この世界で「欲望」は相手を罰する力となる
大地が震え、決戦が始まった。
龍の咆哮が空を裂き、地獄全体に怒りと威圧を撒き散らす。
それに呼応するように、地上では蜘蛛娘たちの糸が一斉に放たれた。
「動きを封じるわよ!」
細く、だが強靭な糸が、無数の束となって黒縄龍の脚や胴を絡め取る。
ほんの僅かでも、巨躯の動きを止めることができれば。
その一瞬に賭けた。
その隙に、衆合地獄の娘たちが攻勢をかける。
剣が閃き、炎が唸り、雷が轟き、矢が空を裂く。
スライム達は、地に伏せ応援する。
全ての力を集結させ、竜を討とうとする。
だが──そのすべてが、龍の鱗に弾かれた。
「硬すぎる……!」
「当たってるのに……!」
絶望が広がる。
相手が大きすぎる。
逆にこちらは、龍の尻尾の一振りで吹き飛ばされる。
その腕の一振りで、地形がえぐられる。
これは劣勢、などというレベルではない。
短期決戦で決めなければ、全滅する。
ならば、狙うべきは。
「目か、口内よ!」
叫ぶ声に、皆が頷く。
そこなら、攻撃が通るはず。
だが……遠い。
龍の頭部は遥か、空の果てにあった。
そのとき、声が響いた。
「ならば、我らが!」
叫んだのは、蜘蛛娘たちの母。
かつて私が助けた、あの女郎蜘蛛。
糸が放たれる。
それは瞬く間に編みあがり道を作る。
空に向かって真っ直ぐに。
それはまるで、空中に架かる一本の橋のようだった。
「これなら……届く……!」
だが、龍も黙ってはいない。
その口から吐き出された熱風が、次々と糸を吹き飛ばしていく。
空にかけられた橋は、たった一本の糸だけを残して消えた。
誰もが言葉を失ったそのとき。
ひとりの少女が、糸の上を駆けた。
「モブ子ちゃん……!」
黒髪をなびかせ、閉じた瞼のまま、彼女は空を翔ける。
一歩、また一歩。
たった一本の細糸を、迷いなく走っていく。
風に吹かれようと、龍が吠えようと──止まらない。
やがて、彼女は龍と顔を合わせる位置まで辿り着いた。
だが、龍は笑っていた。
「……哀れな娘よ」
「その刃で、私のこの身を断てるとでも?」
確かに、目や口ならば通るかもしれない。
だが、所詮はかすり傷。
その小さな刀で、世界を縛る龍を絶てるのか。
口が開く。
灼熱の業火がその喉奥で渦を巻く。
「終わりだ」
だが、そのとき──モブ子が、眼を開いた。
その視線が捉えたのは、私の姿。
愛しい人を、ただ見つめた。
その瞬間、モブ子の中で業が爆発する。
視えたことで「罰したい」という欲望が溢れ、彼女のすべてを満たす。
それは地獄の定め。だが、彼女はそれを力に変えた。
刀が光を帯びる。
彼女の抑え続けた業のすべてが、そこに込められていく。
「この世界では……欲望は、相手を罰する力となる!」
その叫びとともに、刀が光を放ち始める。
光は、伸びる。
どこまでも、どこまでも、上へ。
天を突き抜け、恐らくは等活地獄にまで達する。
その長さは、黒縄龍の身体を超えた。
否、この世界そのものを超えていた。
「これが……!」
龍が目を見開く。
「愛の力だぁぁぁぁぁぁ!!!!」
一閃。
閃光が走る。
次の瞬間、黒縄龍の身体が、縦に真っ二つに裂けた。
その切断面から、空への道が開けていた。