第3話
怒号、絶叫、断末魔。
銃声、爆風、剣戟音。
戦場となった湾岸倉庫街は、あらゆる音と光の入り乱れるカオスと化した。
そして、徹底した包囲・殲滅により、シャクティ売買グループは着実に数を減らしていく。
「はぁっ!!」
人形使いの鳥羽明久が操り人形・夜行を操りながら、自らも長尺刀を振るい、敵を数人まとめて斬り裂いた。
「ぬぅおおお!!」
返り血の隈取りを施した斎賀孫八が、巨体に似合わぬフットワークで、メリケンサックをはめた拳骨を次々と顔面にぶちこむ。
「キーヒヒヒヒヒッ!!」
哄笑をあげて曲芸のように飛び跳ね、大鉈で敵を血祭りにしていくのは、灯上残花だ。
「弱い、弱すぎるぞ君たち!!」
マックス・フォン・シュレック子爵も、華麗な体術を駆使し、笑いながら敵を撲殺していく。
薬によって妖力を得た人造妖怪たちに対して、この四人の強さは圧倒的である。
いかに優れた身体能力を駆使して爪や牙で襲いかかろうとも、しょせん町のチンピラや不良崩れが敵う相手ではない。
戦闘者としての地力が違いすぎるのだ。
恐れをなして逃げ出そうとしても、同盟の狩人とファウストの魔術師、そして『まぼろし』の構成員である妖怪たちが、一人の討ち洩らしも無くそれを追撃する。
化け猫・化け狐・化け狸といった、年経た動物の変化。
器物に魂が宿った、付喪神。
古来より日本に住まう妖物である、鬼や土蜘蛛。
シュールな光景であるが、異形の姿を持つ彼らが人間たちと共に、爪で引き裂き、牙で噛み砕き、炎や毒液を吹きつけ、果ては長ドスやトカレフといった武器を手に、容赦なく人である事を辞めた“ヒトデナシ”どもを殲滅していくのだ。
しかし、それ以上に戦果をあげているのは、『ファウスト』の首領フォルキュアスである。
彼女の掌から噴き出す黄金と白銀の粒子を浴びると、敵は彫像のように固まって動けなくなり、電撃を流されたように身体が痺れて倒れ込む。
「もがけ、もがけ。虫けら共め!!」
悪役丸出しの顔と台詞で魔法の杖にまたがり、上空から輝く粉を散布する彼女に対し、地を這う妖怪たちはなす術がない。
苦痛に胸をかきむしり、血とゲロを吐いて、まな板の上で目打ちされたウナギのようにのたうつ。
まさしく地獄絵図だ。
「なぁ人形師の兄ちゃん、鳥羽って言ったか。あの粉なんだ?」
もはや何人目か分からぬ相手を真っ二つに両断した残花が、近くにいた鳥羽に聞く。
あの謎の粉を撒く首領から遠ざかるように、皆へ指示したのは彼だ。
「あれは魔砂といってな。体内に溜めた毒素と、首領が自ら調合した薬を合わせて精製する劇物だよ。
吸い込むと死にはしなくとも、数ヵ月はリハビリ生活から抜け出せん。
というか、下手すりゃ“あそこで死んどきゃ良かった”と思えるレベルでキツい。昔、うっかり吸い込んだ事あるから分かる」
「おいおい、んなモンあんな派手にバラまいてんのかよ。おっかねぇ」
「昔からああなのだ。自分以外の他人のことは基本的にカスだと思っている」
「へぇ……あの魔女さんも、いつかああなんのかね」
残花が言うのは、何度か共に戦った長谷川琴美のことだ。
彼女は若いながら、既に魔女として多数の術を習得しているが、愛情深い性格のため、どうしても非情には徹しきれない部分がある。
「長谷川の事か?あいつは才能はあるのだが、少々優しすぎてな……」
