第十一話「知らない分岐」
風が、少し強かった。
安土の空は高く、雲が流れている。
春日部は廊下を歩きながら、空を見上げた。
その時。
「春日部殿」
声がして、隣に人影が並ぶ。
丹羽長重だった。
まだ少しだけぎこちない立ち方。
だが、その目はまっすぐ前を見ている。
「父は……なぜ、ああ言ったのでしょうか」
静かな問い。
春日部は、少しだけ考える。
「んー……」
言葉を探すように、空を見る。
そして。
「たぶんさ」
ぽつりと、落とす。
「もう“違う戦”だって、わかってたんじゃない?」
長重がわずかに目を細める。
「違う……戦」
「うん」
軽く頷く。
「たぶん、うちらがやってるのって——」
少しだけ言葉に詰まる。
うまく言えない。
でも。
「今までのやつと、違う」
それだけは、確信できた。
沈黙が落ちる。
風の音だけが、通り抜けた。
「いい顔してるじゃねえか」
割り込む声。
振り向くまでもない。
前田慶次。
柱にもたれ、いつものように笑っている。
「は?」
春日部が眉をひそめる。
「“読めなくなった顔”だ」
一瞬、言葉が止まる。
「……そんな顔してる?」
「してるな」
即答。
慶次は楽しそうに笑った。
「最高だぜ」
(いや、最高って何)
春日部は内心で突っ込む。
だが。
否定は、できなかった。
(……読めてない)
それは事実だった。
以前なら。
スマホを見ればよかった。
流れを確認して。
次の一手を決めて。
それで、勝てた。
でも——
(もう、ない)
ポケットの中に、あの重みはない。
確認もできない。
戻れない。
(……なのに)
それでも、わかることがある。
(おかしい)
それだけは、はっきりしていた。
その時。
「——失礼」
静かな声が、場に落ちた。
気づけば、そこにいた。
一人の男。
派手さはない。
むしろ地味だ。
だが——
なぜか、目が離せない。
「……誰?」
春日部が警戒する。
男はわずかに頭を下げた。
「使者だ」
それだけ。
簡潔すぎる答え。
「どこの」
慶次が口を挟む。
男は、淡々と答えた。
「羽柴」
空気が、わずかに変わる。
春日部の心臓が、嫌な音を立てた。
(来る)
そう思った。
戦が。
次の流れが。
——だが。
「羽柴は、これ以上の戦を望まぬ」
その言葉で、全部が止まった。
(……は?)
頭の中で、何かがズレる。
(いや、それはない)
(そこは戦うとこでしょ)
知っている。
はずだった。
この先の流れを。
でも——
「条件は一つ」
男は続ける。
間を置かずに。
「——私を預ける」
沈黙。
風の音だけが響く。
「……は?」
春日部の口から、素直に漏れた。
長重も言葉を失っている。
慶次だけが、面白そうに目を細めていた。
「それは……どういう意味だ」
長重が問いかける。
男は視線も動かさず、答える。
「そのままだ」
説明はない。
補足もない。
ただ事実だけ。
(意味わかんないんだけど)
春日部は頭を押さえたくなった。
(確認できない)
(調べられない)
(でも——)
(おかしいのは、わかる)
それだけが、はっきりしている。
「ねえ」
思わず口を開く。
「それ、納得してるの?」
男の視線が向く。
「している」
即答。
「理由は?」
一拍。
そして。
「そうなるからだ」
「いや意味わかんないんだけど」
思わずツッコむ。
男はわずかに首を傾げた。
「結果が先にある」
「……は?」
「理由は後からついてくる」
理解できない。
でも——
言っていることは、妙にブレていない。
「いいねえ」
慶次が笑う。
「お前とは真逆だ」
「どこが」
春日部が睨む。
慶次は肩をすくめた。
「お前は“理由で結果を作る”」
そして、男を見る。
「あいつは“結果に理由を合わせる”」
沈黙。
風が、また吹いた。
その時。
足音。
慌ただしい音が近づいてくる。
「報告!!」
伝令が飛び込んできた。
息を切らしながら。
「羽柴陣営にて——」
一拍。
「内乱発生!!」
空気が、凍りついた。
「……は?」
春日部の思考が止まる。
長重も言葉を失っている。
慶次だけが——
「ははっ」
笑った。
「来たな」
男は。
大谷は。
静かに目を閉じる。
「……そうか」
それだけ。
「いやいやいや待って!?」
春日部が一歩踏み出す。
「その反応おかしくない!?」
「想定内だ」
「どこが!?」
声が裏返る。
だが。
大谷の表情は変わらない。
揺れない。
(なんなの、こいつ)
理解できない。
理解できないのに——
(怖くない)
それが、余計に気持ち悪い。
沈黙が落ちる。
風が吹く。
空は、相変わらず青い。
春日部は、ゆっくりと息を吐いた。
(もう、わかんない)
(どこからズレたのかも)
(何が正しいのかも)
全部、曖昧だ。
でも——
視線を上げる。
慶次がいる。
大谷がいる。
長重がいる。
そして五右衛門
(進むしかないんだよね、これ)
誰も止まっていない。
なら、自分も止まれない。
空を見上げる。
(攻略じゃない)
一拍。
(これは——)
ほんの少しだけ、笑う。
(ほんとに、“戦”だ)
風が、強く吹いた。




