初めての共同作業
「いつまでそうしているつもりだ……」
「ずっとです! わたくし、この手を一生洗いません!」
「洗ってくれ」
わたくしたちは無事に朝を迎えた。
ウルリク様の言っていた通り、日が昇るとはっきりと明るさが変わる。夜中に薄明るかったのは、火山の影響だというのは本当らしい。
……それにしてもウルリク様の手、逞しい男性の手だったわ。
オークにしては細い方なのだろうけれど、あのマティアス王子殿下の細い手に比べれば、格好良くて強い男性の手だわ……。
互いの同意のためにした握手であっても、好きな方の手を握った事実は変わらない。
「……お前がおかしいのに慣れないとな……」
「慣れる?」
「なんでもない。行くぞ」
「はい!」
地元の住民が案内人になるというだけで、この依頼の難易度が随分と下がる。
当初の計画では火山のふもとまで走り、あとはただひたすら走って火口までたどり着くという、令嬢らしからぬ作戦だった。
ウルリク様は安全かつ最速のルートを教えてくださり、戦闘も最小限に抑えて下さった。
素晴らしい魔力の持ち主であると同時に、なんて紳士な方なんでしょう。大切な〝家族〟を殺されて、人間に対して良い感情を持っていないはずなのに。
――あぁ、ますます惹かれてしまう。
「あれを越えれば、火口だ」
「そのようですね。暑さが増しています」
「……大丈夫か」
「え!? え、ええ。ご覧の通り、魔力を全身に纏っていますからっ!」
まさか心配の一言が飛んでくるとは思わず、わたくしは頑張って取り繕っていたものが剥がれ落ちるところだった。
何度も醜態を見せているものの、依頼をこなす手前、冷静でありたい。
なのに恋心というものは、わたくしが今まで訓練したり学んできた泰然たる態度を、一瞬のうちに崩してしまう。
まさかこんな気持ちになっていたから、元婚約者の愚か者はあんなにも頭が悪かったのでしょうか。
このヘルディナ、新たに学びを得ましたわ。
「そうか。令嬢の魔力であれば、この程度の暑さは問題ないか」
「うっ、うぐぅ……」
流石はあの魔力を持つお方。わたくしの際限がない膨大な魔力を見抜いていらした。あの聖女ですら気付けなかったというのに。
オーク族はこの素晴らしいお方を手放したこと、一生恨むと良いわ。
そしてありがとう、手放してくれて。わたくしと出会えたのですから。
わたくしとウルリク様は、ついに火口を見下ろせる場所まで辿り着く。直接見れば、より一層その熱気が伝わってくる。
煙が漂い、マグマが見えている。まるで釜――それも地獄のような燃え盛る釜だ。
魔力で体を保護しているから無事だが、普通の人間であれば山に登っている時点で、熱さに耐えきれず死んでいただろう。
ウルリク様も耐えている様子からして、巧みな魔力操作で自身を保護しているのだ。ここまでの道のりの手際からして、よく来ていらっしゃったのかもしれない。
そしてふつふつと沸くマグマや溶岩の中心には、漆黒の塊が転がっている。亀の甲羅のようなゴツゴツとしたそれこそが、目的のドラゴンだろう。
「あれがドラゴンだ。この火山に適応して、姿が変わっている」
「亀のようですわね」
「ああ。あれは正確には鱗らしい。炎にも耐えうる貴重な素材だ。勿論、攻撃全般にな」
――それはそれは。楽しそうなお話ですわ!
