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第2話 最大最悪の『賭け』

 佐藤太一、20歳。


 同年代の若者たちが煌びやかなキャンパスライフを送っているなか、俺は満員電車に押し込まれ、自分と同じ冴えないサラリーマンの温もりと臭いを全身に感じながら会社へ向かう日々を送っている。


 残業は当然の義務で、月の残業時間は100時間を超えることも珍しくない。

 過労死寸前の体でぎりぎりタスクをこなすが、

 そんな状態では当然良いものは生まれない。

 しかも、必死に捻り出した成果は上司の手柄になるだけだ。


 高校2年生の途中から、諸事情で学校に通えなくなったこともあり‥‥‥いや、そんな事情がなくても、人付き合いが苦手な俺に、友人と呼べる人はいない。

 当然、恋人なんて遥か彼方の存在だ。


 そんな俺でもただ1人、母親とだけは腹を割って話すことができたが、そんな母親も()()()()()()してしまった。

 母子家庭かつ一人息子だった俺には、母親以外に家族と呼べる人はいない。


 母親を失った時、俺は本当の意味で孤独になった。


 家に帰って1人になった時、どうしようもなく叫びたくなることがあるが、小心者の俺は、近所迷惑になるからと必死に正気を保って声を押し殺す。


 過労と孤独が、真綿で首を絞めるように、じわじわと体と心を蝕んでいく。


 気がつけば俺の現実リアルは、半額シールが無造作に貼られた惣菜弁当と、デスクに積み上がったコーヒーの空き缶、そして、つかの間の休息に襲ってくる孤独を紛らわせるための別世界の物語アニメ・マンガ・ラノベで埋め尽くされていた。


 何か特別なものを望むでもなく、ただ「今日も早く終われ」と祈るように毎日をやり過ごす―――そんな、どうしようもなく冴えない『社会の歯車』だった俺に、ある日突然、『異世界』が与えられた。


 正確には、『俺を含めた全人類に』だが。


 元々、現実世界に絶望していた俺にとって、この状況は、本来であれば願ってもない奇跡なのだろう。

 だから、ほんの少しだけ、期待してしまった。


 神様はどうしようもないほど無慈悲な存在だってことくらい、とっくの昔に気づいていたはずなのに。



==========



「さぁ、こうべをたれ、ひれ伏し、ゆるしをえ」


 魔王がそう口にした瞬間、

 信じられないほどの重圧が全身にかかった。


 身体中から『みしみし』ときしむ音がする。

 俺はなすすべなく地面に倒れ、

 強制的に平伏させられる。


「アアァァァアァァァァァァッ!!!」


 プレス機で潰されるような痛みが少しでも紛れるように、俺は声を張り上げて叫んだ。


「ふむ、実に心揺さぶる叫声きょうせいだ。

 この場所に閉じ込められてから、

 久しく聞いていない甘美な音色。

 さぁ、もっと叫べ、余を満足させろ」


 重圧はさらに強くなっていく。


「イタイイタイイタイイタイッ!

 死にたくない、死にたくない!」


 どれくらい叫んだのだろうか?

 数分?数時間?

 時間を気にしていられるほどの余裕はなかった。


「よし、楽にせよ」


 魔王はひとしきり満足したのか、

 俺にかけていた重圧を解いた。


「ハァ、ハァ、ハァ!

 なんなんだよ、この状況!

 なんでいきなり、魔王の目の前―――むぐ!?」


「騒ぐな。

 貴様が上げてよいのは絶叫だけだ」


 口が開かない。

 見えない糸で唇を縫い付けられたように。


(落ち着け、落ち着け、落ち着け!

 このままだと、俺は絶対殺される!

 状況を整理し、生き残る道を見つけろ!)


