第十七話 魔法師のお宅訪問(下)
「命を狙われて……どういうことだよ、それ」
「ここでは話せません。間違ってもセシリア様には聞かせられませんので」
オリンピアは俺を部屋の外に連れ出してから、声を潜めて続きを語り始めた。
「二十年前に第一王太子殿下が戦死され、三年後、第二王太子殿下――つまり国王陛下の次男も許されぬ恋愛の末に王宮を出奔なされました。王位継承権第一位の座は第三王太子殿下のものになりました」
私がお嬢様にお仕えするようになる前の出来事ですが、とオリンピアは付け加えた。この話は全て伝聞であるという注釈だろう。
「ちょい待った。細かいことだけど、王太子って跡継ぎ候補筆頭の王子の呼び方だろ? 何で第二だの第三だの付いてるんだ」
「おっと、失礼しました。この国独特の呼称でして、王太子の肩書が途中で移動した場合、二人目以降を第二王太子、第三王太子と呼び分ける慣習なのです。他の国ではしていない呼び分けなのですけれど」
元の世界でも聞いたことがない風習だ。
どんな意味があるのか少し考えてみたが、第三王太子と聞けばアステリア王国の王子についての話だとすぐに分かる、といった程度しか思い浮かばなかった。
「けど確か、前にセシリアが一位だって言ってなかったか? てことはセシリアは第四王太子……いや、第四王太女……?」
「厳密にはそうなりますが、諸事情からあまり呼ばれていません」
「なるほどね。でもどうして『割り込み』が起きたんだ?」
アステリア王国の王位継承は長子相続。長男と次男がいなくなれば三男が第一位になり、三男の子供が第二位、第三位と割り振られていく。
長男の戦死が二十年前で次男の出奔が十七年前。フィオナはともかくセシリアはまだ生まれてもいない頃だ。
普通に考えれば、新しく生まれた子供が三男を押し退けて継承順位の第一位になるはずがない。
可能性があるとすれば――
「ひょっとして、セシリアは次男の……第二王太子の子供なのか」
「そういうことです」
オリンピアは至って冷静な態度で頷いた。
「第二王太子殿下は継承権を捨て、市井の民として生きていました。しかし三年前に流行り病で奥方と共に亡くなられ、幼い一人娘だけが残されたそうです」
「それが、セシリア……?」
「国王陛下は第二王太子を溺愛されておりましたので、忘れ形見のセシリア様を正式な『王の孫』として王族に迎え入れました。当然、その時点でセシリア様に王位継承権が発生し、順位に変動が生じたというわけです」
俺は呆れた気持ちを込めて長々と息を吐いた。
「そりゃ第三王子も怒るわ。自分が跡継ぎだと思ってたら、いきなり二番目の候補に格下げだろ? だからって命を狙うのは許せないけどさ」
「同感です。フィオナお嬢様も、国王陛下の判断と第三王太子の逆恨みの両方に大層怒っておられました」
現国王は歳を食って耄碌したのか、親バカならぬ爺バカを発症したのか、或いは第三王子に王位を継がせたくない理由があったのか。いずれにしても、セシリアにとっては傍迷惑な話に違いない。
「現在、ゼノビオス様がセシリア様の後見人に指定されております。王都ではなくこの街で暮らしているのはそのためですね」
「王弟の領地にいる限り、第三王子もおいそれと手を出せないわけか」
ドロドロした政治の世界を垣間見てしまった気がする。王位を巡って幼い女の子の命を狙うなんて気持ちのいい話ではない。
本人達は大真面目なのかもしれないが、余所者の俺にとっては「ふざけるな」の一言だ。
「継承権をさくっと捨てちまうとかできないのか」
「十四歳未満の候補者は継承権を放棄できません。十四歳までに国王が崩御された場合は後見人が国王代理を務め、十四歳になってから本人の意志で正式に継承するか否かを決める仕組みです」
それはそうだ。もしも判断力の弱い子供のうちに継承権を捨てられるなら、子供心をコントロールして放棄させようとする輩が必ず現れる。最低限の判断力を備えてから決断させた方がいい。
「そこで改めて継承権を放棄すれば、王位は第三王太子が継ぐことになります。ですが問題は……」
オリンピアはどことなく遠い目をした。
「物凄く乗り気なんですよね、セシリア様」
「……継ぐ気満々なのか」
「継ぐ気満々なのです……」
「授業……終わった……」
隣の部屋からマリアエレナがゆっくりと顔を出す。何度見てもホラー映画のワンシーンのような現れ方だ。
「次はユーリの用件ですわね。私達は外で時間を潰しておきますわ」
「行ってきます、ユーリ!」
俺達がしばらく目を離していた間に、セシリアとシルヴィはすっかり打ち解けたようだ。二人が友達になるならこんなに嬉しいことはない。フィオナとディアマンテスに頼み込んで連れ出した甲斐があったというものだ。
オリンピアも二人の保護者として外に出たので、家の中には俺とマリアエレナの二人だけになった。
ここからが俺にとっての本題だ。フィオナは俺に何を聞かせたくて、マリアエレナの元へ送り出したのだろうか。
「……ここ、座っ……て」
俺は促されるままに、セシリアとシルヴィが座っていた椅子に腰掛けた。
マリアエレナも隣の椅子に腰を下ろし、ちょうどお互いに向かい合うような形になる。もっとも、マリアエレナは相変わらずの俯き加減だったので、顔と顔が向かい合うことはなかったが。
相変わらず目も合わせてはくれない。本当に男が苦手らしい。
それでもなお、マリアエレナは何かを伝えようとしてくれている。そうしなければならないほどの理由があるのだ。
「えっと――」
「光輝によりて消え果てよ」
驚くほどハッキリとした発音がマリアエレナの口から紡がれる。
俺は思わず息を呑んだ。今のは俺が雲海蜘蛛に使い、奴をガラスに変えた呪文だった。
「この呪文は……光属性の、究極……神の領域にある、女神ノルンの、呪文。身に付けられるのは、女神ノルンに呪われた人間、だけ……」
「呪う? 祝福とか、恩恵じゃなくて、呪いなのか……?」
マリアエレナは小さく、しかしハッキリと頷いた。
「神々の、呪詛……力を得る代わり、神の手駒にされる、一方的契約……きっとあなたは、それを、受けた」
力を得る。手駒。一方的契約。マリアエレナの言葉が頭の中で反響する。
俺がこの世界に送り込まれた経緯は、もしかしてそういうことだったのではないだろうか。考えれば考えるほど、そうだとしか思えなくなる。
「……神に呪われたらどうなるんだ」
「従う、限り……何も……。上手く行けば、見返り、も。けど……」
マリアエレナが顔を上げた。隈の浮かんだその双眸には、強い意志の光が宿っていた。
「裏切れば、必ず、破滅する」
「破滅……」
「人と、して……生きて、いけなく、なる……だから、呪い、なの」
裏切れば――必ず破滅する。
俺は無意識のうちに、膝の上に置いた試練の書を強く握っていた。
脳天気で馬鹿馬鹿しいノルン。裏切った街をガラスに変えた女神ノルン。
あいつが渡してきたこの本に従い続ければ、楽園に行くという見返りを得ることができるという。
それなら、俺があいつを裏切ったら。
試練の書に従うことを放棄したら。
俺は嫌な汗が流れるのを拭うこともできなかった。




