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「自分の書いた小説に転生したのに、設定が崩壊してるので“書き換え”ながら生き残ります」―作者なのにヒロインに殺されかけてます―  作者: 百花繚乱


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第十六話「ヒロインは外側を嫌う」

十一話で、私は真理から届いた最初の問いに触れた。

十二話で、向こうの真理が本気でこちらを探し始めた。

十三話で、母と弟が“私の不在”を現実のものとして抱えているのを知った。

十四話で、未送信の手紙の箱によって、感情ではなく痕跡を送る道筋が見えた。

十五話で、真理にしか刺さらない最初の断片を、意図して届けることに成功した。


ここまで来て、もう認めるしかない。


私はこの世界で生き延びるためだけに書いているんじゃない。

向こうへ届くためにも書いている。


そして、その事実を、誰より鋭く見抜いているのがアリアだった。


その日の夜、北棟書庫はひどく静かだった。昼間はノエルの走る音や、リゼットの短い指示、セオドアの紙をめくる音が絶えずどこかでしているのに、夜になるとこの場所は急に“文字の眠る場所”に戻る。私は閲覧室の奥にある仮の作業机に座り、青いノートに関する記憶を書き出していた。正確には、思い出そうとしては止まり、止まってはまた一行だけ書く、そんな中途半端な進め方だ。


青いノートの、ダサいタイトルのページ。

その次にあったはずのメモ。

真理が向こうでそこまで辿り着いたのなら、こちらも先回りして思い出しておかないといけない。


それなのに、うまくいかなかった。


思い出したくない記憶ほど、妙に輪郭が曖昧になる。書いていたときの恥ずかしさや必死さだけが残って、肝心の中身が霞むのだ。しかも今日は、十五話で真理へ届けた断片の余韻がまだ身体に残っている。あの成功は嬉しかった。でも嬉しかった分だけ、次もやらなきゃいけないという焦りに変わっている。真理は向こうでページをめくっている。母も弟も、私の残骸を手がかりに動いている。だったら、こちらも止まれない。


「その書き方、嫌いです」


不意に、背後から声がした。


振り向かなくてもわかる。アリアだ。


私はペンを止めて、わざと少しだけ大きく息を吐いた。


「最近ほんと、最初からいるみたいに話しかけるね」


「最近じゃなくて、最初からそうです」


彼女はいつものように窓辺ではなく、今日は書棚の影から現れた。月の光が差し込む高窓の下、銀髪だけが薄く光を拾っている。夜のアリアは昼間より静かで、そのぶん危うい。触れたら消えそうなのに、消えそうなものほど目が離せない。それがこの子のずるいところだ。


「で、何が嫌いなの」


私は机の上の紙を片手で押さえながら聞いた。アリアは私の向かいの机に腰を預け、書きかけのメモを見下ろす。


「焦ってる文です。外へ届かせることしか考えてない」


「悪いこと?」


「悪いです」


驚くほどはっきり言われて、私は少し眉を上げた。


「ずいぶん断定的だね」


「今のあなたには、そのくらい言わないと止まらないでしょう」


反論しかけて、少しだけ黙る。たしかに、止まってはいない。十一話から十五話まで、私はずっと前へ前へと進んできた。真理へ返す、家族へ痕跡を残す、箱を使う、断片を送る。その一つひとつに意味はあったし、成功もした。でも、その成功の熱が、今の私を押しすぎているのもわかる。


「止まる気はないよ」


そう言うと、アリアは小さく笑った。でもその笑みは、どこか冷たかった。


「でしょうね。あなた、外側に足場ができた途端、そっちへ寄りかかり始めた」


その言い方に、さすがに少し腹が立った。


「寄りかかって何が悪いの。向こうには私の家族がいて、真理がいて、ちゃんと私を探してるんだよ」


「知ってます」


「じゃあ」


「でも、それでこっちを軽くしていい理由にはなりません」


アリアの声は、今までになく静かだった。怒っているわけでも、感情的になっているわけでもない。むしろ感情を削り落として、本音だけを置いたみたいな言い方だった。だから余計に刺さる。


