070.陽光挿す戦場
「いよいよ……か」
つぶやきも朝靄の中に溶けていく。
この季節としては珍しく、やや冷える朝。
沖から吹いてくる風もいつもとは違う雰囲気を感じる。
鼻に届く潮のにおいだけはいつもと同じで、青く広い海面は今、雲の中にいるかのように白い靄で覆われている。
実はこの靄は季節だけの問題ではない。
カヤック将軍配下の人型海魔の1人が得意とする魔法なのだそうだ。
海魔にとって陽光は海の恵みを助ける物であると同時に、自分たちの肌を焼き、水上では乾燥させる厄介な物。
そう考えると、この前の雨期を妨害する軍団というのはどういった意図があったのか、悩むところだ。
あるいはそれ自体も、カヤック将軍を引き付ける狙いだったのかもしれない。
まあ、それを俺達がそのまま潰してしまったわけだが……。
話の通りなら、相手方の海魔は相当頭に来ているに違いない。
こんな場所まで将軍の軍勢を追いかけてくるのに、それが罠だということを考えもしないのだから。
あるいはわかっていてもかみ砕こうとしているのかもしれないが……なんとなく、後者の様な気がした。
「ここにいたのか、ラディ」
「ヴァズ。編成はもういいのか」
いつ靄の向こうに気配が生じるのか、警戒しながらの俺だったがかけられた声にほおが緩むのがわかる。
この大陸に来て、一番の友人と思える魔族が相手なのだからな。
それに、俺の事も悩んだ末であろうが、受け入れてくれた。
俺がもし、妹達以外に力を捧げるとしたら、彼の様な理解者のために、と口にすることだろう。
考え込み、寄っていたシワが少しだけどほぐれるのを感じる。
「あらかた、な。とはいえ、皆普通の人々だ。細かい話は本番では動けまい。1人になるな、で十分さ」
俺が今いるのは新しく建てられた櫓の1つ。
遠くの海面まで観察するにはもってこいの場所である。
男2人、狭い場所に立ち海を見つめる。今のところ、朝靄が消えるにはまだ早い。
そのまま無言で俺は現状の戦力について考える。
砂浜には誰もいないが、内陸側の林や草原には多くの人々が集まり、武装し、戦いを待っている。
しかし、その多くはどこにでもいそうな男達である。
実のところ、魔族や獣人にとっての普通、は人間にとって前線にいる兵士とほぼ同じなのである。
なにせ、このダンドラン大陸は魔物が多く生息し、その力も他の大陸と比べて高い場所だ。
日常であるがゆえに、ほとんど気にしないぐらいに街の人々も戦う術を身に着けている。
少年少女たちによる冒険団は、それを早いうちから実践させるための場所に過ぎない。
畑や家畜を襲う相手をなんとかするには人手が足りず、かといってなすがままという訳にもいかない。となれば、何かしら生きているだけで身に着けるのは道理だろう。
ただ単に、軍人、兵士として生活することがあるかないか、といった違いだ。
人間として生きてきた俺には、彼らと人間の違いがよくわかる。
「士気が高いうちに来てほしくもあり、戦いなどなければいいと思う気持ちもあり……ふふ、いかんな」
「そうじゃなきゃ上に立っていちゃいけないだろうさ」
海魔は夜にあまり動かない。そんな知識も将軍から初めて教えてもらったことだが、それでも見張りの1人や2人は出しておかないと落ち着かないのは人情という物だ。
靄の中、あちこちから示し合わせたような声が響く。それは鼓舞する声であり、この後行われるであろう戦いへと皆が同じ方向を向いている証でもある。
南東部連合軍の内訳は魔族、獣人、そしてエルフとドワーフだ。
その多くは魔族と獣人だが、彼らも兵士というわけではない。
先ほども言ったように、魔物がひしめくこの大陸を生き抜いてきた猛者だが、戦争という点で考えれば結構な数の人が一般人だ。
それが今、朝靄の中で整然と陣形を成している。彼らは皆、声はともかく静かに待っている。
戦いの相手である海魔たちが上陸してくるのを……。
そして、普段なら畑に出る人がいる時間、海面の向こう側から太陽が姿を現し、魔法由来ではない朝靄部分を溶かすように徐々に消していく。
