第二十八話「開けてはいけない門」
王都の外縁へ向かう道は、思っていたよりも静かだった。
人通りが少ないのではない。
むしろ逆だ。
人はいる。
兵士も、住民も、巡回の魔術師も。
でも――誰も、そちらを見ない。
封鎖区画へ続く旧門の方向を、意識的に避けている。
「……あれ、何か変じゃない?」とノエルが小声で言う。
「変だな」とセオドアが即答する。
リゼットも頷く。
「視線誘導がかかっています。意識的に見ないようにさせられている」
「誰に?」
「……鍵の担い手、でしょうね」
私は旧門の方を見る。
遠くに見える石造りの門。
本来なら開かれているはずの通路。
でも今は、重い鉄扉で閉ざされている。
そして、その周囲だけが妙に“静か”だ。
音がないわけじゃない。
でも、音が吸われているような感覚がある。
「これ、“開けてはいけない”っていうより」と私は言う。
「“開けさせないようにしてる”感じだね」
「ええ」とアリアが答える。
「しかも、かなり上手い」
彼女は門の方を見たまま、少しだけ目を細める。
「普通なら、気づきません」
「でも気づくんだ」
「導き手なので」
その言い方に、私は少しだけ笑った。
「便利だね」
「便利なだけじゃないですけどね」
「どういう意味?」
アリアは少しだけ間を置いた。
それから言う。
「“見えてしまう”ってことです」
その一言で、空気が少しだけ冷える。
鏡の担い手と同じだ。
見えることは、楽じゃない。
でも、それでも進む。
「行こう」と私は言った。
旧門へ近づく。
足音が、少しずつ変わる。
石畳の感触は同じはずなのに、踏みしめるたびに“ずれる”。
まるで、足元の世界が固定されていないみたいに。
「……来てるね」と私は呟く。
「ええ」とアリア。
「構造が揺れています」
リゼットが剣に手をかける。
「いつでも対応できます」
「戦闘になるかな」
「わかりません。ただ――」
彼女は門を見据える。
「普通の戦闘にはならないでしょう」
その予想は、たぶん当たっている。
鍵の担い手。
“開く役”。
なら、その能力は――
「……閉じてるものを、無理やり開くんじゃない」
私はゆっくり言う。
「“閉じている状態そのものを壊す”タイプ」
セオドアが頷く。
「境界操作に近いな」
「つまり、厄介」
「かなり」
旧門の前に立つ。
鉄扉は巨大だった。
何重もの封印が刻まれている。
王都側から見ても、“絶対に開けるな”という意思がはっきりわかる。
ノエルが息を呑む。
「これ、本当に開けるんですか……?」
「開けるよ」と私は答える。
「だって、向こうにいるんでしょ」
そのとき。
鉄扉の向こう側から、かすかな音がした。
――カチ
小さな音。
鍵が回るような。
でも、この扉は外からしか開かない構造のはずだ。
全員が固まる。
もう一度。
――カチ、カチ
音が続く。
ゆっくりと。
正確に。
「……内側から、開いてる?」とノエル。
「違う」とアリアが言う。
「“開く状態に変えている”」
その言葉の意味を理解した瞬間、
鉄扉の表面に刻まれた封印が、ひとつ、またひとつと“外れて”いく。
壊れているわけじゃない。
解除されているわけでもない。
ただ――
**最初から“封じていなかった”みたいに変わっていく。**
「っ、まずい!」とリゼットが叫ぶ。
彼女が前に出るより早く、
――ギィィィ……
重い音を立てて、扉がゆっくりと開いた。
中は、暗かった。
でも完全な闇じゃない。
奥の方に、かすかな光がある。
そして――
そこに、人影があった。
座っている。
石の段差に腰を下ろし、何かをいじっている。
こちらを見ていない。
ただ、自分の手元に集中している。
「……あれが?」とノエルが小さく言う。
私は一歩、前に出た。
「たぶん」
人影が、ゆっくりと顔を上げる。
若い。
私たちと同じくらい。
長めの髪が片側に流れていて、片目が隠れている。
もう片方の目が、こちらを見る。
その視線は――
「……ああ」
軽い声だった。
驚きも、警戒も、ほとんどない。
ただ、確認するみたいに言う。
「来たんだ」
その一言で、わかる。
この人は、知っている。
私たちが来ることを。
「鍵の担い手?」と私は言う。
その人は、少しだけ考えるようにしてから、肩をすくめた。
「そう呼ばれてるね」
軽い。
でも、その軽さの裏に、妙な違和感がある。
何かが“ずれている”。
「……名前は?」とノエルが聞く。
「決まってない」
鏡の担い手と同じ答え。
でも、ニュアンスが違う。
こっちは、気にしていない。
「じゃあ、役割は?」とリゼット。
その人は、少しだけ笑った。
「役割?」
それから、ゆっくりと立ち上がる。
その瞬間。
周囲の空気が、**ずれる**。
位置が変わるわけじゃない。
でも、“そこにあったはずの距離”が消える。
気づいたときには、
その人は、もう目の前にいた。
「っ!?」
ノエルが一歩下がる。
リゼットが即座に剣を抜く。
でも、間に合わない。
「やめてください」とアリアが言う。
その声で、空気が止まる。
鍵の担い手は、アリアを見る。
少しだけ目を細める。
「……導き手」
「そうです」
「珍しいね。こんなところまで来るなんて」
「あなたを探しに来ました」
その人は、少しだけ首を傾けた。
「何で?」
私は前に出る。
「構造を開くため」
その一言で、鍵の担い手の目が、ほんの少しだけ変わる。
興味。
それがはっきりと見えた。
「……へえ」
その人は、ゆっくりと私を見る。
「君、外から来たでしょ」
「そうだよ」
「なるほどね」
納得したように頷く。
それから、少しだけ笑う。
「だから、そんなこと言えるんだ」
「何が」
「“構造を開く”なんて」
その言い方に、少しだけ引っかかる。
「できるでしょ」と私は言う。
「鏡も言ってた。分岐は増やせる」
「増やせるよ」
あっさり。
でも――
「でもね」
その人は、軽く指を鳴らす。
――カチ
その瞬間、
背後の鉄扉が、**消えた**。
消えた、というより。
**最初からなかったみたいに変わった。**
「……え?」とノエル。
振り返る。
扉はない。
壁もない。
ただ、開けた空間がある。
「これが“開く”ってこと」と鍵の担い手が言う。
「閉じてるものを壊すんじゃない。最初から閉じてなかったことにする」
背筋が寒くなる。
これは、危険だ。
想像以上に。
「じゃあ」と私は言う。
「できるよね」
「何が?」
「一人に押し付ける構造、壊すの」
沈黙。
数秒。
鍵の担い手は、じっと私を見る。
それから、ゆっくりと笑った。
「できるよ」
「じゃあ――」
「でも」
その一言で、空気が止まる。
「壊したあと、どうするの?」
言葉が、続かない。
「分散するんでしょ? 均衡取るんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ、その“均衡”を誰が決めるの?」
答えられない。
「壊すのは簡単だよ」とその人は言う。
「でも、その後を決めるのは、もっと難しい」
その言葉は、重かった。
鏡が“見せる”役なら、
この人は――
「選択肢を増やすだけじゃ、意味ないよ」
鍵の担い手は、静かに言う。
「その中から、何を選ぶかを決めないと」
私は、息を吸った。
その通りだ。
でも。
「だから来た」と私は言う。
「選び直すために」
鍵の担い手は、少しだけ目を細めた。
それから――
「いいよ」
軽く言った。
「手伝ってあげる」
その一言で、
世界が、また一段、動き出す。




