幕間 内側の敵
真壁有理が魔法師マリアエレナの家を訪れている頃、フィオナ・アステリオンは来客を迎える準備に追われていた。
相手の格を考えると使用人に準備を丸投げすることもできない。父親にして領主である王弟ゼノビオスと、他の年長の兄達が多忙を極める今、領主の娘であるフィオナが応接役を担う必要がある。
年若い使用人が早足で駆けつけてきて、フィオナに準備の進捗を報告する。
「フィオナ様。晩餐会の下準備が完了したそうです。これで予定通りの時刻に料理を用意できます」
「ありがと。後で向こうにもお礼をしておかないとね……三日で百人規模の料理を用意してだなんて無茶ぶりしちゃったから」
今回の来客の予定は三日前にいきなり舞い込んできたものだ。おいそれと断れない相手だというのが更にタチが悪い。
「しかしフィオナ様。外部に依頼するのではなく、この屋敷で御持て成しをすれば多少は手間が省けたのでは?」
「駄目よ。あいつらを長居なんてさせたら、どんな陰謀詭計を吹っかけられるか分かったものじゃないわ。屋敷にいるのが身内だけならまだいいけど、今はセシリアを預かっているんだから」
フィオナは露骨に警戒心を高めていた。もうじきやって来る連中はいくら警戒を強めても足りない相手だ。
「あいつらとセシリアの接触は最低限にしておきたいの。理想的なのは、晩餐会の途中でマリアエレナのところから帰ってきて、挨拶だけさせて部屋に戻すことね。一応、オリンピアには日が暮れた後に戻るよう言っておいたけど……」
フィオナが来客と合わせたくない者は二人いる。
一人は王位継承順位第一位のセシリア。奴らにとっては是が非でも排除したい存在だろう。
もう一人はユーリ・マカベ。奴らのうちの一人の私怨に過ぎないが、あの女の性格を考慮すると間違いなく命を狙われる。気まぐれなあの女が興味を失うまではなるべく合わせたくない。
使用人に追加の指示を出そうとした矢先、窓から見下ろせる位置に一台の馬車が停まった。それを見たフィオナは、うっすらと不快そうな表情を浮かべた。
「ねぇ、あなた。ここに来てまだ一年経ってないんでしょう」
「え、はい」
「それならしっかり顔を覚えておいたほうがいいわ」
馬車から降りてきたのは一組の男女。どちらもフィオナと同じ銀色の髪を持ち、豪奢な衣装に身を包んでいる。
王位継承順位第三位、第三王子の息子グラウコス。
王弟夫人、女大領主アルテミシア。
年若い使用人は、王国でも格別の地位にある二人に侮蔑の視線を向けるフィオナの命令を、戦々恐々としながら待つことしかできなかった。
「……行きましょう。挨拶くらいはしておかないとね」
「あ、あのっ。お召し物はそれでいいのでしょうか」
フィオナは自分の着衣に視線を落とした。動きやすさを重点的に考えた、令嬢の着る服とは思えない衣服である。
「別にいいのよ。これが私の普段着なんだから」
「本日はようこそいらっしゃいました。急なお越しだったので大した準備はできませんでしたが、どうぞお寛ぎください」
フィオナの態度は一見にこやかなように見えて、その実、事情を知る者が見れば皮肉しか込められていないとすぐに分かる。
アルテミシアはフィオナを二十年ほど加齢させたような容貌で、貴婦人と呼ぶに値する美貌と雰囲気を保っている。
グラウコスは既に齢二十余りにして無骨な髭を蓄えた、壮健無比な肉体を持つ偉丈夫だ。祖父である国王ヴァシリオスと叔父にあたる大叔父ゼノビオス同様、体格に恵まれやすい王族の男の血が大いに発揮された青年である。
「あらまぁ。フィオナったらまた快活さに磨きが掛かったのね。殿方に生まれていれば、世の若い娘達が放っておかなかったでしょうに」
「こうしてお会いするのは二年振りですから。お母様が知っている私よりも成長しているに決まっています。明日にはお父様も戻られるでしょうから、二年振りの夫婦の会話を楽しんでくださいね」
