境界線にて
あれから2日が経った。
その間マリー・アンは、俺が賞金稼ぎを切り捨てたことについて一切触れて来なかった。
ショックを受けたようだから、避けられても仕方ないと思った。だが、そのようなことは無く、今まで通りの関係が続いていた。心の整理がつかないのか、そこだけやんわりと避けているようだ。
話で触れない以上、彼女がどう受け止めているのかは謎だ。さりとて、この後その事を責められたとしても、同じ状況になれば俺はまた迷わず斧を振るうだろう。
守ってやりたかった。
俺の独りよがりだとは思う。けれど、そうしたかった。
渓谷沿いに目的の場所を探す。
舟でも渡れるがそれは賢明ではない。以前漁村で舟を頼もうとして、先回りされるという苦い経験をした。
点在する漁村は関所ほど通達が回るのは早くは無い。それを見越し、役人の肩書きを盾に舟を出してもらおうと、その時は考えたのだ。だが、舟を出せる奴を探して足止めを食らっているうちに追っ手に追いつかれた。
これは後で知ったことだが、村の人間は関所から人を渡すなとクギを刺されているらしい。黙って渡したことがバレれば罪になる。そのため、高い報酬を約束しても受ける者はほとんどいない。
皆、ヴァンフォーゲンを恐れていた。
遠い昔、俺がもう少し賢かったらと悔やまれる。今更どうにもならないが。
俺がゼベスペワールから出て既に数日経っている。屋敷に人が押し入った時点で、俺がマリー・アンを匿ったことはヴァンフォーゲンにバレていたのだろう。多分もう、命令書は効力をなくしていると考えた方がいい。
今はただ、領地の境界線を越え、マリー・アンの生まれ故郷に入ることだけを目指そう。そこは奴の領地ではないので、表立って捉えに来たりはしないはずだ。ヴァンフォーゲンからすれば面倒なことになるだろう。囚人を逃がしたことを知られることになるし、俺や逃亡者の引渡しの交渉を余儀なくされるのだから。境界線を越えられたくはないはずだ。その分警戒も強いはず。注意を払いながら進むべきだろう。
ひとつだけ宛があった。
そこは逃亡者を追っている時にたまたま見つけたのだが、大岩にたくさんの流木が絡まった場所を見つけたのだ。大水の際、上流から流れてきた木が岩にせき止められてできたのだろう。上手く行けば渡れるかもしれない。
「あれを渡るのですか!?」
「ゆっくり渡れば大丈夫だ」
天然の拒馬のような流木の壁、白く泡立つ奔流を見下ろしてマリー・アンは足を踏み出すことをためらう。
「階段を登るようなものだ。俺が先に行くから同じところを踏めば崩れることは無い」
俺が最初の丸太に足をかけると、お姫様は意を決したように差し出された俺の手を取った。足場が不安定に揺れたり、耳障りに軋む音を立てる度に彼女は立ちすくんだ。怖がっている暇などない。この状況で見つかれば、相当困ったことになる。だが、彼女が足を踏み外しては元も子もないので俺は辛抱強く導いた。
俺が踏みしめた流木の枝が折れたのを見て、彼女は落とすまいと俺の手にしがみついた。折れた枝がカラカラと乾いた音を立てて落ち、流れに呑まれていく。
「もし今度、俺が滑ったら手を離すんだ」
「そんなこと出来る分けないでしょう!」
「俺は自分を救えるが、2人は無理だ。アンタが躊躇うとそれだけ危険になる。いいな?」
「でも、ゾルバさんが落っこちたらどうするんですか!?」
「その時はアンタが助かる。二人落ちるよりはマシだ」
「本気で言ってるのですか!?」
「それが嫌なら、しっかりついて来い」
『気は確か?』と、怒りだしそうなマリー・アンへ落ちつくように言う。だが、彼女の怒りの表情が変わることは無かった。だが怒りは彼女に勇気を与えたようで、オドオドしなくなり、あとは黙々と俺について川を渡りきった。
「言っておきますけれど!」
先程まで青ざめて震えていたとは思えないようすで、息を切らしながらマリー・アンは怒りを爆発させる。
「貴方はもっとご自分を大切にするべきだわ!」
「大丈夫だ。あの程度でヘマをしたりしない」
「そうだとしても、自分は落ちてもいいみたいな言い方なさらないで!」
らしくも無く怒り続ける彼女に少し面食らってしまった。
確かに、優しいお姫様には少し意地悪な言い方だったかもしれない。だが、一緒に落ちてどうする? それに、しゃがみこんで立ち往生されるよりは、怒らせてでも動いてもらった方がいい。そう思ったのだが。
怒りを吐き出して少し落ち着いてきたらしい。
ところが今度は震えだした。なんと泣き出したではないか!
