第2話
湾岸の倉庫街で、ボー、ボーと、遠くから船の汽笛がもの寂しく響いている。
前日まで降った雨は止み、雲の合間からは星々がきらめいていた。
海面もややゴミや浮遊物が多いが穏やかで、揺れる波が微かな街灯や星の光を反射して輝いている。
静かな、いい夜だった。
しかし、そんな静けさの中でも、妖怪たちは戦闘へ向けて殺気立っていた。
「よし、全員揃ったな」
白波が声を潜めて確認した。
倉庫内は音が思った以上に反響する。
作戦前に敵にバレては元も子もない。
倉庫街の端の、なるべく目立たない空き倉庫を借りて、大人数が集結している。
同盟、ファウスト、そして今回の作戦の主力を務める『まぼろし』の混成団だ。
『まぼろし』からは作戦指揮官として白波をはじめ、相模、鍋島、津留辺、李の五人が参加する。
妖怪ヤクザの組長と幹部の揃い踏みだ。
他の各倉庫にも、既に武装させた構成員を潜ませている。
シャクティの売買グループ殲滅への意欲は、彼らが最も高い。
「こちらも準備は完了だ」
巨体に気力をみなぎらせ、斎賀孫八が返事を返す。
「イヒヒヒ。いやぁ、ほんとあんたらといると退屈しないぜ」
「ケッ、俺はめんどくせぇけどな。さっさと家帰って風呂入って飯食って寝たい。フォルキュアスが言う通り、クスリに手ぇ出す糞ガキどもなんざ自業自得だぜ。放っときゃいいじゃねーか」
感触を確かめるように鉈を振るい、楽しそうに笑う女に対して、肩にハンマーを担ぎ、マスクで素顔を隠した黒ずくめの男が、容赦ない毒舌を吐いた。
同盟の狩人、灯上残花と入間誠だ。
「まぁまぁ入間さん、そう言わず。たまには正義の味方も悪くないでしょう」
長柄に木製の槌を取り付けた鈍器を手に、にこやかな顔をした青年が彼を嗜めた。
あまり背は高くないが、黒コートから伸びる腕の筋肉だけ見てもかなり発達している。
小兵ながら、鍛え抜かれた肉体の持ち主だ。
「力丸、あまり調子のいい事を言うな。失礼だろう」
それを遮るのは、孫八に勝るとも劣らない巨漢である。
細く鋭い目元が、ただ者ではない雰囲気を醸し出している。
こちらの得物は体躯に見劣りしない、巨大な斧槍だ。
「逆に野刀次兄さんは真面目すぎでしょ。ま、俺も力丸は軽すぎと思うけどね」
「なんだい、きっついなぁ、秀明兄さんもかよ」
その二人を仲裁するのは、力丸よりは高く、野刀次よりは低い、ちょうどその中間くらいの背丈をした青年だ。
落ち着いた雰囲気で一見普通に見えるが、鼻の上へ横一文字に、深い傷痕が刻まれているのが印象深い。
こちらは腰に、幅広のどっしりとした剣を帯びていた。
槍斧使いの巨漢が、長男の岩郷野刀次。
剣使いの傷顔が、次男の岩郷秀明。
小柄な木槌使いが、三男の岩郷力丸。
彼らも同盟に属する、狩人の岩郷三兄弟である。
まだ若手ではあるが、兄弟ならではの連携と突破力はなかなかの威力を誇る。
「三人とも、ふざけてる場合ではありませんよ」
そして、彼らの傍らには、忍者装束の小柄な女がいる。
『ファウスト』の所属であり、現在は同盟に出向している防森玲だ。最近はこの四人でチームを組まされる事が多い。
「ほぅ、けっこうそっちに馴染んでいるじゃないか、防森」
「あ、首領!!」
鈴を転がしたような声を耳にして、玲が慌てて跪いた。
ロングコートの青年と、杖を携えた胴着姿の美女と、全身にアクセサリーをゴテゴテつけた怪人を従えて、大魔女が姿を現す。
黒のマントにコーンハットをかぶり、先端に深紅の宝玉を嵌め込んだ杖を手にした、オーソドックスな魔女衣装だ。
「何人かは初対面かな。
私は魔女フォルキュアス、魔術結社『ファウスト』の首領をつとめている。
そして、この三人は私の直弟子だ。お前たちも自己紹介しろ」
