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彼女は確かにここにいた 09


 相変わらずみあから深夜に連絡が来ることがときどきあった。そんなときの電話口の声はいつも寂しそうで、いつしかすぐに会いに行くことのできない距離をもどかしく思うようになっていた。


それどころか付き合ってまだ五か月だと言うのに、いつか自分とみあは結婚するだろうという確信に近い予感を抱くようになっていた。かつて恋愛でこんなに浮かれたことがあっただろうかと、自身を顧みては鼻先で笑う。


だけど本当に彼女と結婚しようと思ったら、今の自分のままじゃいけないことも痛いほど分かっている。そろそろ再就職を考えだすべき時期なのかもしれない。最大限まで詰め込んだシフトに追われて、思考だけが堂々巡りする。


そんな状況をどこかで見ていたかのようなタイミングで連絡を寄越すのは、やっぱり駿介なのだった。


「で?」


安い価格帯のチェーンの居酒屋に入って生ビールを二つ頼むなり、駿介がそう言った。


「でって……」


何から話すべきか迷い、頭のなかで順序立てる。そもそもどこまで話していたかも曖昧だ。確か彼女ができたという話はしたはずだ。みあがどんな人でどんな出会い方をしたかも教えていたはず。


「何から話せば良いのかわからん」

「仕事は順調?」

「順調も何もないよ」

「じゃあ彼女とどうなの?」

「……まあ、順調」

「まあってなに?」

「いや……」


結婚したいと思っているなんて口にしたら青臭く聞こえるだろうか。恋愛経験が少ないからこその逆上せだと思われるだろうか。そんな危惧が頭を過ったのとほぼ同時に液体で満たされたジョッキが二つ運ばれてきた。


「とりあえずおつかれ」


真夏に飲むビールは格別だけれど、秋に飲んだって美味いものは美味い。いつもよりもスルスルと喉の奥に流れ込んでいって、ジョッキの半分ほどを一気に呷った。胸の辺りにアルコールが広がるのが分かる。俺は決して酒に強いわけじゃない。


「実はさ……、彼女と結婚したいと思っとってさ」

「まじで?」

「……まじで」

「それは……、おめでとう」

「おめでとうもなにも、なんか言ったわけでもないし向こうにその気があるのかも知らんのだけどさ」

「でも結婚したいと思えるぐらいの相手と出会えたってだけで充分おめでたいって。付き合ってるからと言って必ずしも結婚したいと思えるわけじゃないんだしさ」

「そういうもん?」

「そういうもんだって」

「駿介は今の彼女と結婚しようとか思っとらんの?」

「んー、全く思ってないわけじゃないけど、今は他にもっとやりたいことがあるしなぁ……」


自分にはみあと結婚することで失うものがあるだろうか。みあと一緒になるために失うことを惜しいと思えるようなものが、自分にあるのだろうか。


「まあでもどっちにしても今のままじゃ結婚なんてできんしさ」

「なんで?」

「なんでって、フリーターと結婚したいと思うやつなんかおらんでしょ」

「バンドマンと結婚したいって女の子は結構いるよ」

「それは……、それとこれとは話が別だよ」


駿介はジョッキで口元を隠す直前、ははっと笑った。


「だからそろそろ就活しようかなーと思っとってさ」

「就活かー。大変そうだけど、ミツはもう経験あるんだもんな」

「一応ね。成功したわけじゃないけど」


二人の軽快な笑い声が空中で重なる。そして自分が知らない間にあのときの経験を笑い話にできるようになっていることにふと気が付いた。


「それで、小説は?」


ジョッキの持ち手に四本指を差し込んだのに、そこから持ち上げることができなかった。


「今は書いてない」


虚勢を張るわけではなくて、毎日が幸せで。バイトとみあだけの生活でも充分満たされているから、小説を書く気が起きない。書きかけの話は書きかけのまま、ずっとハードディスクの中に放置されている。


「もったいないな。ミツが書く小説って面白かったのに。忙しいのはわかるけど、ちょっとずつでも書いていこうとかないの?」

「……ない。今は」


そうなのか、と駿介は残念そうに呟いた。なんとなくいたたまれなくなって慌てて口を開く。


「そういう駿介はどう?」

「俺は、まー相変わらずだよ。あ、そうだ。今度ライブやるんだけど、良かったら来る? 彼女ちゃんと一緒に」

「まじで?」

「そうそう。ちょうどあと二枚で俺のノルマ、クリアなの」


駿介は焼き鳥の無くなった串を加えて、いたずらっぽくにやっと笑ってみせた。


「じゃあ行こうかな。みあにも声掛けてみるよ」

「うん、よろしくー」


帰宅してみあにただいま、とメールを送るとすぐに電話が掛かってきた。


「おかえり。今日、どうだった?」

「楽しかったよー」

「駿介さん、とだったっけ?」

「そうそう」

「高校のお友達でしょ? バンドやってるとかっていう……」

「そうだよ」

「みつくんの本当に仲良いほうの友だちでしょ」

「なんだそれ」


思わずふふっと笑いが漏れる。そういえば前に大学時代の友だちとの話をしたことがあった。


部屋の窓を開けると秋の夜の冷たい風が、酔いの残る頬に心地よい。ぼんやりと駿介と話した内容を頭の中で反芻した。電話の向こうでみあの声がするけれど、何を言っているのかまでは入ってこない。


