305.囁くのは睦言
(これは―――― 美しい物語のオープニング)
春の日差しの中、色とりどりの花が咲き乱れている。たくさんの生徒たちを歓迎するように。私は大きな門の前で一人佇んでいた。
誰も、知り合いはいない。
聖なる乙女の候補として、私はアカデミーの門を叩いた。実家があまり裕福ではない男爵家。生活するのも精一杯で、男爵家と言ってもほぼ平民と変わらない。春は領民と一緒に種をまき、夏は家畜たちの世話、秋は収穫を手伝い、冬は綿花を紡いで布を織る。そんな生活をしていた。
だから本来なら一〇歳ごろに受ける、神殿の選定を受けていないのだ。私が選定を受けることになったのは、どうやら魔力量が多いとわかったから。一五歳にして初めて神殿で、自分の魔力量と魔法属性を調べてもらった。
すると私には、聖属性の適性があったのだ……!
聖なる乙女の資格がある!! 両親もそして神殿の神官様たちも凄く喜んでくれた。普通は聖属性の適性があっても、他の属性値が高いと聖属性を扱うのが難しいそうだ。聖なる乙女の候補となるなら、領地で畑仕事を手伝っている場合ではない。神官様たちは口々にそういった。
王都―――― テルアズールにある王立アカデミーに通うべきだと言われたのだ。
正直不安もあった。だって王都で暮らすには、うちの領地は貧乏すぎる。お金もないのに、王都で暮らすことなんてできない。ましてや王立アカデミーなんて……
「大丈夫。特待生として、貴女は王立アカデミーに入学することができます」
「とく、たいせい……?」
「ええ。アカデミーは専門分野を学ぶに特化した場所です。聖属性を学ぶことにも適していますよ。それに聖属性をきちんと扱えれば、領地のためにもなります」
光栄なことだ! そう両親は私を見ていった。私は特別な存在なんだと、とても誇らしいと嬉しそうにいったのだ。そんな両親を見ていたら、王都になんて行かないで領地にいたいなんていえない。私が聖なる乙女として、神殿から支援を受けて領地に富をもたらすことを求められている。そう感じたのだ。
たしかに今のままでは、領地経営は厳しい。私が神殿で聖なる乙女として働ければ、少しは領地の運営の手助けをできるだろう。
「――――うん。大丈夫」
深呼吸を一つ。私は王立アカデミーの大きな門をくぐることにした。これから先、待ち受けていることなんて何一つ知らないまま……。
***
これが物語のスタートだ。私がヒロインの物語。私のための、物語。
でも今ならわかる。聖なる乙女の候補として喜ばれたのは、国中に疫病が蔓延していたから。魔力量が豊富で聖属性のみに特化したヒロインは、神官たちにとって救世主だっただろう。魔力量が多ければ、ちまちま一人ずつ治療する必要はない。まとめて治せば良いのだから。
「――――こんなに、変わってしまったのは私のせいね」
ぽつりと呟く。
王立アカデミーの聳え立つ門を前に、私は一歩を踏み出せずにいた。チラチラと感じる視線。私は、『聖なる乙女の煌めきを』の設定とは違う聖なる乙女となっていた。どうしてそうなってしまったのか、もう何もわからない。ただ設定とは違う。
私の軽率な行動は沢山の人の人生に影響を与えてしまったのだろう。
本来なら、四年前から疫病が流行っていなければいけなかった。だけど私が彼にその話を伝えたことで、さらにその五年前からポーションが作られるようになっていたのだ。正直心の底から安堵したのを覚えている。
だって知っていて何もしないのは、見知った誰かが死ぬ可能性を無視することだからだ。事実、四年前に疫病は流行りかけた。だけど疫病に特化したポーションのおかげで、今は小康状態を保っていると聞く。
疫病が流入する原因となったトラット帝国でも薬が配られたからだろう。ハスラ草とカテラの実。その二つがあれば有用な薬となる。だけどその二つの薬草は、ポーションが作られていなければ潤沢に用意はできなかったはず。
ポーション自体はトラット帝国に輸出できないそうだが、薬草だけなら輸出が可能。おかげでトラット帝国から疫病の流入も最低限に抑えられた。
ただここで問題が一つ。私が、聖なる乙女の候補として王立アカデミーに入学する理由がなくなってしまったのだ。しがない男爵家の令嬢。それが私の肩書き。聖なる乙女を必要としない今、私が王立アカデミーに行く理由はなくなった。
そう思っていた。
「……大丈夫。君は予言ができる。だから『予言』の聖なる乙女として入学すれば良い」
「そんな……私は全部を知っているわけじゃないわ! 知らないことだってたくさんある。そんなの無理よ!!」
「気にする必要はない。君自身が予言をする必要はないんだから」
「……え?」
「ピンクブロンドにピンク色の瞳。これだけ特徴のある姿なら、顔ではなく特徴で覚えるだろうね」
彼はにこりと微笑むと、私の髪を一房手に取りキスをする。そして私を安心させるように、私を抱き寄せて囁いた。
「大丈夫。僕が君の話を伝えて上手く誘導するから」
「誘導……?」
「そう。君は普段、地味な髪色をしたままで過ごせば良い。身代わりが、君の代わりに予言をみんなに届ける」
「だ、だけど……知らないことを聞かれたら? どうすればいいの??」
「問題ないよ。その辺は上手くやるさ」
大丈夫、大丈夫、とあやすように背中を撫でられる。
本当に大丈夫なのだろうか? その予言でなにかとんでもないことは起こったりしないだろうか?? 私は不安でいっぱいだった。だけど、彼が今まで手を尽くしてくれていたことも事実。
これから起こることを話したからこそ、ポーションが作られ疫病は防がれた。それに王様だって生きている。王様が生きているということは、トラット帝国から戦争を仕掛けられることも無いということだ。
「ユーリ、君は何も心配する必要はない」
「だけど……」
背中に回っていた腕が、私の顎を捉える。そしてそっと唇が重なった。触れるだけの口吻。喜びが、不安を上回る。
「愛しているよ、ユーリ。君のおかげで僕は誰からも必要とされる存在となった。君が恐れる未来を僕が阻止してあげる。だから―――― 僕の言うことが聞けるね?」
その問いに頷いたのは言うまでもない。
私は、自分の唇に指を伸ばす。信じて、いいのよね? 彼は正常に戻してくれると言った。その言葉を私は信じるしかない。
『しがない男爵令嬢に、何ができるというの? そうでしょう』
私の身代わりをした少女は嘲るようにそういった。その言葉が脳裏を巡る。私の不安を煽るように。
私は一度頭を振ると、王立アカデミーの大きな門を見上げた。彼の言葉を信じよう。今までだって彼のすることに間違いはなかった。
だからきっと、大丈夫。
その先で地獄の釜が蓋を開けていようとも、私は進まなければいけないのだ。彼を信じると決めたのだから。
私はこの物語のヒロイン、ユーリ・フェンリル。
予言の聖なる乙女として、王立アカデミーに入学する。