ウルリク様のお言葉は、わたくしの〝戦闘面のプライド〟が刺激されたようなものだ。
さもわたくしが、弱いように聞こえた。あれだけ貴方の攻撃を受けて、わたくしの魔力に気付いて――まだわたくしの実力を疑うというのか。
わたくしはその場を蹴って、火口へと飛び降りた。後方ではウルリク様の制止の声が聞こえたが、聞こえないふりをした。
着地に備えて、両足に多めに魔力を振り分ける。着地の衝撃と、火口に流れるマグマに耐えるため。
魔法が使えないわたくしは、風の魔法などで華麗に着地することなんて出来ない。足場があれば何度か勢いを殺せるだろうけれど。
ここは暑いから、速戦即決。
ダンッと令嬢らしからぬ着地で、わたくしは無事にドラゴンの背に着地した。
ここまでやってくれば、亀ではなくドラゴンだと分かる。矮小な人間風情が背中に乗れば、ドラゴンも腹を立てた。
気持ちよく眠っていたらしく、その苛立ちは想像以上だ。
ドラゴンは立ち上がると、背中の〝ゴミ〟を払おうと激しく動き出した。わたくしはその揺れを利用して、頭部まで駆け上る。
地の利はあちらにある以上、長引くのはよくない。まずは〝静かに〟していただかないとね。
「少し大人しく――なさってッ!」
握りしめた拳で、後頭部に一撃。ここにも炎から体を守るための鱗があるが、それがなんというのだろう。
教会の鐘の音のような大きな音が、至近距離で響いた。耳が聞こえなくなるのではないかというほどの轟音だ。
ドラゴンは暫く、ぐらぐらと頭を揺らしてから、そのまま倒れた。あの程度で死ぬとは思えないため、失神だろう。
しかし気絶しただけのドラゴンを運ぶわけにはいかない。途中で起きたら、それこそ大惨事。
きちんとここで仕留めてから素材を持って帰らないと。
「すごいな」
「ウルリク様!」
「こいつが伸びているところは初めて見る」
「まあ」
ふわふわと優雅に降り立ったウルリク様。魔法の使い方がお洒落で素敵です。
野蛮なわたくしとは大違いね。
ウルリク様は本当に珍しいものを見ているらしく、興味津々なご様子だ。こんな無邪気なウルリク様を見られたのだから、野蛮なわたくしもちょっとは良いところがあるのかも。
「殺すのだろう。一人で行けそうか」
「少々難しいですわ。本気を出せば問題ないかもしれませんが、〝保護膜〟がなくなるかもしれません」
「俺が強化魔法を与えようか」
「え!?」
この驚きは、ウルリク様が強化魔法を扱えるという意味の驚きではない。
わたくしに、それを、してくださるのかということ。
彼の壮絶な人生をお聞きしたけれど、まだ出会って数日と経過していない。強化していただけるほど、わたくしは信用に値する女ということなのかしら。
それと同時に、これは――初めての共同作業というやつではなくって!?
「い、いいいいい、いや、いやいやいや、そ、そそ、それは恐れ多いと言いますか!」
「では俺に倒れたお前を連れ帰れと?」
「うぅ……」
今この火口に立てているのは、魔力による膜を維持できているから。
本気を出して魔力をひねり出せば、膜を維持する分まで不安定になるだろう。そうすればわたくしが倒れる――最悪死亡するのは可能性が高い。
ウルリク様の言う通り、倒れたわたくしを上まで運ぶのは、今ここにいるウルリク様だ。
放置しないのですね、という嬉しさもありながら、意識のないわたくしを上まで運ばせる申し訳無さが勝る。
「………………強化を、お願い致します……」
「随分と考えたな……。まあいい、行くぞ」
ウルリク様がわたくしに手をかざすと、風のような爽やかな力が流れ込んでくる。同時に体の中を巡る魔力が、鋭く研ぎ澄まされる感覚。
純良な魔力で行った強化魔法というものは、ここまでなのか――そう思わせた。
今までもわたくしに強化をしてくれた方は多くいた。ギルドにも在籍する高い能力を持った魔法使いだって、ウルリク様の力には足元にも及ばないだろう。
恋心があるせいでそう強く思い込んでいるのかもしれないが、明らかにこれは、比にならないほど強い。
「有難う御座います。念の為、離れて頂けますか?」
「分かった」
この状態で放つ打撃が、どれほどの威力を有するのかわからない。いつもならば制御もできるのだが、自分でも抑えきれないほどの強い力が内側に湧いている。
どうにもそれを放つのが楽しみでならないのだ。
ウルリク様が魔法で上昇し、先程見下ろしていた位置まで戻る。それを確認すると、わたくしは行動に移った。
いつもならば足にも魔力を込めて、踏み込む力さえも利用するのだが、この感じだと不要そうだ。
右手に魔力を集中させれば、草原の風が通り抜けるかのように自然に移動をする。
わたくしはドラゴンの頭部に左手を添えた。
「……ふぅ」
いつもの力では地形を破壊しかねないのは、なんとなく予測はできる。だから必要最小限の動きで、確実に仕留める。
拳に力を込めて、トンと一突き。軽く小突くような加減で。
……。……特に何もなさそうね。
――と、安心したのも束の間。一拍置いて、爆発音が火口内部に響いた。衝撃はドラゴンの全体を揺らし、体を抜けて火口の壁面へと直撃する。勢いを殺しきれなかった壁はそのまま崩壊し、火山がひどく見晴らしの良い山へと変わってしまった。
わたくしの目の前にあった壁は、きれいさっぱりなくなってしまったのだ。
青い空に、火山地帯を囲む巨大な崖、遠くには微かに王城が見えた。
「あ、あはは……」
あぁ、愛しのウルリク様。貴方の強化は素晴らしいですけれど、時と場合を選ぶようですわ。