そうして残るのは、魔法による物であろう白い靄と、朝日に照らされる黄金色の海面。
何もなければ見とれるほどの光景だが、今は戦いの始まりを告げる合図のように思えて仕方がない。と、手元の巨大真珠が鳴動する。
テイシアからではないだろうから、将軍からの連絡だ。何度も聞いた、くぐもった声が聞こえてくる。
『これより靄による封鎖と誘導を解除する。我々は予定通り、この場所以外に向かおうとする相手を妨害に入る。……本当に、いいのだな?』
「この戦いは海魔同士の物でもあり、俺達と海魔の戦いでもある。そんなことより、戦いの後のこと、忘れるなよ、将軍」
この状況でもこちらの事を心配してくれる将軍の人となり(魚顔だが)に感動すら覚えるが、もう戦場は目の前なのだ。
若干の沈黙の後で、残っていた靄もかき消されるかのように消えていく。魔法の靄により、考える頭の無い海魔をだまして誘導していたのだ。
将軍の使う魔法が靄の中にいると全体にかかるというのだから興味深い。
戦いが終わったらぜひ聞いてみたいところである。
後に残るのは、無数の白波と、既に我慢できないらしい先行する海魔たちの姿だった。
その数に、目撃した人々の中からどよめきが聞こえるのがわかる。将軍は半分は引き付けて見せる、と言っていた。
海中ではこの後も激しい戦いが続くことだろう。
それでも多くの海魔がこちらへ、地上の制圧のためにやってくるはずだ。
奴らが向かってくるのはニュークの集落……ではなく別方向。
敢えて侵攻されやすいように、こっそりと魔法で掘り進んでおいた入り江とそこに至る道。
後方にいるはずの人型海魔はそこを迂回させるようなことはせず、馬鹿正直に俺達が作り上げた戦場へと海魔が進んでくる。
ある程度数がわかれたらいいなとぐらいは思っていたのだが、まさか先頭から全部がその通りに動いてくるとは思わなかった。
「やつらは負けるということを考えないのか?」
「わからんが……数えるのも嫌な数はいるはずだ」
直前までは上位魔法を連打するのはいかがな物かと遠慮気味だったが、この数を見るとそうもいっていられないような気がしてくる。
海が、砂地が、ほぼ見えないほどだ。
「一発打ち込んでくる。その後は任せた」
「ああ、頼むぞ、友よ」
先行することを宣言して駆け出す俺の背中にかけられる声。
俺は振り向かず、片手をあげることでそれに答え、駆け出した。
自然と笑みが浮かぶのがわかる。彼が、俺を勇者として利用していた人々とは違う気持ちで俺を見ているのがわかるからだ。
(ミィ達はまだあっちだから……大丈夫だな)
ちらりと視線を向けるのは、入り江の奥の奥。
ミィやイア達はとある目的のために狭くなった部分に陣取っている。
入り江に溢れ、周囲に展開を始めるであろう海魔たちを順序良く迎え撃つことを狙っての場所だ。
相手の数がこちらより多いのは百も承知。
それでも狭い場所であれば少数の戦いを繰り返すだけで済むはずだ。
イアには後でいくらでも吸わせるから遠慮はするな、と伝えてある。
俺よりもよっぽど、ちょうどいい具合で蹴散らしてくれるに違いない。
後方の人型海魔が進軍を止めるのが先か、場所が海魔の死骸で埋まるのが先か、なかなかいい勝負になりそうだ。
だが、まずは兵士ではないみんなの気力を取り戻さないとな。
「高らかに叫ぶ空、閃光と共に下されるは慈悲深き雷の断罪! レイジングボルト!」
事前に調べておいた、まだ使い手のいる水準の上位魔法。
随分古めかしい祈りだね、と神の意識が俺に触れた跡、入り江に無数の雷が降り注ぐ。
範囲も広く、強力な魔法だ。
(また集団に使ってもいいかもしれないな)
その消費魔力としては一発きりの決戦魔法だということは見落としていた俺は、そんなことを思いながら前に駆けていく。
「進めええ!!」
ヴァズの叫びを遠くに聞きながら、俺も戦場へと身を躍らせるのだった。
ブクマ、感想やポイントはいつでも歓迎です。
増えると次への意欲が倍プッシュです。
リクエスト的にこんなシチュ良いよね!とかは
R18じゃないようになっていれば……何とか考えます。




