第七十一話 あの頂を目指せ
「なんか揉めてたけど大丈夫か?」
朝からペイトンに心配される。
何事もないと返事を返し、旅を再開するため御者台に乗り込む。すでにアルテシアやジーナは荷馬車のなかに乗っており、御者台にはロジがいた。
「よ、よろしくお願いします!」
「うん。こちらこそ」
初めて御者台に乗るロジは、緊張した面持ちで僕に挨拶する。特に気負うことなどないのにと、チラと荷馬車のなかを横目に見ると、そこには僕から目を逸らすアルテシアとジーナが。今朝のことで僕と顔をつき合わせることが気まずいのか、彼女たちが荷馬車での待機を選んだ結果、ロジ少年がその身代わりとなったのは明白だ。
高い位置から望む景色に興味深々のロジ。
その細い体は軽く、普通の馬車に乗っていたら、揺れと風によって、またたく間に馬車から飛ばされ落ちる可能性もあったが、幸いこの馬車には馬車使いが乗っているのだ。
よほど暴れたりしない限り、ロジに大事はない。そんな根拠もあって彼はここにいる。
ニコニコと笑うロジを見ながら、とても五歳差だと思えない父性本能を感じる僕。つい頭を撫でてしまいそうになるが、十一歳の彼には失礼だと思い自重する。ジーナなんかは気にせずに抱きしめたりしているが、あれは特別だ。
貴族の血を引いてるせいか、ロジは賢い。
知らないことはちゃんと知らないと言うし、基本的にしっかり者で、自分のすべきことは自発的に行い。周りに気を配ることも出来る。十一歳なら当たり前なのかもしれないが、つい「よくやったな。エライぞ」なんて言ってしまいそうになるのは、彼の見た目が年齢を遥かに下回る容姿だからだろう。
そんなロジが今朝の朝食を食べているとき、少し落ち込んでいるので何事かと尋ねると、妹がどこかでこんな風に、ご飯を食べることが出来なかったらどうしよう。それを考えると、自分が食べることは悪いことではないかと言う。もちろんそんなことはないと言い聞かせた。ジーナが思いきり抱きしめるというオマケ付きで。
彼には幸せになってもらいたい。
それに対し、僕らに出来ることがあるのだとすれば、積極的に手助けしたいと思う。彼を捨てた両親と暮らしたいと本人が望むなら、出来るだけ要望には応えたい。ただし相手がどう反応するかわからないが。
「もうすぐ山岳地帯ですね」
ふと物思いに耽っていると、ロジがそう教えてくれる。いつの間にか馬車は平原を抜けていたようだ。前方を見れば高い山々が連なっており、その中腹あたりを通る道がうっすらと見える。
「山頂まで登らないらしい。ほら。中腹に道が見えるだろう」
「はい。道がいくつかあるみたいですね」
ペイトンの説明では、これを越えるとあとは平原を進むだけだと言っていた。そこでようやく王都にたどり着くことが出来る。途中、砂盗賊やレイクサハギンなどのアクシデントもあったけれど、もうあと一日、山越えのあとに一泊するだけで、この旅もほぼ終了となる。
なんだか寂しい気もするが、出来れば安全な街中での生活が一番良い。ずっとフリーとして旅をする予定のペイトンはすごいなと思う。もちろん僕も旅立つときが来れば、覚悟するしかないんだけれど、今はゆっくり時間をかけて、この世界のことを知りたい。
そんなことを言ってると、またフラグ立ちますよ? と誰かに言われそうだけれど。
《おーい。もうすぐ山に入るけど、この山に山賊はいないから安心しろ。王都の警備隊が巡回しているからな》
「王都の? けっこう遠くまで巡回してるんだね」
《そりゃあ、お膝元って言う奴だな。向こう側の山の麓にまあまあ大きい街がひとつあるし、このルートは結構人気のルートだから、往来も多い。王都にとっても、ちゃんと治安維持をしないと、利益に繋がらないことになるからな》
「えっ! ペイトンさん街あるの? そこアタシ行きたい!」
荷馬車で大人しかったジーナが、街があると聞くなり声をあげる。この二泊のあいだ、しきりと街でご飯食べたいだの、やわらかいベッドで寝たいだのとうるさかったし、当然街と聞けばこうなることはわかっていた。
《あ~ジーナちゃん? 悪いけど、そいつはやめといたほうが良いぜ》
「えーなんで? 良いじゃん。どうせ山越えたら最後の宿泊でしょ? そこに泊まろうよ」
ペイトンが街への寄り道に難色を示す。
それに抗議するジーナに、彼はこうも話を続ける。
