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あたしが大黒柱  作者: 七瀬渚
第3章/新婚生活はこんなんで
33/63

3.ゆっくり歩こう(☆)


 翌日は休みだった。

 青いカーテンが明け方の海みたいな色に染まっていく。朝焼けが訪れたばかりだとあたしは察した。


 同じベッドで眠る蓮は、時折身体を丸めて呻いている。

 心配になって顔を覗き込んでみると長い睫毛が少し光っていた。半開きの目は焦点が合ってなくて、夢現ゆめうつつって感じに見える。


「ごめ、なさ……」


 寝ぼけながらまたあの言葉を呟いた。どれだけ安心で包もうとしても、こうして度々怯えた様子を見せる蓮。あたしは切なくなって、こっちに背を向けている彼を一層強く抱き締めた。



 一緒に暮らし始めたばかりのとき、今後のお互いの役割について話したんだ。



――あたしが外で働いてる間、お前に家のことを任せる形になるな。あっ、でも全部完璧になんて考えなくてもいいぞ。ただお前も何か役割があった方が生活にメリハリが出るんじゃねーかと思ってよ。主夫、やってみるか?――


――ん……っ!――



 あのとき蓮は力強く頷いた。あれは確かに嬉しそうな様子だったと思う。


 だからこそ落ち込んでるんだろうな。一緒に生活してみて、調子のいいときと悪いときの両方を見てきたからもうわかるんだけど、実は蓮が食欲ないときの方が食費がかかるんだ。


 家にどれだけ食材があっても、調理する体力と気力がなければ生かせない。あたしもこの時期無理は出来ない。そうなると結局、惣菜や弁当に頼ることになる。

 半同棲時代はただあたしが差し入れしてるだけだったからな、そんなに気にならなかったんだけど、本格的に一緒に暮らすとなると話は別なんだと知った。


 蓮もこの事態を理解しているから尚更責任を感じてるんだと思うよ。約束を果たせてない自分は駄目な奴だ〜とか思っちまってるんだろう、多分。

 今朝は胃痛起こしてるっぽいし、このままだとまた自分を責める流れになりそうだ。それはなんとか阻止したい!



「蓮、もし具合が良くなったら気分転換に魚の餌を買いに行こうか。それが無理そうだったら魚の名前をまたあたしに教えて……はは、わりぃ、あたしもあんま気の利いた案は出せねぇな。趣味らしいモンがあまりないから……」


 聞こえてても聞こえてなくてもいい。そんなつもりで呟いてた。少し汗ばんだアッシュの髪を撫でながら、子守唄を唄う母親みたいに。


 そのとき。


「おっと?」


 彼の身体がくるりと転がりこちらを向いた。

 そしてぎゅっとしがみ付いてくる。



 蓮はただ一言、そばにいてと言った。




 参ったな。蓮は特に気の利いた案とか要らねぇのか。ただ傍にいてほしいのか。そんなにあたしと一緒が好きなのか。そーか、そーか。


「んふふ」


 萌える言葉に射抜かれてすっかり目が冴えちまったあたしは、ダイニングでロールパンに噛り付きながら一人でニヤついた。

 少量の牛乳と薬を飲んで再びベッドに横たわった蓮が起きてくるのはもうちょい後になるだろう。ここぞとばかりの妄想タイム。これもまぁ悪くない。


 早朝なのにギラギラと眩しい日差し。蓮は苦手だろうけどな、あたしは元々アウトドア派だったから正直どっか出かけたい気分だよ。洗濯済ませたらちょっと散歩でも行くかな〜なんて、考えていたとき。



 ガタン、ゴトン


 ゴウンゴウンゴウン



「!?」



 聞き覚えのある音にあたしは驚いて振り向いた。

 この音は……洗濯機? ってことはアイツ。



「おい、蓮! 大丈夫なのか? 無理しなくていいんだぞ」



 呼びかけた後にペタペタと足音が近付いてきた。

 廊下の陰から頰を染めた白ウサギがひょっこり顔を出す。


「葉月ちゃんと、お出かけ」


 すっかり安心しきったような顔。じんわり細めた円らな目の中に確かな光を見て、あたしはほっと胸を撫で下ろした。

 あたしのへったくそな子守唄もどきも案外効果があったのかなと思うと素直に嬉しかった。




 蓮はもう胃痛も治ったって言うから、一緒に洗濯物を干した後、あたしは身支度を始めた。


 顔はもちろん、身体の方も露出する部分は日焼け止めクリームを念入りに。結婚前はテキトーだったんだけど、今ではだいぶ気を使うようになった。


 さっきテレビにもちらっと映ってたんだけど、かつて蓮にとって最も身近だったのはあの二宮花鈴だぞ。外見であのレベルに勝てる訳……ねぇけどよ、少しでも綺麗な妻でいたいって、思うんだよ。ちくしょう照れくさいな。