ううむ、と鳥羽が腕を組んで唸った、その時である。
「言え、トンカラトンと言え!!」
「うるせぇー!! 絶対言わん!!」
すぐ近くで怒号が鳴った。
目付きの鋭い少年と、マウンテンバイクにまたがり、全身をミイラのように包帯で覆った怪人が斬り結んでいる。
互いの得物は日本刀だ。
二つの刃が激突し、火花が散る。
ファウストのメンバーである狗賀志郎と、妖怪トンカラトンだ。
都市伝説の怪異までもが、シャクティの売買に協力していたのである。
トンカラトンは、自身の一部である自転車を文字通り手足のように扱い、恐ろしく俊敏な斬撃を仕掛けてくる。
トリッキーな動きで翻弄しつつ、一見デタラメにも見える太刀筋で的確に急所を狙う、厄介な殺人剣だ。
「トンカラトン!!」
怪人が誇示するように自らの名前を叫び、正面から襲いかかった。
突進の勢いのまま、心臓を狙う片手突きだ。
「チェエエイッ!!」
刺突剣を回転運動で捌き、蜻蛉の構えから袈裟斬りを見舞う。
だが、トンカラトンは即座にハンドルを捌いてそれをかわし、死角へ潜っている。
「ヒャハッ!!」
包帯ごしにトンカラトンが不気味に笑う。巧みな重心移動と共に、ペダルが強く踏まれた。
マウンテンバイクがウィリーされ、前輪が志郎の顔面めがけて跳ね上がる。
「ぐぁっ!!」
グシュッと、回転するタイヤと肉の擦れる嫌な音がした。
身を捻って直撃を避けたものの、頬の薄皮が剥けて、少年が勢いよく転倒させられる。
「死ねぇー!!」
勝利を確信したか、トンカラトンがマウンテンバイクを乗り捨て、高く跳躍した。
切っ先を垂直に下へ向け、体重と落下速度を乗せて串刺しにするつもりだ。
圧搾機のような重さを乗せた、必殺の一刀が迫る。
直後、甲高い金属音と、肉を裂く異様な音が重なった。
「トン、カラ、トン……!!」
トンカラトンが、途切れ途切れに呻いた。
怪人の切っ先は獲物を捉えられず地に突き立ち、逆に少年の切っ先は敵の首筋に深々と食い込んでいる。
地面を転がりつつ、咄嗟に斜め下から急角度に突き出した一刀が、トンカラトンの喉を見事に捉えたのだ。
「じゃあな」
柄をひねるや、電光の勢いで志郎が刀を薙ぎ払う。
包帯に包まれた頭がブツリと嫌な音を伴い、紐状の細皮を残して切断された。
首なし体が脱力し、背中から袋のような首をぶら下げて地面に俯せる。
赤い血は一滴も流れず、断面に息づくのは、得体の知れない半固形状の黒い物質だ。
それが熱した脂のようにとろけ出すと、徐々に身体が厚みを失い、薄汚れた包帯だけが残った。
トンカラトンの最期だ。
「ふぅ……」
死闘を制した少年が、頬に滲んだ血を拭いながら、小さな息を吐く。
「よくやった、誉めてやる」
「そりゃどーも」
鳥羽の称賛に軽く一言返し、むくりと身体を起こす。
「おーい、志郎!!」
そして、彼のパートナーである長谷川琴美が、空飛ぶ杖にまたがり、空中に姿を現した。
「おぉ、長谷川。お前も無事か」
「いえ、鳥羽さん。それが、あんまり無事ではなくて……」
「ん、どういうこった?」
琴美の言葉に、残花が首をかしげた。
「あれ……」
嫌な表情で汗を垂らしながら、背後を指差す。
「トン、トン、トンカラトン……」
「トンカラトン」
「言え、トンカラトンと言え……!!」
車輪の音が連なり、幾つもの刃が暗闇で青光りする。
