第六話 玻璃喰蛇ウィトレア・セルペンス
「ちょっと……それ、どういう意味?」
「そのままの意味だよ。せめてどこから現れたのかは絶対に把握しておかないと。ここで逃したら、次に見つけられるのはいつになることか」
階下の玻璃喰蛇が身を屈めて飛び掛かる準備をする様子が、ガラス越しに見て取れた。すぐにでも、次が来る。
「それなら私が残るから!」
「ダメだ。ていうか、無理だ。あいつ――俺を狙ってやがる」
大蛇が撥条のように跳躍する。普通なら絶対に逃げられない襲撃を、俺は一言の呪文で回避する。
「光の如く!」
一瞬のうちに十メートルほどを移動し、大蛇の攻撃を余裕を持って回避する。しかし大蛇も避けられることを学習したらしく、俺達のいる階層を通過する瞬間に、尻尾を鞭のように振り回した。
床と天井のガラスが粉々に弾け飛ぶ。横殴りのガラスの雨が俺の足元にまで降り注いだ。
背筋がぞっとする。移動距離があと少し短かったらガラス片をもろに浴びていたところだ。回避が紙一重だったら尻尾の直撃を受けていたかもしれない。
「ユーリ!」
「いいから早く!」
俺は迷わず階段を駆け上がった。こんな暴れ方を続けられたら建物自体があっという間に壊れてしまう。これ以上穴を開けられないように、開けた場所――屋上で戦った方がずっとマシだ。
それに加えて、俺が屋上に行ってしまえばフィオナも役割分担を受け入れざるを得ないだろうという打算も、少しだけあった。
階段を登りきり、屋上で玻璃喰蛇と対峙する。
「はは……本当にでかいな」
全長十数メートル、直径一メートルに及ぶ大蛇は、確かに化け物じみた大きさだが、怪獣映画のモンスターほどの巨大さではない。それが逆にリアリティのある恐怖を感じさせる。いっそ全長百メートルとかなら恐怖心も薄れたはずなのに。
「さて、丸裸にさせてもらおうか」
俺は肌身離さず持ち歩いている試練の書のページを開いた。
フィオナ達と別行動しようと思った理由はもう一つある。他人に見せるべきでないとノルンに教えられた呪文を心置きなく使うためだ。
「閲覧!」
この呪文で、玻璃喰蛇の情報が詳らかに――
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個体名:なし 性別:雄 種族名:灼熱兜
生息地:蜥蜴族諸王国連合 鉄脚国領砂漠地帯
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「何……っ」
試練の書に浮かび上がったのは、見たことも聞いたこともない生物の名前。
玻璃喰蛇の情報ではない。何か間違えてしまったのか。
戸惑う俺の目の前で、玻璃喰蛇の頭部を覆う甲殻が真っ白に加熱されていく。呪文の誤作動に気を取られたせいで反応が間に合わない。蛇が得物に飛び掛かるかのように、灼熱の頭部が俺めがけて突っ込んできた。
「風よ、舞い上がれ!」
真下から吹き上がった暴風が玻璃喰蛇の巨体を高々と持ち上げる。
「何やってるの! 逃げるわよ!」
階段の出口でフィオナが大声を上げた。
「フィオナ! 下に降りたんじゃ……」
「そんなこと出来るわけないでしょ! 落ちてくるから早く! 隣の屋上に!」
突風に打ち上げられた大蛇が落下してくる。一トン以上はあろうかという巨体の自由落下だ。床も壁も穴だらけのガラスの建物では耐えられまい。
「光の如く!」
俺は呪文を唱えて隣の建物の屋上に移動した。フィオナが風に乗って追いかけてくる間に、玻璃喰蛇がさっきまで俺達がいた屋上に叩き付けられる。
耳障りな轟音とともにガラスの建物が砕け散っていく。ガラスの破片と粉塵が四散する様子はあまりにも鮮烈で、思わず目を奪われてしまう。
「――しまった、マリアエレナとオリンピアは!」
「大丈夫、二人とも避難してるはずよ。マリナにそうお願いしたから」
フィオナが屋上に着地する。流石に場馴れしているだけあってフィオナの行動には抜かりがないようだ。
俺は安堵感を覚えつつ、改めて試練の書の表示に視線を落とした。
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個体名:なし 性別:雄 種族名:灼熱兜
生息地:蜥蜴族諸王国連合 鉄脚国領砂漠地帯
身体性能:C 狩猟技量:C
魔力総量:C 魔力行使:B
社会構築:E 危険区分:B
特記生態
砂漠地帯に生息する大蛇。
どの個体も例外なく火属性と土属性の魔力特性を有する。
火属性で頭部の甲殻を赤熱させ、土属性で砂の融点に干渉することで、
砂を融かしながら地中を『泳ぐ』ことができる。
生息地が砂漠地帯、それも人間国家の領域外であることから、
通常であれば危険生物の指定を受けることはない。
ただし、人間国家に出現した個体は第二級危険生物に指定される。
人間をも餌とする生態もさることながら、土壌に不可逆の変化を与え、
農業や鉱業に甚大な被害を与え得ることが危険視されている。
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「……そういうことか」
「何か分かったの?」
俺は閲覧の呪文を使ったことを悟られないよう、普通の推理で真相に辿り着いたかのように説明をした。
「玻璃喰蛇っていうのは、ガラスの街に現れた危険生物に便宜的に与えた呼び名なんじゃないか? 本当は別の名前がつけられている既知の生物だけど、この国には生息していないから気付かなかった――充分ありうる話だよな」
「また? これで四度目じゃない……」
フィオナの口振りが少し気になったが、俺は構わず続きを喋り続けた。
「たぶんアイツは、地面を融かして地下に潜る生き物なんだ。ここに来てからも、普段はいつもどおり地下に潜っていて、獲物を探して地上に出たときは障害物を融かして移動していた……きっとそれだけなんだ」
「……今まで見つからなかったのは、地面の下に潜っていたから……」
「融けた土は自然に冷え固まって穴を塞ぐはずだ。ちょうど一階の床下にあった痕跡みたいに」
ガラスの建物の崩落が終わり、白い粉塵もだんだん納まっていく。
大蛇がのたうち周りながら地面に潜ろうとするシルエットが、ぼんやりと浮かび上がる。高所からの落下が大きなダメージになったのだろう。少しでも早く地下に逃れようと必死になっているのが分かる。
「それだけ分かれば充分よ。一旦引きましょう」
「いや、ちょっと待った」
玻璃喰蛇の様子がおかしい。地面に頭を突っ込んだまま微動だにしなくなった。まさか落下ダメージで死んだのか? そう思いながら観察を続行した瞬間――
――崩落跡が真っ赤に沸騰した。




