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第二話 彼女はまるで銀の猫

 塀の上の少女は街の風景と同じ白いドレスに身を包んで、フィオナとそっくりな銀髪を腰まで伸ばしていた。

 一瞬フィオナの妹かとも思ったが、顔立ちはかなり違っている。外見的な共通点は髪の色くらいだ。


「セシリアお嬢様。一体何をされているのですか?」

「ひっ、オリンピアもいたの!?」


 剣呑な表情のオリンピアに、セシリアとかいう少女は露骨なまでに怯んだ。それはまあ、手刀で首を叩き落とすなんて冗談を真顔で言う大人は子供から見たら怖いだろう。オリンピアが何歳なのかは知らないが、俺やフィオナと同じくらいでも子供から見たら充分大人だ。

 オリンピアは妙な構えを取りながら、塀の上のフィオナにじりじりと迫っていく。


「十秒以内に降りてこなかった場合、私の新たな殺法の実験台になって頂きます」

「わ、分かってます! 今降りますわ!」


 セシリアは急いで塀を降りようとしたが、なにぶん三メートルはありそうな高さの塀なので、こちらに背中を向けて必死にもがいているようにしか見えなかった。

 うっかりバランスを崩した猫があんな風になっているのを見たことがある気がする。自力で降りられないような場所にどうやって登ったのかも不思議だが、そういう事態に陥っている子猫も珍しくない。

 総評。あの子は凄く猫っぽい。


「おーい、手伝おうか?」

「結構ですわ! これくらいなんてこと……」


 あくまで意地を張るセシリアに、オリンピアが冷静な突っ込みを入れる。


「登った方法の逆をすればよいと思いますが」

「……そ、それくらい思い付いていましたわ。当然!」


 今さっき気付いたと丸わかりな顔で、セシリアは塀の上端から片手を離し、真下の地面を指差した。


風よ、(サルターテ,)舞い上がれ(ウェンティ)!」


 吹き上がる風がセシリアの身体をふわりと浮遊させる。

 確か今の呪文はフィオナが六脚地竜(エクシポディア)に唱えたのと同じものだ。なるほど、ああやって身体を浮かせて塀に登ったのかと感心したのも束の間。旋風は落下速度を打ち消すどころか、過剰な風圧でセシリアを塀よりも遥かに高く持ち上げて、そこで無情にもかき消えた。

 風による浮力を失った身体は当然のように地面へと――


「い――いやあああっ!?」

「危ないっ!」


 落下を始めたセシリアを目にした瞬間、俺はとある呪文を記憶から引っ張りだし、即座に詠唱した。


光の如く(シークト・ルークス)!」


 視界が一瞬だけ光に満たされる。それが消え失せた瞬間、俺は落下中のセシリアを空中で抱き止めていた。

 右手でセシリアを抱え、左手を自由にするために試練の書を放り投げる。次の呪文はもう何度も唱えた。ページを確認しなくてもすぐに思い出せる。


輝ける(スプレンデンス・)拘束の鎖(ウィンクルム)!」


 塀の側の庭木と、すこしばかり離れたところの庭木を光の鎖で繋ぎ、それを左手で握り締める。自分の体重プラスセシリア分の重量に左腕を傷めつけられながらも、木と木の間に張った鎖にぶら下がる形で地面への直撃を食い止める。

 落下が停まったのを確かめて、安堵の息を吐く。これで一安心。地面までの残り1メートルちょっとは普通に飛び降りられる高さだ。


「……っと。大丈夫か?」


 きちんと地面に降りてからセシリアの様子を確認する。脚に力が入らないようなので、右腕は背中に回したままだ。

 セシリアはしばらく硬直したままだったが、唐突に顔を真っ赤にすると、まるでパニックを起こした子猫のように暴れて俺の腕から逃げ出した。


「な、な、なな……」

「元気そうで何より」


 仕方がなかったとはいえくっつき過ぎてしまったか。こんなにパニクるならすぐに手を離してやるべきだったかもしれない。


「お見事でした。記憶を失くされても、一度身に付けた呪文は忘れていないのですね」


 オリンピアが試練の書を土と砂を綺麗に払ってから渡してくれた。

 さっきの呪文は、アスプロ市に行く課題を達成したことで試練の書に浮かび上がったものだ。直線移動しかできないという欠点こそあるが、どう考えても有用性が高い効果だったので、念のためしっかり頭に叩き込んでおいた。今回はそれが功を奏したわけだ。


「少しずつ段階的に思い出してるだけというか……まだ三つか四つくらいしか思い出せてないんだ」


 試練の書が呪文を教えてくれることは、今のところ誰にも打ち明けていない。打ち明けても問題ないと分かるまでは記憶喪失を言い訳にし続けるつもりだ。

 そしてセシリアはというと、俺の方を真っ赤な顔で睨みながら、何故か両腕で胸をガードしていた。


「なんてことを、なさるんですの……!」

「え? あー……」


 流石に言わんとすることを理解する。俺もそこまで鈍感なつもりはない。小さい体を右腕でしっかり抱き込んでいたので、手先が()()()()()()に触れることも充分有り得ただろう。


「すまん。不可抗力だ」


 日本人の(さが)で謝りながら軽く頭を下げる。するとセシリアも慌てた様子で頭を下げ返してきた。


「ここ、こちらこそ! すぐにお礼を言うべきでしたのに! あわわわ……」


 落下しかけたショックのせいか、見ていて気の毒なくらいに混乱してしまっている。どう宥めたものかと悩んでいると、オリンピアが素知らぬ顔で割り込んできた。


「セシリアお嬢様。お手隙でしたら、お客様がご到着したと旦那様にお伝えして下さい」

「え、ええ! 確かに請け負いましたわ。それではまた後ほどお会いしましょう」


 セシリアはオリンピアの助け舟のお陰で調子を取り戻したようで、スカートの裾をつまみ上げて優美に一礼し、足早に屋敷へと入っていった。


「……今、使用人が雇い主の身内を使いっ走りにしたような」

「何を仰います。羞恥と自己嫌悪に悶えるお嬢様に、この場を離れる絶好の口実を差し上げたに過ぎませんが?」


 しれっとそう言い切って、オリンピアは何事もなかったかのように歩き始めた。そして館の入口の前で振り返り、世間話でもするかのような気軽さで超弩級の爆弾発言をぶちかました。


「ちなみにセシリアお嬢様は王位継承順位第一位の王女様です」

「へぇ……って、はああっ!?」

「未来の女王陛下に大胆なことをなさいましたね。流石ですユーリ殿」

「いや、ちょ、待てって! 置いてくな!」


 マイペースに先を行くオリンピアを追いかけて館に入る。

 緊張はとっくに吹き飛んでいたが、代わりに底知れない不安がずっしりと肩にのしかかってきた。あんなことがあった後に王様の弟と会っていいんだろうかという、物凄く切実でどうしようもない不安が。

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