第十三話「静かな対面」
朝は、静かだった。
風は弱く、音は少ない。
だが——整っている。
陣は乱れていない。
兵は騒がない。
命令は、短く通る。
徳川の陣は、“崩れない形”をしていた。
本陣。
座している男がいる。
徳川家康。
動かない。
ただ、そこにいる。
それだけで、場が保たれている。
足音が一つ。
近づく。
止める声はない。
制止も、詮索もない。
ただ、道が空く。
あらかじめ、そう決まっていたかのように。
「通せ」
家康は、視線も上げずに言った。
それで十分だった。
一人の男が入る。
大谷吉継。
護衛はいない。
気配も薄い。
だが、消えてはいない。
「……来たか」
家康が言う。
大谷はわずかに頭を下げた。
「来た」
短い。
それだけ。
沈黙。
風が、わずかに帳を揺らす。
「羽柴は終わったか」
「終わった」
「そうか」
軽い。
あまりにも軽い。
だが、それで足りている。
「黒田が動いたな」
「そうだ」
「読んでいたか」
「結果としては」
噛み合っている。
だが、どこか違う。
家康が、わずかに目を細める。
「で」
「お前はどうする」
大谷は迷わない。
「任されている」
「何をだ」
一拍。
「お前を」
空気が、変わる。
ほんのわずかに。
だが、確実に。
家康は、息を吐いた。
「一人でか」
「そうだ」
「なぜだ」
「その方が早い」
間。
「死ぬぞ」
「問題ない」
風が止まる。
家康は、大谷を見た。
初めて、しっかりと。
「……お前は壊れているな」
否定はない。
「そうかもしれない」
静かに、受け入れる。
「ならば、なぜ動く」
問い。
大谷は、同じように答える。
「そうなるからだ」
沈黙。
言葉は短い。
だが、揺れがない。
家康は、ほんのわずかに笑った。
「面白い」
一拍。
「ならば——試す」
それだけ。
戦でもない。
拒絶でもない。
ただ、“見る”と決めた。
風が、再び動く。
大谷は頭を下げる。
それ以上は言わない。
振り返りもせず、去る。
来た時と同じように。
一人で。
本陣に、静けさが戻る。
家康は、目を閉じた。
(流れたか)
誰にも聞こえない声。
(ならば——)
風が吹く。
場面は変わる。
安土。
春日部は腕を組んでいた。
話を聞き終えたところだった。
「……ちょっと待って!?」
誰に向けたでもなく、言う。
光秀が視線を向ける。
「どうした」
春日部は顔を上げた。
「今の話さ」
一拍。
「大谷、一人で行ったんだよね」
「うむ」
「で、家康と話して」
「うむ」
「そのまま戻ってきた?」
「その通りだ」
沈黙。
「いやいやいや」
「それ全部一人でやらせてるってこと?」
「結果的には、そうなるな」
一瞬、止まる。
「いやいやいやいや」
「それ普通にブラック労働でしょ」
「上手くいったからよかったけど
失敗したらどうするつもりだったの?」
静寂。
「……ぶらっく?」
「何の話だ、それは」
「……労働、とは何を指す」
(通じてない……)
一拍。
「ははっ!」
大きく笑う。
「いいじゃねえか」
「一人で二人分も三人分も動くってことだろ?」
「いやそういう話じゃなくて——」
「壊れるかどうか——」
「どこまでやれるか、見てやろうじゃねえか」
慶次は楽しそうに言う。
春日部は言葉を失った。
(……おかしいでしょ)
でも。
誰も止めない。
止まらない。
風が吹く。
空を見上げる。
(これが)
一拍。
(今の“戦”か)
風だけが、吹いていた。