そこには日本刀を携え、自転車を駆る、何十人もの怪人たちの姿があった。
怪人トンカラトン。
その最も厄介な性質は、殺害した者を自らの同族へ変える事である。
シャクティの売買グループの人造妖怪たちを、仲間にするために斬りまくったのだ。
そして、トンカラトンの大群の後方には、更に三体の妖怪が控えている。
「ぐふふぅ……南無阿弥陀仏」
全身から漆を思わせる黒々とした光沢を放ち、目玉を飛び出させた巨体の僧侶が、重苦しい足音と共に地を踏みしめた。
「死ね、死ね、みんな死ねぇ!!」
ボロボロの腰布を巻いた痩せぎすの身体に、鳥のような尖った顔を乗せ、両手に大金槌をもつ異形の者が、怨念をこめた甲高い声でわめく。
「フハハハハハッ!!」
そして、高笑いを響かせるのは、真っ赤なマントにシルクハットという道化じみた衣装に身を包み、笑みの仮面で素顔を隠した怪人だ。
仏像に邪悪な意思が宿り、修行を怠る僧を食い殺すという、塗仏。
古代の神が信仰を失って零落し、人間を無差別に殴り殺す存在となった、金槌坊。
誘拐と殺戮を生き甲斐とする、都市伝説の大殺人鬼、赤マント。
「トンカラトンもだけど、あの三体が特に強くてな。二人で相手するのがキツくて、情けないが手伝ってほしいわけだ」
申し訳なさそうな口調の志郎に対して、孫八と残花は楽しそうだ。
新たな強敵の出現に、血が騒ぐ。
「面白い、実に面白い!!」
「キヒヒ、腕が鳴るぜぇ!!」
残花が先陣を切って突っ込んだ。上段へ振りかざした鉈が金色の光を帯びる。
「金気を司る鬼神よ、汝の方位を犯す妖異あり!! 金神七殺ッ!!」
そして、唐竹割りに振るわれた鉈から、七本に枝分かれする光刃が迸った。
断末魔が響き、一本一本が過たず、七人のトンカラトンを貫いている。
金神とは、陰陽道における凶災を司る方位神。
これの方位を犯せば家人は必ず七人殺され、人数が足りなければ数合わせに隣人をも巻き込んで命を奪うという、恐ろしい神である。
形容しがたい断末魔が連続し、包帯の怪人たちが、どす黒い液体をぶちまけて沈む。
金神の力を込めた刃は、妖怪であろうと一切の区別なく殺戮するのだ。
「何だよ、大したことねぇな!!」
「さっき俺が倒したのがオリジナルだ。どうやら、まだあれほど強くはない。今のうちに全滅させるぞ」
変異したてのトンカラトンは、志郎の倒した者より動きが鈍い。
身体がまだ馴染んでいないようだ。
「なるほど、では、これはどうだ?」
コートの裾を引いて、今度は鳥羽明久が前に出る。
「お主、人形がなくて大丈夫か?」
「侮らないで貰おうか。人形を使わなくとも、私は十分強いと自負している」
孫八の言葉を一蹴し、敵陣へと躍り出た。
獲物を前に、怪人たちの凶刃が乱れ交う。その全てを紙一重で避け、村正を振るう。
基礎を守った堅実な剣だが、一手一手が鋭く、無駄がない。鳥羽明久という人間の冷徹さを象徴するように、極めて合理的な動線を取るのだ。
ぎゃあ、ひい、と、銀閃と連動する短い悲鳴が次々と響き、どす黒い飛沫が舞った。
斬り下ろすたびにトンカラトンの頭が割れ、横に薙げば首や胴体が切断されて転げ落ちる。文字通りの一撃必殺だ。
そして、剣を振るいながらも、精神を統一して術を構築していく。
深く息を吸い込み、一気に唱えた。
「天切る、地切る、八方切る。天に八違、地に十の秘文!!
