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第44話:進む釣り船、そして迫る魚影

 エンジン音が絶え間なく与作の耳に届いた。その音の合間に波が揺れ、とぷんと音を立てているのが聞こえた。ソフィアが手配した白いフィッシングボートが海の上を滑るように進んでいく。足跡のように残る白い波紋が船体の後ろに伸びる。与作はその様子を船体後部に立ってぼんやりと眺めていた。

 与作の横に立っている時子は立っていた。潮の匂いが混じる風が、時子の髪を流すように揺らしていた。

 ボートの操舵ブースではソフィアが舵を取り、エリアスはその様子を興味深そうに、その脇に立って見ていた。


「ソフィアさん、船も運転できたんだな」

「久作先生の指示で免許取ってたよ。あとはヘリコプターも動かせるって」


 与作のつぶやきのような一言を拾った時子が、さらりと解説を入れた。


「無茶振りするクソ親父は相変わらずどうかしてるが……、それを実行しちまうソフィアさんも、割とどうかしてるよな」

「ねえ! 今、なんか言ったかしら? 悪口なら受けて立つわよ?」


 ソフィアが肩越しに与作に声をかけた。少し距離があるので、まさか本人からリアクションが返ってくるとは思わず、与作は不意打ちを受けたような感覚になり、肝を冷やした。ソフィアがサングラスをかけていることもあって、どういった温度感でその問いかけを投げているのか、少し判断に迷った。


「誰も悪く言っちゃいねえよ! 単にすげえなって話をしてただけだって。だろ?」


 与作は助けを求めるように時子の顔を見た。時子は「ふふ」といってただ静かに微笑んでいた。

 やり取りの中、全員が自然とソフィアを囲うように操舵ブースに集まってきていた。

 ソフィアはサングラスを少し下げて、与作と時子の装いをチラと見た。


「っていうか、あんたら二人揃ってアロハ着てるって……。『お揃いね!』ってツッコミ待ちかしら?」


 四人は全員同じ、オレンジ色の救命胴衣を身に着けていた。与作はその下に、休暇中に手に入れた白地のアロハシャツ、そして時子は黒地のアロハドレスを身に着けていた。

 サングラスを下げたソフィアの目はうっすらと笑っていて、力の抜けた柔らかい視線で与作達をつついていた。


「いいだろ! すっげえ快適だぜ」


 得意げな顔で笑いながら、与作は白地のアロハシャツの裾をつまんで引っ張って見せた。ソフィアは笑いながら眉をひそめ、若干悔しそうな顔をした。


「いいなぁ。私も買っときゃよかった。絶対似合うでしょ? 黄色? 赤? 何にしようかしら。後で買おう」


 ソフィアはサングラスを元の位置まで上げて、視線を進行方向に戻した。

 エリアスの視線は時子に向かっていた。


「時子のドレスも、落ち着いたいい色だね。与作は白で、時子は黒。ちょうど対になってるみたいだ」


 時子は、ドレスのスカート部分の裾を少しつまんで広げてみせた。そして、少しだけ顔をほころばせるように笑った。


「ありがとう、エリアス」


 時子はエリアスの顔を見て礼を言った後で、与作の顔を見た。


「本当に風が気持ちいい。買ってもらってよかった。ありがとう」


 時子のその言葉に対して、エリアスとソフィアが驚いたように、勢いよく与作の方を見た。ソフィアがサングラス越しながらもニヤニヤしているのが与作には分かった。エリアスもまた、落ち着き払って平然とした表情ながらも、口を尖らせて、「ひゅう」と息をはいていた。


「そのドレス、……あんたが時子に買ったの!? てか、そんな度胸あったの? 意外!」

「へぇ。……やるな、与作」


 年上二人の茶化すようなリアクションで、与作は小っ恥ずかしさを腹の底から引っ張り出されたような感覚を隠せなくなった。


「うっせえ! たまたま懐に余裕があっただけだ! ただそれだけだ!」


 ――ぽつりぽつりと白雲が浮かぶ広い青空の下を、広い海の上を船はただひたすら進む。


「ねえ、方角こっちで合ってそう?」


 ソフィアが肩越しに時子を見た。時子が舵を取るソフィアの横に並んで立った。時子の首には、ビショップ博物館から「借用」した、航海のお守りを下げられている。時子は確かめるように、そのお守りに手を添えた。


「うん。この先に、気配を感じる」

「まぁ、なんか俺もソワソワしてきたわ。」


 与作がソフィアに聞こえるように声を上げた。エリアスもまた頷いた。


「じゃあ、間違いなさそうね」


 ソフィアは、三人の顔を見て、自分にはわからない何かを感知していることを確信した。


 ――方向を確認してから十数分が経った。与作は、船の揺れが心なしか徐々に大きくなっているような気がしていた。両足で体幹を抑えるようにして、自身の身体を支えていた。ボート後部の手摺に自然と手が伸びていた。


