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「自分の書いた小説に転生したのに、設定が崩壊してるので“書き換え”ながら生き残ります」―作者なのにヒロインに殺されかけてます―  作者: 百花繚乱


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第二十一話「書きかけの世界」

 第二十話のあと、私はしばらく何も書けなかった。


 真理から返ってきた、あの一文。

 **「今のあんた、ちゃんと連れて帰す」**

 それは嬉しかったし、救いにもなった。けれど同時に、今まで感じたことのない種類の重さも持っていた。真理はもう、“昔の由衣”を探しているわけじゃない。異世界で変わってしまった私ごと、今ここにいるユイごと、引き受けると決めている。その覚悟を受け取ってしまった以上、私ももう曖昧なままではいられない。


 私は今の私だ。

 昔と同じではない。

 けれど、消えてしまったわけでもない。


 そのことを言葉にした第二十話は、たぶん必要だった。必要だったけれど、終わった瞬間に、別の扉が開いてしまった気もしていた。本人確認を超えた先で問われるのは、もう“誰か”だけじゃない。**どこに立っているのか**、そして**何を背負っているのか**だ。


 その問いに答えるように、翌朝、セオドアは私を北棟書庫の奥へ呼び出した。


 書庫の空気は、日によって少しずつ違う。人の出入りが多い日は紙の匂いよりも埃っぽさが勝つし、夜をまたいだ翌朝は妙に冷えた静けさがある。今日はそのどちらでもなかった。むしろ、“待っている”感じがした。高い棚に収まった本たちが、声もなくこちらを見下ろしているみたいな気配だ。気のせいだと切り捨てたくても、この世界ではそういう気配ほど当たる。


 第二閲覧室ではなく、そのさらに奥。古い鉄格子をくぐった先の半円形の部屋に、セオドアとリゼット、ノエルがいた。アリアは、珍しくまだ来ていない。


「遅かったな」とセオドアが言う。


「呼ばれてから来たんだけど」


「精神的にはまだ第二十話にいた顔をしている」


「嫌な言い方」


「だが当たっている」


 否定できないのが腹立たしい。私は机の前に立ち、並べられている資料と板書きを見た。そこには、これまでの接続と観測の流れが簡潔に整理されていた。


 * 真理からの最初の紙片

 * 未送信の手紙の箱による補助接続

 * 青いノート

 * ヒロイン設計への現世側の接触

 * アリアの直接反応

 * 本人確認への応答成功


 第二十話までの流れを、こうして列挙されると妙に他人事みたいだ。でも全部、ここ十話の間に起きたことなのだと思うと、目まいがしそうになる。


「今日は何」と私は聞いた。


 セオドアは少しだけ間を置いてから答えた。


「ここから先の前提を修正する」


「前提?」


「お前は今まで、“自分の小説世界に転生した”と思っていた。実際、それは間違いじゃない。だが、もうその言い方だけでは足りない」


 ノエルが、横に積んであった革表紙の記録帳を一冊持ち上げた。表には細い銀文字で分類が刻まれている。私はそれを見た瞬間、嫌な予感がした。


 **保留案/世界構造未確定**


「……嫌な名前」


「実際に嫌な中身です」とノエルが素直に言う。「昨日の第二十話で現世側が“今のユイ”を受け入れる方向へ動いたことで、逆にこちらでは“今の世界が何でできているか”の境界が曖昧になりました」


「わかりやすく言って」と私が言うと、リゼットが補足する。


「この世界は、あなたが投稿した完成版だけでできているわけではない、ということです」


 それは、もう薄々わかっていたことだった。青いノートの断片、没タイトル、ヒロイン先出し案、採用されなかった要素の流入。第二十話までの流れで、投稿版の本編以外のものがこちらへ影響しているのは、ほぼ確定している。けれどセオドアたちが今それを“前提の修正”として持ち出してきたということは、もっとはっきりした証拠が出たのだろう。


「昨日の夜、境界観測値が再度跳ねた」とセオドアが言った。「その際、書庫深部の封印棚がいくつか反応している。お前がアクセスした覚えのない棚まで、だ」


「それって……」


「向こうが“今のユイ”を認識したことで、こちらでは“今の世界”の再解釈が始まっている可能性が高い」


 私は少し黙った。

 再解釈。

 その言葉が妙に腑に落ちる。現世の真理が、青いノートや私の返答を通じて“今の私”を理解し始めたように、この異世界側でも、“ユイがいる世界とは何か”が揺れ始めているのかもしれない。


