第三話 王弟ゼノビオス
豪華に飾り付けられた廊下を、オリンピアの先導で歩いて行く。王族の住まいという言葉から受けるイメージのとおりの内装だ。
特徴的なのは、あちらこちらにガラス製の装飾品が配されていることだろう。花瓶や像はもちろんのこと、ステンドグラスや色つきガラスを駆使したインテリアがこれ見よがしに飾られている。
それらを輝かせているのは、廊下の壁に一定間隔で設置された高輝度の照明で、それの土台部分もガラスで作られていた。
ふと、俺はあることに思い至った。
宿の照明器具は油のようなものを使ったランプだった。魔法を使って照明代わりにしている人を見たこともある。だが廊下の照明は、それらとはまるで違う光り方をしていた。
喩えるなら白いLEDのような光だ。俺にとっては馴染み深い明るさだけれど、こちらの世界の雰囲気にはどうにも馴染んでいない。
「オリンピア。この照明って何の光なんだ?」
「隣国で採掘される特殊な鉱石を使っていると聞いています」
「へぇ……他の国とはずっと戦争してるって聞いてたけど、貿易はしてるんだな」
「それぞれの国と周期的に休戦と開戦を繰り返しているとお考えください。必ずどこかの国と小競り合いをしている状態ではありますが、全ての国と同時に戦争をしているわけではありません」
なるほど、それはそうだ。全方位と常時戦争していたらあっという間に国がボロボロになってしまう。
「ちなみにこの照明用の鉱石は、和平を結んだ際の贈答品としてガラスの工芸品と交換したものだと聞いています。我が国に有利な戦況での和平だったので、相当な量をせしめることができたそうです」
「せしめるって……それ目当てで戦争やってるんじゃないだろうな」
これもある種の戦争経済という奴なのだろうか。
「有利なのに相手の都合で戦いを止めるわけですから、それなりに得るものがないと諸侯が納得しません……と、フィオナ様が仰っていました。私は一介の使用人ですので、戦争や外交については全て受け売りです」
俺は戦争と無縁な生活を送ってきていたから理解し難いだけで、戦争が日常の世界なら当たり前の価値観なのかもしれない。
しばらく廊下を歩いた先で、綺麗な銀髪の少女二人と鉢合わせる。
「フィオナ様、セシリアお嬢様。ユーリ殿をお連れしました」
「ご苦労様。休んできていいわよ」
三日振りに会ったフィオナの服装は、ヒューレ村で見たときよりもずっと優美なものだった。もちろん比較対象が金属板を仕込んだ服なのもあるだろうし、セシリアと比べれば動きやすそうなデザインになっているが、それでも目を奪われるには充分過ぎるほどに綺麗だった。
そしてセシリアは、フィオナの後ろにさり気なく身を隠していた。俺が視線を向けていることに気がつくと、これまたさり気なく顔を背けてしまう。
「お父様は私室で待っているから、準備が出来たら会いに行ってね」
「え、俺一人でか? マナーとか作法とか全然思い出せてないんだけど……」
「細かいことは気にしなくていいの。事情はもう伝えてあるから。公式の謁見じゃなくて『友達の親に挨拶する』くらいの気持ちで行って来なさい」
それはそれで割と難易度が高い気がする。同性の友人ならともかく異性なのだから尚更だ。
「心配なさらなくても、私は何も言っておりませんわ。フィオナおばさまにも同じようなことをしていたら別ですけど」
「んー、誰がおばさまだってー?」
「ふぎゅ……!」
フィオナが笑顔でセシリアの頬を引っ張った。柔らかそうな頬がよく伸びている。こうして見ていると仲の良い姉妹のようだ。顔はあまり似ていないけれど。
しかしおばさまとはどういうことだろうと思っていると、まだこの場に残っていたオリンピアがさり気なく補足を加えてくれた。
「セシリアお嬢様は国王陛下の孫娘で、フィオナ様は王弟陛下の御息女です。つまりフィオナ様はセシリアお嬢様から見て従叔母に当たります」
「ああ……そりゃ確かに『叔母』さまだな」
「そこっ、うるさい」
フィオナの蹴りがふくらはぎにヒットする。そのままの勢いで背中を押され、俺は屋敷の主人の私室の前に立った。