秘音、一も十々、二も十々、三も十々、四も十々、五も十々、六も十々、ふっ切って放つ。さんびらり!!」
口から流れ出すのは神道の邪気祓い、一二三祓祝詞だ。
唱え終えると同時に、清浄な霊気が衝撃波となって妖怪たちを襲う。
一瞬のうちに、二十人以上のトンカラトンが紙人形のように吹き飛び、包帯の破片と共に粉々になって宙を舞った。
「今だ、行くぞぉ!!」
総崩れとなった敵に対して、孫八が鉄拳でトンカラトンを殴り飛ばし、残花と志郎は猿叫を轟かせながら突撃する。
琴美も杖を巧みに操って敵を打ち倒し、シュレック子爵は、手に嵌めた指輪から翼竜のような使い魔を喚び出し、妖怪を容赦なく食い殺させていく。
「グオオオッ!!」
劣勢に立たされた怒りか、怒号が上がった。
声の主は塗り仏である。
八つ当たりをするように、近くのトンカラトンに張り手をかます。
肉のだぶついた腕に打たれた頭が千切れると、まっすぐ飛んで倉庫の壁に激突し、グシャリとおぞけ立つ音がした。
熟しすぎた柿のように潰れた頭が、眼球や歯の破片を含んだ黒いスタンプとなって貼り付いている。
凄まじい怪力だ。
「ほほぅ、どうやらこいつらもシャクティで強化されているな」
近場の雑魚をあらかた片付けたか、いつの間にかフォルキュアスが立っている。
「ハッハッハァーーッ!!」
そして、闇を裂いて、翼のように広がった深紅のマントが飛翔する。
高笑いを止めること無く、赤マントが彼女へと襲いかかったのだ。
「身のほど知らずめ」
小柄な体躯には少々不釣り合いな杖を手に、魔女が吐き捨てる。
赤マントの振るう、死神のような大鎌が杖と噛み合い、ギリギリと軋んだ。
赤マントがターゲットとして好むのは子供だ。実年齢はともかく、フォルキュアスは見た目だけなら殺人鬼の格好の獲物である。
「首領、大丈夫ですか!?」
師を気遣うように、琴美が駆け寄ろうとする。だが、フォルキュアスはそれを遮った。
「この程度の相手には負けん。それより、お前は志郎をつれて猿神を追え」
「え、でも……」
ええい、と苛立ちを含んだ声を発し、大魔女が杖を振るった。
小さな身体のどこにそんな力があるのか、一撃で大鎌が押し返される。
魔女装束を翻しながら、鋭く風を切り、更に打撃した。
脛を払い、体勢を崩したところで鳩尾を突き、石突きを使って顔面を打つ。
まともに喰らい、仮面にヒビを入れた赤マントが派手にふっ飛ばされた。
見事な杖術である。
「さっさと行け、これは首領としての命令だぞ!!
もう一度言うが、こんな軽はずみなアホどもに私が負けるはずなかろう。なにより、猿神を倒すには志郎が適任なのだ!!」
強い命令口調の檄が飛ぶ。
琴美も観念したようだ。
戦闘中にこれ以上悩む余地はない。
なにより、弟子として、師の強さは嫌というほど知っている。
「わ、わかりました。行くよ、志郎!!」
「ん、お、おう……」
釈然としないものを感じながら、志郎も同意した。
もう少しこの場で戦いたい気持ちであったが、心を切り替える。
眼前には群れをなすトンカラトンにくわえ、強豪の金槌坊と塗り仏がいる。
まずは、この包囲を抜けなければならない。
「チェエエエーーッ!!」
気合いの声を喉から迸らせ、走った。
「チェイ、チェイ、チェエエエ、チェストォ!!」
がむしゃらに猿叫しながら、ひたすら斬る。
進路を阻む者の悉くを手当たり次第に斬り殺し、烈風となって駆け巡る。
「き、貴様……!!」
敵陣の最後尾で、塗り仏が壁となって立ちふさがった。
蚊をはたき落とすように、ふりあげた掌を落としてくる。
「遅ぇよ、クソデブ!!」
