□4-4 報復
「さっきの人が戻ってきて刺して逃げたんだ。急だよね」
「クロイワ? 一人で?」
「ひとり。『一応報復しとく』って。私も間に合わなかった」
カギリは人だかりを見回しながら言った。わずかな人だかりの中にクロイワやマリアの姿は当然なかった。クロイワは、マリアを拐ってから舞い戻ってきたのだろうか。
ハルトがトマリを車に連れ出そうとすると、カギリもトマリへ肩を貸した。
「報復、ね……」
呼吸が荒かった。トマリを社内の運転席のすぐ後ろの席に座らせ、カギリもその隣へ座った。車の後部ではケンゴが「なにが起きてんだよ」と呟いていたが無視した。
ハルトは運転席に乗り込んでエンジンをかける。ハンドルを握ると、手が妙に震えていることに気付いた。
「病院は最寄りでいいですか? いや、救急車のほうが早い、か……?」
「僕は元気だから救急車は迷惑だ。……だけど行くなら、救急対応が得意なところにする。少し走るけど処置は早い。知り合いも、いる……」
病院名を聞き、ハルトはすぐにナビを設定した。当初の目的地のシブヤ寄りに位置している。少し走れば着く。ハルトは窓を明け、「病院いくからどいて!」と野次馬へ促した。
「処置が早いつっても、オーナーは病院に置いてきますからね。包丁刺さってんですよ」
「これくらいなら大丈夫」
「大丈夫なわけないでしょ」
「それよりキルカさんを連れ帰る」
「いや、だから……!」
どう考えてもそういう問題ではない。ハルトは深呼吸し、運転に意識を向けた。
トマリが刺された理由がなにかしらあったとして、しかし強い殺意がある様子ではないとハルトは考えた。クロイワは『ポータル』を扱っている。どんな使い方なのか詳細は不明だが、人間にもっと深手を負わせるのは簡単のはずだ。
カギリがそばに居たからすぐに逃げたか、トマリに致命傷を負わせた場合の、カギリからの報復を警戒しているのかもしれない。
しかし……。
ハルトの心臓が早鐘を打ち始める。
次いで、呼吸がわずかに荒くなる。
「……あの。オーナー」
「なにかな」
トマリの声に張りはない。
「病院に着くまで少しあるんで。この際色々訊いてもいいですか」
信号で車を止めると車内が静かになった。そのままスマートフォンのメモを頭の中で整理し、いくつかのキーワードを思い返していく。
現在起きている出来事は、情報が少ないと明らかに行動が出遅れる。トマリのような速さで物事を把握するためには、考えを切らせてはいけない。
しかしそれでもトマリはポータルをもつクロイワには刺され、カギリの魔法はクロイワを捉えられていない。考えるだけではまだ少し足りないのかもしれない。
もっと情報が必要だと感じていた。知らないことを噛み砕くのにも時間がかかる。事が起こる度に、それに足を取られている場合ではない。
未だ知らないことが無数にある中で、『知れたのに知らなかった』事態は避けたかった。
そして現状を考える。
トマリがもつ情報を引き出すには、トマリが疲弊している今しかない。
はぐらかされては、前に進まない。
「この状況をただ受け流すのも無理になってきた。オーナーもサクライも、クロイワにしてもクズリにしても、これじゃ俺っつーか俺達は、ただ巻き込まれてるだけだ」
トマリの返事はなく、彼の浅い呼吸だけが聴こえた。
「……」
ハルトは腹をくくった。
「訊いてもオーナーは何も言わないってんなら、この車は病院に着かないかもしれない」
「っ……、なかなか、面白いことを言う」
トマリが呟くと、カギリはくすくすと笑った。
「ハルト君に殺されたくなかったら観念しろってことだね」
少しの間トマリは黙ったが、すぐに口から息を吸った。
「……まぁ、いいよ。僕も気が紛れそうだ。正直にいうと、さすがに刺されるのは想定外で、参ってる」
「それなら、まず」
クロイワの言葉に嘘がないとすれば、『一応報復』という言葉にも気にかかることがあった。
「オーナー、マリアさんに治験の紹介してますよね」
トマリの呼吸が一瞬止まった。
治験については、盗聴して知った内容だ。
「身体から魔素をなくす薬の治験。その目的は色々あるんでしょうけど……、オーナーが紹介したのは、マリアさんだけじゃないでしょ」
浅く息を吐く音が聴こえる。
「俺やマリアさんが入る前のバイトの人達とか。キルカからも、よくわかんないけどすぐ辞めてたって話は聞いてる。その人達……魔人がその特性をなくしたり、行方がわからなくなってるってのも知ってる。それに多分……もっと前から、この街ではそういうことが起きてんですよね?」
