表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「自分の書いた小説に転生したのに、設定が崩壊してるので“書き換え”ながら生き残ります」―作者なのにヒロインに殺されかけてます―  作者: 百花繚乱


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

47/57

第四十七話 「見ないという観測」

 


 三つのリゼットは、静止しているようで、止まってはいなかった。


 踏み込む意志は前へ押し出され、踏みとどまる意志は均衡を保ち、後退する意志は距離を測る。どれもが同じだけ現実で、同じだけ未確定だ。書庫の空気は、ぴんと張った弦のように緊張し、誰かが指を触れれば、どの音が鳴るのか分からない状態にある。


 鍵の担い手の言葉は、その弦に触れた。


 ――“観測しないまま進む方法”。


 ユイは、その一文を頭の中で何度も反復した。矛盾にしか聞こえない。観測しなければ確定しない。確定しなければ進めない。だが彼は、進めると言った。軽い調子で、けれど確信を持って。


「……具体的に」


 ユイが口を開くより先に、セオドアが言った。


「どうやる」


 鍵の担い手は、わざとらしく考えるふりをしたあと、肩をすくめた。


「簡単ですよ。見るのをやめるだけです」


 ノエルが思わず声を上げる。


「それ、さっきと同じじゃ……!」


「違いますよ」


 鍵の担い手は、指を振る。


「“見ない”のと、“見ないままにしておく”のは別です」


 ユイは眉を寄せた。


「どう違うの」


「前者は逃げです。後者は選択」


 軽やかな言い方だった。だがその差は決定的だ。


「見ないままにしておく……」


 ユイはその言葉を繰り返す。


(観測しない、でも放置しない……?)


「ヒントだけ言うと」


 鍵の担い手は、三つのリゼットを順番に指差した。


「“どれも見ない”んじゃなくて、“全部見ない”んです」


「……意味がわからない」


 リゼットの声は低い。苛立ちが滲んでいる。


「曖昧な言葉遊びは不要だ。結論を言え」


「怖いなあ」


 鍵の担い手は笑う。


「でも、これくらいの曖昧さがないと、分岐って扱えないんですよ」


 その言葉に、セオドアがわずかに頷いた。


「……確かに」


 ノエルが驚いた顔で彼を見る。


「え、セオドアさん……?」


「“観測しない”状態を維持するには、観測の定義そのものをずらす必要がある」


「定義を……ずらす?」


 ユイが問い返す。


 セオドアは三つのリゼットを見たまま言った。


「通常、観測とは“特定の状態を確定させる行為”だ。だが――」


 彼はゆっくりと続ける。


「もし観測対象が“単一の状態ではない”と定義されていれば」


「……確定しない?」


「正確には、“確定の対象が変わる”」


 ユイの思考が、繋がる。


(単一じゃない状態……)


 三つのリゼット。

 それぞれが可能性。


 だがもし、それを――


「……一つとして扱う?」


 ユイの呟きに、鍵の担い手が楽しそうに笑った。


「正解」


 その一言で、空気が変わる。


「“三つある状態”を“ひとつの状態”として観測する。そうすれば、確定しても分岐は消えない」


「そんなこと……」


 ノエルが言いかけて、止まる。


 理屈は、わかる。


 だが、それを“どうやるか”が問題だ。


「無理だな」


 リゼットが断言した。


「状態は一つでなければ定義できない。複数を同時に保持するなど――」


「普通はね」


 鍵の担い手が軽く遮る。


「でも、ここは普通じゃないでしょ?」


 その言葉に、沈黙が落ちる。


 ここは、物語の中だ。

 しかも、書き換えられる世界。


「……できる」


 ユイが小さく言った。


 全員の視線が集まる。


 彼女はペンを握りしめていた。


「“状態の定義”を書き換えればいい」


 セオドアがわずかに目を細める。


「具体的には?」


「三つを一つにするんじゃない」


 ユイはゆっくりと言った。


「“三つで一つ”ってことにする」


 ノエルが息を呑む。


「……それって……」


「矛盾してるよ」


 ユイは苦笑した。


「でも、今の世界はもっと矛盾してる」


 その通りだった。


 分岐が現実に存在している時点で、すでに整合性は崩れている。


 ならば――


(その上で成立する定義を作ればいい)


