中編
その日は、隣国へ行くための準備として、いつものように遠見の魔術を使っていた。
隣国、サディアール商業国は、この国より西に位置する国で、国土の広さは、私のいる国とほぼ同じだろう。
けれど、国力には大きな差があった。
経済力も、そして軍事力も。
どうやら、こちらの国はサディアール商業国に大きく後れを取っているらしい。
遠見の魔術で街の様子を覗いていてもその違いは感じ取れた。
人々の暮らしには活気があり、街には多くの商人が行き交っている。
貧民街すら見当たらなかった。
道端で食べ物を漁る人間など、どこにもいない。
少なくとも、私が見た範囲では貧しさに押しつぶされ、荒んだ目で暮らしている人の姿は見つからなかった。
「………なるほど」
自分の国より、豊かで強い隣国。
「国王が気に入らないわけだ」
そのときだった。
ふと、一人の男が目に入った。
周囲にいる人間たちより、頭一つ分は高い身長。
肩幅も広く、がっしりとした身体つきをしている。
顔については、山賊を思わせるような無造作に伸びた髭が顔の大部分を覆っていて、どんな顔立ちをしているのかもよく分からない。
………その男がふいにこちらを見た。
「………え?」
なぜか、目が合っているような気がする。
男が、ゆっくりこちらへと手を伸ばしてきた。
ーーそこにいた私を見つけたかのように。
「気づかれた!!」
私は慌てて遠見の魔術を切った。
視界が一瞬で別館へ戻る。
「はぁ………はぁっ!」
心臓が激しくなっている。
「………びっくりした」
遠見の魔術を使い始めてから、こんなことは初めてだった。
まさか、こちらの存在に気づく人間がいるなんて。
※※※
あの男に遠見の魔術を気づかれたことを除けば、それから特に変わったことは無かった。
そうして季節は、ゆっくり移り変わっていった。
ーー秋。
サワンの子が産まれた。
屋敷には祝いの声であふれている。
オリバー様も、ソフィア様も、サワンも皆が喜びに包まれていた。
ーーまるで、この家にとって最高の幸せが訪れたかのように。
その様子を遠見の魔術で眺めていた。
「………そろそろね」
私は別館を見回した。
この一年と半年、私が過ごしてきた場所。
私は空間収納の魔術を発動させ、部屋を埋め尽くしていた魔術書を次々と収めていく。
それから、以前床下から見つけた大金も。
それは、おそらくこの別館に住んでいた妾が残した隠し財産だろう。
クルーガン伯爵家の人間は気づいてないようだった。
「これも、いただいておかないとね」
床下に隠されていたお金も、残らず空間収納に収めた。
これで準備は整った。
いつでも、出ていける。
出ていく準備を終えてから、私はこれまで以上にサワンの動向に注視するようになった。
すべては、できるだけ良いタイミングでこの別館を出ていくためだった。
ーーそして今日。
サワンは貴族院へ向かっていた。
産まれた子供の出生届を提出するためだ。
………私とサワンの子として。
そして、そのまま王宮へ向かう。
国王から「子供を連れてこい。直接、顔を見たい」
そう、命じられたからだ。
私は静かに立ち上がった。
「………さよなら」
部屋を出て、そのまま別館の裏手へ向かう。
魔術を使って、ひらりと塀を乗り越え、そのまま公道へ出た。
本来なら、魔術で一気に隣国へ飛んでしまうこともできる。
だが私は、隣国へ向かう馬車をいくつか乗り継いで、少しずつ国境へ近づいていくつもりだ。
ーー私の足取りを、ちゃんと残してあげないとね。
馬車に乗り込むと、端の席に腰を下ろし、静かに目を閉じた。
乗客は私を含めて九人。
私の向かいには、仲睦まじそうな夫婦が一組、肩を寄せ合って座っている。
私は、眠っているように見せかけ、そっと遠見の魔術を使用した。
王宮では、ちょうどサワンが国王に赤子を見せているところだった。
産まれたばかりの我が子を腕に抱き、誇らしげにしているサワン。
対する国王は赤子を一瞥しただけだった。
「連れていけ」
冷たい声が室内に響く。
「はい」
控えていた女官が進み出ると、サワンの腕から赤子を有無を言わさず取り上げた。
「え………?」
女官は何の説明をすることもなく、赤子を抱いたまま部屋を出ていった。
突然我が子ーールーデウスを奪われ、サワンは呆気にとられた。
「………ルーデウスを、どこへ?」
ようやく我に返ったサワンが国王へ問いかける。
「お前は知らなくていい」
「どういうことですか!?」