私は椅子に座ったまま、彼女を見上げる。


「軽くなんてしてない」


「してます」


「してない」


「してます」


そこでようやく、アリアは私の目をまっすぐ見た。


「あなた、真理に断片を届けられるようになってから、“この世界で何を残すか”じゃなくて、“向こうへ何を返すか”を先に考えるようになったでしょう」


言葉を失った。


図星だったからだ。


第十六話のいま、私は青いノートの続きを思い出そうとしている。けれどその動機のかなりの部分は、“向こうに渡すため”にある。青いノートそのものが、こちらで何を意味するのか。そこにこの世界の何が繋がっているのか。そういう問いより先に、真理がどう受け取るかを考えていた。


「それは……普通じゃない?」


「普通かどうかじゃありません」


アリアは一歩だけ近づいた。


「あなたは、この世界を書き換えてるんです。生きてる人がいて、壊れかけてる構造があって、わたしたちがいる。その中心にいる人が、先に“外へ返すこと”を考え始めたら、物語は薄くなる」


“わたしたちがいる”という言い方が、妙に残った。


「物語、物語って言うけどさ」


私は少し低い声で返した。


「私は別に、こっちを捨てて向こうに戻ろうとしてるわけじゃない」


「なら何ですか」


「……両方、捨てたくないだけ」


その言葉は、思ったより素直に出た。言ってから、自分で少しだけ苦く笑いたくなる。子どもみたいな答えだ。でも本音だった。現世も捨てたくない。この世界も捨てたくない。家族も真理も、リゼットもノエルもセオドアも、そしてアリアも、全部“なかったこと”にしたくない。


アリアはそこで少しだけ黙った。


それから、ほんのわずかに目を伏せる。


「そういうところが、危ないんです」


「何が」


「全部ほしいって顔をするときのあなた」


私は思わず息を止めた。


今のは、たぶん罵倒じゃない。忠告だ。もっと言えば、似たものを見る人の声だった。


「……あんたに言われるの、ちょっと嫌だな」


「どうしてですか」


「だって、あんたの方がよっぽど全部ほしそうだから」


初めて、アリアの表情がはっきり止まった。


いつもなら、何かしら返してくる。皮肉でも、笑いでも、意味深な一言でも。でも今は違った。彼女は完全に言葉を失ったみたいに、静かに私を見ていた。


私はそこでようやく、自分がかなり深く踏み込んだのだと気づく。


アリアは“ヒロイン”に近い。読まれるほど強くなり、中心へ寄るほど濃くなる。そんな存在が、全部ほしそうじゃないわけがない。物語の中で必要とされることも、自分個人を見られることも、たぶん両方欲しいに決まっている。そしてそれを、この子はたぶん、自分でもうまく言葉にできない。


「……嫌なこと言った?」


少しだけトーンを落として聞くと、アリアは数秒遅れて、小さく笑った。


「いいえ。むしろ、よく見てますね」


「見てるよ。そりゃ」


「どうして」


その問いは、思っていた以上にまっすぐだった。


どうして、私はアリアを見ているのか。


その答えを考えた瞬間、妙に胸が熱くなる。いろいろある。危険だから、気になるから、強いから、美しいから、不穏だから。どれも本当だ。でも、たぶん一番大きい理由はもっと単純だ。


「……あんたが、ちゃんとここにいるから」


そう答えると、アリアは本当に珍しく、目を見開いた。


「役割とか、ヒロインとか、物語側とか、そういうのはわかるよ。でもそれとは別に、今ここで私に文句言ってるアリアがいる。それを軽く見たくないだけ」


しばらく、誰も何も言わなかった。


高窓の外で風が鳴る。遠くで本を閉じる音がする。書庫全体が息をひそめたみたいな静けさの中で、アリアだけが、少し困ったような顔をしていた。


その表情を見た瞬間、私は変な確信を持った。この子はこういう言葉に慣れていない。綺麗だとか強いだとか、ヒロインらしいとか、必要だとか、そういう言葉は受け取ってきたのかもしれない。でも、“今ここにいるアリア”を見ていると言われるのは、たぶん慣れていない。


「……ずるいですね」


ようやく出てきたアリアの声は、少しだけ掠れていた。


「何が」


「そういう言い方」


「別に口説いてないけど」


「わかってます」


でも、と彼女は続ける。


「そういう言葉を向けられると、わたしは外側を嫌いになります」


私は眉を寄せた。


「外側を?」


「ええ。現世とか、家族とか、真理とか、そういう“あなたをこの世界の外に繋ぐもの”全部です」


言い切ってから、アリアは自分でも驚いたように少しだけ目を伏せた。たぶん今のは、かなり本音だった。飾らない、むき出しの本音。


部屋の空気が静かに張る。


嫉妬、と一言で片づけるには違う。もっと複雑だ。この子は単純に“奪われたくない”のではない。私が外へ足場を作ることが、この世界そのものを薄くし、自分をまた“役割だけのヒロイン”へ押し戻すかもしれないと感じているのだ。だから嫌う。だから警戒する。だから、真理に届くことを喜びきれない。