「ソフィア! 止まって」


 時子が唐突に声を上げた。


 ソフィアはすぐさま、エンジンのスロットルを停止位置まで動かした。

 エンジン音が徐々に小さくなった。船は揺れながら次第に減速していく。慣性で滑るように進み、止まった。


「……このあたりから気配がする」

「なんか、妙な感覚。いよいよウルルの時みてえだな」


 与作がキョロキョロと周りを見た。

 時子が前をじっと見ている。首から下げたお守りに手を当て、俯くように視線を落とした。


「なんだろう。水の理素が……澱んでる」


 船がぐらりと、ひときわ大きく揺れた。与作はよろけて、「おっと」と言いながら片膝をついてバランスを取った。


『逃げて』


 ――突如聞こえた声。時子がハッとしたように、顔を上げた。

 消え入りそうで、弱々しい声が脳裏に響くとともに、船の前方の海面が大きく盛り上がった。水飛沫が船の上にまで飛び込んできた。


「来るっ!」


 時子が一言だけはっきりと言葉を発した。


 ソフィアには、目の前で見えない何かが跳ね上がり、激しく水面を叩いたように見えた。

 与作、エリアス、時子は各々が宙に飛び上がった、それと目を合わせた。空に浮かぶ太陽と重なり、像は逆光のように暗く感知された。


「でっけえサメだ! この船くらい大きい!」

「大きなイカ……クラーケンだ!」

「……クジラみたい」


 与作、エリアス、そして時子の三人が、それぞれ見たものの名を口にした。大きな理素魔像の背後から、再び陽の光が指すと、ザッパンと大きな音を立てて水面には大きな波紋としぶきが残った。――そして、海の中に大きな魚影が映った。


「ソフィア! 理素暴走だ! 急旋回!」


 エリアスがソフィアに向かって叫んだ。ソフィアはハッとしたようにエンジンスロットルを全開にして、思いっきり舵を切った。


「ちょっと! 私、あんまり複雑な操作はできないわよ!」


 エリアスがソフィアの横に並び、舵に置かれたソフィアの手の上に、自分の手を重ねた。


「僕が目になる。君は操舵に集中するんだ!」


 エリアスの声にソフィアが「お願い」と応じた。


 与作が船体後部に移り、右腰のホルスターに手をかけた。


「ソフィアさん! 拳銃! 使うぞ!」


 全力で唸りを上げるエンジンに負けじと、操縦席ブースのソフィアに聞こえるように大きな声を張り上げた。


「射線が船上に向かないように気をつけなさい!」


 舵を力強く握りながら、ソフィアは肩越しに与作に向かって声を飛ばした。

 理素魔像が水面近くを泳いでいる。その背びれが海上に顔を出していた。それを与作は狙った。上下に左右に、船の不規則な揺れが体に伝わる。狙いが定まった! と思った直後には照準がぶれている。

 大きく息を吸って、精神を研ぎ澄ませる。照準が合った『一瞬』が始まったその刹那、与作はトリガーを引いた。


 ——パン!


 パシャリと視線の先で小さな水飛沫が上がったのが見えた。


「当たってる! でも響き方が弱い!」


 時子が与作の横から状況を叫んだ。

 大きな魚影と別に小さな魚影が迫る。――人の頭ほどの大きさのサメが与作に向かって飛びかかってきた。


 与作は反射的に照準を合わせる。引き金を引いた。目の前に迫る小さな理素魔像は、宙でのけぞるようにして体を折った。その直後、泡が弾けるように消滅した。


「くそ! 小さいやつ相手じゃねえと、決め手にならねえみたいだ!」


 大きな魚影が速度を上げて、回り込むように船の前方に移った。進行方向を向いているエリアスの右手側の水面に魔像の顔が水面に見えた。


「左から突っ込んでくるぞ! 面舵いっぱいで全速力!」

「了解!」


 ソフィアが舵を回す。船首が大きく右に回りだした。エリアスはすぐ傍の手すりを咄嗟に掴んだ。

 水面を飛び出したクラーケンは、間一髪で船体の後ろを通り過ぎていった。

 魔像がザバン!と大きく着水したところに与作がパン! パン!と続けざまに二発撃ち込んだ。魔像はその銃撃をものともせず、大きな黒い魚影が一段深いところへ潜っていった。


「クソ! 銃じゃ、あのデカブツには勝ち目がねえ!」


 銃口を海の底に向けながら、与作が叫ぶ。


「気をそらさせるだけでもいい! とにかく船への直撃だけは回避するんだ!」


 エリアスが肩越しに声を送った。


「……何か決め手が無いと。でも、海の上だと、効果の低い水の理素しか無い……」


 時子が水面に視線を落とす。手すりを握る手に力が入った。


(——これじゃ、また、あの時のように……)


 ハワイ上空での苦い経験が脳裏に思い浮かんだ。握りこぶしを胸に当て、ギュッと力強く目を閉じ俯いた。


『——力を貸そう』


 唐突に声が響いた。時子は勢いよく顔を上げた。助けを求めてきた声とは違う。あたりを見渡し、その声の主を探した。


 ——聞き覚えのある声だった。ウルルで対峙した、光の粒となって自らに飛び込んできた、……大地の祖霊の声だ。


「地の理素の気配。……感じる!」


 時子は船の右に、そして左に移り、気配の出所を探した。

 ――紺碧色の海の上に、色味の違う一点のシルエットが遠くに見えた。海鳥がそこを中心に回遊するように低空を飛んで群がっている。時子はソフィアの横に急ぎやってきて、腕を伸ばし、指で示した。


「あそこ! カモメが集まってる! 近づいて!」


 ソフィアはサングラスを額に上げ、肉眼で時子の示す何かを確かめた。そして、ためらいなく舵を取り回し、時子の指差す方角に、船の進行方向正面を合わせた。


「エリアス! ナビゲート頼むわよ!」


 旋回による遠心力、そして、うねる海面が時子の体を右に左に揺さぶった。時子の視線は一点をじっととらえている。――そこに迷う様子は微塵もなかった。



◆◇◆ あとがき ◆◇◆


ムチソウ開発室 ― 無知との遭遇 制作裏話


始まっちゃいましたね、海上戦!


作者の思い付きは割とシンプルです。地上戦はやった。空中戦もやった。

……あとは、海上戦をやれば、陸・海・空を制覇だぜ!


って感じで、こんな展開です。

定型的なモチーフを埋めるように展開を組み立てるのは、結構好きです。

(思えば、地水火風に沿った物語というのも、その思考パターンの一貫ですよね)


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