サワンの声が大きくなる。
「ルーデウスを返してください!!」
「うるさい。明日、エリスを連れてこい。話はそれからだ」
「………!!」
サワンは言葉を失った。
王宮を飛び出したサワンは、馬車を急がせ、屋敷へと戻った。
馬車が止まるのも待ちきれないとばかりに飛び降り、屋敷の扉を勢いよく開ける。
そして、屋敷へ足を踏み入れた瞬間。
「エリスを連れてこい!!」
怒鳴り声が、屋敷中に響き渡った。
その声を聞いた使用人の一人が慌てて、屋敷を飛び出していった。
その騒ぎを聞きつけ、母親のソフィアがゆっくりと廊下を歩いてきた。
「どうしたの?大きな声なんて出して」
いつもと変わらぬ穏やかな声だった。
だが、サワンの顔は険しい。
「ルーデウスを………取り上げられました」
「………!?」
ソフィアの顔から、さっと血の気がひく。
「どういうこと!?」
「私にも分かりません!王宮で突然、ルーデウスを連れて行かれたんです」
「エリスを連れてこいと言われました。エリスを連れて行けば、話すと………」
「エリスを?」
ソフィアは眉をひそめる。
二人とも、いったい何が起きているのか分からず、しばらく黙り込んでいた。
重苦しい沈黙が流れる中、先ほど屋敷を飛び出していった使用人が、息を切らせながら戻って来た。
「エリス様が………どこにもいらっしゃいません!」
「………何?」
「どういうことだ!別館にいるはずだろう!」
「それが、部屋の中も、近辺も見てまいりましたが………お姿が見当たりません!今朝はいらっしゃったのですが………」
「………そんなはずはない。…いい!私が見に行く!」
サワンは苛立ったように吐き捨てると、ソフィアと使用人を引き連れ急いで別館へ向かった。
別館の扉を開けると、「エリス!!」と大声で怒鳴る。
しかし、エリスが現れるはずもなく、部屋を一つひとつ確認していくが、どこを探しても、人の気配すらなかった。
「………いない?」
それから、使用人総出でエリスを探させている頃、屋敷のダイニングルームにはオリバーとソフィア、サワンが集まっていた。
「ルーデウスを取られたって、どういうことだ?」
「私にもさっぱり分からないのです。王宮では何も説明されませんでした。ただ………“明日、エリスを連れてこい。話はそれからだ”ーーそう言われただけなのです」
「でも、エリスはいないじゃない!明日までに見つからなかったら、どうするの!?」
誰も答えられず、部屋には沈黙が続いた。
しばらくして、オリバーが重々しく口を開く。
「………その時は家長として私が、サワンとともに王宮へ行って話をしてくるしかあるまい」
そこで、私は遠見の魔術を切った。
意識が現実へと戻って来る。
目を開けると、先ほどの夫婦が互いに肩を寄せ合うようにして眠っていた。
私は二人を起こさないよう、口元に小さな笑みを浮かべた。
ふふふ………
明日が楽しみだ。
ーー明日、何が起きるのかしら。
馬車は変わらず、目的地へ向かって走り続けた。
途中の宿で一晩を過ごし、翌朝。
身支度を整えると、私は再び馬車に乗り込んだ。
昨日と同じように窓際の席に腰を下ろすと、早々に目を閉じ、遠見の魔術を使用した。
サワン達は、わたしの痕跡すら見つけられなかったようで、悲壮な顔を浮かべながら王宮へと向かっていた。
そして、謁見の間。
サワンとオリバーは、二人そろって国王の前に跪いていた。
玉座から、冷たい声が落ちる。
「エリスはどうした?」
その問いに、オリバーは一瞬声を詰まらせた。
「…それが………どこにいったのか分からず…現在、全力で探しております………」
額に汗をかいたオリバーが、しどろもどろに答える。
「なんだと………?どういうことだ?隠したのか?」
「とんでもございません!本当にどこにも見当たらないのです!!」
「どこにも、だと?」
国王の顔から、見る見るうちに険が増していく。
そのやり取りを聞いていた貴族たちの間からも、ざわめきが広がった。
「まさか、逃げたというのか?」
「我が子を捨てて?」
「一体、どこへ………」
「探せ!騎士を使って、全力で探せ!」
国王が怒声を広間に響かせた。
「はっ!」
命を受けた数人の騎士が、すぐさま広間を駆けだして行った。
その背中を見送ることもなく、国王は怒りに顔を歪める。
「エリスが出征しなければ、子は処分する」
「………え?」
サワンの顔から、血の気が引いた。
