□2-1 朝帰りの日
朝焼けに照らされる都心のビル街は寒く、ハイジマ・ハルトは薄手のアウターを着てきたことを後悔していた。
二〇歳になった祝いということでシンジュクの飲み屋街であるプラチナム街に連れ出されていたはずだったが、気付けば独りだった。
経緯はさっぱりわからない。長々と飲酒してきたはずなのに、どんな店でどれくらいの量を飲み、何時に店を出て、現在どこを歩いているのかも怪しかった。
昨夜の記憶で憶えているのは、こじんまりとしたスナックにいたこと。バースデーソングと共に花火の刺さったローストした七面鳥が目の前に置かれたことくらい。
そこからの記憶はほとんどない。強いていえば『みんなおっさんだからメシはお前が全部食え』と同行者に言われたことだけは覚えている。初めて飲む多種多様な酒と共に食べさせられたメシは美味しかった気がするが、いまの胃袋には何もない。
道端に落ちている新鮮な吐瀉物やゴミを尻目に、それが自分のものでないことを祈った。
しばらくアスファルトの上を歩いていると、徐々に見覚えのあるシンジュク駅周辺のデカいビルや看板、広告のひろがる景色の片鱗が見えてきた。体内のアルコールも抜け始めてきているような気がして顔をあげる。シンジュク駅東口はまだ始発の時間帯ではないけれど、平日の早朝から駅に向かう歩行者はまばらに見受けられる。
「お? めちゃくちゃかわいー子いるじゃん!」
ハルトの歩く前方で、やたら背の高い男二人組が歩いていた。
身長はおそらく二メートルほど。一人は青い髪で、一人は緑色の髪。どちらも青いデニムジャケットを着た服装。ニホン語を話しているがおそらく異国の魔人だった。それぞれ頭に赤く硬そうなツノが一本生えている、シンジュクではわりとよく見るヤカラである。
頭にツノの生えた『ツノ系(とハルトは呼んでいる)』の魔人は、魔人の割に徒党を組んでつるむ傾向がある。童話『鬼ヶ島』の元ネタの集団もそうやってできたのだと、ハルトは勝手な偏見で決めつけている。
男たちは酔っ払った様子で、駅方面に歩いている女性を眺めていた。ハルトも同じ方向に歩いており、否が応でも視界に入った。
男たちは大股で女性に近づいていく。女性は黒髪ウェーブのロングヘアに白いキャップを被り、紫色のフード付きの上着を着て、作業着のような緑色のカーゴパンツのポケットに手を突っ込んで歩いている。真っ黒な髪は艶があり、歩くたびにそれが揺れていた。
「ねぇ。明日の始発まで飲も!」
一時間後には始発だ。酔った頭でもしっかりわかる程度には明快に迷惑。ハルトはため息をつく。
女性は男達を完全に無視して歩いているが、男達は離れない。
「のも!」「喉渇いたよね!」
ハルト自身、それほど正義感の強い人間ではない自覚はあった。
しかし女一人に男二人とは。
酔った頭に不快感を感じつつ、男達に向けて若干歩くのを早めた。
「……お? 止まってくれた!」
男達が声をあげる。女性が立ち止まって彼らに向いている。
横顔が見えた。目鼻立ちははっきりしていて、どんな表情をしているのかもわかった。
「朝からうっさいな……」
凛とした声でキレている。数メートル離れているハルトにも聴こえ、第三者ながらひやりとした感覚になり、歩くスピードを緩めた。
「機嫌悪い!? じゃあ飲んでストレス発散しよ!」「のみいこ! なんなら美人さんだしいい転職先も紹介できるよー!」
男達は怯む様子はないので、たぶんこのままトラブルになる。
ハルトが一一〇番くらいはしようかとスマートフォンを取り出していると、青髪の男から短い悲鳴が聴こえた。
「ぅわっ! ちょちょちょ! 力つよっ!」
女のほうが青い髪の男の胸倉をつかんでいる。
「いっつも朝から女に声掛けてんの?」
「まぁまぁそうだね! ライフワークだから!」
あっそ。と女は言った。
「……あたしさっきさぁ。時間微妙だったし、なつかしいホラー映画シリーズが格安でオールナイト上映やるっていうから観てきたわけ」
「えっ? あ、はい……」
女は男の服の首元と鳩尾あたりを握り直した。身長は男に対して小さく、大人と子供くらいの差があるが、男は膝を折って、かなり強く服を引っ張られているようであった。