鋭い罵倒を吐き、敵の腕を階段のように踏んで跳躍する。同時に下段から逆流れに駆け昇る一刀が、塗り仏の顔面を縦に裂いていた。
「ぶぎゃあっ!!」
絞め殺される猪のような絶叫とともに、巨体が仰け反り、背中から倒れ込む。
それを尻目に、志郎は既に塗り仏の背後まで抜けている。
あっという間に敵陣を突破した。
「んじゃ、後は任せるぜ」
刀を風車のように回転させ、付着した赤黒い液体を払い、納刀すると同時に走り出す。
あとは猿神の臭いを頼りに追跡するだけだ。
敏感な嗅覚は、敵の居場所を早くも察知している。
敵の攻撃の届かない位置を飛行し、琴美もそれを追う。
一瞬で展開された殺戮劇によって、敵陣はモーゼに割られた紅海のように両断されていた。
「相変わらず、なんて無茶苦茶な……刀一本であそこまでやるか」
遠ざかる二人の背中を眺め、鳥羽が呆れた口調で呟く。
「ぼやいとらんで構えろ。来るぞっ!!」
「ああ、すまんすまん」
鳥羽と孫八が身構える。
「おぉ~のぉ~れぇ~!!」
視線の先で、二人に向かって塗り仏が突撃してくるのが見えた。
飛び出た目玉は血走り、割れた顔面は凄まじい憤怒と憎悪に彩られ。
敵味方の区別無く殴り飛ばしながら、黒々とそびえた巨体が急接近する。
さながら暴走するバッファローか、ブレーキの壊れたダンプカーだ。
「いざ、尋常に八卦良し!!」
疾風を背方向へと流し、孫八も突進で迎え撃つ。
肉のつまった二つの巨体がぶつかり、鈍く乾いた音をたてて、がっぷり四つに組んだ。
「ぬ、ぬ、ぬぅん……っ!!」
「ごわああぁ……!!」
双方、吐息にうなり声を混ぜて、力の限りに、押して、押して、押しまくる。
「おりゃあ!!」
掴み合いながら、孫八が足を捌いた。
どご、べき、と鈍い打撃音が連続する。鳩尾への膝蹴りと、脇腹への蹴手繰りだ。
「ぐお……!!」
零距離からの蹴撃に、塗り仏が身体をくの字に折って悶絶する。
その停滞を逃さず懐へ潜ると、黒い巨体を肩へ担ぐように横向きへ持ち上げた。
「な、なにっ!?」
塗り仏の全身に、驚愕が走った。
百貫(約375キロ)をゆうに越える巨体が、血管と力瘤を盛り上げた剛腕に捕らえられ、完全に宙へ浮いている。
経験の無い状況に混乱したか、ひっくり返った虫のように無様に手足をジタバタと振るう。
「喰らえぇぇい!!」
そして、担ぎ上げた巨体を、孫八が背中を反らしながら、体重をかけて投げ落とす。撞木反りだ。
巨漢二人ぶんの重量に落下速度を加算した壮絶なまでの破壊力に、地面が蜘蛛の巣のようにヒビ割れる。
「ごおぇっ!!」
肉と骨と内臓を衝撃にシェイクされ、塗り仏がのたうつ。だが、まだ生命を断つには至らない。
血を吐きながらも立ち上がってきた。
言語にならないを奇声を発し、塗り仏がデタラメに拳を突き出した。突きだそうとした。
突け……ない。
長さの足りない腕が空しく空を裂き、それに気付いた妖怪がポカンとマヌケな顔をする。
「ぎゃあああああああーー!!」
四秒ほど経って、激痛が脳に伝わった。
両腕が肘の先から、損失している。
「わめくな、見苦しい」
鮮血の付着した刃を手に、鳥羽明久が冷酷な台詞を吐く。
塗り仏の腕を切断したのは彼の村正だ。
甲高い、鳥の鳴き声に似た音を立て、再度、妖刀が舞った。
水でパンパンに張りつめた風船を破るように、黒い肌が裂ける。
長尺刀の重さを感じさせない、超高速の連撃だ。
たちまち塗り仏の全身へ朱色の筋が走り、噴き出す黒血が霧のように広がった。
「これで終わりだ!!」
コートの裾を翻し、凄まじいスピードで地を蹴った。
ごっ!!