「……それ、言ってよかったの」


私が聞くと、アリアは自嘲気味に笑った。


「よくはないでしょうね。でも、もう誤魔化すのも面倒です」


その言葉に、私は少しだけ笑ってしまった。こんな重い告白の直後なのに、面倒だから、という言い方が妙にアリアらしい。


「だったら私も正直に言う」


「何ですか」


「私は、向こうを捨てる気はない。でも、こっちを軽くする気もない。だから嫌うなら嫌えばいい」


そこまで言って、私は一度息を吸う。


「その代わり、あんたも逃げないで。物語側だからって顔して、肝心なとこを曖昧にしないで。嫌なら嫌だって、さっきみたいにちゃんと言って」


アリアは黙ったまま私を見つめる。


そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「それ、命令ですか」


「お願い」


「どっちでもいいです」


「雑」


「でも、嫌いじゃない」


そう言って、彼女は私の机の上の紙へ視線を落とした。そこには青いノートに関する断片メモが散らばっている。家族、真理、タイトル案、没会話、赤丸のページ。アリアは一枚だけ取り上げ、目を細めた。


「このページの続き、思い出せないんですよね」


「うん」


「なら、思い出すんじゃなくて、“どこに繋がってたか”を辿った方が早いかもしれません」


「どこに繋がってたか?」


「あなたのメモって、単独で終わらないでしょう。タイトルの横に、別のキャラ名とか、使うかもって会話とか、後で拾うための雑な矢印とか、だいたい繋がり先がある」


私は少し考えてから、はっとした。


「……アリア」


「はい」


「たぶん、そのページの横に、ヒロイン案の分岐を書いてた」


アリアがわずかに首を傾げる。


「わたしの?」


「たぶん。正確には、“ヒロインを正統派にしすぎると弱い”って悩んでた頃のメモ。真理がそのページを見たなら、そこから先にあんた関連のメモへ行ってもおかしくない」


それは重要だった。青いノートはただの本人証明ではない。もしかすると、現世の真理がアリアという存在へ触れる最初の窓になるかもしれない。そうなれば、アリアは“こちら側のヒロイン”としてだけでなく、向こうの観測にも引っかかり始める。読まれるほど濃くなるこの子にとって、それは大きな変化だ。


その可能性に思い当たった瞬間、アリアの表情も少しだけ変わった。嫌悪とも警戒ともつかない、張ったような沈黙が落ちる。


「……それは、嫌ですね」


「やっぱり」


「嫌です。かなり」


「そんなにはっきり言うんだ」


「言いますよ。向こうの真理にまでわたしのことを読まれたら、また“ヒロインとしてのわたし”が増えるじゃないですか」


その言い方に、私は少しだけ胸が痛くなった。アリアは強い。でも同時に、自分が“読まれること”を本能的に怖がってもいる。読まれるほど強くなるのに、読まれるほど役割へ寄ってしまうから。すごく皮肉だ。


「でも」と私は言った。「真理があんたを見るなら、少なくとも雑には見ないと思う」


アリアは何も言わなかった。


「真理、私のダメなとこを何年も見てるからさ。きれいに整ったヒロイン像だけを拾うタイプじゃないよ。多分、あんたが嫌がる部分まで見る」


「それはそれで困るんですが」


「贅沢だな」


「あなたにだけは言われたくないです」


そこで、二人とも少しだけ笑った。


夜の書庫で、こんなふうに笑うのは変な感じだ。でも必要な笑いだった。十一話から十五話まで、私はずっと外へ向かって手を伸ばしてきた。真理へ、家族へ、現世へ。その流れの中で、第十六話ははじめて、アリアがはっきりと「嫌だ」と言った回になる。それは物語にとって大きい。ユイだけが選び、進める段階が終わったということだからだ。