「三幹部の桐山依子、東洋魔術と古武道が専門だ」
「……鳥羽明久という。普段は人形師をしている」
「同じく、三幹部のマックス・フォン・シュレック子爵。こう見えて貴族の末裔だが、気軽に話しかけたまえ」
依子、鳥羽、シュレック子爵が順に名乗りをあげた。
「へぇー、あんな小さい女の子が首領?」
「聞こえているぞ若造、これでもお前の数十倍は生きている。口のきき方に気をつけろ」
またしても軽口を叩く力丸に、柔らかい声だが叱責が飛ぶ。
ふと、残花が視線を巡らせた。
「んー、今日はあの二人いねぇのか?」
今まで何度か共に仕事をした、剣士と魔女の姿を探しているのだ。
彼女は意外と二人を気に入っているらしい。
「志郎と琴美か?あいつらなら別の場所で待機中だ」
「キヒヒ、今ごろ暗がりでイチャイチャってか。いいねぇ若いもんは」
「まったく、式には呼んで欲しいものだ」
依子と残花がとんでもない事を言い出した。
「おいおい、いつまでもグダグダやってねえで、カチコミはまだかよ」
李が既にイライラした様子で、身体を揺すっている。
既にその手には抜き身の大包丁が握られ、剣呑な輝きを放っていた。
現在、午後12時過ぎ。
情報によると、そろそろシャクティの販売グループと、それを九州へ送るための百鬼の艦が港へ集結してくるはずだ。
「慌てるな、そろそろだ。12時半に、まず斬り込み隊が向かう」
そういって李を抑える白波も、緊張した顔である。
斬り込み隊は、以下のメンバーで構成される。
『まぼろし』から津留辺、相模、鍋島、李の四人。
同盟からは防森玲、岩郷三兄弟の四人。
そして、ファウストからは首領フォルキュアスが直々に出撃する。
他のメンバーは、混乱に乗じて逃げ惑う敵を自由に動いて、叩き潰す役割だ。
何とも大雑把な作戦だが、力押しできるだけの戦力を用意しているからこそである。
「最近あまり動いてなかったからな。まぁ、たまには私が出向くのも悪くない」
フォルキュアスが自信満々に笑う。
「だがな、今回のシャクティの売買、真白木や百鬼の他にも伏兵がいないとは言い切れん。
皆、用心にこした事はないぞ」
大なり小なり、妖怪は混沌を好む性の者が多い。
神妙な顔をする白波に、フォルキュアスを除く全員が頷いた。
そして、開戦の時がやって来る。
船着き場に、二百人ほどが集まっていた。
殆どが暗い色のスーツに特攻服など、元はヤクザや暴走族と分かる者達だ。
しかし、彼らは皆、服装こそ人間であるが、肌が異様な色をしていたり、頭から角が生えていたり、口が裂けていたり、牙が伸びていたり、明らかに人間を逸脱した風体の持ち主ばかりである。
全て、シャクティの中毒者のなれの果てだ。
その中でただひとり、百鬼から与えられた軍服を着た大柄な者がいた。
全身が灰黒色の体毛に覆われているが、まるでゴリラのシルバーバックのように後頭部だけ真っ白なのが目を引く。
一言で現すなら、軍服を着た巨大な猿だ。
『まぼろし』の裏切り者、猿神こと真白木文吉である。
百鬼に与しているが、彼は九州へ渡る気はない。
妖怪の食物として調教・洗脳された人間をそのまま喰うより、幸せな生活を送る人間を絶望に落とす方が楽しいからだ。
百鬼を後ろ楯にしてシャクティの売買による利益と、妖怪化した人間達を利用し、このまま住み慣れた地元で犯罪シンジケートを構築する。
それが彼の野望であった。
「ウヒヒ、たまらんなぁ」
百鬼の艦を見上げる赤い猿顔が、強い酒でも呑んだように更に朱色を帯びた。
笑みの形に口蓋が割れ、恐ろしい牙列がのぞく。
口の中は、既に人でも喰らったように真っ赤だった。
「今まで下らんことを言いやがって、白波のヤロウめ。
