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教会の脇には、手入れされた美しい庭が広がっている。丁寧に刈り込まれた生垣は青々しく茂り、白い花を咲かせている。足元の花壇には色とりどりの花弁が綻ぶ。
天気も良いので、カハクとライナはそこでナディルを待つ事にした。
「ここに来ると最初にお会いした時の事を思い出しますね」
そう言ってカハクはふふっと笑う。
「……思い出さないで」
ライナは恥ずかしそうに、顔を背ける。
ライナはまだ村を出て間もなかった。
街の中心に聳え立つ教会に驚いた。初めて見る大きな建物に見惚れた。中に入ってみたかったが、部外者の自分が入って良いものなのか考えあぐね、教会の周りをぐるぐると歩いた。
ーー中に入るのにお金がいるのかな
ポケットから硬貨を何枚か取りだして眺める。ライナはあまりお金を使った事が無かった。
金色の硬貨が銀色の硬貨の10枚分で、銀色の硬貨が銅の硬貨の5枚分で……と数えながら歩いていると、石畳の段差に躓いて、持っていた硬貨を落してしまった。硬貨はころころと転がりあちこちに散らばった。
ライナは慌てて大事な硬貨を拾う。必死になって拾っていると、銀色の硬貨が生垣の奥で光るのを見つける。ライナは木の根元から手を突っ込む。棘の付いた枝で腕には細かい引っかき傷ができる。あと少しで、手が届きそうなのに。必死に手を伸ばしていると、生垣の奥から声が聞こえた。
「お探し物はこれですか?」
声の主であろう白い手が、ライナの落した銀貨を摘む。
琥珀色の瞳が幹の隙間から見え隠れした。
「宜しかったら正面から回って頂けませんか?腕が傷だらけですよ」
「あの…入ってもいいんですか?」
「勿論です」
戸惑ったライナの返事に優しい声が返ってくる。
ライナは腕を引っ込めて、教会の正面へと回った。
建物の脇をすり抜けて進むと、美しい庭園に出くわした。鮮やかな緑と咲き誇る花の中に居たのは、白と青のコントラストが美しい教会の服を身に纏い、優しそうに微笑む青年だった。
「ようこそ、迷子さん」
青年はにっこりと、右手に摘まんだ銀貨を見せる。
「……ありがとうございます」
生垣に手を突っ込んでいたのを見られて、恥ずかしくて気まずいライナは、早く銀貨を返してもらって、その場を立ち去りたかった。
「でもまずはその手を消毒致しましょう」
青年はライナの考えを見透かした様に、銀貨を手渡すと、彼女が手を引っ込める前に素早く彼女の手首を掴んだ。
大丈夫、と言うライナを無視して、強引に引っ張って行く。ライナは諦めて青年に付いて行く事にした。
ライナは聖堂の脇にある小さな建物一室に連れて行かれた。部屋の壁は真っ白で、窓から入ってくる日差しが明るく部屋を照らしだす。爽やかな風に白いカーテンがはためく。
青年の着ている服に使われているのと同じ、濡れた露草色のソファに座らされる。
「腕を出して下さい」
青年は棚に置かれた、白い木の箱を持って来て言った。
ライナは素直に引っかき傷だらけの右腕を差し出した。
白い箱の中には緑、青、黄……様々な色のガラス瓶が並んでいた。青年はその中から茶色いガラス瓶と袋に入った白い綿を取り出した。綿をシルバーのピンセットで挟み、茶色い瓶の中の液体に浸すと、慣れた様子でライナの腕の傷を手当てしていく。
液体を塗られた場所は、ピリッと痛んだ後、清涼感と共に冷えていく。薄荷の様な匂いが鼻を掠める。
窓から入る光に照らされて、彼の茶色く光る睫毛が顔に影を落とす。
美しい人だな、とライナは彼の顔を見つめる。きっと心が美しい人なのだろう、と。
「これで大丈夫です」
手当を終えた青年は、ライナの顔を見てにっこりと微笑んだ。
「……ありがとう」
ライナはお礼を言う。
この後、ライナはカハクに質問攻めにされて、半ば無理やり一緒に旅立つ事になるとは思いもせずに。