 ユイは紙を引き寄せた。


 ペン先が、わずかに震える。


(ここで失敗したら……)


 三つのうち、どれかが消える。


 あるいは、全部が崩れる。


 だが、やるしかない。


「……いくよ」


 誰に向けた言葉でもなかった。


 それでも、全員が聞いていた。


 ユイは書く。


 ――この場の三つの状態は、分かたれず一つとして存在する。


 その瞬間、世界が沈んだ。


 音が、一瞬だけ消える。


 書庫の空気が、圧縮されるように収縮する。


 三つのリゼットが、重なった。


 完全に一つになるわけではない。


 だが、三つの輪郭が、同じ場所に“共存する”。


「……っ」


 リゼットの呼吸が乱れる。


 踏み込む感覚。

 止まる感覚。

 後退する感覚。


 すべてが同時に、自分の中にある。


「これ……は……」


 セオドアが低く呟く。


「“重ね合わせ”……」


 鍵の担い手が拍手した。


「いいじゃないですか!」


 軽い音が、やけに響く。


「それですよ、それ。“選ばないまま、進む”っていうのは」


 ユイは息を整える。


「……まだ終わってない」


「ええ、もちろん」


 鍵の担い手は笑う。


「ここからが本番です」


「どういうこと」


「それ、“維持しないといけない”んですよ」


 その一言で、現実に引き戻される。


「維持……」


「そう。気を抜いた瞬間に、どれかに収束する」


 ノエルが青ざめる。


「じゃあ……ずっと……?」


「ええ」


 鍵の担い手は、楽しそうに言った。


「ずっと、“決めない状態”を保ち続ける」


 ユイは、ゆっくりと息を吐いた。


(……無茶すぎる)


 だが、これしかない。


 全部を残しながら、進む。


 そのためには――


(選ばないことを、選び続ける)


 リゼットが、ゆっくりと顔を上げる。


 その目は、わずかに揺れていた。


「……理解した」


 低い声。


「これは、“確定しないことを確定させる”状態か」


「そう」


 ユイは頷く。


「矛盾してるけどね」


「だが、成立している」


 セオドアが補足する。


「この世界のルール上では」


 アリアが、静かに笑った。


「面白いですね」


 その瞳は、いつもより少しだけ柔らかかった。


「“物語を進めながら、終わらせない”」


 ユイは視線を向ける。


 アリアは、まっすぐにユイを見ていた。


「それ、かなり好きです」


 その言葉に、ユイは一瞬だけ言葉を失った。


 だがすぐに、顔を戻す。


「……感想は後で」


「はいはい」


 アリアは肩をすくめる。


 その軽さの奥に、確かな熱があった。


 三つの状態は、まだ維持されている。


 だが、完全ではない。


 わずかに、揺れている。


 いつ崩れてもおかしくない。


 そのとき――


 書庫の奥で、音がした。


 紙が、裂けるような音。


 全員の視線が向く。


 そこには、新しい本が一冊、現れていた。


 誰も触れていないのに、勝手に。


 ノエルが震える手でそれを拾い上げる。


 表紙には、こう書かれていた。


 ――“分岐状態維持記録・第一版”


「……増えてる……」


 ノエルの声が、かすれる。


 セオドアが低く言う。


「当然だ。新しい状態が定義された以上、それも記録される」


 ユイは、その本を見つめた。


(……これ、終わらない)


 分岐は増えない。


 だが、“状態”は増える。


 新しいルールが、新しい現実を生む。


「……きついね、これ」


 ユイは小さく呟いた。


 鍵の担い手が、楽しそうに笑う。


「だから言ったじゃないですか」


 その声は、どこまでも軽い。


「めちゃくちゃ難しいって」


 その瞬間、書庫の空気がわずかに揺れた。


 重ね合わせたはずの三つの状態が、ほんの少しだけずれる。


 完全な安定ではない。


 これは――


「……まだ、足りない」


 ユイは、ペンを握り直した。


 このままでは維持できない。


 何かが必要だ。


 もっと強い“支え”が。


 そのときだった。


「君は、見すぎている」


 静かな声が、背後から響いた。


 全員が振り向く。


 そこに立っていたのは――


 灰色の髪、感情の薄い瞳。


 鏡の担い手だった。


 その存在が現れた瞬間、


 重ねられていた三つの状態が、


 一斉に“均等”に揃った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