 呼吸を落ち着けながら、必死に状況を整理する。


 未だ信じられないほど不幸なことに、

 俺は魔王が鎮座する玉座の間に転移してしまった。

 最終試練に出てくるラスボスの目の前に。


 左右に並び立つ燭台が神殿内を薄暗く照らす。

 湿った石床に、古びた祭具の影が落ちている。


 玉座に座るのは、全長10メートルを超える怪物。

 しかも、ただのドラゴンや鬼ではない。


 奈良の興福寺にある阿修羅像あしゅらぞうと、西洋ファンタジーに出てくる赤竜を混ぜ合わせたような、和と西洋が混じり合った吐き気を催す異形の存在。


 そんな怪物が、玉座から俺を見下ろしている。

 竜の頭蓋骨とうがいこつに埋め込まれた、6つの眼球で。


 今、自分が生きていられるのは、

 こいつの気まぐれでしかない。


(冷静になれ!

 気まぐれでもなんでもいい!

 生きることだけに集中しろ!)


「ほう、意外にも落ち着くのが早いな。

 壊れた人形のように踊り狂う様をもう少し見ていたかったが、これはこれで期待が持てる」


 必死に正気を保つ俺を見て、

 魔王は感心したようにうなづき、続けて言う。


「すでに理解していると思うが、

 かの神は人類を無理やりこの世界へ送り込んだ。

 余を殺すためだけに。


 実に無慈悲だと思わんか?

 全人類が強制転移されてからまだ1時間も経っていないが、外の世界ではすでに1割以上の人間が命を落としている。

 赤子や老人、病人が突然この世界に放り出されて、生きていけるはずがない。 


 魔王である余の方が、よほど慈悲深い」


―――チャリン。


「そう、余は、慈悲深い。

 故に、貴様に生きるチャンスをやる」


 ―――金貨?


 暗い天井から、金色に輝く硬貨が落ちてきた。

 俺はビビリながらも、それを拾い上げる。


 500円玉くらいの大きさをした、

 なんの変哲もない金貨。

 表に十字架、裏に髑髏どくろが描かれている。


「ルールはシンプルなほど良い。

 貴様の命は、『コイントス』に委ねることにした。

 1回でも表が出れば、貴様の勝ち。

 気の済むまでコインを投げろ。

 当然、不正は赦さない」


(そ、そんなことでいいのか?)


 気が済むまでコインを投げていいのなら、いつかは絶対に表が出る。

 どう考えてもこちらが有利。

 拍子抜けもいいとこだ。


(いや、待て。

 魔王がそんな簡単な賭けを持ち出すはずがない。

 絶対に何かあるはずだ)


「‥‥‥1つだけ、確認させていただけますか。

 このコインは、何の細工も施されていないただのコイン、という理解でよろしいでしょうか。

 つまり、確率は2分の1。

 表が出る可能性は、等しく存在しますよね?」


 いつの間にか喋れるようになっていたので、

 気を損ねないよう言葉に注意しながら質問する。

 営業マンのように。


「不正が赦されないのは、余も同じこと。

 それは正真正銘、ただのコインだ」


 不正はしていないと、怪物は堂々と言い放つ。

 正直まだ何か裏がありそうだが、一旦、納得した。


 手のひらに乗せた、1枚のコイン。

 こんなものに自分の命を賭けなければならないなんて、正気の沙汰じゃない。


(大丈夫、大丈夫、大丈夫‥‥‥。

 絶対に、いつかは表が出る)


 ()()()()()()()()()、震える手でコインを投げた。


 燭台の光を乱反射しながら、

 くるくると、

 コインが宙を舞う。


―――チャリン。


 身体中から嫌な汗がにじみ出る。


 コインは、『裏』だった。


(まだだ、まだだ、まだ大丈夫!

 次は必ず、表が出る!)


 そう言い聞かせて、コインに手を伸ばす。

 この時初めて、俺はこの賭けの正体に気がついた。


(え?)


 伸ばした右手についていた小指が完全に消失し、

 色あざやかな鮮血が滴り落ちる。

 

「『裏』だ、右手の小指をもらう」


―――死の賭け(デスゲーム)が始まった。

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