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小さなハルバード  作者: ろっとん
第一章
4/4

落陽の王都4

***



 王都だったリブレーがただの地方都市に変わった翌日。


 街の北にある城の一室でロルフはうんうんと唸っていた。彼の目の前には一枚の紙きれ。そこには幾人かの人名が羅列されており、その上には彼らがグロス王国から離れて、他国への移住を希望する旨が文章的かつ遠回しに書かれていた。


「国外への逃亡を希望するものが十二名、か……うーむ、予想よりも多いな」


「同じ国の領主である者の首を目の前で落とされれば、忠誠を誓うにも誓えないでしょう。出来ればあれはしっかりと説明を行った後、然るべき首切り役人に任せて欲しいところでした」


「どうしても俺の手俺の剣で仇を取りたかったのだ」


 説明しただろう、とロルフは愚痴のように言う。その口調は臣下に説いているというよりはしつこい友人に呆れているような風に聞いて取れた。


 ロルフはそっぽを向くようにして口を尖らせる。


「遅かれ早かれ俺はあいつを殺していた。影で殺せば黒い噂が立つ。それよりも手っ取り早く皆の前で正々堂々と斬り合って殺せば、それなりに人々の信頼というものは得られる。そう考えたのだ」


「お気持ちは察して余りある程です。そして代案を思いつかぬ身で言えたことではありませんが、悪戯に人心を乱す結果になりました。それに、万が一だとしても王が怪我を負う可能性もありました。以後、お気を付けください」


「気を付けるよ」


 しかしだ、と呟きながらロルフは目の前の国外逃亡への許可を求める書類に署名をして許可を出してから脇にどける。それから次の書類を手に取り、そこに書かれている文字の多さに若干の眩暈を起こしたような気分になってぼやく。


「署名するだけにしてもこの数……多いな。多すぎるだろう」


 それでもロルフはまだ良い方だった。彼の前にも多くの報告書や要望を記した紙が重ねられているが、アルバートの机の上は比較にならない程の量の紙の山が積まれている。果たしていつ終わるのかというその紙の山から、アルバートは一枚手に取りながら律儀に王の愚痴に付き合う。


「国の上層が丸ごと仕事を休んで、現在王宮や離れで我が身を案じているのですから。彼らがやるべき仕事がここに紙として集まっているのです。それに我が軍の事も。兵士の寝食を確保するだけでも多くの協力を得る必要があるのです。そのためには宿を提供してくれる者、食糧を提供してくれる者等、協力者に対して後日代金を支払うための保証書が必要です。そういうわけです」


 アルバートは署名する手を休める事なくつらつらと喋っていた。手にも口にも澱みがない。


 対するロルフの手は止まっていた。その顔付きからはやる気といったものを全く感じらない。嫌いな食べ物を前にした子どものような態度で、目の前の紙と向かい合っていた。


 一瞬そちらに目を向けたアルバートが、付け加えるようにこう言う。


「これでも今、王都全体に降りかかっている問題のほんの一部です。まだまだ集まりますので、覚悟の程お願いします」


 それはロルフにとってはこれ以上ない嫌な知らせだった。信じられない事を聞いたようにロルフは目を丸めて驚く。


「上は変わったが中間は変わらないだろう。簡単な署名ならばそいつらでも出来るはずだ」


「テンシュテット国は事実上終わりを迎えました。となれば、この地を統治する者はグロス王となります。しかし、グロス王からはこの地を代理で統治する者が任命されていません。下にいる者達にどれほどの権限が残っているのか、それは市井の者達には分からないのです。なので現状においても権力を持つ者の署名というのは、現在かなりの力を持っております。そうでなければ信頼がありませんから」


「確かにな」


「となれば、大きな額や命のかかった取引においては最低でもグロス王国でもそれなりに信用のおける名前が必要となります。王の名前ともなれば相手も絶対の信用を持ってくれる事でしょう。そういうわけです」