《いやさ。その街って実は、ペイルバイン側からの旅人相手に、結構ボッタくってるんだよね。俺たちの行程は森を抜けてるんでけっこう早いほうなんだけど、その他の奴らは実際、六日くらいかけてここを渡って来てるから、当然消耗も激しいんだ。あと少しで王都なんだけど、やっぱ最初に見えた街が一番魅力的に見えるんだろうな。大金払ってでも泊まりたいって客がわんさかいるらしい。そうなればあの街の連中はそういう奴ら向けに、値段を何倍にも釣り上げて儲けたいって気になるわな》
まるで年中正月料金のような話だ。
いくら需要があるからといって、何倍もの利益を上げるのはやり過ぎだと思う。幸い僕らはペイトンのおかげもあって、そこまで急を要する状況でもない。しいて言えば、ジーナがベッドと宿の食事を所望しているだけ。当然僕らの選択は寄り道せず普通に通過する。に決まった。
「うー。マジで残念だけど、ここは我慢する……ねーロジっち」
「あっ。ジーナさん。く、くすぐったいですっ!」
多数決の強さをちゃんと知っているジーナ。
彼女以外のメンバーが行かないと言っているのに、私だけが行くなどと、わがままを通さないところは、以前に比べて成長したのかも。
ただ、そのストレスのはけ口が、ロジというのが少しかわいそうだが。
《じゃあ、このまま中腹の山道を通って山越えしたあと、クーランノイエはスルーってことでいいな。最終泊はそのちょっと先になるし》
「クーランノイエ……了解。それで頼むよ、ペイトン」
クーランノイエとは、さきほどのぼったくり市街のことらしい。行く予定はなくなったが、街の名前を知れば、少しは興味が湧いてくるが人というもの。まあ、いつか時間があるときにでも寄ってみるか。泊まりはしないけど。
ペイトンとの通話が途絶え、しばらく山岳地帯へと続く道を進んで行く。すでに道なりにはここが谷だという証拠に、山々が沿うようにそびえ立つ環境へと変わっており、景色はガラリと一変している。ちなみにこの山岳地帯は王都へとたどり着くのに、一番の近道として指定されているが、基本的に馬車使いの操る馬車でしか通れない。もちろん徒歩でも行けるが、とても危険らしい。
その理由というのが、この山岳地帯で特に多いとされる落石にある。普通なら脱輪してもおかしくない無数の岩が、辺り一面に転がっている山道を、彼の操る二台の荷馬車が苦もなく進んで行く。実際には岩を踏んでいるのだけれど、スキルによって馬車にその振動が伝わっていない。
もう慣れたとはいえ、前方を走る先頭車両が、路面に散らばる、その小さくない岩を踏み越えていく様を見ながら、連結魔道具によって、同じ道をトレースして走る自分たちの馬車が、その岩を同じようにして踏むとき、とっさに身構えてしまうのは僕だけじゃないと思いたい。
山岳地帯の道幅は意外に広く、傾斜も緩やかだ。
ここから中腹までは、向かいから来る馬車ともすれ違えるほどの道幅らしいが、中腹で一度大きな広場があり、そこから細い道が三つに分かれている。
この山岳地帯を往来する者たちのルールとして、道は常に左側を通るのが基本で、三本の道のうち、真ん中は誰も通らない山頂へと続くなだらかに蛇行した一本道。王都側へ行くのに一番遠回りとなる道だ。
左側を通るルールに則り、僕らは残りの二本のうち、左を選択しないとイケない。右側に続く道は王都側から来る馬車が通る道になっている。
警備隊もそれに倣い、王都から左側を通ってペイルバイン側で一泊し、再び左側を通って王都側へと戻るのだ。
このまま中腹まで約半日。下りから最後の平原までが残りの半日。初めての遠征にしては上出来だとペイトンにも褒められ、少し気を良くしているが、ひとつだけ心配事がある。
忘れてはイケない。あの集団のことだ。
すでに今朝から準備はしていた。先頭を走るリサメイや黒狼族、ペイトンなどの意見も一致している。砂漠辺りから僕らをつける謎の集団が、もし僕らを襲うつもりなら、それはこの山岳地帯しかないと。
「ロジ。そろそろアルテシアかジーナと、交代してくれるかな」
「あっ、はい。わかりました」
念のため、ロジを荷馬車のなかへと戻す。
無言で僕に頷くジーナが、彼を迎え入れると共に、アルテシアが御者台へと上がって来る。
「ヨースケさん」
「ああ。ペイトンから五分以上、定期無線が入らなければ来てると思えって」
アルテシアもすでに警戒している。
ジーナから荷馬車で【警戒】の報告を受けたのだろう。すでに剣を構えながら周辺をじっと見ている。これは間違いなく奴らが近くにいる証拠だ。
じっと静かに耐える緊張感。
心拍数は今朝とは違う意味で高い。
得物を狙う奴らから、どうやって生き残るかを模索する時間とも言える、この背中に嫌な汗をかく瞬間を、僕は今、初めて味わっている。
