第25話(最終話):永遠のメンテナンス 〜管理者の朝〜
神の設計図に「赤入れ」を行い、世界の理が再構築されてから、どれほどの月日が流れただろうか。
銀河は今、かつてない静謐と活気に包まれていた。ワープゲートが空を繋ぎ、銀河鉄道が星々を巡り、月の魔力がすべての家庭に無償で届けられる。アレンが夢見た「完璧なインフラ社会」は、もはや空気や水と同じように、そこにあるのが当たり前の風景となっていた。
かつて新王都と呼ばれた都市は、今や銀河の首都として、数千の種族が共生する巨大なエコシステムへと進化を遂げている。
「アレン様、また勝手に抜け出して……。今日は銀河連合の設立十周年記念式典ですよ。あなたの『銀河建設総裁』としての演説を、数千億の民が待っているんです」
新王都の片隅、古いレンガ造りの建物の前で、リディが呆れたように腰に手を当てて立っていた。
そこは、華やかな中央官庁街から遠く離れた、下町の路地裏。アレンが最初にこの街を作った時、最初に整備した区画の一つだった。
アレンは、泥のついた作業着を身に纏い、古びた魔導ポンプの継ぎ目をレンチで締め直していた。
「リディ。演説ならホログラムの録画で十分だ。それよりも見てくれ。このポンプのパッキン、もう限界だったぞ。神が物理法則を書き換えてから、水の粘性がわずかに変わった。……現場を疎かにして、何が銀河の平和だ」
アレンは顔の油を拭い、満足げに立ち上がった。
神との交渉を経て、世界は「不確実性」を手に入れた。人々は決められた運命を歩むのではなく、自らの意志で道を選び、新しい技術を生み出し、時にはアレンの設計図にはない奇妙な建物を建て始めた。
それはアレンにとって、何よりの喜びだった。インフラとは、その上で人々が自由に、そして「想定外に」踊るための舞台であるべきだからだ。
「がっはっは! 総裁閣下が路地裏で修理屋家業かよ。相変わらずだな、アレン様」
通りの向こうから、白髪の混じった髭を揺らしながらバルカスが歩いてきた。彼の肩には、長年使い込んだ魔導ドリルが担がれている。
「バルカス。月面の第十七ドームのひび割れ、補修は終わったのか?」
「ああ。あそこは新種のクリスタル生命体が勝手に増殖しちまってな。だが、奴らの排泄物が最高のコンクリート強化剤になることが分かった。……怪我の功名ってやつだ。これであのドームは、あと五百年はメンテナンスフリーだぜ」
三人は、並んで路地裏のベンチに腰を下ろした。
空を見上げれば、バベル・タワーが天高く伸び、その周囲を無数の飛空艇が光の粒となって流れている。かつては魔物と荒野しかなかったこの辺境が、今や宇宙の交差点となっている。
「アレン様。……時々、怖くなることがあります。あなたは神様を論破して、死や悲劇を遠ざけました。でも、もしこの完璧な世界が、いつかまた壊れてしまったら?」
リディの問いに、アレンは穏やかに首を振った。
「リディ。世界が壊れないようにするのは神様の仕事じゃない。……住んでいる俺たちの仕事だ。インフラは放っておけば朽ちる。社会も放っておけば腐る。だからこそ、毎日点検し、油を差し、古くなった部品を交換し続ける。……それが『永遠のメンテナンス』だ」
アレンのこだわり。それは「完成」をゴールにしないこと。
彼にとって、世界を救うことと、近所の壊れた蛇口を直すことは、地続きの同じ業務だった。
「私は、支配者になりたかったわけじゃない。……ただ、誰もが安心して眠れて、朝起きたら蛇口から水が出て、予定通りに電車が来る。そんな、当たり前の『昨日と同じ今日』が続く世界を、自分の手で保守し続けたかっただけなんだ」
遠くで正午を知らせる魔導時計の鐘が鳴り響いた。
アレンは工具箱を閉じると、ゆっくりと立ち上がった。
彼の前には、整備された道路がどこまでも続いている。その先には、彼が愛し、彼を愛した領民たちが、それぞれの人生を懸命に歩んでいる。
「さあ、仕事に戻ろう。……次の現場は、新大陸の海底トンネルの照明交換だったな」
「……はい、アレン様。どこまでも、お供いたします」
「がっはっは! 俺のドリルが火を噴くぜ!」
三人の背中が、新王都の明るい光の中に溶け込んでいく。
アレン・フォン・グラード。
かつて追放された無能な辺境伯。
そして、前世の記憶を武器に、神の設計図に赤を入れ、銀河の礎を築いた不世出のエンジニア。
彼の物語は、ここで一旦の区切りを迎える。
だが、銀河が回り続け、人々が暮らし続ける限り、彼のメンテナンスの朝は、永遠に終わることはない。
なぜなら、完璧な設計図よりも、毎日欠かさず油を差すレンチの一振りこそが、世界を支えているのだから。
(完)
最後まで読んでいただきありがとうございました。明日からは「無駄美人と放課後の境界線」が始まります。