ころころと変わる情緒に、こちらが不安になる。
「どうした!? 大丈夫か?」
「どうしたではありません! 私は……怖かったのです! ゾルバさんが落ちたらと思って……とても怖かったのです! それなのに貴方ときたら」
怒ることで隠していた感情が、素直な言葉とともにあふれだす。不意に彼女に抱きしめられた。他にどうしていいか分からなかったから、俺は彼女の頭をぎこちなく撫でる。マリー・アンは泣きながらも怒り続けていた。
「矢が飛んでくるというのに飛び出したり、滑り落ちても見捨てろみたいな事は仰るし! 目の前で死なれる方の身にもなってください。命をなんだと思っているのですか!」
身を案じられるのも、このように叱られるのも初めてのことだ。消耗品のように扱われることが当たり前のようになっていた。だから、こんな風に泣かれると、どうして良いのやら。
震える彼女をなだめるため、俺はマリー・アンの頭を撫で続けた。
「悪かった。すまない」
「守って下さっていることは分かります。でも、貴方に怪我をされたり、危ない目にあって欲しいとは思っていません」
「分かった。気をつける」
落ち着くまで待ってやりたかったが、そうもいかない。隊列を組んだ人の気配が近づいてくる。真面目に仕事をする気がないのか、こちらに気付いていないのか、人の喋り声がする。逃亡者を警戒して関所の兵が巡回しているのかもしれない。つまらない巡回も相手が見つかれば話は別だ。良く訓練された猟犬のように本気で追ってくる。
「マリー・アン。川の側は見つかりやすい。離れるぞ」
ハッとして顔を上げた彼女の手を引き、再び森の中へと姿を隠した。
川を渡れば追手が減ると思ったら大間違いだ。
確かに関所の兵は来ない。だがその代わりに、賞金稼ぎが増える。追われてきたものを待ち構えていればすむのだから追いかけるよりは楽なのかもしれない。
「疲れているだろうが、川に近い街へよるのは危険だ。ゆっくり休むのはもう少し我慢してくれ」
声を潜め、足元に注意しながら木陰を進む。
隣を歩くマリー・アンが何かに躓いて膝をついた。振り返って小さな悲鳴をあげた。茂みから出ていたのは人の腕だった。既に事切れて時間が経っている。身なりはいい。不意にスラムで殺された人攫いたちを思い出す。
「急ごう。ここには刺客も混ざっているらしい」
ハルバードから布を取り払い、いざと言う時に備える。その時は思いのほか早く来た。岩陰より剣を持った男が切りかかってきたのだ。俺は躊躇うことなくそいつの腕を切り飛ばし突きを入れる。一瞬足を止めそうになるマリー・アンを叱咤して先を急ぐ。突き殺された男があげた声が次の者を呼び寄せる。寄ってくる人数が増えるほど騒ぎは大きくなり人を惹きつける。
マリー・アンを庇いつつ逃げるが切りがない。どこまで逃げればいいという理由では無いからだ。
追ってくるものを切り伏せながら開けた場所に出る。
舗装はされていないが、街道に繋がる脇道かも知れない。悔しいがヴァンフォーゲンの領地から出たことのない俺には土地勘がなく、方向を見失いつつあった。追っ手に流されながら逃げるのは良くない。待ち伏せに遭うかもしれないからだ。
マリー・アンの息は遠に上がっている。これ以上走らせるのは無理だ。遠くから馬蹄の音が近づいてくる。俺の脳裏に過去の苦い記憶が蘇って焦った。
近くへ来たら馬を奪って逃げる。そう覚悟を決め、マリー・アンへ隠れているよう指示を出すと斧を構えた。
「旦那さま! 無事でよかった!」
だが、姿を現したのは四頭立ての馬車を御すミゲルだった。