もうすぐ中腹だ。
もし広場に入ることが出来たら、そこで迎え撃つという計画を僕らは立てていた。しかし謎の集団は未だ僕らを襲う気はなく、二台の馬車は何事もなく中腹に設けられた、馬車の車輪交換などを目的として利用される広場にたどり着く。
静かな広場に人の気配はしない。
岩ばかりの景色が山頂まで続くなか、数分ほどこの広場をぐるりと周回しながら、奴らの出方を待っていたが、一向にその気配を見せることもなく時間だけが過ぎる。やがて業を煮やしたのか、突然周回をやめたペイトンが、中腹から伸びる左通路へと方向を変え、そのまま突き進んで行く。
《すまん。奴らを迎え撃つために、ここで待っていたんだけど、あまりここで待つだけに時間を取られたくなかったんだ》
「うん。ここはペイトンに任せるよ」
中腹の左通路を走り始めたころ、魔道具からペイトンの弁解が聞こえた。一番この道のことを知る彼の選択に、僕らが口を挟むことはないと思い、そのまま彼の選択を受け入れる。
「ペイトンさんが居てくれて助かったね。お兄さん」
「ああ。ホントに――」
荷馬車から顔を覗かせたジーナが、そんな言葉を僕に投げかける。まったくその通りだと、僕が返事を返そうとしたとき、荷馬車の角度が急に斜めへと変動した。
「な、なんだ!?」
「わかりません。急に先頭車両が崖道を登り始めました」
突然の進路変更。
先頭車両が突然方向を変え、斜面を登り始めたせいで、僕らはあっけにとられてしまう。普通ならこんなことはあり得ないのだけれど、地形無効スキルのおかげか、僕らは馬車から振り落とされることもなく、山頂へと続く道へと合流しようとしていた。
「ペイトン! なにかあったのか!」
魔道具からペイトンに呼びかける。
しばらく沈黙が続き、やがて魔道具から彼の声が聞こえた。
《くそっ! あいつら左通路を破壊してやがった! このまま山頂に進むしかない》
「「「えっ!?」」」
ペイトンの報告に一同声を揃えて驚く。
僕とアルテシアは、あわてて斜面を走る御者台から、件の左通路を見下ろす。
とっさとは言え、この斜面を走る馬車が方向転換を余儀なくされたぐらいだ。どれだけの規模の破壊がなされていたのかと気になったのだ。
しかし、僕らの眼下に見える場所に、左通路と思われる道は存在しなかった。
「ひ、左通路ってどこ? まったく道がないじゃないか……」
「ど、どんな方法でこれを……」
唖然とする僕とアルテシア。
そこはすでに剣山のように岩が切り立つ斜面と化し、そのまま谷底まで続いていた。それを遥か先まで同じ状態を維持したまま、まるで最初から道などなかったかのような光景だった。
「敵は普通じゃありません。ヨースケさんは私から離れないで!」
「う、うん。ロ、ロジもジーナから離れるんじゃないぞ」
「お兄さん、ロジっちは任せて!」
「は、はいっ!」
全身から一気に汗が噴き出る。
得体の知れない何者かが、ただ武器を運んでいるだけの僕らを、こんな大掛かりな方法で包囲し始めているのだ。僕は静かに僕の腕を掴んだままのアルテシアを見つめる。
「アルテシア。最初に言っとくよ。この先なにかあったとき、僕を優先するばかりではダメだ。一番困ってる人を守ってやって!」
「ヨースケさん……それはさすがに……」
じっと僕の目を見つめかえすアルテシア。
以前僕が言った言葉とは、まったく真逆のことを、僕は彼女に命令しているのだ。僕の真意を読み取ろうとするアルテシアに、黙って首を横に振った。
「もうふたりだけじゃないんだ。ここには守るべき人たちがたくさんいる。以前の僕の甘さでは、誰も救えやしないって悟ったんだ。だから僕もこれからはリスクを背負う。そしてキミも僕と言う負担を、少しは頭から外してくれないか」
「ヨースケさん……」
僕の腕を掴むアルテシアの手からチカラが伝わる。その手の上に僕の手を重ね、もう一度彼女に言葉を投げかける。
「アルテシア。みんなで生き残ろう!」
そうアルテシアの瞳に訴えかけた。
そこには僕が映っている。自分の顔を見つめながら、彼女の瞳を同時に見ているような気になり、僕は思った。これは僕の決意と彼女の決心が重なったのだと。
そんな僕の思いと同期したのか、
決意と決心の光を宿しながら、アルテシアが囁く。
「はい。私が全力でみんなを守ります」
そう言って彼女は微笑んだ。
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