 アルバートは喋っている間に一枚の紙を読み終わり、問題がない事が分かって署名した。そしてそれを脇に置いて次の紙に手を出す。


「それに市井の者も混乱が思いのほか大きく、惑う者や逃げ出そうとする者が出てきており、役人はそちらの鎮静化に追われております。彼らは足を使った仕事を、私達は手を使った仕事を。そういう事ですよ」


 ロルフは、先程までとはまた違った唸り声を上げた。表情を険しくさせて喉元を鳴らすようにして唸る。


「ううむ……そこまで民の混乱がひどいのか」


「土地に縛られている民は日々の生活があるために動けず、それが幸いしてまだましですが、他へ逃亡出来る手段を持つ者、例えば他の地にコネクションを持つ商人達等ですが、彼らはある事ない事を信じてこの街から逃げ出そうとしています。彼らに違法性はないため、役人達はそれを止める事は出来ません。しかし、そういった行動が表立てば、徒に他の者を混乱させる結果に繋がったりもします」


「少しの間、王都の出入りを封鎖するか?」


「それこそ悪い印象を与えてしまうでしょう。グロス軍は民を閉じ込めて何かをしようとしている、と。なまじグロス王国の統治下では新体制になるという事を広めてしまったが故に、民達は理解出来ずに無駄な混乱を招いてしまったというところでしょうか」


「しかし他の二国ではそこまで混乱していたか?」


「アクレイアでは民からの信頼も厚いリーマン将軍がこちらについた故に民心を得ることは造作もありませんでした。ヴァルディンゲンではまた宰相殿を始めとする文官がすぐに駆けつけてくれましたので、今我らが苦労している事を肩代わりしてくれていたのです。そしてテンシュテットはこの二国と比べても広く、豊かな国です。それだけ政治も複雑で難しいと言えましょう」


「……政治というのは、机上だけでは務まらんな」


 そうですね、とアルバートは同意した。グロス王国では軍事面の役職の将軍である彼がそう答えるのが、ロルフは少しおかしく思えた。アルバートに畑違いの仕事を押し付けているのは、他でもないロルフであるのだが。


「もちろん各方面に人を送って正常化させようとしていますが。しかし王の仰る通り、言うだけならば簡単でして、思うようにいっておらぬようです」


「ままならんな。しかし戦争とは違い政の方面は力を誇示して解決とはいかん。堅実にやっていくしかあるまい。せめて各々が最低限の仕事を全うしてくれればな」


「命令を受けねば働けぬという者が多いのです。まあ彼らも新体制に混乱している民と言えますので責めるのは少し可哀相だと言えますが。我々が早急に下部機関の統率者を任命して、その役割を公にしてやらねばなりません。しかし、それを行うには我々はあまりにもテンシュテットを知らなさすぎます」


「テンシュテットの事はテンシュテットの者に聞くに限る。しかし貴族共はまだ王宮にいる……三日は長すぎたな」


「どうでしょうか。あまり期限を短くし過ぎると、踏ん切りがつかず安易な逃げを選択する貴族も多いと思いますが」


 だな、と逃亡者の名前が書かれた紙を横目にロルフは頷いた。


「しかし、こんな量の政務を連日となると俺もお前も無理がたたるぞ。まさか紙切れに殺されたくはないだろう?」


「ふっ……そうですね」


 冗談にクスリと笑ってから、アルバートは「ではどうしましょう?」と質問を返した。


「ダニエル爺は来られんのか? 爺ならば現状を上手く纏められるだろう」


「宰相殿はいまだヴァルディンゲン州の内政にかかりきりで、かの地より動けません。あちらとて疎かにするわけにはいかぬのですから」


「意見を求めるだけならばよいだろう。聞きたい事を手紙にして送るのはどうだ?」


「それは良い提案です。しかし宰相殿もそれなりに忙しい身でしょう。これ以上負担を増やすのはあまり好ましくありませんのでここにある全てを投げ出すわけにもいきません。それに、向こうの事情を考慮せずに書類を送ったとして、届くまでに相当の、そして解決して答案を纏めてもらうのにも時間がかかります。その間に状況も動くことでしょう。なので、やはりこちらで対処できる分にはこちらの力だけで済ましてしまった方がいいと思います。どうしても対処しえない問題点だけは、纏めて送ってしまえばいいかと」