「もともと、エリスへの人質にするつもりだったからな! ようやく………ようやく、あの娘の力を使って、サディアールを焦土にできると思っておったのに!」
国王は苛立たし気に玉座の肘掛を叩いた。
「それを………!!もう戦の準備も整っておるのだぞ!」
国王は怒りのままに声を荒げた。
「ここから遅れれば遅れるほど、余計な費用がかかる!兵も、武器も、食料も………すでに多くの金をつぎ込んでおるのだ!」
そして、鋭い視線をサワン達へと向けた。
「一体、何のために支援金を出してあの娘をお前の妻にしたと思っている!つなぎとめることもできぬとは!!役立たずめ!」
「なんとしてでも、エリスを連れて来い!!」
二人は、まるで魂を抜かれたような顔で、ふらふらと屋敷に戻ってきた。
屋敷へ入った瞬間。
「ルーデウスは!?」
待ち構えていたリリーラが、血相を変えて駆け寄ってきた。
その隣には、ソフィアも立っている。
「どうだったのです!?」
「国王陛下はなんとおっしゃっていたの!?」
矢継ぎ早に問いかけられ、二人は足を止めた。
「………」
その様子を見て、リリーラの顔がさらに険しくなる。
「………どうして黙っているのです?」
「なぜ、ルーデウスがいないのですか!?」
「陛下が………人質として連れて行った」
「え………?」
「なぜ………?」
サワンが、俯いたまま、震える声で話し始めた。
「………私とエリスの結婚は、エリスに大事なものをつくるためのものだったようだ」
リリーラもソフィアも黙ってサワンを見つめる。
「家族を持たせれば、エリスは逃げないだろう…と。サディアールとの戦争にエリスを従軍させるための結婚だったのだ」
支援金を王家が出資してまでの結婚。
全ては、エリスを戦場へ送り込むための準備だったのだ。
「私たちの子も………エリスを逃がさないための、人質だったんだ………。私は…何も知らなかった」
「でも!!」
リリーラは薄桃色の髪をした、少し童顔にも見える愛らしい顔立ちの女性だった。
だが、今は眉を吊り上げ、目は充血している。
まるで、鬼のような形相だ。
「あの子は私の子です!!エリスの子じゃないわ!!」
リリーラは、怒りに震えながらサワンを睨みつける。
「返してもらってきて」
「………無理だ。今さら、そんなことを言えるわけないだろう」
「どうしてよ!」
「もう、貴族院にエリスとの子として届出ている。王にも、そう報告した!!………詐称は重罪だぞ!!」
「そんな…」
そんな二人のやり取りを見ていたソフィアが、静かに口を開いた。
「…エリスさえ従軍すれば、良いのでしょう?」
「母上?」
「陛下が望んでいるのは、エリスの力なのでしょう?」
ソフィアは冷静な声で続ける。
「エリスを見つけて、陛下の望み通り従軍させればいいのです」
ソフィアは、使用人たちに向かって声を張り上げた。
「まだ探していない場所があるはずです。もう一度、敷地内すべてを探しなさい!外もよ!周辺の町も探しなさい!」
屋敷の中が、再び慌ただしく動き始めた。
サワンや騎士たちが、必死に私を捜索している中。
私はすでに、サディアール商業国まであと二日ほどのところまで来ていた。
あらあら。私を見つけられるかしら…。
見つけた時に、子はまだ生きてるかしらね。
遠見の魔術を使用しながらそんな事を考えていると、突然、身体を揺さぶられる感触がした。
「………っ」
誰かが私の肩を何度も揺さぶっている。
すぐに魔術を切り、目を開く。
「…きて!起きて!」
目の前にいたのは、同じ馬車に乗っていた、夫妻の妻だった。
女性は私の肩を掴み、必死に揺さぶっている。
「どうかしましたか?」
そう尋ねると、女性は、震える指で馬車の外を指さした。
「魔獣よ!」
馬車の外では、護衛についていた冒険者たちが魔獣と必死に戦っていた。
だが、冒険者がそれほど強くないのか、魔獣が強すぎるのか。
魔獣には歯が立たないようだった。
…私が出るしかないか。
小さくため息を吐き、席を立とうとした。
その瞬間ーー。
凄まじい風が、周囲を駆け抜けた。
「きゃあっ!」
「な、なんだ!?」
馬車が大きく揺れ、窓から吹き込んだ風が車内を一気に吹き抜けていく。
何が起きたのかしら。
窓の外を見ると、そこには、先ほどまで襲い掛かろうとしていた魔獣が地面に倒れ伏していた。
しばらく馬車の中から様子を窺っていると、やがて外から御者の弾んだ声が聞こえてきた。
「もう大丈夫です!ガリアス様が助けに来てくれました!」
その言葉が聞こえた途端、馬車の中が歓声に包まれる。