「つまり、ここって……」と私は言いかけて止まる。


 セオドアが続きを受け取った。


「一つの完成作品の内側ではない。お前が書きかけ、保留し、捨てきれずに残したものまで含めた“創作全体の層”だ」


 その瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 頭では知っていた。

 でも、こうして明言されると違う。

 私は自分の小説に転生したのではなく、自分の**書いてしまったもの全部**の中に落ちたのかもしれない。


 完成稿だけじゃない。

 未完成のプロット。

 採用しなかった敵。

 途中で怖くなって閉じた災害案。

 ヒロインをどう崩すか迷ったメモ。

 何なら、気分だけで書いて捨てた数行の設定すら、どこかで層になっている可能性がある。


「最悪じゃん」


 思わず口に出る。ノエルが控えめに頷いた。


「かなり」


「笑ってないで否定してよ」


「否定できないので……」


 セオドアが机の上の別の記録板をこちらへ向けた。そこには書庫深部の見取り図が描かれている。私が普段使っている閲覧室や第二層とは別に、その下へさらに枝分かれした区画があるらしい。そのいくつかに赤い印がついていた。


「ここが昨夜反応した棚だ。分類を見る限り、共通しているのは“採用見送り”と“保留”だ」


「完成稿じゃない方が、反応してるってこと?」


「そうだ。投稿版の本編は、もうある程度固定されている。だが、保留案や没案は違う。未確定のまま積まれている分、境界が揺れたときに浮きやすい」


 そこでノエルが、少し興奮を抑えきれない顔で記録帳を開いた。


「しかも、未完成な記述って、完成稿より扱いが難しいんです。完成稿は矛盾が減るまで削られてるから、ある意味で行動原理も因果も読める。でも保留案は違う。勢いだけで置かれたものとか、感情だけ先にあるものとか、説明不足のくせに核だけ強いものが多い」


「つまり?」


「つまり、予測しにくいのに、妙に濃い」


 それはたしかに厄介だった。完成していないから弱い、とはならない。むしろ逆だ。粗いままだからこそ、穴だらけで、どこへ転ぶかわからない。しかも私が“いつか使うかもしれない”と迷って残したものなら、愛着や執着だけは中途半端に濃いだろう。


 そのとき、不意に部屋の奥で小さな音がした。

 紙が擦れるような、でも誰も触っていない場所から鳴る音。


 私たちは同時に振り向く。半円形の部屋の最奥、高い棚の一角に嵌め込まれた小さな扉。その取っ手にかかっていた封印鎖が、わずかに揺れていた。風なんてない。誰も近づいていない。それでも鎖は、確かに内側から引かれたみたいにかすかに鳴った。


 ノエルが息を呑む。「今の、第三封印棚です」


「分類は」とセオドア。


 ノエルが急いで目録を開く。ページをめくる指先が緊張で少し震えていた。


「えっと……第三封印棚、下段、分類――」


 彼の顔が強ばる。


「**王都崩壊・採用見送り案**」


 私は顔をしかめた。

 また、ずいぶんわかりやすく嫌なものが出てきた。


「どういう内容?」とリゼットが聞く。


 答えたのは私だった。思い出したくもないけれど、忘れるほど浅い案でもない。


「かなり昔に考えて、捨てた大災害ルート。王都の上空に亀裂が走って、塔と街区が順番に落ちる。都市機能が一気に死ぬから、そこから“生き残りもの”にもできるし、政治劇にも広げられる、って……途中まで考えてた」


「途中でやめた理由は?」とセオドアが問う。


「……重すぎたから」


 正確には、それだけじゃない。扱いきれなかったのだ。スケールが大きくなりすぎて、キャラの感情と世界の崩壊をうまく両立できなかった。悲劇としては強い。インパクトもある。でも、その先の再建や喪失をちゃんと書ける自信がなくて、結局“保留”という名の放置にした。


「それが今、反応してる」とリゼットが低く言う。


「たぶん」と私は答えるしかない。


 部屋の空気が少しずつ張り詰めていく。

 ただ危ないからではない。

 これはいよいよ、私の“書かなかった責任”が現実に食い込んできたということだからだ。


「開けるんですか」とノエルが聞く。怖がっているのに、同時に知りたくて仕方がない顔だった。


 セオドアは即答しない。代わりに私を見る。


「お前が決めろ」


「何で」


「原因が誰にあるか明白だからだ」


 ひどい。でも否定できない。

 私は少しだけ笑って、でもすぐに笑えなくなった。

 決めるしかない。

 向こうで真理が私の青いノートを開いている以上、こちらでも私が残した封印棚を見ないままではいられない。


「……開ける」


 そう言った瞬間、部屋の入口側で気配が揺れた。


 誰かが遅れて入ってくるとき、いつも少しだけ空気が流れる。けれど今の気配はそれとは違った。高窓から差す光が一度だけ白く反射し、部屋の輪郭が薄くなる。振り返ると、そこにアリアが立っていた。


