困った庭師
夕方屋敷へ戻り、久しぶりにのんびりとした夕食の最中、モダルが会わせたい者がいるとやせ細った少年を連れてきた。ボロをまとい、ボサボサの頭をした少年は、老人に言われるがまま頭を下げた。いかにも貧民街で捨て置かれ、辛うじて育ったと言うような風貌の少年は、ミゲルと名乗った。
「一人で庭仕事をするには、わしも歳をとりました。この子を手伝いに雇おうと思うのですが、お許し願えますでしょうか?」
「別に構わない」
だが、少し用心した方がいい。
「俺がどんなやつか知っていて雇われるのか?」
「はい。知ってます。首切り役人のゾルバ様です」
「ほう、街の人間は恐れて近寄らないのに、お前は平気なのか?」
「平気です。働かないと飯も食えない。腹減って寒くて死ぬのは嫌です」
嘘はついてなさそうだ。
ただ、街で育った割には言葉遣いができている。
「スラム訛りがないな」
「元はフルールデシャンから来ました。叔父を頼ってきたんですが、今は死んで一人です」
「それは残念だったな」
俺は会話の途中に小さなナイフを投げた。
ミゲルはビクッと身体を震わせて硬直する。何でそんな事されたのか分からないと言った様子で俺を見つめた。袖が浅く切り裂かれている。
「だ、旦那さま!?」
驚きと恐怖で固まっているミゲルを気遣い、モダルが俺に講義の声を上げる。
「すまん。少しテストした」
もし、何者かが俺に差し向けた者なら、この程度は避けると思ったのだ。だがこれで尻尾を出さないとなると、かなりの手練ということになる。俺はゆっくりと席を立ち、壁に刺さったナイフを抜いた。
しかし、まぁ。
この少年なら大丈夫そうだ。
硬直したまま、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして俺を見上げているようすは……なかなか面白い。
「モダル。メルダに頼んで何かちゃんとした服を着せてやれ」
*
ふと、気配で目が覚めた。
夕食後、自室のソファーでブランデーを舐めていた俺はウトウトしていたらしい。薄暗い部屋の背後で、足音を忍ばせ近づいて来る者がいる。
俺は素早く立ち上がると、椅子をそいつへぶつけるように蹴り――大きな悲鳴が上がった――部屋の隅へ立てかけてあるバルハードを手に振り返る。そこには、毛布を手にしたミゲルが椅子の下敷きになってもがいていた。
大きな悲鳴にモダルが駆けつけてくる。
「旦那様! どうされました!?」
床にへたりこんで泣いているミゲルと、戦斧を構える俺とを交互にみて、モダルが目を丸くしている。
「何してんだいミゲル!? 何でお前が旦那様の部屋に!?」
「あ、俺。さっき旦那様にナイフを投げられたから。何か悪い事しちまったんじゃないかと思って、考えたんだけど分からなくて。それで聞きに来たんだけど疲れて寝ちまってるみたいだし。でも、椅子で寝てるからそのまんまじゃ風邪ひくなって思って。俺の叔父さんは酒呑みで、飲んだくれて道で寝て風邪をこじらせて死んだから。それで毛布を被せた方がいいと思って。俺はどうしていつも何かする度に怒られちまうんだろう?」
モダルの顔をみて安心したのか、関を切ったように喋り出す。
眠りの浅いせいか、部屋に近づかれれば大抵は気が付く。それなのに、俺はミゲルに部屋を覗かれたのに気づかなかったのか?
「足音が聞こえなかった」
思わず零れたつぶやきに、ミゲルがこちらを見る。
「あぁ。俺、足音しないんです。親父も叔父さんも酒呑みで、酔っ払うと俺を殴るんで、気づかれないようにしているうちに癖になったんです」
手にした毛布を口元押し付け、上目遣いに恐々俺を見上げる。
「俺、クビですか?」
「ノックをしろ」
「はい?」
「部屋に入る時はノックだ! いいな?」
「はい! ノックします! ちゃんと今度はそうします!」
毛布をぎゅっと握りしめ、何度も大きく頷く。
俺はバルハードを部屋の隅に戻しながら、モダルにミゲルを連れていくように言った。ついでに屋敷での暮らしについて教えてやるようにも言った。
老人は苦笑いを浮かべながら少年を立たせると、椅子を直して部屋を出ていった。
ドアの向こうでまだ微かに声がする。
『あ、何回ノックするのか聞くの忘れた!』
『2回でいいんだ。酒場の合図じゃないんだぞ』
『そうなんですか?』
『それに、旦那様にいちいち確認しないでも。わしに聞いたら良かっただろうに』
『旦那様の気持ちをどうしておっちゃんが分かるんです?』
『分かるさ。何となくな』
『うーん。旦那様の気持ちは旦那様にしか分からないと思うんですけどねぇ』
*
厳かな懺悔室には似合わない明るい笑い声が響いていた。
俺は声が外に漏れやしないかと心配しているというのに、笑い声を発している当の本人は、止められずに苦しんでいるらしい。
俯いたり口を塞いだりしながら肩を揺らしている。
これもすべてミゲルのせいだ。
『朝ごはんは皆で食べる』とモダルに言われたミゲルは、早朝盛大にドアをノックしながら俺を叩き起した。ミゲルの思う『皆』には俺も含まれていたらしい。奴は足音ばかりか気配もないらしい。久し振りに言葉通り叩き起された。
モダルに叱られながら『一緒に食べたいかどうか本人に聞かなきゃ分からないじゃないですか』と頬を膨らましていた。
その後、ミゲルは俺の後ろをついて歩き、ことある事に質問を重ねた。いい加減うんざりして『どうして何でも確かめなければ気が済まないのか?』と、聞くと。『言葉にしなくちゃ分からないこともあるんです』と言い返された。
俺はミゲルの親父殿や叔父が、どうして彼を殴ったのか何となく理解出来た気がする。モダルが青い顔で謝りながら小僧を引っ張って去った為、俺は開放されたのだが。
俺の恐ろしいと言われる容姿も仕事も奴には関係ないようだ。それは有り難い。家のものにまで怖がられる必要は無いのだ。だが、多少の距離は欲しい。今までにこれ程距離を詰めてきた奴がいなかったので、正直居心地が悪い。
悪いヤツではない。それは分かる。分かるのだが。
帰ってからまた小僧に追い回されるのかと思うと溜息が出た。
それをマリー・アンに聞き咎められたのだ。
「退屈ですか?」
悲しそうな顔をされ、思わず溜め息の理由を話してしまったのだ。ミゲルのせいで説明癖がついたらしい。
それで今、マリー・アンは笑い死にしそうになっている。
もしこれで彼女が窒息でもしたら、死刑執行人に笑い死にさせられた囚人の世にも珍しい実例として記録されることだろう。
「もういい、頼むから治まってくれないか」
「ごめんなさい。……でも、可笑しくて……」
「分かった。好きなだけ笑え」
もうどうにでもなれ。俺は椅子の背もたれに背を預け、状況を放置することにした。お姫様の笑いの止め方なんぞ知るものか!
だが、マリー・アンが笑っているのは悪くないと思う。この点だけ言うなら、彼女を笑わせたミゲルを褒めてやってもいい。
彼女は顔を薄桃色に染め、これ以上ない笑顔を浮かべていた。その笑顔につられ、頬がゆるんだ。