306.春、入学の季節 1
――――春だ。
季節は巡り、四年の月日が流れた。疫病の薬とそこそこの畑。これら二つはレナルド殿下の領地で多いに活躍した。疫病の薬はそこからジワジワとトラット帝国中に広がっている最中である。
現実の問題として、そこそこの畑が人工的に作れることは大っぴらにできない。それはレナルド殿下の線引きなのだという。生産率六~七割りのそこそこの畑では、トラット帝国中に一気に薬を広めることはできない。だからジワジワ、となる。
一応、ファーマン侯爵領からも輸入はしているけれどね。だがトラット帝国はあまりにも広大で、薬を広めるにも色々と利権が絡むそうだ。それで死んだとしても、本望だろう。そうレナルド殿下は私に言った。
前なら、助けられるなら助けたい。もっと広める手段を考えれば良いのよ! そう言い返していただろう。だけど私も線引きをした。
「その件に関しては、レナルド殿下に一任するわ」
「ほう?」
「だって、私はファティシアの人間でトラット帝国の人間じゃないもの。薬を広めるのは私の仕事じゃないわ」
「それで多くの人間が死ぬとしても?」
「それを選ぶのは貴方。私じゃない」
冷たいアイスグレーの瞳は、私の顔をジッと見ている。だけど意見を変える気はない。どうしたってできないことはある。その線引きをしただけだ。私がトラット帝国に大々的に手を貸すと言うことは、政治的な介入を意味する。そんなことをすれば、フィルタード派閥の貴族たちは私をトラット帝国へ嫁がせるべきだとまた言いだすだろう。
そんなことになっては困るのだ。だから直接は助けない。そう、決めた。
本来なら薬も、そこそこの畑も、私が手を貸すべき事情ではなかったのだし。レナルド殿下に貸しを作るという意味で、手を貸した。それだけのこと。
「これ以上私に借りを作っても、貴方……返せないでしょう?」
「なるほど。たしかにな」
「私はトラット帝国の正常化を望んでいるの。レナルド殿下はそれができると思った。帝国を解体して、王国のときまで領土を戻したい。そう言った貴方の言葉を私は信じたの」
「道は険しく、時間もかかるがな」
「それでもやるのでしょう?」
「当然だ。これ以上、肥え太らせたところで膿しか孕んでいないのなら不要だからな」
隣で手伝ってくれてもかまわない、そう言われたが丁重にお断りする。トラット帝国に行く気はない。非公式とはいえ、こうやって直接会うことすら嫌がられているのだから。お父様に。
「――――予言の、聖なる乙女の噂はそちらにも流れている?」
「そうだな。皇帝が興味を示している。だが現状、ファティシア王国を敵に回すのは得策ではない。ラステア国と親密すぎるからな」
「そうね。騎士団の交流があるおかげで、ラステア国の騎士たちもファティシアに常駐している。そこにトラット帝国がちょっかいを出したら、飛龍を使ってラステアの騎士たちが直ぐに来るでしょうし」
「全くやっかいだな。飛龍は」
「可愛いのよ? それに頭も良いし」
「おかげで俺には全く懐かない」
「そんなこといわれても、私のせいじゃないもの」
軽く肩を竦めれば、レナルド殿下は苦笑いを浮かべた。どのみち飛龍を使ってトラット帝国には行けない。ラステア国が戦を仕掛けに来たのか、と言われかねないからだ。
飛龍使えると早いんですけどね、とシュルツ卿は嘆いていたがこればかりは仕方ない。
「まあ、ともかく……予言の聖なる乙女は、十中八九偽物だ。本物をそう表に出すわけがない」
「それは、襲われる可能性があるから?」
「いや。俺が知っている女は大人しい性格だった。だがフィルタード派が喧伝に使っている女はずいぶんと高飛車な性格だった」
「それって直ぐに偽物ってバレると思うんだけど……」
私が微妙な表情を浮かべると、レナルド殿下はそうでもない、とニヤリと笑った。それに首を傾げれば、おどおどした人間よりも少しぐらい傲慢な方が信憑性が増す、と……。
「パーティーで一度だけ、本人に会ったことがある。だが挨拶を交わしたあとは、人の後ろに隠れていたな。アレじゃ、予言どころじゃない」
「演技するにも、堂々としている必要があるってことね……」
「そうなるな。だからあの人選はまあ、あってるんじゃないか?」
「よくも人を謀る仕事を引き受ける人がいたものだわ」
「騙しているという自覚がないんじゃないか? これをいえ、と言われていっているに過ぎない。それに特別扱いされて当然、という態度だったからな。適役なんだろ」
特別扱いをされて当然、か。特別とは、それに付随して責任が伴う。その身代わりの子は、いずれ自分が切り捨てられる可能性を考えなかったのだろうか? まあ、考えていたら引き受けたりしないか。しかし一体誰に頼んだのだろう? フィルタード派の貴族子女だろうか? それとももっと別の……?