 アルバートの答えにロルフはいい顔をしなかった。


 紙の山を眺めて、彼はぽつりと漏らす。


「こちらの負担は……あまり減らなさそうだな」


「王に届く書類の内容については私達が事前に拝見し、可否を判断した上で陛下に回しております。それに重要でない書類には代わりの者に記名と押印をさせてあります。これだけで数もかなり減っているのです。王はただ事務作業を素早くこなして頂けると助かります」


「ほう、それでは俺の判断は必要ないと言うのか」


「そのように計らえと言われたのは国王陛下本人です。重要でないものを一々尋ねるなと仰ったことをお忘れですか?」


 すまし顔でアルバートがからかうような言葉をかけると、ロルフは顔を少し赤くして言葉に詰まっていた。


「……まあ、確かにそのような命令をしたな。忘れてなどいないぞ」


「そうですか。しかしご不満があるようでしたら撤回させましょうか? 王に手伝って頂けるのであれば私としても、先に書類を確かめる手間が省けますのでとても助かります」


「……」


 アルバートの席にある高く積みあがった紙を見て、そして自分の所にあるものと見比べて閉口してしまうロルフ。それを見てアルバートは深々と溜め息を吐く。


「ではせめてその卓上にある分だけはお早目に片付けて下さい。経済が回らなければ苦しむのは民だけでなく我らも同じなのですよ」


「分かった。分かったから小言はもう結構だ」


「ではそのように」


 書類の最後に署名をさっと書き、判を押して脇へとどける。たったそれだけの作業なのだが、それだけ故に何の面白味も感じないお役所仕事である。


 王としてやらねばならぬ仕事を放棄するほどロルフは自身の立場というものを理解していないわけでも軽んじているわけでもない。しかし、頭では分かっていても否が応でも筆を動かす速度は落ちていくのであった。


 最初に用意されていたものを片付けられたのはまだ日も高い頃だったが、追加に追加が重なり、それら全てに追われるうちにも時間は止まる事なく進んでいき、結局ロルフの卓上が片付いたのはすっかり外が暗くなってしまってからだった。


「肩が凝ったな」


「お疲れ様です」


 ロルフの方は一段落ついたものの、アルバートはまだ書類との格闘に追われていた。紙の山はまだまだ、尽きそうにない。


 ロルフが仕事の放棄しようとすれば遠回しに意地悪な言葉を投げかけ、休憩もほとんど取ることを良しとせずアルバートはロルフを政務に当たらせてきた。


 アルバートは腹心の部下であるとはいえ、ロルフにとっても臣下に使われているようで面白くもなかったのだが、アルバートも同じ時間仕事をしているというのにまだ終わりそうにない。どころか、ロルフが彼の手を焼いていた分長引いているとも言えた、


 それを見て流石にロルフも申し訳なさが胸にこみ上げてきた。このままでは過労で倒れてしまいかねない部下に向けて労いの言葉の一つもなしでは上に立つ者として失格ではないのかと思いロルフは口から謝罪の言葉を出した。


「すまんな、お前にこんな仕事を手伝わせてしまって」


「いえ……ただでさえ、従軍してきた者で政務に精通している者は少ないですから。文句を言えるような状況ではありません」


「お前がいて助かった。ヴァルターやゲルトには出来ない仕事だからな」


「ラーレンツ将軍は武一筋なお方ですが、リーマン将軍はかつて一地方の領主だったこともありますので政を全く知らない事はないでしょう。私よりも適役だったかと」


「そうだったな。そういえば奴はそうだった……ゲルトを地方に回したのは間違いだったか」


「その分私が働きますのでご心配なく。リーマン将軍がいなければ広大なテンシュテット各地を回るのに一月などという無茶な要求は通せなかったでしょう」


「それもそうだな」


 この会話の最中もアルバートは書類に目を通しているわけだが、一日中働いているアルバートの疲れは流石に限界に達してきている。目が疲れたのか眉間を指で揉んだり、こめかみを押さえたりという動作がかなりの頻度で間に挟まる事で作業は遅々として進まなくなっていた。