そして何の脈絡もなく、勝手にことばが口から零れた。


「俺、ずっと小説書いてたんだけどさ。もう書かないのかって駿介に言われた」


みあの声が戸惑いで途切れた。突然何を言い出すかと思われたのかもしれない。けれど今すぐ伝えておかなければいけないような気がした。一番大切なみあに、自分の最も大切な場所を、自分の根幹のような部分を曝け出さなければ、その他の何もかもが嘘になってしまうようなそんな感覚があった。


「……知らなかった。でも、読んでみたいな。みつくんが書く小説」

「読ませられるような代物じゃないし」

「読んでみたい。……最近、ブログも全然更新してないでしょ。私あれをずっと楽しみにしてるのにさ」


そう言われてふっと気づく。最初は誰かに話そうものならイタイだのなんだのと言われて冷めた目で見られそうな、けれども素直な感動を吐き出す場所を求めて始めたはずだったのに、いつの間にかみあに向けて書き綴っていたことに。みあにも同じ本を読んでほしい。感動を共有したい。新しい捉え方を教えてほしい。どこかでそう思いながらキーボードを打っていた。


きっと今小説を書き始めたとしても、ごく平凡なハッピーエンドにしか辿り着けないだろう。


 自分から打ち明けておきながら、今まで書いてきたものを見せるということには大変な抵抗があった。小説家になりたいとさえ思いながら書いたものもあるはずなのに。家のプリンターで印刷をしてダブルクリップで留めた。


電話の翌々日には、カフェでそれをみあに差し出していた。


「読むほうも緊張するね」


角型二号の茶封筒に入ったそれを恭しい手つきで受け取ると、そっと胸に抱いた。そのなかにはブログよりもメールや電話よりも、こうして面と向かっているときよりも本性を晒した俺がいる。様々な場面に、台詞に、登場人物に分裂しながら。


「どんなお話なの?」


アイスカフェラテで喉と口内を潤す。


「四人の大学生が主人公の、群像劇かな。一応」


みあが余りにも真っ直ぐに目を見つめてくるから、恥ずかしくなって彼女の前に並んだチーズケーキに目を落とした。


「大学生活ってもっと自由できらきらしてるものだと思ってたけど、結局中学とか高校みたいな窮屈さがあるんだよねって感じの話」

「窮屈さかー。大学生ってすごく楽しそうだけど。お洒落な場所に遊びに行ったりインスタやったりサークルとか、合コンとかさ」

「みあの大学はどうなの? 結構皆遊んでる?」

「え、……うーん」


みあがぱちぱちと瞬きをした。


「遊んでる子は遊んでるし、真面目な子はめちゃくちゃ勉強してるかも」

「みあはちゃんと勉強する派? 単位とかちゃんと足りてるの?」

みあの学生生活について詳しいことはほとんど知らない。友だちの話も講義の話も、あまり進んでしようとしない。

「……足りてるよ。一応」


一応、という部分に引っ掛かりを感じた。普段のみあを見ているといかにも真面目そうな雰囲気があるから成績もそれなりに優秀なのだと想像していたけれど、案外イメージ通りではないのかもしれない。


「大学の窮屈さって、みつくんが当時感じてたものだったりするの?」

「うん。まあ、その部分を打ち明けていいものかわかんないけど……」

「どんな風だった?」

「んー、……なんていうか、高校生までは親とか先生とかにこうしろああしろってずっと言われ続けてきてさ。大学生になった瞬間、急にやるべきこともやりたいことも自分で探せって突き放されて、路頭に迷う感じ。やりたいことが見つからなくて、知り合いが大学のプログラムで一週間とかの海外ボランティアに行くだけでめちゃくちゃ凄いことをしてるように見えてさ。焦りだけ募っていく感じ、とか」

「そっかぁ……」


みあの呟きは俺の元へ辿り着く前に大半が空気中に溶けて混ざっていった。


「読むの、楽しみだな」


気を取り直したように笑って、みあはアイスカフェラテをストローでかき混ぜる。


「みあはそういう戸惑いとかなかった? 大学生活ってそれまでの憧れが強かった分、現実との落差も大きくなるっていうか……」

「うーん……」


みあは膝の上に立たせた茶封筒を大事そうに左手で抱きながら首を傾げて、右手ではずっとストローをかき混ぜている。


「確かにあるかのかも。……大学、あんまり楽しくないんだよね」


そう言ってみあはいつものように笑ったけれど、これ以上尋ねないでほしいという空気をひしひしと感じた。俺は恋人がどの大学に通っているかすら、知らない。


それどころかみあの住所も、家族のことも、今までどんな風に生きてきたのかも、詳しいことは知らない。みあはいつも他の誰よりも近いところにいるはずなのに、ときどき存在の心許なさを覚えることがある。瞬きの間に消えてしまうような。


「ね、食べよ。お腹空いた」


封筒をトートバッグに入れてみあが微笑む。いつも不安を抱えながら、それでも踏み込めずにいた。万が一にも今浸っている幸せがどこかへ流れて行ってしまったら。俺はもう二度と前を向けない。


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