水面下での当てこすりの押収に、年若い使用人はフィオナの後ろですっかり小さくなっていた。
アルテミシアは年頃の令嬢らしからぬ娘の身なりに皮肉を言い、フィオナは我が子の成長を見届けもしなかった母を針で刺すように批判する。その間、お互いに作り笑顔を貼り付けたままだという点も、使用人の肝を際限なく冷やしていた。
しかし、どんな場所にも空気をぶち壊す輩はいるものだ。
「はっはっは! 良いではありませんか奥方様。我らアステリオン家は王族である以前に名だたる武門です。剣も使えぬ深窓の令嬢よりもずっと好ましい!」
肩を掴もうと伸ばされた大きな手を、フィオナはさり気ない仕草で受け流す。
この男は空気を読めないのではない。雰囲気を掴みきった上で、自分にとって好ましくなければ躊躇いなく壊しにかかる。ある意味で最も厄介な性質の人間だ。
馬鹿らしい好意宣言もそうだ。強い女を好む脳筋発言と見せかけて、その裏では力ない少女であるセシリアの王位継承を批判している。武門として名を上げ、国を得るに至ったアステリオン家の支配者には相応しくないと。
「フィオナ嬢よ。第四王太子もこの屋敷にいるのだろう? 大胆にも王位を求める方にお目通りを願いたいのだが」
「セシリアは専任教師の元で勉学に励んでおります。晩餐会の挨拶には出席する予定ですので、ご用件があるのでしたら、そのときにでも」
「ふぅむ、残念」
第三王子の長子グラウコス。
王位継承順位の第三位にして、徹底した実力主義者であり、自身が王族で最強と認める父親を王に推す、反第四王太子の筆頭である。そんな人物がここに来た理由を察するのは容易い。
「ところでフィオナ。私の時計塔を台無しにした魔法師について聞かせてもらえないかしら」
――来た。厄介さではグラウコスの上を行く面倒事だ。
「台無しにしたとは人聞きが悪いですね。市街を守るための正当な行為だったと市議会でも結論付けられていますし、お父様もその功績に三等貢献褒章の授与をもって応えているのですよ」
フィオナは丹念に嫌味を塗り重ねて言い返す。
「まさかとは思いますが、ご自分の領地ではないからと言って、時計塔を守るために領民の犠牲を見過ごすべきだったとは仰られないでしょう?」
「当然ですとも。領民に一切の被害を出さない見事な解決だと聞いています」
そう言って、アルテミシアは口元を隠して妖しく笑った。
「それはそれとして、私が婚礼の記念に建設させた時計塔をどのような気持ちでガラスに変えたのか、直接会って尋ねてみたいだけですの」
白々しい――フィオナは内心で強く軽蔑した。
婚礼の記念だということは、この女にとってさしたる問題ではない。
あれはこの女が美的意識と名誉心満足させるために作らせたモニュメントだ。美しく高度な時計塔を作らせた女という名声を得るためだけの代物だ。
虚栄心の結晶がガラスの結晶に変えられたことを逆恨みし、心の底では民衆が犠牲になってでも時計塔を守るべきだったと考えている。アルテミシア・アステリオンはそういう女だ。
救いようのない輩とはいえ親は親。フィオナは娘として、理不尽な矛先を向けられたユーリに申し訳ない気持ちになった。
どうせアルテミシアの恨みはすぐに消えるのだろうが、それまで不愉快な気分にさせてしまうのは間違いない。どうにかして埋め合わせをしなければ。断られるかもしれないが、何かしないとこちらの気が済まない。
そう考えたとき、ふと気付く。
自分はユーリ・マカベという男について、意外なくらいに何も知らない。何が好きで、何が嫌いなのか。そんなことすら知らないことに今更気が付いた。
もっと知りたいな――
フィオナはぼんやりと、そんなことを思った。




