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ナディルがライナを追いかけようとすると、奥からカリュウの声が響いた。
「ナディル‼︎宝珠を持ってきて‼︎」
振り向くと、床から迫り出した幾つもの鋭い鉱石の間から、意識を失い倒れるガイ=オーラムが見えた。彼等の周囲には氷の柵が出来ていて、鉱石から彼等を守っている。カハクがガイ=オーラムの傷を治そうと胸の傷口に両手を当てている。カハクの両手からはぼんやりと優しげな光をが漏れていた。
彼の胸の傷は命に関わる程の大怪我ではない。しかし、彼は意識を失ったままだ。だとすれば、何かしら宝珠が関わっているのだろうか。使い手であるカリュウは其れを察しているのだろうか。
「急いで‼︎」
カリュウの声を後に、獲物を探す様に蠢めく鉱石を避けながらナディルは走り出す。
彼等の事も心配だが、やはりライナが心配だ。彼女に何かあってからでは後悔してもしきれない。広くない筈の神殿の廊下が何時迄も続く様な気がする。ナディルは焦る気持ちを落ち着けながら彼女の元へと急いだ。
神殿を抜けると其処にはライナの後ろ姿が見えた。ライナ、と走り寄ろうとすると、空気が重く、上手く走れなくなりる。走っても身体が思う様に動かせない。まるでスローモーションの中にいる感覚だ。
ーー何だ、これ
彼女は其処に居るのに、目の前に見えるのに手が届かない。
ナディルは焦り、踠きながら声を張り上げる。
「ライナ‼︎」
その瞬間、重かった空気が一瞬で弾け、身体の自由が戻る。まるであの空間だけ時間がゆっくりと動いていた様な、そんか感覚だった。
ライナはナディルを振り返る。潤んだ瞳がナディルを見つけると、ゆっくりと崩れ落ちる様にその場に倒れた。それと同時に菊月が森へと素早く消えて行くのが見えた。ナディルは菊月の逃げた方向を確認しながらライナに駆け寄り、彼女を抱き寄せる。彼女の手には黄金の宝珠がしっかりと握られていた。
ナディルはライナの手から宝珠をそっと取ると、彼女を近くの木の根元へ寝かした。豊かな深緑の葉が、降り注ぐ霧雨から彼女を守ってくれる。そして自分の外套を脱ぐと彼女に掛け、周囲に魔法をかける。彼女に近づくものは闇の鎖に捕まる、罠の類の魔法だ。
ライナをあの中に連れて行くのは危険だと判断した。
「シャヒ、ライナの事見ておいて」
ナディルはライナの傍らで彼女を見守るシャヒに声を掛ける。
シャヒは鳥から人へと姿を変えて、こくりと頷くと、ライナの隣へと腰を下ろした。
「すぐ戻るから」
ナディルはライナの前髪を優しく整えると、神殿の中へと再び入っていった。
祭壇の部屋は様々な鉱石に無造作に侵されていた。
菫色のグラデーションの美しい紫水晶、海を閉じ込めた蛋白石と銀河が入った黒蛋白石、漆黒に光るガイアクオーツ、黄金に輝く黄鉄鉱……。この世界の奥底に隠されていた宝石箱の中みたいだ。
其れ等の鉱石は吹き抜けから入る光を透過して魅惑的に煌めく。落とした影さえも万華鏡の様に虹色に輝く。
「ナディル、早く!」
ナディルが部屋中の鉱石に見惚れてしまっていると、カリュウの声が響く。彼女の声は反射して部屋中に余韻を残す。
ナディルは突き出した鉱石を分け入り、彼等の元へ辿り着く。ナディルが宝珠を持っている所為か、鉱石は動きを止めている。息を潜め、只の鉱物に擬態しているみたいだ。
「大丈夫?怪我は無い?」
ナディルはカリュウに宝珠を渡す。
ガイ=オーラムの怪我は塞がり、赤々と流れていた血はすっかり止まっていた。彼の胸には、切り裂かれた跡として薄っすらとピンクの筋が見えるだけだ。その隣でカハクが両手と袖を赤く染めて少し疲れた顔で微笑む。
妖精の少年は、彼が作ったであろう氷の柵に寄り掛かり、無言で此方の様子を伺っている。
カリュウはナディルから受け取った宝珠を、ガイ=オーラムの手にそっと握らせる。
宝珠はキラキラと眩しい程に光り出す。地響きと共にに地面が揺れると部屋中に迫り出していた鉱石達がゆっくりと地面へ沈んで行った。
部屋はすっかり元の状態に戻り、何事も無かったかの様な顔をしている。
ナディル達は氷の柵の中で呆然とその様子を眺めていた。
ガイ=オーラムは未だ目覚めない。