整えられたプラチナブロンドの髪も、私を真っ直ぐに見つめるオリエンタルブルーの瞳も全然違うのに。それなのにどうしてだろう。真っ黒な髪にアッシュグレーの瞳を持つ、あの――コルヴォと重なるのは。
カスティエル殿下の怒声や令嬢たちの悲鳴にも似た声で騒がしさを取り戻したはずのホール。それなのに、全てが水に溶けてしまったかのように遠ざかる雑音たち。そして私の耳奥には聞こえるはずのない窓を叩く雨音が響いていた。