 彼女は最初から話を聞いていたのかもしれない。表情には大きな変化がない。でも、その視線だけが、第三封印棚へ強く向いている。


「嫌なもの、開けるんですね」と彼女は言った。


「そういう言い方だとやめたくなる」


「やめないでしょう」


「……やめない」


 アリアは少しだけ目を細めた。

 嫌そうではある。

 でも止めようとはしない。


「それ、あなたが最後まで書けなかったやつですよね」


「知ってるの?」


「雰囲気で」


「何それ」


「だって、あなたの“書けなかった大きい不幸”って、だいたい匂いが似てるので」


 その言い方に、少しだけ腹が立って、少しだけ怖くなった。

 アリアは本当に、私の創作の癖を読んでいる。真理とは別の方向で、でも確かに読んでいる。だからこそ、この子はやっぱり特別だ。


「じゃあ言っておくけど」と私は言う。「うまく扱えなくて捨てたやつだから、たぶん相当危ない」


「知ってます」


「怖くないの」


「怖いですよ」


 アリアはあっさり答えた。

 それから、ほんの少しだけ視線を逸らして続ける。


「でも、あなたが捨てたものなら、たぶんわたしにも関係あるでしょう」


 その一言は、短いのに重かった。

 そうだ。私が捨てた案は、私だけの失敗では済まない。ヒロインの在り方、王都の行く末、主人公の選択、全部が絡んでいるなら、アリアにも無関係ではない。


 セオドアが鎖の前に立ち、封印解除式の準備に入る。ノエルは目録と記録紙を抱えたまま、棚との距離を慎重に測っている。リゼットはすでに剣の柄へ手を添え、私の少し前に位置取った。私はその背中を見て、小さく息を吐く。


 第二十話までは、接続の章だった。

 問いと返答の章だった。

 でも第二十一話からは違う。

 ここからは、“今いる世界が何でできているか”を掘り返す章になる。


 セオドアが振り向く。


「最後に確認する。第三封印棚を開いた場合、王都崩壊案の断片が実体化する可能性が高い。最悪、棚の中身そのものが“未完成な災害記述”として漏れ出す」


「わかった」


「わかっていても、嫌なら今なら引き返せる」


 私は少しだけ考えた。

 本当に少しだけだ。


 その間に、真理の顔が浮かぶ。

 母と弟が青いノートを開いていた光景も。

 そして、第十九話で“読まないで”と反応したアリアの顔も。


 引き返せる場所じゃない。

 たぶんもう、とっくに。


「やる」


 そう言って、私はセオドアの隣へ立った。


 封印鎖が外される。

 鉄の音が小さく重なり、第三封印棚の扉がゆっくり開く。


 中にあったのは、一冊の本ではなかった。


 棚の奥一面に、折りたたまれた都市地図、未完成の建築図、崩落順を示す赤い矢印、避難経路のメモ、空に走る亀裂のスケッチ、塔の断面図、そして文章断片が乱雑に重ねられていた。まるで“本になる前の世界設定”をそのまま押し込めたみたいな有様だ。


 その瞬間、紙の束がふわりと浮いた。


 まずい、と理解したときにはもう遅い。

 棚の中から赤い線が抜け出し、空中へ幾何学模様のように広がる。塔の断面図が光に変わり、都市地図の上空に黒い亀裂が走る。机の上の記録紙が一斉に震え、第二十一話の最初の災害が、閲覧室の中でなく、**この書庫そのもの**に始まりかけた。


「下がって!」とリゼットが叫ぶ。


 ノエルが記録紙を胸に抱え込んで伏せる。

 セオドアは即座に結界板を起動させたが、未完成の災害案は完成稿の魔法式みたいに綺麗には縛れない。線が乱れ、崩落の順序が何度も書き換わり、上空の亀裂が閉じる前にまた別方向へ走る。未完成だからこそ、どこから壊れるかが定まらない。


 私は思わず一歩前へ出た。

 目の前に広がるのは、昔の私が“これは強いけど、扱いきれない”と閉じた大崩壊の断片だ。

 そして今、それが世界の一部としてこちらへ出ようとしている。


「……最悪」


 口の中でそう呟くと、すぐ横でアリアが小さく笑った。


「でしょうね」


 笑っているのに、その目は真剣だった。

 彼女は棚から漏れ出す崩壊図を見つめながら、静かに言う。


「でも、これがあなたの“書きかけの世界”です」


 その言葉が、第二十一話の核心だった。


 完成した物語じゃない。

 美しく整った構造でもない。

 迷い、保留、失敗、扱いきれなかったスケール。

 そういうものまで含めて、今の私の世界はできている。


 だったら、ここから先を進むには、それをちゃんと見るしかない。


 私はペンを握った。

 第二十話までの私は、向こうへ届くために書いていた。

 でも第二十一話の私は、**この世界の土台そのものを受け入れるために書かなければならない。**


 空中で赤い亀裂がさらに広がる。

 王都崩壊・採用見送り案は、まだ本気ではない。

 でも、もう始まっている。


 次の一文をどう書くかで、

 第二十一話から先の世界の深さが決まる。


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