21話 メアの特訓
「はあ……はあ……はあ……」
「よし……今日の走りはこれぐらいでいいか」
そして、夜八時。いつもの場所──ではなく、近くの公園で、優は息を切らし足腰が震えているメアを見下ろしていた。
──基礎作りの前に、行うべきもの……それは無論、体力作りだ。でなければ、そもそも優の指導には耐えられない可能性が高い。そうなると、故障へのリスクが高まる。万が一にでもそうなれば、数少ない貴重な時間が失われてしまうことを意味するのだ。ゆえに、慎重にやらなければならない。
「……なんて、言ってみたけど……ま、大丈夫だよ。人の体ってのは、意外と丈夫だからね。だから、メア。そろそろ立とう。じゃないと、時間が無くなっちゃうから」
「で、ですけど……膝が震えて……」
「流石にメアもこの距離を走ったのは初めてか……」
この距離と言うのは、この街一周だ。
とはいえ、目算で、というか一緒に走ってみて図った距離は恐らく5キロ。途中近道など、走りやすいコースを選んでこれほどの距離だ。
(意外と、訓練にはもってこいかもしれないね、ここ……)
ちなみに、優の時は初日で10キロ走らされて、尚且つ日没までに帰ってこなかったら飯抜きとかいう馬鹿げた内容だったが、そこは敢えて喋らないでおく。当時の恨みがぶり返すので。
「優先輩は、昔はこれだけ走ってたんですか?」
「そうだね……たぶん、この二倍は走らされてたかな。おかげで、ありえない体力ついたけどね。……でも、そっちの方がむしろよかった」
優の師匠の指導は、恐ろしいほどまでに鬼畜であり地獄だった。腹筋200回、腕立て200回、背筋200回、うさぎ跳びで50メートル往復5回……などなど。色々と人体の神秘やら限界を超えてのものだったため、むしろ体力と言う基礎がなかったら最初の時点で死んでいただろう。いや、割とがちな方で。
「流石に、メアに俺と同じだけやれとは言わないよ……第一、あの方法はいろいろ馬鹿げてるからね、効率を重視したほうが時間の短縮にもなるし」
「すごいですね、優先輩の師匠は」
「まあ、あっちのはとにかく数をこなして強制的に体に筋肉をつけさせようっていう魂胆だったけど……時間もないし、それやると今のメアだと体壊す。それは、絶対にダメだ。……そういうわけで、こっちが勝手に用意したメニューでやらせてもらう。最初は腹筋腕立て背筋……」
「なんだかもう、これじゃトレーニングですよね……」
言わないでほしい。優もそのくらい分かっている。だが、そうしなければいけないのが現状なのだ。
そんなわけで、強引に今言ったメニューをこなさせていく。勿論、初日と言うこともあり軽めだ。オーバーワークは適度に行うのならば、問題ない。だが、し過ぎるのならば怪我に繋がる……という判断の下だ。
「さて、メアの所望通り、戦い方を教えていくつもりなんだが……取りあえず一つ。なんで君達ここに居るのか、天城と桃華!」
「なんでって……おかしなことを言いますね、優さん。私は神薙芽亜の監視役ですよ? いなければだめじゃないですか」
「そこだけは右に同じですわ」
「ねえ、なんなの! やっぱお前ら仲いいだろ!」
なんだかいつの間にか運動服に着替えた二人が居座っていた。しかも、メアと同じメニューこなしているのが、もうこいつら一体何なんだと思わせるところだ。
こっちに関しては関わるだけ無駄だろう。どうせ、鈍った感を取り戻すとかでやってたり、日課なので……とか言って結局ここに居座り続けるのだろうから。
「ともかく。メア、まず最終目標を決めてもらう」
「最終目標ですか……?」
「ああ」
戦闘を教えるにあたってまず、メアには辿り着くべき領域を定めてもらう必要があった。まあ、立てなくてもいいのだが、人と言うのは、達成しなければいけない目標がある場合とない場合では努力の差が違う。
とはいえ、彼女はそれ以前に強くなりたいと言っていた。ゆえに、気持ち面では問題ないとは考えている。ただ単純にモチベーションの問題だ。
「メアには、最終的に俺を超えてもらいたい」
「──え、っと……?」
「体術、剣術……は、得意不得意があるから何も言わないとして。一通りの武術は覚えてもらって……相手の攻撃を読む……ある意味での予知をやってもらいたい」
