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ナディルは“探し物”をする為、家を出た後、曲芸団に拾われた。
ナディルはまだ子供で、精霊の力は勿論、魔力も殆ど持っていなかった。本来なら種族によりどちらかを持っているものだが、人間と精霊の子とゆう禁忌により、ただただ無力な子供でしかなかった。
そんな力を持たない幼い彼が1人で旅が出来るはずも無い。獣から逃げ、疲れ果てて木の影で眠っている所を団長に保護された。
彼等は訳ありの寄せ集め集団で、ナディルを快く迎えた。彼等が世界中を旅して回っているのは、ナディルにとって好都合だった。
ナディルは頭が良く、器用な子供だった。物覚えも要領も良いし何でも卒なくこなす。一輪車で綱渡りしながらジャグリングする方法や逆立ちして足でナイフを投げて的を射る方法、カードを誰にもバレずに操る方法をすぐに取得した。愛想の良い彼は皆から可愛がられた。ナディルも第二の家族ができたみたいに思い、居心地の良さを感じていた。
団長は身体は大きいけど優しくて気の弱い男性だった。笑うとなくなる小さく粒らな目が大好きだった。彼の相棒の小鼠ヘジンに、のっぽのバグバルド。双子のクリムとグリム、気の強いシガル……いつも賑やかで煩くて楽しかった。
曲芸団の花形として活躍していた踊り子のロタがナディルの世話をよく焼いてくれた。彼女は赤い巻き毛がチャーミングな童顔の女性だった。彼女は当時も充分若かったのだが、もっと若い頃に子供を産んだらしい。今はその子と離れて暮らさなくてならない状況だが、ナディルの事を自分の子供の様に可愛がってくれた。
「私のハニーちゃんはね、ナディルと全然似てないのよ。私にそっくりな赤い巻き毛でね、泣き虫でわがままでとってもキュートなの。でも、ナディルの事見てると思い出しちゃうんだよね。君がハニーちゃんみたいに思えてくるのよね」
そう言って毎日髪を丁寧に解かしてくれた。ナディルも彼女の子供の話しを聞くのが好きだった。彼女の溢れる愛情が伝わってくる。
暫く放浪の日々が続いた。新しい土地に着く度、ナディルは”探し物”が無いかくまなく探索した。団長は帰る家があるのなら、と時間を見つけては家に帰る機会を幾度も作ってくれた。その度にロタは大袈裟に悲しんだが、戻ってくるとキスの嵐をくれた。
家では心配されない様に各地の様子を面白可笑しく話した。土産も沢山持って行った。木を組み合わせて作った人形、カラフルなラッパ、ドラゴンの形の飴細工、瓶に入った光の玉……ヘンテコなものばかりだった。ルースは土産を手に取りながら、ナディルの語る各地の話を何度もねだった。家を出る時、最初の頃は泣きじゃくっていたルースだが、次第に笑顔で送りだしてくれる様になった。父親はまだ小さいのに、とか早すぎるとか、いつもめそめそしていたが、その度に豪胆な母親に背中を叩かれていた。
「遅かれ早かれ旅立つものよ。いっぱい色んなものを見てきなさい」
それは彼女が自分に言い聞かせていたのかもしれない。
ナディル達が王都近くの街に滞在していた際、竜妃の生誕祭に呼ばれた。ナディルは王都を訪れるのはその時が初めてだった。辺境の地で育った彼には王都の賑わいと活気、建物と人の多さに驚いた。それだけではない。様々な種族が入り乱れ、争うことなく暮らしている事実にも驚いた。ここなら自分みたいな存在してはならない半端者も紛れて暮らせるのではないかと思った。その事実は素晴らしく思えた。いつしかこの地を統べる竜妃に畏敬の念を抱いていた。
ーー竜妃ってどんな方なんだろう。今日、直にお会いできるなんて、なんて光栄な事だろう。
ナディルは胸を高鳴らせた。
いつもより入念な準備をして、王宮を訪れる。ロタに何度も自分の格好でおかしい所はないか尋ねた。舞台脇でミスをしないようにと深呼吸を何度もしていると、団長がやってきた。
「大丈夫、いつも通りやればいいんだよ」
彼はそう言い頭を撫でてくれた。柔らかくて大きな手から暖かな温度が伝わってきて安心した。
本番中の事はよく覚えていない。笑顔が引きつっていなかっただろうか。ちらりと見た竜妃は思っていたよりも小さく華奢で、美しかった。
出番が終わり、労いのために用意してくれたご馳走を頬張る。銀色の大皿に乗せられた料理は皆美しく着飾られ、気取って並んでいる。どれも食べた事ない物ばかりで、しかも驚くほど美味しかった。
「僕、こんなの食べたの初めて」
皿の上に幾つもの料理を載せて、幸せな気分でいた。
その時食べた白い鴨肥肝が乗ったステーキがすごく美味しくて、ロタにも取ってあげようと手を伸ばした。
何が起こったか分からなかった。ロタに抱きしめられたと思ったら、急に目の前が真っ赤になって、床に倒れた。身体が重くて頭が痛くて吐き気がする。気持ち悪い。血の匂いが立ち込めていて、体温が流れ出ていくのを感じた。痛い。体中が痛くて、どこが本当に痛いのか分からない。何が起きたかわからないが、漠然と思った。
ーーあれ、僕、死んじゃうのかな?
頭がぼんやりして考えるのさえ億劫になってくる。手足が冷えて感覚が麻痺していく。コツコツとやけに響く足音が煩かった。
声が聞こえた。はっきりと。
「選べ。家族と共に安らかに眠るか、この禁術と共に地獄を生きるか」
その声で何故か覚醒した。自分に生きるという選択肢が残っている事を知り、強い思いが込み上げてきた。
ーーまだ、妹を見つけていない
喉がヒリヒリして声が出ない。でも、出さないと。ナディルはこのチャンスに縋り付いた。
必死に腕を伸ばす。こうしている間にもライナは悲しんでいるかもしれないし、ルースや父母はずっと自分の帰りを待っているだろう。
「……まだ…死、ね、ない」
視界は霞んで白濁している。それでも、まだやる事があるのだ。
「……まだ…」
腕に痛みと暖かい温もりが伝わってきた。
ナディルはウォーラにとても感謝している。
だって、自分は本来なら魔力はほんの少ししか持ち合わせていなかったのだから。それを、鎖を与えてくれたお陰で、高名な魔術師にも負けないくらいの力を手に入れる事ができた。
剣術は近衛兵達から教えてもらい、魔力や鎖の扱い方は王宮のお抱え魔術師から教えてもらった。図書館で沢山の知識も付けられた。もう、行き倒れていた子供ではない。
ナディルは強くなった。
でももっと強くなりたいと思っている。敬愛する竜妃の為に。彼女の力になりたい。彼女の計り知れない悲しみや重圧を少しでも楽にして上げたい。隣に、なんておこがましい事は思わない。でも彼女の横に並ぶ1人になりたいと思っている。彼女の負担にだけはなりたくない。
ナディルは片膝を付き、白い手袋を嵌めた彼女の手の甲にキスをする。
ーーお慕い申し上げています。我が竜妃。