首の骨を切断する、胸の悪くなる音が空気を揺らした。
真円を描く一刀に斬り飛ばされ、頭が血の帯を引いて宙を舞う。行き先は海だ。
どぼん、と水面に高い飛沫があがると、黒い首は夜の海面へ同化して飲み込まれ、消えてしまった。
ぶしぃーっ。
そして、胴体が首の切断面から、柱のような血の噴水を吐きながら、地鳴りをたてて倒れる。
「お主、なかなかやるな」
「貴方こそ」
塗り仏を仕留めた二人が、言葉少なく互いを称賛した。
そして、残る敵を掃討するために、走り出す。
まだ、戦いは続いている。
金槌坊と戦いを繰り広げているのは、灯上残花だ。
キャキャキャキャと甲高い声をあげて、鈍器を振り回す金槌坊に、残花が真っ向から突っ込んでいく。
「死ねオラァーッ!!」
ひねり込むように打つ、示現流の太刀が唸りをあげた。
「キキッ!!」
だが、嘲笑うように短く鳴くと、金槌坊の瞳が一瞬、燃えるような深紅に輝き、残花の身体が硬直する。
「ヒャアッ!!」
硬いクチバシのような口元が、きゅうっと笑みの形に持ち上がった。奇怪な甲高い声を放ち、金槌坊が地を蹴る。
脳天を狙った振り降ろし。
すぐさま硬直の溶けた残花も、防御した。
がいいん、という鋼の共鳴と、白々とした火花が闇を揺らす。
コンマ数秒に過ぎない時間だが、一瞬の判断が生死を分ける戦場においては十分な時間である。
「また逃したか、ちょこまかと鬱陶しいやつだぜ」
既に、何度も繰り返した攻防だ。
一撃必殺で仕留められる自信はあるが、そのためにはまず、金槌坊のあの眼を封じなければならない。
「なるほど、恐らくは邪視の一種だな」
フムフム、と感心したように、端からそれを眺めていたマックス・フォン・シュレック子爵が一人ごちた。
邪視とは、敵意や悪意を以て睨み付ける事で、相手に災厄をもたらす魔術だ。
世界各地に伝わる術だが、それ故に対抗法も多い。
「んな事は分かってるよ。で、なんか突破口はあんのか、子爵さん。今ならノッてやるぜ」
敵から距離をとり、飛び退いた残花が問う。
貴族の末裔というのもまんざら嘘では無さそうな、優美な佇まいで、青年が笑い返した。
「そうか、じゃあパンツ脱いでアイツに○○○見せるか、ウンコしたまえ」
「はっ?」
「邪視は不浄なものが嫌いなのさ。裸や性器、悪口、それに糞尿なども効果的だ。まぁこれは冗談だが」
「なんでぇ、勝つためならそのくらいやるのによ。なんなら今すぐ脱ぐよ? ウンコするよ?」
妙齢の女性にあるまじき台詞を吐きながら、残花の手がズボンにかかる。どうやら本気であった。
ちなみに、邪視に限らず、悪魔や悪霊を退ける呪いに性器などが用いられるのは珍しいことではない。
産まれたばかりの子供が悪魔へ魅入られないように、汚いものを連想させる幼名を与える風習は有名であるし、災いを避ける護符に性器を象ったものが多いのもそのためである。
「あの程度の邪視は安手品さ。そこまでしなくとも、私なら遮断できる。あとは君と私の二人で攻撃を叩き込めばいい。実にシンプルだろう」
シュレック子爵が口のなかで小さく祈祷を呟くと、海面から高い飛沫が立つ。
そして、透き通ったクリスタルのような二つの水球が、子爵と残花の眼前に浮遊してきた。
「今日は水芸の気分だ。我が魔術、とくとご覧あれ!!」
「おう、何だかよく分からんが、期待してるぜ」
二人して、走りだす。
残花は鉈を手に、子爵は拳を握り、直線的に突っ込む。
危険を感じたか、金槌坊の瞳が今までよりも一際強く輝いた。
「呪術は水を越えられない。そうあるように!!」
だが、光が二人に届くより数瞬速く、シュレック子爵が力強く呪文を唱える。水球が薄く、皿のように広がった。
水鏡だ。
