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10/17

彼女は確かにここにいた 10


「なんか緊張してきちゃった」


小さなライブハウスの後方でみあが露出している両腕を擦った。今日の彼女はいつもとは違ってTシャツとスキニーデニムにスニーカーというラフな服装をしている。駿介から買ったチケットで彼らのバンドが出演するライブを見に来ていた。


みあはライブを見ること自体が初めてらしい。ラインナップにスクリーモ系やラウド系のバンドもあるせいか、観客のなかにも厳ついファッションをしている人もいて、確かに独特の雰囲気はある。


「大丈夫だよ。駿介のバンド自体はそんな激しくないはずだし、しんどかったら後ろのほうでゆっくり見てても良いしね」


みあは隣で頷いて、それから可笑しそうにした。


「なんか今の発言、慣れてるって感じ」


指摘されて脇に薄っすらと汗が滲むのを感じた。


「昔はよくこうやって駿介さんのライブ見に来てたの?」

「ちょくちょく遊びに行ってたかな。でもこんな本格的なライブっていうより、いろんな学生バンドが集まるようなイベントが多かったけど……」

「そうなんだ。凄いね。友だちにミュージシャンがいるのって。あれ、俺の友だちなんだーって自慢できちゃうね」

「しないよ、そんなこと……」


みあがふふっと笑い声を漏らすのと同時にステージを照らす照明がカラフルに点滅を始めた。そしてメンバーが袖から上がってきてそれぞれの機材や楽器をセッティングし始める。演奏がもうすぐ始まるという気配を感じた観客たちがそれぞれ少しずつ前方へ詰める。おれはみあのことも考えて、この位置で見るつもりだったけれど、予想に反してみあに手を引かれた。


「もっと前行こうよ」


前に立つ人たちの頭と頭の間から、ステージを見上げる。向かって左側。早々にセッティングを終えてベースを提げて、引き心地の確認でもしているのだろうか。駿介がいる。あの頃もこうして見ていた。


「駿介さんって楽器なんだったっけ?」

「ベースだよ、あっち」


みあにだけ分かるようにこそっと下手側を指す。


全員の準備が終わったのか、メンバー同士で目配せをして頷き合った。駿介はそこにスタッフでもいるのだろう、袖に合図をした。照明が落ちる。一瞬の沈黙。マイクが水の中にいるような音を拾う。そしてステージが赤色に照らされるのと同時に音楽が始まった。


長い髪をしたボーカルのハイトーンボイスが印象的だった。


俺も駿介の今のバンドを見るのはこれが始めてだ。ボーカル兼ギター、ギター、ベース、ドラムの基本的な構成。


リズムに合わせて前方の観客たちが手を振り上げる。それはさざ波のように広がっていき、隣で楽し気に身体を揺らしていたみあも右手を上げた。


ボーカルの声質でエモっぽい印象があるけれど、曲自体はそこまで重たくもない。芸術的ではあるけれど、取っつきにくさはあまり感じなかった。


最初の一曲が終わると、歓声が上がる。


「どうも、こんばんは! midnight-broadcasting、長いのでミッブロって呼んでください! よろしくー!」


ボーカルがそれだけ言うと、次の曲が始まる。ノリの良いアップテンポな曲調だ。照明の加減で分かりにくいが、ステージの上の駿介は薄っすらと笑みを浮かべて俯き加減で、気持ちよさそうに左右に頭を振っていたりする。


駿介もメンバーも、バンド自体が放つ空気感も、学生の頃とはまるで違う。軽音部員じゃなくて、まさしく「アーティスト」だ。


みあは他の観客たちと同じように歓声を上げて、ぴょんぴょんと軽快に飛び跳ねている。そうだ。俺はあの頃もこうしてステージの上を、そこにいる親友の姿を見上げていた。数メートルしか離れていないはずなのに、ステージの上と下とじゃどうしてこんなにも違うのだろう。あの頃も同じような思いを抱いていた。目指す場所は違えども、同じように夢を追うことを心に誓ったはずなのに。歓声を上げる人々に紛れて、嫉妬と感動と焦燥感が身を焦がす。


俺が曖昧にしている間に、駿介はこんな場所にまで辿り着いていた。

もしも自分もこれくらいの熱量を持って小説を書いていたなら。


 駿介たちのバンドの演奏が終わると、みあと二人で人混みを抜けて近所のコンビニまでビールを買いに走った。ライブハウスの裏手まで戻ると黒いドアの前に駿介が座り込んでいた。


「おつかれ」


俺が声を掛けるとゆっくりと顔を上げて手を振り、腰を上げた。駿介の後に続いてドアを開けてすぐの狭い階段を上がっていく。薄暗くて細い両側の壁に様々なチラシが張り付けられた廊下を少し行って、左手にあるドアの部屋に入った。中にいた数名が顔を上げる。さっきまで駿介と同じステージに立って演奏をしていたメンバーだということに気づいた。目が合ったので軽く頭を下げておく。


