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キラキラと光る黄金の林檎の木の下で幼いティレットが笑っている。
小さなライナはその林檎をどうしても食べたかった。
「ねぇ、どうしても食べちゃダメなの?」
ライナは拗ねた顔で懇願する。
「ダメ!これは神様の食べものなの」
黄金の林檎は甘い蜜を密やかに湛え、魅惑的に誘う。
林檎を食べた者は、不老を手に入れられる。しかし一度食べてしまえば食べ続けなければその身が滅びる。
太古に竜の一族はその実を食べて悠久の時を手に入れたと言われている。
精霊とは現象に近いもの。木に宿りし者はその木と共に、風に宿りし者はその風と共に生きる。恐ろしく長く存在する者も居れば、瞬きの様に儚い者も居る。精霊の祝福を得た妖精もまた然り、彼らより不安定では無いが人より長く世界に留まれる。
そんな彼らより遥かに長く強い命を持つ竜の一族は神聖な存在として古くからこの世界に君臨していた。
ティレットは光の精霊だ。これからずっと長い時間をこの森で過ごし生きていく。ウォーラとセファと共に。
ライナはこんななりだが精霊の力も魔力も使えない。少しだけ尖った耳に透ける様に白い肌。妖精にも人間にも見える自分が何者かはわからないが、彼らと同じ時間を生きれないのだけはわかる。それが悲しくて悔しくて辛かった。
あの実を食べれば……あの実を食べればその願いが叶うかもしれないのに。
しかし林檎を管理するティレットはそれを決して許してはくれなかった。
「ライナまでこの森に囚われてしまう」
ティレットは悲しそうに言うが、ライナは彼女と一緒に居られるのならそれでも良かった。
しかしティレットは頑なに許さなかった。
ティレットは幼いながらも精霊の長だ。彼女の仕事は多い。世界樹に水を与え、森を管理し、生まれた精霊を導き、他の精霊達と会合する。黄金の林檎の木には1日に1度訪れるだけだ。
ライナは誰も居ない黄金の林檎の木の前まで進む。
林檎の実はティレットが捥ぎ取らないとたちまち腐ってしまう。そんな事は知っているが、どうしてもその実を食べたくて手を伸ばす。ライナの小さな身長では決して届かないが、それでも必死に手を伸ばした。これはいけない事。でも罪を犯してもあの実が欲しい。
ライナは罪悪感と得も言えぬ昂揚感を味わっていた。
「何をしているんですか!」
後ろから鋭い声が聞こえて、ライナは身体を大きく震わせる。
後ろを振り向くとセファが立っていた。ライナの身体から血の気が一気に引いていく。
ライナは固まったまま動く事も喋る事もできなかった。セファの険しいその表情をただ見つめる。セファがこっちに近寄って来る。心臓がはち切れそうなくらい脈を打つ。鼓動が大きくて耳鳴りまでする。
ーーどうしよう
何て事をしてしまったのだろう。ティレットがダメだと言ったのに。どうしよう。
セファはライナの目の前に来るとしゃがんで濁りの無い淡褐色の瞳でライナの顔をじっと見て言う。
「いけない事とわかっているでしょう。
なんでこんな事をしようとしたんですか」
怒るのではなく諭す様に言うセファの声と逃げられないその瞳に、ライナの瞳からはぼろぼろと大粒の涙が零れた。
「……だって、わたしだけ、みんなと一緒に、いられないから」
嗚咽を交えながら肩を揺らし、一生懸命言葉を紡ぐ。押さえ込んでいた想いが涙と一緒に零れ落ちる。
セファは整った顔を曇らせてライナの涙を指で拭う。
「馬鹿ですね。誰しも皆、ずっと一緒にはいられないんですよ」
セファは悲しい声でライナの頬を撫でて言う。まるで自分に言い聞かせる様にも聞こえた。
「私だってウォーラの側でずっと力になってあげたいですが、それは叶わない事です。貴女が思うより妖精の命は短いものなんですよ?」
「それでも、わたしは一緒にいたい」
ライナは涙を零しながら呟く。
「その答えを出すには貴女はまだ幼過ぎます。」
セファは少し語気を強めて言った。
「黄金の林檎は甘い顔をした毒の果実です。
1度口にしたらその者を滅ぼす。
ティレットが止めておけと言ったのなら止めておきなさい。彼女を悲しませたく無いでしょう」
「でもわたしは何も持っていない……何にもできない。誰も守れない……」
ライナは自分の無力さにまた悲しくなる。黄金の林檎を食べたからといって竜の一族の様に強大な力が得られるかは分からない。でももしかしたら何かが変わるかもしれない。そんな淡い期待も胸に秘めていた。
「力が無いのが不安ならば、私が祝福を与えましょう」
これでも私は有力な貴族なんですよ、とセファはライナの額にキスをした。
ライナは額が暖かくなり、そこから緩やかに力が流れ込んでくるのを感じた。
「なに?」
セファは口元を少しだけ緩めてライナに言う。
「貴女に水の精霊の祝福を与えました。私に宿る力の一部です。大切に使いなさい」
そう言って立ち上がると、ライナの頭をくしゃくしゃと撫でた。
赤い目でセファを見上げる。もしかしたら彼もライナと同じ想いを何度も打ち消したのかもしれない。
「ほら、行きますよ」
ライナは小さな手でセファの手をそっと握った。
「あ〜ライナ、いないと思ったらこんな所にいた!」
ティレットが木の隙間から姿を現した。
ライナを見るや否や一直線に走り寄ってくる。
そしてライナの頬をを両手で挟み、顔を近づけじっと見つめた。
「ライナ!目が赤い!
セファに虐められたんでしょ!」
そう言ってセファを睨みつける。
「ち、違う」
ライナは慌てて否定するが、取り合ってくれない。頭に血の昇ったティレットはセファを責める。
セファは意地悪だからとか、セファは陰険だからとか、目が怖いとか散々文句を垂れるティレットをセファは軽くあしらう。
「はいはい、煩いですね。もう少し落ち着きを持ちなさい」
責め立てるティレットに全く取り合わない。
「さあ、行きますよ」
そう言って小さな2人の手を握り強引に歩いて行った。