これから力を蓄えて、いつかあの頭の皿をブチ砕いてくれるぜ」
人喰いをするなと構成員をいつも諌めていた河童の親分の忠告など、既に頭から消えている。
脳裏に浮かぶのは、酒と女と金の海に埋もれた、輝かしくも都合のいい未来である。
しかし、いつかと言っていた白波との対決は、この直後に始まった。
「ぎゃああああーーッ!!」
と、闇夜の静寂を裂いて、断末魔が轟いた。
得物を掲げ、集団の死角から、斬り込み隊が突撃をかます。
先陣を切ったのは、岩郷三兄弟だ。
「ウオオオッ!!」
「ぶった斬るぅ!!」
「潰れろぉっ!!」
槍と剣と槌が炸裂し、集団の一角に早くも大量の血飛沫が飛散した。
切り裂き、突き刺し、叩き潰す。
烈火のような三兄弟の猛攻に、恐怖とパニックがなりたての妖怪達に伝播していく。
そして、三人と共に玲も走った。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン……」
印を結びながら、不動明王の真言を唱えていく。
空中に、小さな火の玉が生まれ、やがてそれが鳥の形となった。
「奥義、迦楼羅焔!!」
それを敵陣へ飛ばし、懐から取り出したダイナマイトを投げた。
爆弾をくちばしに捕らえた小さな火の鳥が、文字通り爆発的に巨大化する。
火炎の爪とくちばしが妖怪達を引き裂き、喰い殺し、はばたく翼で焼き祓う。
未熟な炎術を火薬で底上げした、玲なりの技だ。
「ハイル、西の風ゼフィルスよ。無意識の海を司る女神達よ、我に力を与えよ!!」
それに遅れて、フォルキュアスが渦巻く風を起こす。
弟子の琴美もよく使う術だが、遥かに威力は上だ。
頭や手足や臓物が、無惨な細切れとなって宙を舞う。
一瞬のうちに、30人前後が屠られた。
まずは、上々の戦果である。
「な、何事だ!?」
とんでもない威力の襲撃だった。
驚愕する妖猿が、ふと殺気を感じて視線を巡らせた。
倉庫の屋根の上に、四人いる。
白波を除く、『まぼろし』の幹部達だ。
「前から気に喰わねえと思ってたぜ、真白木!!」
ダークスーツを覆い隠すように、逆巻く風と木の葉が全身を包む。
それが止むと、漆黒の羽毛と、背中に翼を備えた山伏姿の鳥人が現れた。
相模翔之介、その正体は妖怪・烏天狗。
「残念だよ、あんたみたいなのでも仲間だったのに」
女の柔肌が白・茶・黒の三色の体毛にぴっしりと覆われ、尻から二つに分かれた尻尾が伸びる。
両手には、鎌を並べたような鋭い爪が輝いた。
鍋島たまき、その正体は妖怪・猫又。
「ケジメは、つけて貰うよってな」
作務衣と肉体が、まとめて炎に包まれていく。
巨大な火球が出来上がり、揺らめく炎の中央に、笑みを浮かべた顔が映し出された。
津留辺笑平、その正体は妖怪・釣瓶火。
「往生しろや、裏切り者が!!」
メリメリと音をたてて、セーラー服がはち切れんばかりに筋肉が膨張し、髪の毛が何十倍にも伸びる。
額の真ん中からは、鋭い一本角が生えた。
山垣李、その正体は妖怪・山姥。
「ちくしょう、嗅ぎ付けてきやがったな!! お前ら、ボケッとしてねえで撃ち殺せ!!」
真白木が焦ったように、胴間声で側近に命じた。
数人にマシンガン等の銃火器を装備させているのだ。
マズルフラッシュが闇夜の花のように咲き、弾丸がバラ撒かれた。
銃の扱いにさほど慣れていないチンピラ崩れとはいえ、妖怪にとっても銃は脅威だ。
相模、鍋島、李は飛び退いて避けるが、津留辺は避けない。
弾丸は悉く彼の身体を素通りする。
「わしに銃はきかんぞぉ」
ひ、と側近たちが短く悲鳴をもらした。
釣瓶火……樹上から突然現れ、人を脅かせるという、人間にとっては大した害のない妖怪であるが、ようは火炎の塊なのだ。
実体はなく、撃ったり殴ったりする事は全くの不可能である。