「でも海外の映画だから? シリーズの後半には、もーモンスターみたいな悪者が出てきてどんどん力技みたいになってくの。それで主人公がパニクって騒いでんの観てると、なんかちょっと冷めてきちゃうんだよね。それクリーチャーじゃん、って。物理で悪さされたら困るに決まってんじゃん、って」
わからなくはないが何を言いたいのだろう。ハルトは知らぬ存ぜぬ風の顔で、スマートフォンを手元に出したまま、彼らに巻き込まれないように静かに歩いた。
「しかもあんだけ触れるなら……力で対処できちゃうなら……そんなん怖がる必要ねーじゃんって――あたしは、思っちゃうから!」
「ちょっと! ちょっと待って待って――!」
風を切る音と共に瓶類が弾けて割れ、ビールケースが地面に転がった。
女は力任せに青髪の男を振り回し、その勢いで電柱の脇にあったゴミ捨て場のゴミ袋の山へ男をぶち込んでいた。
男が三メートルは軽々と宙を舞っていた衝撃的な光景を見たハルトは立ちすくんだ。
「バケモンみてえな方だ……! ジェニー! 無事か!?」
まだ投げられていない黄色の髪の男は狼狽している。
今の女のそれは明らかに常人の膂力ではない。男達も魔人なら、女も魔人。早朝のシンジュクを女ひとりで歩けるのには理由があったということだ。
彼女だけで彼らの対処は間に合っている。ハルトはスマートフォンをポケットに仕舞い、揉めている彼らの脇を抜けるよう、そそくさと歩き出した。
「あんたもそこの後ろのヤツも! 朝からガタガタうるせーんだよ!」
「えっ?」
ハルトに振り返ってきた黄色男と目が合った。彼は混乱した様子で、おそらくハルトも似た表情をしていた。
当然全員が初対面だった。
「いやオレら、後ろの人は知らな――ぐぇっ!」
女は慌てる黄色男の胸に飛び蹴りをした。黄色男はハルトに背中を向けたまま吹っ飛んできた。
ハルトは背中から飛んでくる二メートルほどの男の身体を受け止められるわけもなく、飛んできた黄色の男と一緒に、狭い道の電柱の懐にあったゴミ袋の山に突っ込んだ。
全身を軽く打った感触があり、身体が痛んだ。
「特に後ろの! あたしにスマホむけんな!」
撮られたと思っていたらしい。ハルトは生臭い匂いを感じながら、ゴミ袋の山から転がり出た。
「ちがっ……ちげーよ! 俺はこの人らと関係ない! ただ、もし揉めるんなら警察呼ぼうと!」
女は大股で歩いて、ツノ系の二人を放置してハルトの目の前に立った。
「あいつら魔人のトラブルは無視するよ。警察なんて、ぜんぜん役に立たない」
ハルトは見下ろしてくる視線に冷たさを感じたが、反論の一つでもするべきだと睨み返した。
「……役に立たないってことは、ないだろ」
どれほど役に立つと言えるのかは確証はない。
すると女はめんどくさそうに髪をかきあげた。
「まーいいや。かえる。あんたもついてきたらぶっ飛ばす」
謝る様子もないことにハルトは少し文句を言いたくなったが、この都会ではもう一生会わない可能性のほうが高い。下手に煽って殴られるリスクを取る必要もない。
女は背中を向けて歩き出した。ハルトはやれやれといった面持ちで、アルコールの残った重い身体で立ち上がる。
ツノ系の魔人二人はいまだ呻いており、まだ彼女によるダメージが大きい様子である。
シンジュクの深夜や早朝にゴミ捨て場で寝ている連中が生まれるのを、ハルトは今まさに見たのかもしれなかった。
「あ」
女は突然ハルトに振り返った。無表情であったが、凛とした声と同じく、整った顔つきがよく見えた。
「……ほんとに関係ないんだったら。わざわざ警察呼んだって巻き込まれるだけだし、こーいうこと、あんまり首突っ込まないほうがいいよ」
彼女は男を投げ飛ばしたとは思えない華奢な細い指でハルトを指してきた。
紫色の大きな双眸と目が合う。
「説教かよ」
「そー。このまち、あんたみたいに弱い人には、なんにもできないとこだから」
高めの声だ。笑っているのか呆れているのか、はたまた無表情がそういう造形なのか。
形容しがたい顔をしたその女の顔を、たぶんしばらく忘れない。
それは客観的にその容姿が優れていたからでも、身体を痛めつけられたからでもない。
魔人に弱者扱いされるのは、どうにも受け入れられなかった。




