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第四章:蒼太と蓮

夜のアーケード街は、すでにシャッターを下ろした店が多く、ひっそりと薄暗かった。

 蒼太はポケットに両手を突っ込み、街灯の鈍い光を頼りに石畳を歩いていた。カフェ『刻』で遥と別れてから、ずいぶんと遠回りをしてしまった。

 この街に住んでいれば、嫌でも「風」を感じる。

 今もどこかで、誰かが一ヶ月に一度の権利を使い、後悔を白紙に戻した。そのたびに肌をなでる無機質な風が、蒼太にはたまらなく虚しく感じられた。

(……俺も、さっき使えば良かったんだろうか)

 カフェでの失言。遥の悲しげな顔。

 指先を少し動かすだけで、その記憶はこの世から消滅し、代わりに「正解の自分」がそこに座っていたはずだ。だが、蒼太はそれを選ばなかった。選べなかった。

 ふと、歩みを止めた。

 シャッター街の中で一軒だけ、オレンジ色の温かい明かりを漏らしている店があった。

れん時計店』。

 幼い頃からこの街に住む蒼太にとって、その看板は風景の一部だった。だが、今の自分には、壁一面の時計たちが刻む「逃げ場のない秒針の音」が、妙に救いのように思えた。

 カラン、と古びた真鍮のベルが鳴る。

「……時計の修理なら、明日にしな」

 奥の作業机から、しゃがれた声が飛んできた。

 店主の蓮が、右目にキズミ(ルーペ)を嵌めたまま、こちらを振り返りもせずに言った。

「あ、すみません。蓮さん、まだ起きてたんだ」

 蒼太が声をかけると、蓮はキズミを外し、ようやく椅子を回転させた。

「なんだ、蒼太か。こんな夜更けに、幽霊みたいなツラしてどうした」

「……幽霊って、ひどいな」

 蒼太は苦笑いしながら、手近な丸椅子に腰を下ろした。蓮はこの街の古株で、蒼太の親の代から知っている偏屈な職人だ。

 蓮は、作業机の上に置かれた古い懐中時計を見つめながら、ぽつりと呟いた。

「さっき、大きな風が吹いたな。駅前の方だ」

「……みたいですね。僕も感じました」

「お前さんは使わなかったのか。今月の一回分を」

 蓮の問いに、蒼太は視線を落とした。

「……使えませんでした。あんなことで使うのは、なんか違う気がして」

「『あんなこと』、か」

 蓮は鼻で笑い、分解された時計の歯車をピンセットで示した。

「いいか、蒼太。魔法で直した時間は、新品のメッキと同じだ。見た目は綺麗だが、中身の歯車は摩耗したままで動いちゃいねえ。お前さんが抱えてるその『気まずさ』こそが、今の時間を動かしてる本物の油だよ」

 蓮の言葉は、蒼太の胸のざわつきを不思議としずめていった。

 この街の住人でありながら、魔法を「メッキ」だと吐き捨てる老職人。彼と対峙していると、自分が選んだ「不格好な現在」が、少しだけ肯定されたような気がした。

「ほら、食え。ちょうど、うちの孫が裏でコロッケを温め直してるところだ。不器用な奴同士、分け合えばいい」

 その時だった。

「おじいちゃん、コロッケできたよー! ……あ」

 奥の居間の、あの継ぎ接ぎだらけの障子が開いた。

 お皿を持った遥が、そこに立っていた。

「……遥ちゃん?」

「蒼太、くん……?」

 魔法で消さなかったはずの二人の時間が、時計店という逃げ場のない場所で、再び重なり合った。

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