「ゲェッ!?」
怪光線が反射され、金槌坊が発作を起こしたように硬直する。
水を利用した呪詛返しである。
「今だ!!」
「よっしゃあああっ!!」
二人の攻撃が、同時に闇を裂いた。
胸元に拳が突き刺さり、鉈が首を斬り飛ばす。
一瞬の殺戮劇。
相手が動けないならば、仕留めるのは容易い。
「そ、そんなぁ……!!」
切断された金槌坊の首が、空中で一声うめく。
そして、地面に転がり、げぼりと血を吐くと瞳から光が失われ、すぐに動かなくなった。
「ふふふ、またコレクションが増えた」
首なしの胴体を投げ捨て、その手から奪った大金槌を弄びながら、シュレック子爵が満足げに笑う。
彼は倒した敵の武器や道具を、自分のものにするのが趣味なのだ。
「まだ敵はいるぜ。そいつらで試したらいいんじゃねえの?」
「ああ、そうするとしよう」
早くも意気投合したか、二人は鈍器を手に、意気揚々と敵陣へ向かっていく。
フォルキュアスと赤マントの戦いは、一方的なものであった。
怪人がどれだけ鎌を振るっても、マントの裾すら捉えられず、的確に繰り出される杖に殴打される。
「少しは身の程を知ったか、愚か者よ」
流れるように杖をさばきながら、魔女が嘲笑う。
仮面がヒビ割れ、衣装が泥と埃にまみれた赤マントに対して、大魔女は傷ひとつ負っていない。
「貴様!!」
鋭い声が飛び、怪人がマントを広げた。
その下にあるのは、宇宙のように広大な暗黒空間だ。
拐ったものを閉じ込める為に生み出した、異次元の牢獄である。
「おっと、さすがにそこに捕まると、脱出は面倒だ」
大烏のように迫るマントを、飛び退いてかわす。
捕獲に失敗した赤マントが、風を受けたグライダーのように滑空しながら、再び浮き上がる。
すると、空中でその姿がブレて、数十倍にも分裂した。
空を埋め尽くさんばかりの大群となって、赤マントが迫る。異様な光景であった。
「ほほぅ、幻術か……ならば、これはどうだ?」
それに臆する事もなく、フォルキュアスが杖を構えた。
先端の宝玉が、光を宿す
「火と豊穣の女神ブリジットの名にかけて、火よ燃え盛れ。
汝が欲する幻影を照らし出し、この呪文が届いたなら、魔女の火の中に」
ギリシャ神話の女神の名を取り入れた詠唱が、朗々と溢れ出す。
「炉端の神ヘスティアの名にかけて、悪しき想いと邪な気を祓いたまえ!!」
そして、空中に大輪の炎が咲いた。
幻影を焼き尽くし、赤マントの本体を黒こげにして地面に叩き落とす。
全身からブスブスとキナ臭い煙を上げながら、怪人は声にならない呻き声を放っている。
辛うじて生きてはいるが、もう戦闘不能だ。
「もう終わりとは、つまらんヤツめ。まぁ、私に楯突いた罰として軽く百回はブチ殺してやりたい気分だが、今日はこれで勘弁してやる。
リリスよ、名前なきものよ!!
アゲラスよ、黒いアダムよ、サマエルよ、アスモダイよ!!」
今度は、悪魔の名をこめた呪文だ。
周囲で、無数の邪霊が実体化する。
子供のように小さな背丈の、痩せた身体に腹だけが膨らんだ餓鬼のような小鬼だ。
「……喰え」
冷酷に一声命じると、赤マントに小鬼たちが殺到する。
ゴリゴリクチャクチャバリバリと、肉と骨の噛み砕かれるおぞましい音がして、血飛沫と肉片が四散する。
悲鳴すら上がらず、あっという間に赤マントの肉体は食いつくされ、わずかに引き裂かれた衣装の残骸と、臓物臭い血痕だけが残った。
完全勝利だ。
「ご苦労、帰ってよし。では、私はあっちに行くとしようか」
小鬼達に帰還を命じて消すと、杖にまたがり浮遊する。
視線の先には港に停泊している、百鬼の艦がある。
巨獣のように海へそびえる戦艦へと、魔女は楽しそうな顔をして向かっていった。