「ガリアス様が!?」
「助かった!」
「さすがガリアス様だ!」
乗客たちが口々に喜びの声を上げる。
「………ガリアス様?」
私が首を傾げたのに気付いたのか、先ほど私を起こしてくれた女性が私を見た。
「知らないの?」
「ええ………」
「ガリアス様はサディアール商業国では有名な冒険者なの。S級冒険者なのよ」
女性や他の乗客たちが次々と馬車を降りていく。
私もそれにつられるように、馬車から降りた。
すると、すぐに目に入った。
乗客たちに囲まれている、一人の大柄な男。
周囲の人々よりも頭一つ飛び出ている。
かなり背が高く、人だかりの向こうにいても、その姿はよく分かった。
「………あ」
私は思わず声を漏らした。
間違いない。
ーーあの時の髭面の男だ。
以前、遠見の魔術で見た男。
まさか、こんなところで直接会うことになるなんて。
私は慌てて顔を伏せた。
遠見の魔術で覗いていただけで、それが今ここにいる私だと気づくとは思えない。
そもそも、私の姿を直接見られたわけではないのだから。
けれどーーあの男、妙に鋭そうなのよね。
用心するに越したことはない。
私はできるだけ目立たないように身を屈め、急いで馬車の中へと戻った。
そのまま馬車の出発を待っていると、しばらくして御者が馬車の扉を開けた。
「すいません。馬がまだ興奮しておりまして。落ち着くまで、少し時間がかかりそうです。」
御者は申し訳なさそうに頭を下げた。
「その間に馬車の点検もしておきたいので………少し、早いですが、外で昼食をとっていてください」
私は結局、追い出されるように渋々馬車を降りた。
そして、外に出た瞬間感じる視線。
ガリアスと呼ばれていたあの髭面の男が、こちらをじっと見つめていた。
背筋を、冷たい汗が伝う。
私はできるだけ男の方を見ないようにしながら、少し離れた場所にある木陰へと向かった。
持参していたパンを取り出し、何事もなかったかのように食べ始める。
黙々とパンを口に運んでいると、ふと目の前に大きな影が落ちた。
顔を上げると、そこにはあの男がいた。
男は何も言わず、私の目の前にどっかりと腰を下ろした。
な、なぜ………?
少し離れた場所で昼食をとっていた乗客たちも、その光景に気づいたようで。
「え………?」
「ガリアス様が女性に自分から近寄るなんて…」
ざわざわと困惑した声をあげていた。
しかし、これほど近くにいるのに無視するわけにもいかず。
私は意を決して、そっと話しかけた。
「先ほどは助けていただいて、ありがとうございました」
「いや」
「………」
会話終了………。
何なんだ。
特に何かを聞いてくるわけでもない。
ただ、じっとこちらを見つめている。
その視線が気になって、私は落ち着いてパンを食べることもできなくなった。
「………」
とうとう耐えきれなくなり「何か用でもありましたか?」と話しかけてみた。
「………俺もここで食事をとっていいか?」
「………どうぞ?」
男はそれ以上言わず、私の向かいで同じようにパンを食べ始めた。
それから男は何も話さない。
………本当に何なんだ。
食事を終えると、私はすぐに立ち上がった。
ーー早々に立ち去るに限る。
「それでは失礼します」
私は軽く頭を下げ、その場を離れようとした。
ところが、男も立ち上がり何食わぬ顔でついてくるではないか。
男は、とっくに食事を終えてそのまま座っていたというのに。
馬車に目を向けると、点検は終わっていたようだった。
すでに何人かの乗客が乗り込んでいる。
ようやく男から離れられそうで、私は小さく安堵し、急いで馬車に向かった。
他の乗客に続いて馬車に乗り込み、先ほどまで座っていた席へと腰を下ろす。
馬車の出発を待っていると、先ほどガリアスについて教えてくれた女性が声をかけてきた。
「ガリアス様と知り合いじゃないのよね?」
「…はい」
「そうよねぇ…」
女性は不思議そうに馬車の外へ視線を向ける。
「どうしたのかしらね?あの方、女性嫌いなのか、今までああやって女の人に近づくことなんて、なかったのよ」
………私が聞きたい。
そんな話をしていると、ガタンと馬車が揺れた。
入口から大きな身体が乗り込んでくる。
ガリアスは車内を見渡すと、まっすぐこちらへ歩いてきた。
そして、私の隣の席に腰を下ろした。
「「………」」
先ほどまで話していた女性と私は同時に黙り込んだ。
馬車の中に、妙な沈黙が落ちる。
女性は何とも言えない顔で私を見ていた。