ルームミラーを見ると、カギリは無表情でハルトをじっと見ていた。
「オーナーがその件に関わってるから、クロイワに刺されたんじゃないんですか。報復ってのも、クロイワの関係者がオーナーの治験に関わってるのを知ってるからじゃ? なんならそいつらを『処理』してるって話だって聞こえてきてる」
トマリはカギリをちらりと見た。
「オーナーが本当はなにやってんのか教えてください。俺が知ってる話からすれば、オーナーだってまともには見えない」
トマリは鼻で笑った。同時に、刺された痛みなのか苦しそうに呻いた。
「まともじゃないのは、多分そうだ」
カギリはトマリを見た。
「言っておくけど……マリアさんにはまともな治験を紹介してる。国が主導で進めている、僕の研究室時代の繋がりで手伝っている仕事で、『体内の魔素の発生を抑える薬』と、『体内から魔素を排出する薬』の検証実験を行っているんだ。マリアさんは前者の被験者で、副作用のリスクが低いことは既にわかっている」
「後者は?」
「長期的に薬を服用すれば、身体中のあちこちに魔素由来の血栓が出来やすくなって、最悪の場合は死に至る」
「……クロイワの報復ってのは、その関係ですか」
「そういうことかな。治験の間は外部と連絡を取らせないようにしているし、いまも入院し続けている魔人もいる。治験が終わっても体質の変化が認められる魔人が居るのも事実。『店のオーナーに誘われて治験をする』と漏らしているなら、ろくに連絡が付かなくなったときに、僕を疑うのは自然かな」
「国が、そんなのやらせてるんですね」
「魔人との共生が汎人社会の課題になるなかで、国にもそれなりの考えはあるってこと。それでも手が足りないから、民間にも一部を委託しているんだ。急進的な顧客も多いし……それらを『急がせるため』、求める結果に向けて、なにが必要なのかは想像がつくだろう」
治験を急がせるためなら、すなわち数の問題ということになる。そしてトマリは、マリアに対しては副作用の大きい治験を促しているわけではないとあえて明言するのなら、彼は副作用が起きるリスクが高い薬については、『副作用が起きてもいい魔人』を選んで声をかけているということだ。
「オーナーが声をかけた奴らは、そういう実験の犠牲になってもいい魔人ってことですか」
「ろくでもない魔人がどうなろうと知ったことじゃないだろう」
同意書だって書いているんだ、と悪びれもせずに呟いた。
「それにしたって……客と揉めるとかちゃんと仕事しないとかキルカを口説こうとするとか。そんな程度で死ぬ危険のあるモルモットにするってのもどうかしてる」
「もちろんその程度なら見過ごすよ」
弁解のようにも聴こえる言い方だった。
「僕は基本的に、店に入る人間については多少調べるようにしてる。特に魔人であるなら尚更ね」
「…………」
自分についても調べているのだろう。ハルトはフロントガラス越しの赤信号を睨む。
「例えば君は汎人で。さっき色々と話した内容も、僕が調べていた情報との相違は少なかった。マリアさんも調べた通りの出自であることはわかっていたから、大きな警戒はしていなかった」
「その前のバイトは違ったってことですか」
ああ、とトマリは呟いた。
「彼らは、キルカさんを監視する役割を与えられていた魔人だ」
「キルカを、監視……」
「直接話していくと支離滅裂になって、すぐにおかしなことを言い出すから、ろくに準備もしていない連中だったんだろう」
嫌に思い当たる節がある気がした。ハルトは運転しながらハンドルから片手を離し、手汗を服で拭いた。
「……それに、所詮は金で雇われた魔人だ。もっと楽に多くの金を貰える治験に案内するのは簡単だ。彼らに監視を指示した人間も、金払いが悪いようだったからね」
それを聞いて、ハルトにもようやく話の筋が見えた気がした。
クロイワはサクライと同じ組の出身。キルカが連れていかれた時の動画の女もサクライの名前を口にしているのだから、サクライがこの件に絡んでいるのは明らかだ。
「魔人たちにキルカの監視をさせていたのはサクライで、オーナーは、サクライが送り込んできた魔人を追い出してたってことですか」
トマリの呼吸が少し荒くなる。
「全員がそうだという確証はなかったけれど、僕はその筋だと思ってる。まあどこから来たにしても、使えない魔人を雇い続ける必要はない。僕は店のオーナーだ」
「酷い言い草……」
そしてハルトはそこまで聞き、昨日今日の出来事の繋がりが見えた気がした。