 蓮はゆるっゆるの白いTシャツにストレートデニム、イヤーマフを装着という見慣れた装いに着替えた。

 最近知ったんだけど、黒とか色の濃い服を着たがらないのは身体の細さが強調されるかららしい。そこまで気にすることもないと思うんだけど、本人がコンプレックスならしょうがねぇな。


 あたしはボーダーのカットワンピースに綿素材のレギンス、革のポシェットを斜めにかけて足元もスニーカーでカジュアルに決めた。

 多少は蓮に影響されてんのかな。身体にストレスのかからない素材をよく選ぶようになったし、シルエットもリラックス感のある服が増えてきてる。

 こうやって夫婦は似ていくのかな〜なんて思うとちょっと頰が緩んでくる。



「お前まだ本調子じゃねぇだろうから、明るいうちに帰ってこよう。気分悪くなったらすぐ言えよ」


「んっ」


「昼メシは何が食いたい?」


「ん、ん……脂っこくない、もの」


「はは、そうだな。まぁ歩きながらゆっくり決めるか」



 こうして気軽なデートに出発だ。時刻は11時頃になった。

 蓮は自分の食べたいものを決めるのが苦手って知ってる。そもそも食欲が芳しくないんじゃ確かに難しいよな。だから訊きはしたけどあたしの中でもある程度の候補は挙げておくことにしたよ。



 最近見つけたんだけどな、オススメの場所。

 行きつけの美容室の近くに隠れ家的なカフェがあったんだ。


 メニューもオーガニック野菜を使ってるものが多かった。野菜たっぷりのサンドイッチとか蓮にちょうどいいかも。照明も強すぎない優しい色合いだったのも魅力だ。

 あたしがここにしようかと聞いてみると蓮はすんなりと付いてきた。


 ところが店内に入ってみると、あたしが来たときよりずっと混んでて、しかも女子会グループがわちゃわちゃやってた。

 あちゃー、まぁ誰も悪くないから仕方ないんだけど、来る時間をもうちょっと早くするか遅くするかしといた方が良かったかなぁと額に手を当てていたとき。



「お客様。カウンターにはなるんですけど、あちらの窓際のお席はどうでしょう?」


 あたしより少し年上くらいの女性店員さんが優しい笑顔で勧めてくれた。


 あたしは目を見張った。この間来たときには気付かなかった位置。大人数の席とは離れたレジカウンターの前を抜けて少し進んだところに観葉植物と水槽が置いてあるいい雰囲気の席があったんだ。


 こりゃラッキー!


 って思ったんだけど、いや違うなとすぐに思い直す。

 確かにタイミングの問題でもあるけど、この店員さんが何か察して気を利かせてくれたおかげだ。


「あのっ」


 席でメニューの説明をした後、すぐに立ち去ろうとした彼女を追いかけた。どうしても礼が言いたかった。


「ありがとうございます。ここなら落ち着いて過ごせそうです」


 すると振り向いた彼女は謙遜したように微笑んだ。それから小さな声であたしに言ったんだ。



「うちの娘もお連れ様と同じイヤーマフを使っているんです。お節介だったらすみません。ただ少しでも落ち着けるお席をと思いまして」



(そうか……)



 あたしの胸がすっと軽くなる。


 世間と共存していく為に工夫しながら生活している人が他にもいるんだ。少しずつ、でも確実に、理解は広まっていってるんだって実感を覚えて。



 蓮は食事を待っている間、水槽の金魚をずっと眺めていた。身体を小さく揺すって嬉しそう。だけどちょっぴり切なそう。失った自分の金魚と重ね合わせてるんだろうか。


 料理を運んで来てくれたのはさっきの女性店員さんだった。

 あたしが会釈したときに、隣でぴょこんと跳ね上がる気配がした。まるでウサギが耳を立てたみたいに。


「あっ、ありがとうございま……っ!」


 多分、あたしも彼女も同時に目を丸くした。


 蓮が顔を真っ赤に染めてうつむく。噛んだのが恥ずかしかったんだろうな。

 でも偉いぞ、お前。彼女の気遣いにちゃんと気付いて礼を言おうとしたんだろ?


 女性店員さんは嬉しそうに目を細め、ごゆっくりどうぞと言って席を離れた。

 蓮はまだもじもじしてる。ああ、もうマジ撫で回してやりてぇんだけど!



 カランカラン、と音が鳴って。


 女子会グループの楽しそうな声が遠のいていく。ちょうど店を出ようとしているんだろう。

 あの子たちとあたしたちは、同じ場所にいながらまるで別の世界にいるみたいだ。だけどそれが叶うって凄いことなのかも知れない。



 大丈夫。もっと生きやすい世の中にきっと変わっていく。そんな希望を見たようでじんわりと身体の芯が熱くなった。


 この後の買い物もマイペースでいい。休み休みでいい。

 あたしたちはあたしたちらしく、ゆっくり歩いていけばいいんだ。


挿絵(By みてみん)


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