敵に廻せばこれほど厄介な相手はそうそういない。
「次生まれ変わるなら、もっと真面目に暮らせや!!」
火玉から鞭のように細長い炎が疾駆し、銃器ごとその持ち主達を絡め、焼き尽くす。
敵が動揺している間に、さらに相模が風を起こし、鍋島が爪を振るい、李が大包丁で斬り倒した。
ほぼ一方的な殺戮だ。
「た、たすけ……」
「ダメだッ!!」
命乞いを一蹴し、李が刃を叩き込む。
熟れたスイカのように血と肉片を撒き散らして、頭が砕け散った
「なんだよ、こいつらてんで弱っちいぜ」
血濡れの包丁を手に、拍子抜けしたように肩をすくめる。
それは油断だった。
「ぐわぁっ!?」
突然、悲鳴が響いた。
横合いから強力な水流が撃ち込まれ、津留辺が吹き飛ばされる。
水は、火妖である彼にとっての唯一にして、最大の弱点だ。
火の勢いが目に見えて小さくなっている。
「おお、来てくれたのか。ベロ長よ!!」
暗がりの中で蠢く者に、真白木が満面の笑みを浮かべる。
闇の中で爛々と輝く大きなギョロ目の持ち主も、それに返答するように奇妙な声で鳴いた。
それは、アマガエルのような黄緑色の胴体に、東南アジアの魔除けの鬼面に似た顔をくっ付けた妖怪だった。
酒樽のようにずんぐり太い身体に対して手足は細長く、指先は吸盤になっており、壁にくっついて四つん這いに素早く動く。
くわっと大きく開いた口からは、先端に穴が空いた管状の異常に長い舌が伸びて揺らめいているのが、生理的な嫌悪を催した。
「べ、ベロ長やと……」
津留辺が力なく呻く。
ベロ長とは、名前の通り長い舌を持ち、かつて福島県会津地方において、その舌で時に水を吸い上げては干ばつを起こし、時に吸い上げた水を吐き出して洪水を起こすという悪事を重ねた妖怪だ。
「俺が封印を解いたんだよ、仲間にするためにな!!」
「ちくしょう、どこまでも腐ってやがる」
仲間をやられた悔しさか、李が歯軋りした。
「ざまぁみろゴミどもめが!! ベロ長、ここは頼んだぞ!!」
嘲笑を浮かべ、真白木が跳んだ。
正しく猿の動きで、倉庫の屋根を飛び跳ね、逃げようとしている。
「まて、この野郎!!」
相模が空を飛んで追おうとしても、ベロ長は舌を自在に振るい、それを許そうとはしなかった。
相模がハエのように叩き落とされ、李と鍋島が攻撃を加えようとしても、即座に舌が飛んでくる。
三人はヘビー級ボクサーのパンチを喰らったように、次々と吹っ飛ばされてしまった。
舌は人間の肉体の中でも最も強い部位と言われており、強靭な筋肉の塊である。
それを自在に操るベロ長の攻撃は、想像以上に厄介なものだ。
真白木を追いたいのに、幹部達はなかなか突破口を見出だせない。
「くそ、どうすればいい……」
相模が悔しそうに奥歯を噛んだ、その時である。
横合いから、銀の蛇のようなものが飛んできた。
鎖だ。
先端に分銅をつけた鉄鎖がベロ長の舌に巻き付き、ギリギリと絞め上げる。
「クキェェ!!」
痛みと驚きに悲鳴を迸らせるベロ長を、そのまま鎖を引いて豪快に投げた。
倉庫の壁に背中から叩きつけられ、妖怪がカエルの潰れたような声を出す。
「しっかりするといい、まだ間に合う」
現れたのは『ファウスト』三幹部のひとり、桐山依子だ。
ベロ長を吹っ飛ばしたのは、彼女の鎖鎌である。
その横には、同盟の入間誠もいる。
乱戦するうちに生まれた、奇妙なタッグチームだ。
「こいつは俺らに任せとけ。あんたらは今のうちに、あの猿を追いな」
黒光りする鉄槌で、入間が真白木が逃げていった方向を指す。
「すまねぇ、助かった」
短く礼を言って相模が飛び立ち、李と鍋島が地を蹴って走った。
少し遅れて、津留辺もそれに続く。彼もダメージを負ったが、まだ戦闘は可能だ。