心臓が早鐘を打っている。どんな風にお邪魔するべきだろうか。きちんと挨拶した方がいいだろうか。頭の中でぐるぐると悩み続けながら、意を決して扉をノックする。
「入りたまえ」
よく通る低い声が返ってきた。
「し、失礼します」
扉を潜った瞬間、俺は予想外の光景を目の当たりにした。
豪華で優美な内装の邸宅とはまさに別世界だ。見た目重視の装飾はことごとく排され、眩い照明ではなく古風なランプの輝きが、所狭しと並べられた武器防具の類を照らしている。
まさかまた違う世界に送り込まれてしまったのでは――そんなことを本気で考えていると、さっきの声が再び話しかけてきた。
「驚いたかね。輝光石の照明は目に痛くて敵わんのだ。さぁ座ってくれ」
声の主は安楽椅子に腰掛けた銀髪の老紳士だった。深みのある美声に似合うガッシリとした体格で、顔に刻まれた深いシワを見なければ老人だとは気付けそうにない。
俺はすっかり雰囲気に飲まれたまま、向かい合わせになったもう一脚の椅子におずおずと腰を下ろした。
「ユーリ・マカベ君。話は娘から聞いている。記憶を失った身ながら娘を助けてくれたそうだな。まずは礼を言わせてほしい」
「い、いや、こっちも随分と助けられたので……その……」
しどろもどろになっていると、銀髪の老紳士――王弟ゼノビオスは腹の底から豪快に笑った。
「そう固くなるな。今は領主でも王弟でもなく、フィオナの父親のゼノビオスとしてここにいるのだ。友人の親に会ったつもりで気楽にするといい」
ああ――二人は間違いなく親子なのだと妙なところで納得した。見たところ祖父と孫くらいに年齢が離れているようだが、しっかりと性格が受け継がれている。
「さて、君を呼んだのには礼を伝える以外にも理由がある。その試練の書を見せてはくれまいか」
「これですか? どうぞ」
ずっと小脇に抱えていた試練の書を渡す。
ノルンが言うには、この国には試練の書のダミーが普及していて、本物もダミーも持ち主以外には読めない認識阻害の魔術が掛かっているのだという。それなら試練の書を見せても問題ないだろうと判断した。
ゼノビオスは固い表紙を隅々まで確かめてから、ページを一枚ずつめくり始めた。
「確かに試練の書で間違いない。認識阻害の仕方もそれ特有のものだ。しかしな……これは正規の書ではないかもしれん」
心臓が跳ね上がるように脈打つ。まさかたった一読しただけでバレてしまったのか。
「試練の書はもう一回り小さな判型で作られているのが一般的だ。それに神殿が授けたものであれば、作成元の神官長の署名と通し番号が記されている。その試練の書は通常の手続きで作られたものではなさそうだ」
「そ……それだと何か拙いことでも……?」
「実はな……」
ゼノビオスは心底残念そうに首を横に振った。
「正規の書であれば、作成元の神殿に照会して書の持ち主がどこの誰なのかを確かめることができたのだ。君の記憶を取り戻す手助けになればと思ったのだが」
「そうでしたか……」
「高位の神官は神殿を通さずとも試練の書を作成できる。彼らにひとりひとり確かめるしかないが、隠者のようになっている方も少なくない……非現実的だ」
思わず安堵の溜息が漏れそうになるのを堪えて、残念そうな態度を取り繕う。記憶を失って困っているという体裁で動いているのだ。手掛かりにならなくて安心する姿なんて見せたら台なしである。
試練の書を返してもらった途端、ページの記述が増えたときの感覚が伝わってきた。何気ない風を装って書を開くと、そこには新たな課題が浮かび上がっていた。
「言葉の礼だけで片付けるのは名誉にも関わる。何か手を貸せることがあれば教えてくれたまえ。何なら当面の路銀の援助でも構わん」
「……ええと、それなら……」
少し迷ったが、お言葉に甘えることにする。この機会を逃したら次のチャンスを掴むのが難しそうだ。
「今の自分でもできる仕事を紹介してもらえませんか。お金のことまで頼りっぱなしになるのは、自分としても心苦しいので……」
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