「今日は誘ってくれてありがとな。これ良かったら皆で飲んで」


さっき買ったばかりの六本パックの缶ビールの入ったビニール袋を渡す。


「こっちこそ来てくれてありがと。これもごちそうさま。とりあえず配るわ」


ビニール袋を顔の辺りまで持ち上げて、メンバーを呼んだ。


「これ、俺の高校のときの友だちのミツ。と、その彼女さん……で良いんですよね?」


駿介が俺の後ろの隠れるようにして立っているみあの顔を、背伸びをして肩越しに確認した。


「あ、はい。そうです。みあって言います」


さっきまであれほど満面の笑みで楽しそうにはしゃいでいたというのに、いざメンバーを目の当たりにして人見知りを発揮しているらしい。


駿介から一人ずつメンバーを紹介されると、缶のプルトップを上げて乾杯をした。


「おつかれー」


久しぶりに汗ばんだ身体にまだ冷たさの残るビールが心地よく流れ落ちていく。


「あー、うま」


メンバーからそう声が漏れた。そのとき背後でノックの音がして、釣られて振り向く。開けられたドアの向こうには薄いピンク色の髪をした女性が立っていた。


「よっ、おつかれー」


そう言いながら女性は迷うことなく室内に入ってくる。どうやらメンバーの知り合いらしい。おつかれ、という声が返される。ビッグシルエットのTシャツワンピースを着た彼女は、駿介の元まで歩いて行ってからこちらを向いた。


「ごめん。お客さんが来てたんだね」

「ちょうど良いよ。紹介できるし」


二人がそんな会話を交わして、それから俺とみあの方に向き直った。


「彼女のレイカ。こっちは高校の友だちのミツとその彼女のみあちゃん」

「よろしくお願いします」


ピンクの髪のレイカはその見た目に似合わず、丁寧に頭を下げた。全体を緩く巻かれた滑らかな長い髪が肩を滑っていく。


「こちらこそよろしくお願いします」


みあも慌てて頭を下げた。俺と駿介は対応に困って、黙ったままお互いの目を見た。


「あ、やばい。ビール六本しか買ってきてない」


不意に思い出した。未開封なら自分の分をレイカに譲ることだってできたけれど、あいにくもう口を付けてしまっている。


「大丈夫ですよ。アタシもう一杯飲んできたんで」


レイカは快活に笑うと、そこにあったパイプ椅子に座るように勧めた。


「久しぶりに駿介のライブ見たけど、楽しかった。なんかもうプロっぽいなーって感じがした。高校の頃と違ってさ」

「楽しんでもらえたなら良かった。一応あの頃よりも本気でやっとるからさ」

「みあもライブ自体初めて見たみたいだけど、楽しそうだったし」

「うん。本当に楽しかったです」

「人生初ライブが俺らとか、なんか嬉しいわー」


駿介がそう言うとみあは微笑んだ。ビールのおかげもあって頬は紅潮し、緊張も解れてきているらしい。


「なんか二人って凄く良い雰囲気ですね。お似合いっていうか、似てるって言うか……。ねえ?」


レイカが駿介に同意を求める。


「確かに。合ってる感じするわ。みあちゃん、ほんとにミツで大丈夫?」

「なんだ、それ」


駿介が茶化すとみあは照れたように笑って、口の中であくびを噛み殺すように大丈夫ですよ、と呟いた。


「レイカさんと駿介さんもお似合いですよね。レイカさんが入って来たとき、芸能人が来たかと思いました」


みあがそう言うとレイカと駿介は顔を見合わせた。


「今日はお客さんとして来てたけど、レイカも他のバンドでボーカルやってるからね」

「えっそうなんですか」


みあの丸い茶色の目が輝いた。みあとレイカの纏う雰囲気はまるで違うけれど、案外仲良くなれるタイプなのかもしれない。


レイカと連絡先を交換して、――案の定、ラインを使っていないことに驚かれていたけれど――、ライブにも誘われてご機嫌なみあと二人でライブハウスを出た。


自分たちの仲を本気で疑ったことは不思議になるくらいに無かったけれど、それでも駿介にお似合いのカップルだと言われたことは素直に嬉しかった。これからもっと多くの人にみあを知ってほしいし、認められたら良い。二人だけの関係も甘ったるくて好きだけれど、もっとその先を一緒に見たい。


「俺さ、再就職しようと思ってるんだよね」


だからここしばらくずっと考えていたことを打ち明けた。


「……そうなの?」

「うん。まだ何にも始めてないし、上手くいくかも全然わかんないけど、やっぱり正社員になれば安定して稼げるしさ。給料も今より良くなるだろうし、そうしたら一人暮らしもできるかもしれないし。……もっと気軽に会えるようになるかなーと思ってさ」


じわじわと身体を蝕む熱を伴った照れくささを誤魔化すために一息で喋った。


「……そっか。大変だと思うけど、頑張ってね」


みあは真っ直ぐ行く先を見つめたまま、真剣な声音で言った。その反応に怖くなってさらに言葉を付け足す。


「いつかは一緒に住めたらいいなって思ってる」

「……うん」


その声に涙が滲んだような気がして、黙って手を握った。いつだって変化に不安はつきものだ。


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