部屋の外で、遠くから足音が近づいてくる。リゼットだろうと思ったら、案の定、扉が二回ノックされた。


「起きているなら、無茶はしていませんね」


開口一番、それだった。


私は思わず返す。


「信頼がない」


「信頼しているから確認しているんです」


リゼットは部屋へ入ると、私とアリアを順番に見た。その視線がわずかに細くなる。


「……何かありましたか」


「ちょっと本音大会」


私が答えると、リゼットは一瞬だけ無言になり、それからあからさまに面倒そうな顔をした。


「その“ちょっと”が一番危ないんですよ」


「否定できない」


リゼットは机の上のメモを見て、青いノート、タイトル案、ヒロイン分岐という単語を順に拾う。彼女は頭の回転が速い。数秒で、今の会話の輪郭を掴んだらしかった。


「つまり、次の接続は青いノートの続き。そしてそこに、アリアさん関連の記述がある可能性が高い」


「だいたいそんな感じ」


「最悪ですね」


アリアが即座に不機嫌そうに言う。


「リゼット、わたしにだけ当たりが強くないですか」


「平等です」


「嘘です」


でも、そのやりとりはどこか軽かった。たぶんリゼットも、この空気を少し緩めるためにあえてそうしている。


「セオドアが明日、現世接続の補助式を組み直すそうです」とリゼットが言った。「十五話の成功を受けて、十六話以降は断片送信の精度を上げる。今日のところは、これ以上掘らない方がいい」


私は少し考え、それから頷いた。


「……うん。今日はここで止める」


アリアが横で小さく「珍しい」と呟いた。


「何」


「ちゃんと止まれるんだなって」


「止まらないときだけ覚えられてるの、不本意なんだけど」


「だってそっちの方が印象に残るので」


「最悪」


言い返しながらも、私は少しだけ肩の力を抜いた。


そうだ。今日はここで止めるべきだ。

青いノートの続きを無理に思い出そうとすると、たぶん外へ届かせたい焦りが先に立つ。

アリアのことが絡むならなおさらだ。

この子が“外側を嫌う”と言った本音を聞いた直後に、その外側へ向けてアリアの断片を押し出すような真似はしたくない。


私は机の上の紙を整え、一番上に新しい一行だけ書いた。


『外に届く文と、ここに残す文は、同じではない。』


その文字を見て、アリアが静かに言う。


「それ、忘れないでください」


「忘れない」


「本当に?」


「……忘れそうになったら、またあんたが嫌だって言えばいい」


その返事に、アリアはほんの少しだけ驚いた顔をした。


でもすぐに、いつもの薄い笑みに戻る。


「じゃあ言います。何回でも」


「覚悟しとく」


リゼットが呆れたように息を吐く。


「やはり本音大会だったんですね」


「不本意ながら」


「不本意じゃなさそうでしたよ」


否定しかけて、やめた。たぶん少しはそうだったからだ。


十一話から十五話までを振り返ると、私はずっと“向こうへ届くこと”を前進だと思っていた。

それは間違っていない。真理に届いたことも、家族に痕跡を残せたことも、本当に大きい。

でも第十六話でわかったのは、それだけでは駄目だということだ。


この世界で残すべきものがある。

この世界で見なければならない人がいる。

そして、その代表がアリアだ。


ヒロインは外側を嫌う。

その感情は、単なる嫉妬ではない。

私が外へ寄りすぎると、この世界が、物語が、そしてアリア自身が薄くなるかもしれないと知っているからだ。


だから次へ進むなら、私はもっと上手くやらなければならない。

真理にも届かせる。

家族にも繋ぐ。

でも同時に、この世界にいる人たちを“ただの通過点”にしない。


難しい。

すごく難しい。

でもたぶん、今やっと本当に長編の土台に足がかかり始めた。


窓の外では夜が深くなっていた。

書庫の石壁に月の光が薄く差し、机の上の紙に淡い影を落としている。


私はペンを置いて、最後にアリアを見た。


彼女はもう窓辺へ移っていて、銀の髪を夜に溶かしながらこちらを見返す。その表情はいつものようでいて、少しだけ違った。たぶん、さっきよりほんの少しだけ、“役割じゃないアリア”がこちらへ近づいている。


そして私は思う。


次にめくられる青いノートのページは、

真理だけでなく、アリアのこともこっちへ引き寄せるかもしれない。

そのとき、この子は何を嫌がって、何を望むのか。

私はちゃんと見て、ちゃんと書けるだろうか。


第十六話の終わりは、たぶんそこにある。

外へ届く道が開いたからこそ、

内側にいるヒロインの本音が、初めて輪郭を持ったのだ。


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