 紙はまだ山を築いており、今日中には終わらないだろうことを確信させるには十分だった。それでもアルバートはロルフに手伝ってもらうように頼むような真似などしないだろう。そしてロルフはそれをなんとかしてやりたいとは思う者の、一緒になって片付けてやろうとは思えなかった。


 少しアルバートの作業を眺めながら考え事に耽る。紙が擦れる音とペンが紙の上を走る音がやけに大きく聞こえる時間が流れた。


「……王宮へ行くか」


 ロルフはポツリと漏らす。するとすらすらと文字を書いていたアルバートの手がぴたりと止まった。


「同行いたしましょうか」


 腰を浮かしかけていたアルバートをロルフは手で制して止める。


「いや、良い。お前の手を煩わせるような事ではない。テンシュテット王に少し頼み事をしに、な」


「頼み事、ですか」


 アルバートは少し首を傾げる。


 今更ロルフがテンシュテット王に何を頼むつもりなのだろうか、そう考えているのだろう。


「俺の側で働いてもらう人材を少々な」


「はぁ……女中や侍従が足らないようでしたら私に回された者から少しは割くことが出来ますが」


「いや違う。使用人が足らないというわけではなくてな――そこまでお前に負担を掛けるとなると、もう少し政治に人手が欲しくなった。王の供回りともなれば政治に通ずる者もいよう。そうでなくとも王の側にいたという者ならば、誰がどの方面に能力を持っているか目が利き、顔が利く。そんな人材を回してもらおうと思ってな」


「素直に従うでしょうか。敵であった我々に」


「従わせる。今市井の者達が混乱の極みにあると伝えれば――家族のために自分の命を捧げる決断が出来るあの王のことだ、従うに違いないだろう。この後に及んで徒に民を苦しめる真似はせんのではないか。まあ、交渉として何か要求してくるかもしれんがな」


「……やはり私もついていった方が――」


「いらんと言っている。俺に任せろ」


 一度落ち着けた腰を再度浮かしかけたアルバートにロルフは鋭い口調で言う事で止めた。この心配性の部下の気遣いは今に始まったことではないのだが、少し度が過ぎていると思う事があった。心配してくれる事自体は嬉しいのだが、まるで自分がまだ一人では何も出来ない子どもであるかのように見られているのは気に入らなかった。


 とはいえ、確かに一人ではテンシュテット王国の征服という困難を達成出来なかったのもまた事実。多くの能臣が支えてくれていたからこそロルフはここまで来られたのだ。特にアルバートには大きな仕事から小さな仕事まで、実に多くの事を手伝ってもらっている。ロルフに言われていない事にも手を出す彼の細やかさには何度も助けられた。それ自体を否定する気にはなれなかった。


「お前はその目の前の仕事に専念しろ。そして無理をするなよ。お前に倒れられても困るのだからな」


「お心遣い、感謝します」


 ロルフは首を垂れるアルバートを尻目に部屋を出る。


 廊下は薄暗く、ランプの小さな灯りと窓から入ってくる仄かな月明かりが移動には手間取らない程度の光量を確保してくれていた。家女中が二人、部屋の外に備え付けられた椅子に座っていたが、出てきたロルフの顔を確認すると立ち上がった。


「一人、王宮に案内しろ。もう一人は待機だ。いや、中にいるアルバートに紅茶を出してやってくれ」


「かしこまりました」


 さっと前に出た一人が、ロルフを先導するように歩き出した。


 ロルフはその先導についていく。二人分の踵が静けさに包まれた廊下を俄かに賑やかした。




ついでに一章も修正しました

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