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第一話 白い街の朝

「く……ふぁ……」


 ベッドの上で情けない欠伸を漏らす。

 アスプロ市に到着してから早三日。俺はフィオナが手配してくれた宿で寝泊まりしながら、この世界に慣れる努力と傷の治療を続けていた。

 初日の寝床とは大違いの上等なベッドに、つい寝過ごしがちになってしまう。むしろ元の世界で使っていたベッドよりも寝心地がいい。シーツはすべすべでマットはふかふか。ベッドメイク技術の大盤振る舞いだ。


「ユーリ殿。お邪魔してもよろしいですか」

「おう、大丈夫」


 備え付けの鏡で傷の治り具合をチェックしていると、オリンピアが大きな袋を抱えて部屋を訪ねてきた。


「新しいお召し物が届きましたよ。ご希望のとおり、神官が着ていても違和感がなく、それでいてあまり堅苦しくないものを用意させました」

「ありがとな。前の服だと、その辺歩いてるだけで変な目で見られるんだよ」

「奇抜な服ですからね。初めてお会いしたときも、なんて悪目立ちする格好なんだろうと思っておりました」


 かなり手厳しい評価をされてしまった。自覚があるとはいえ少し傷付く。

 オリンピアが持って来た服は全部で三着、どれも同じデザインだ。雰囲気としては詰め襟の学生服と神父服を足して二で割った感じで、各所にささやかな装飾が付いている。

 正直、割と好みのデザインである。


「朝の身支度が終わりましたら、玄関までお越しください。旦那様のお屋敷までご案内します」

「てことは、フィオナの親父さん帰ってきたのか」

「昨日の晩に王都から戻られました。謁見の許可も既に得られています。それと親父さんという呼び方はご本人の前ではお控えください。王弟殿下に対しては不適切です」

「言われなくても分かってるって」


 アスプロ市に到着した後、試練の書が示した新たな課題は【領主ゼノビオスに謁見せよ】というものだった。

 そのときはとんでもないハードルの高さに絶望しかけたのだが、一緒に表示された助言に【――フィオナ・アステリオンはゼノビオスの末娘】とあったため、割とあっさり問題が解決してしまった。フィオナには感謝してもし足りない。

 その後、領主は大事な会議で首都に出かけているとのことだったので、謁見の申し込みは会議が終わってからという運びになり、三日後にようやく機会が巡ってきたというわけだ。


「本当に分かっていますか? 王弟殿下、つまり国王陛下の弟君ですよ? 物凄く偉い方なんですよ?」

「わ、分かってるよ……」


 こう何度も念を押されると、却って不安が増してしまう。

 フィオナが王様の家系の一員だというのは、初日の夜に閲覧の呪文の効果で把握していた。しかし『王位継承者の末席』とあり、てっきり遠い親戚なんだろうと思い込んでいたので、王様の弟の娘だと聞いたときは物凄く驚かされてしまった。


「万が一フィオナ様の顔を潰すようなことがあれば、私の手で首を叩き落とします。手刀の斬れ味には自身がありますので」

「なにそれ怖い。素手で斬るのかよ」

「包丁がないときにはこれでお料理が可能です」


 冗談を飛ばし合いながら、手早く身支度に取り掛かる。


「ところでさ。魔法で怪我をさっさと治すとかできないのか?」

「可能ですが傷跡が残る恐れがあります。長期的な継続治癒の呪文を掛けて、薬を毎日忘れずに塗り続けるのが綺麗に治すコツです。フィオナ様はいつもそうしておられます。そしてフィオナ様の玉のお肌に傷跡が残らないようこの私が一日六回忘れることなく隅々まで奉仕の限りを尽くし天上の美を堪能しつつもなだらかな――」

「あー、はいはい。着替えるから廊下で待っててねっと」


 スイッチが入ってしまったオリンピアを部屋から追い出して、この国で一般的だという寝間着を脱ぎ、下ろしたての服に袖を通す。身体にしっかりフィットしてとても着心地が良い。

 朝食は向こうで用意してあると言われたので、そのまますぐに宿を出る。試練の書を持っていくかどうかは少し悩んだが、持っていた方が神官っぽく見えそうなので、とりあえず小脇に抱えておくことにした。


 アスプロ市は日本人の俺から見ても凄く清潔感のある街だ。

 中世ヨーロッパの街は汚かったと聞くが、清潔さに関してはまるで似ていない。地方の特産だという白い石材で作られた建築物が立ち並び、その中を色とりどりの服を着た住民が行き交っている風景は、まるで絵画が動いているかのようだ。


 一番賑やかなのは、やはり中央広場だろう。日没までの間なら、いつ来ても必ず誰かがここにいる。広場の真ん中に設置された女神ノルンの彫像がある種のランドマークになっているらしい。


「美化されすぎだよな、これ」


 ノルン像を見上げてぽつりと呟く。俺が知っているノルンと比べて、大人っぽさが五割増しでお淑やかさは十割増しだ。こちらのビジュアルなら間違いなく女神である。


「お屋敷はあちらになります。もうご存知かもしれませんけれど」


 領主の館は中央広場からまっすぐ北上した先に建てられている。

 門の外からでも手入れの行き届いた庭園が見て取れる。庭の面積だけでも、元の世界で俺が暮らしていた家の十倍近い広さがありそうだ。そして庭の奥には白を基調とした外観の館が鎮座し、来るべき賓客を待ち受けている。

 もちろん、俺は賓客などではなく、単なる来客に過ぎないのだが。


 今になって緊張が湧き上がってきた。王弟だの領主だの、言葉であれこれ言われてもあまり実感はなかったのだが、豪華絢爛な館という確かな存在を前にすると、これから物凄い大人物に会おうとしているのだと実感してしまう。


 緊張を拭い切れないまま、オリンピアに先導されて門を潜る。

 そのとき、どこからか聞き覚えのない少女の声が投げかけられた。


「待ってましたわ! アナタがウワサのおかしな神官ですのね!」


 振り返ると、銀髪の小さな少女が薄い胸を張って仁王立ちしていた。

 ――塀の上で。

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