「んじゃ、桐山さんだっけ。一緒に頼むわ」
「ああ、こちらこそお願いする。ベロ長は知能こそ低いが大妖怪だ。一人で相手取るには少々骨が折れる」
シャシャシャシャと威嚇音を発し、ベロ長が二人の前に立ちはだかる。
怒りの波動が空気を揺らした。
入間が鎚を構え、依子は鎖鎌に代わって杖を持つ。
「そんなんで大丈夫か? そいつぁ見たところ、ただの杖だろ」
入間が怪訝そうに聞く。
「心配しなくとも良い。ベロ長の弱点を私は知っている」
「そりゃ結構。んじゃ改めていくぜ」
「それでは、同時にいくぞ」
「おう!!」
それを合図に、二人が地を蹴った。
左から依子の杖。
右から入間の鎚。
左右同時に、襲いかかる。
「キョワアアアアーーーー!!」
ベロ長も奇声を放ち、敵を寄せ付けまいと大量の水を吐き、舌を竜巻のように回転させ、鞭のようにしならせる。
舌を振るうたびにアスファルトの地面が削れ、水を浴びた倉庫の壁が砕け散る。
破壊力の凄まじさもさることながら、常人には軌道の予測はおろか視認すら困難な猛攻撃だが、両者にはかすりもしない。
荒れ狂う舌と水流を掻い潜り、二人が間合いへ到達した。
「閻魔不動に誓願いたす!!
水妖の障り、御身が火世三昧の炎にて滅尽に滅尽せよ!! 成就あれ!!」
密教の炎をまとった鉄槌を、入間が叩き込む。
「南無大師遍照金剛!!」
そして、依子も真言と共に杖を突き入れた。
杖が太陽のような眩い光を帯びる。
炎の鎚を顔面に、光の杖を脇腹に受け、ベロ長が派手に吹き飛んだ。
「ヒ、ヒイイイイッ!!」
ガタガタと震えながら、ベロ長が慌てて身を翻し、倉庫の屋根へと飛び退く。
入間の鎚の威力もだが、なぜかそれ以上に、依子の杖に宿った光を恐れ、怯えているようだ。
「やはりな、まだ自分を封印した弘法大師様が恐ろしいか。ベロ長よ」
「あー、なるほど。それが弱点ね」
入間が関心したように、顎に手をやる。
依子が唱えたのは、太陽のごとく全てを照らす慈悲と、人々を幸福へと導く、仏の砕ける事なき智慧の持ち主。すなわち偉大なる真言密教の開祖・弘法大師空海を拝む真言である。
そして、かつてベロ長の魔力の根元たる舌に巨岩を置き、封じたとされる張本人こそ、弘法大師なのだ。
「密教なら俺の専門分野だ。そうと分かりゃ、こっちのもんだぜ」
南無大師遍照金剛!!
南無大師遍照金剛!!
真言を唱えながら、二人が一気に仕掛けた。
力ある術者から受ける真言の威力は絶大で、ベロ長はなす術なく鎚と杖に翻弄され、全身から青黒い体液を流して傷だらけになっていく。
「弘法大師様はテメェを封じたそうだが、俺はそこまで慈悲深くねえ!! 千年後でも復活できんように、完全にブチ殺す!!」
「同感だ、気が合うな入間さん!!」
依子が、今度は握りの両端に打撃用の無骨な重りをつけた武器を持つ。
密教の法具、金剛杵だ。
現代では装飾品としての意味合いが強く、角や尖端がまろやかで優美だが、もともとは愚痴妄想を打ち砕く知恵のシンボルであり、敵を砕破する武具である。
「「南無大師遍照金剛、喝!!」」
ドゴォ、と骨の砕ける音と手応えがした。
同時に繰り出された入間の鉄槌と、依子の金剛杵が、ベロ長の頭部を正確に捉えている。
「キュオオオ……」
頭蓋骨と脳ミソを破壊され、悪しき水妖は動きを止め、四肢と舌を力なく投げ出して倒れ伏した。
じゅわじゅわとその身体が溶け、大量の水となって流れ出し、跡形もなく消えていく。
ベロ長の取り込んだ水も、自然へと還っていくのだ。
「さて、後はうまくやってくれよ……」
敵の死を見届けた入間が、『まぼろし』の幹部たちが去っていった方向へと視線を送る。
これからが、本番だ。