アレコレ考えていると、レナルド殿下が縦ロールだったな……と呟く。
「縦ロール……?」
「髪型が縦ロールだったな」
「もしかして、会っているの!?」
「いや、俺に会わせるわけないだろ? 本人を知っているのに」
「そ、れはそうね?」
「俺だって姿を変える石を使うときがある、と言いたいところだが……姿を変える石を使ったとしても、溢れでる王族としての魅力までは消せない。残念ながら認識阻害をできるほどの魔力量もないしな。見たのはマルクスだ」
「認識阻害と、色を変える魔術式は一つにまとまるわよ? それなら姿変えよりも魔力消費も少ないと思うけど」
「生憎と入れられる魔術師がいない」
私の言葉に、あるなら寄こせといわれてしまう。さすがに勝手にはできない。認識阻害と色を変える魔術式の入った魔法石を渡して、レナルド殿下の側近たちに文句を言われては困るからだ。
「……貴方が、勝手に出歩かないのならシュルツ卿に相談しても良いけどね。たぶん無理なのでしょう?」
「認識阻害した状態で見て回れるのは、色々とできそうなんだが?」
「危険なことをする人に渡せないわよ。私が怒られるわ」
「一蓮托生だろ?」
「そこまでなるつもりはないもの」
そう言い返せば、レナルド殿下は「つまらん」と一言。渡したら一〇〇%私が怒られるわ。何でこんなものを渡したんだ! ってね。だから絶対に渡さない。私が呆れた視線を向ければ、レナルド殿下は肩を竦めた。
「出会った頃の姫君は、もっと素直だったのにな」
「イザベラ嬢とシュルツ卿にもまれたおかげでこうなったわ。ありがとう」
「失敗したな。もう少し加減させておくんだった」
「おかげさまで、色々と勉強になりましたわ」
にこりと微笑みながら扇子を広げれる。トラット帝国には扇子言葉、というのもあるらしく私は扇子の動きで「早く帰れば?」と告げてみた。レナルド殿下は苦虫を噛みつぶしたような表情を見せ、それだけでこれを習った甲斐があったというものだ。とはいえ、これをファティシアに広めるつもりはない。
言葉と、扇子の動きが連動していないのってちょっとね……。言葉にできない言葉を伝えるから扇子言葉というのだろうけど、暗号みたいで楽しいけど問題のある言葉も多いのだ。レナルド殿下にしたみたいにね。
「まあ、それよりも……予言の聖なる乙女は入学してくるのだろ?」
「ええ。名前があったから、来るわね。さすがに身代わりを入学させたりはしないでしょうけど」
「それはそれで面白そうではあるな」
「その、縦ロールの子? が、カレッジに通っていた形跡があるならバレるもの。向こうだってそんな無茶はしないわよ」
「カレッジに通っていたとは限らないだろ?」
「身代わりができるくらいの子なら、平民ではないわね。そうなると基本的にカレッジに通うはずだわ。特別、通えない理由がない限りは」
「まああの様子じゃ、通っていても問題を起こしていそうだが」
ふと、縦ロール・問題と言う言葉が気になり始めた。いたわね。四年前に。縦ロールで問題を起こした女の子が。彼女はカレッジを退学処分という不名誉な形で去っている。しかも自分を特別だと思い込んでいた。フィルタード派閥の伯爵家の一つ、クレモンテ家の令嬢。たしか名前はリリア……だっただろうか? あの子だったら引き受けちゃうかもしれない。
「どうかしたのか?」
「ああ、いえ……その……縦ロールの子って頭に大きなリボンを付けてたり?」
「さすがにそこまでは聞いていないな。ただ……袖口をフリルで過剰に装飾していた、とはいっていた。マルクスが邪魔じゃないのか? と気にしていたからな」
「あー……」
「心当たりでも?」
「ものすごーくあります。たぶん、彼女かなって人が」
「それはそれは……それなら、さすがに身代わりが入学してくることはないだろう」
「そうですね。カレッジを退学処分になっているので無理ですね」
私が退学になった理由を話せば、珍しく肩を震わせて笑い始めた。そこまで笑うことないのに。まあ、そりゃあね。そっちからしたらおかしいでしょうけども!
「アカデミーの入学式が見られないのは残念だ」
「どうぞ、素早くお帰りください。アーベル卿が首を長くして待っていると思いますよ」
そう軽口を叩くと、仕方ないとレナルド殿下は頷き立ち上がった。これにて秘密会談の終了だ。レナルド殿下の後ろ姿を見送り、私は側に控えていたリーナに頼み事をする。
杞憂であれば良いが、さすがに知ってしまったからには調べないわけにはいかないからだ。最悪、彼女は切り捨てられてしまうだろうし。さすがにそれは目覚めが悪い。
アカデミーの入学式を明日に控え、私は大きなため息を一つ吐いた。