「ってことは……。絡んでるのがサクライだとして、キルカを監視してても今日みたいな行動に出てこなかったのは、あの指輪がなかったからですかね」
「指輪?」
「マリアさんが付けていたっていう指輪です。魔素を抑えるだとかで、今日の朝にはもう付けていなかった。キルカがあっさり連れていかれたのは、昨日、奴らがマリアさんを捕まえたときにそれを奪って、キルカに指輪を付けられたんじゃ? というかそうじゃなきゃ、クズリがキルカに喧嘩を売るとは思えない」
「……あぁ、そうか」
トマリが息を呑み、後部座席のシートに座り直す音が聴こえた。
「僕も失念していた。マリアさんのあれは『魔女の天秤』の片割れ。……そうだ……馬鹿か、僕は……」
得心した様子ながら、段々トマリの声に力がなくなっている。トマリの頭は下がっていて、ミラー越しのハルトからは見えなかった。
「『天秤』? ……っていうかカギリさん、オーナー大丈夫ですか? 声がヤバいです」
カギリはトマリの身体を支えながら、スーツのジャケットをめくった。
「うーん。私のツルで縛ってるんだけど、止血がうまくいってないかなー」
「それならもう、無理して話も……」
トマリの荒く深い呼吸が聴こえた。
「いいや。たぶんもう、僕はまともに動けない」
「……そ、ですか」
どういう意味かと一気に思考して、ハルトには脂汗が浮いた。
「巻き込んで悪いけど……今は、ハイジマ君にキルカさんのこと、お願いさせてほしい」
細い声色だった。
彼自身、なにかを悟ったのかもしれない。
「仮に相手が軍隊でも、カギリがいればどうにかはなる。都合、細かいことは君にも判断してもらいたいけれど……とにかく、キルカさんの対応については二人で動いてもらいたい」
「オーナーもカギリさんもすみません。マジでそのつもりでした。オーナーは病院の付き添いナシでお願いします」
間に合っているからいい、とトマリは笑った。カギリも頷く。
「……『天秤』があるなら尚更だ。サクライの目的はキルカさん自身とその力で間違いない。そして本気でサクライが彼女を連れていくのなら、多分行き先は海外……隣の『シン国』になる」
トマリは振り絞るように呟いている。
「隣の国すか」
シン国は、ヨシノとの話でも名前は挙がっていた。
「サクライの資金が少なくなっているとしたら、キルカさんをそっちに売り渡すか、サクライ自身もそのまま身売りして高跳びでもするんだろう。今回の行動を起こすための算段がついてこうなっているなら、高跳びの可能性が高い、かな……」
大方の話は理解し、ハルトは頭の整理がついてきた。
「『シン国』には、キルカを欲しがる理由があるんですね」
おそらくある、とトマリは呟いた。
「彼女の父親が、ヴァルク・ヴァルカンさんだから」
ここまでだいたい整理できていたつもりだったが、全然聞いたことのない名前を言われてしまった。
「ヴァルク・ヴァルカンさん?」
ハルトの頭に疑問符が浮かぶ。
「ヴァルクさんは……六年前の『首都高崩落事件』で、サミットに来て移動中だった米国大統領を護ったんだ」
キルカに聞いた話とは少し違っている。
「……前にキルカと飲んだとき、お父さんはただ巻き込まれたって。キルカが遊園地行きたいって、せがんだから」
「いいや。実際は全く違う」
ルームミラーを見ると、カギリは瞳を閉じている。
「彼は公安が使っている民間の特殊警護会社『サンジェルマン』……簡単にいえば、魔人のシークレットサービス業者の第一線で働いていた」
なんだそれは。ハルトは頭の整理に集中した。
「そういう業者……、魔人と協力するだなんてのは国や警察の沽券に関わるから、一般には秘匿されるし、本人にも守秘義務があって、原則家族にもその詳細が知らされることはない」
「ってことは、キルカは」
「その日も。その会社の警護業務で、警察と協働して米国大統領の護衛の任を受けて動いていた」
思わず唾液を飲んだ。『警護会社』で『守秘義務』となると、同じ単語を聞いたことがある。
「それってもしかして……カギリさんが前に居たところですか?」
「そうみたい」
カギリは頷いた。
けれど少しだけ遠慮がちな顔をしている気がした。
時系列を考えると、彼女にはおそらくその記憶がないためだろうか。
「ハイジマ君の言うとおり、キルカさんの父親とカギリは上司と部下の関係だった。……特に二人は、あのときの僕にとっても……ごほっ!」
言いながら、トマリは突然噎せ返った。
ハルトの背中で、液体が跳ねる音がした。