「優さん、でもそれは……」
「ああ、勿論。一朝一夕にはできない。凡人の俺には、その領域は達していないし、一歩手前に来るだけでも魔法士人生の大半を費やした」
それでも、平凡を抜け出せない優であっても、時間をかければ一歩手前にまでは辿り着けたのだ。メアであれば、必ず辿り着ける。少なくとも優はそう思っている。
「あー……魔法があるにもかかわらず、どうして武術を学ぶのか、って顔だけども」
「はい……」
「まあ、理由はいろいろあるんだが……第一に、敵との魔法に際して、詠唱を待ってくれる敵なんていない」
ごく当然のことだ。敵を前にして、止まって詠唱などしてしまえば、相手からは絶好の的となる。ゆえに、求められるのは並行詠唱。または魔法を極めた先にある詠唱の短文化。──その奥に、無詠唱なんていう馬鹿げたものもあるが……こればっかりは教えてどうこうできる問題ではないのでスルーさせてもらう。
「だから、敵との戦いは……特に、式神を持っている敵との戦いは、主に魔法と剣術だったり体術だったりを併用して行うのが一般的なんだ」
「並行詠唱……ですか?」
「ああ。そうだね。並行詠唱とか無詠唱とかも使う。ただ……並行詠唱ってのは地の体術とかが必要になってくるんだ。例えば、体を動かすことに慣れていない奴に、いきなり俊敏に動けと言われても無理だろう?」
「だから……」
「分かってもらえたようで何より。と言うわけで、まずは俺と戦ってみよう。その際、一応俺の動きに注目していてくれるとありがたい」
「は、はい!」
「う、ううん……」
「うん、持ったほうだね」
模擬として戦っていたはずの二人は、しかし既に戦いは終わっていた。戦闘時間は僅か数秒。
地面に倒れているのはメアで、メアをボコボコにした──勿論みねうちである──当の張本人は、涼しい顔でそんな風に呟いた。
「一度も……」
「一応、これがさっき言った相手の行動の予測だよ。相手の筋肉の動き、視線、得られる情報全てを活用して相手の次の一手を読むっていう技術」
「でも、さっき完全に再現は無理だって……」
「確かに、完全に再現は不可能だった。ただメアのように、素人同然の動きならば読めるよ」
ただし、上級者──とりわけ、アルカナを拝している者達には通用しない。そこまで行くのならば、流石に加速領域を発動させ、完璧な状態に持っていく必要がある。ただし、その条件を満たしたとしても不可能なやつは何人かいるが。
「取りあえず、総評だけども……まあ、予想していた通りだね。戦闘のやり方を理解してない……まあ、しょうがないと言えばしょうがないことなんだけどね」
優の言葉を聞いて、しゅんと項垂れるメアだが、別に落ち込む必要はないだろう。かくいう優だって、最初は同じだった。師匠といきなり勝負してぼっこぼこにされた。今思えば、大人げない……なんだか恨みが再発したような気が……。
ともあれ。筋は悪くない。独流ではあるものの、充分通用するレベルだ。
「ただ、リーチを理解していない。まず、俺の腕の長さとメアの腕の長さは違うんだから、そこを理解して行動したほうがいい。リーチを正しく把握するのは、大事なことだからね」
例えば短刀と槍。リーチがないものと、あるもの。双方のリーチを理解していなければ、まず一撃当てることすら不可能だ。槍であれば、相手を近づけさせなければまず負けることはない。しかし、欠点としては懐に入られた際に対応が遅れると言うことだ。
一長一短。どの武器にも長所と短所がある。今はまだ、メアは武器を持っていない。だが、将来的に考えれば、必ずメアは式神を持たされる。その際に、どんな武器であろうと対応できるようにしておかなければならないだろう。
「何度も言うけど、筋は悪くない。相手に縋り付こうと言う姿勢も嫌いじゃない。……けど、まず自分に与えられた条件を鑑みよう。身長、体重、その他諸々。強くなるためには、最初に自分の能力が今どこにあるのかをしっかりと確認したほうがいい」
「……はい」
「ま、偉そうなこと言ってるけど、俺も絶対的に強いってわけじゃないし、焦る必要はない。ゆっくりでいいんだ。最終的に期限は二年もある。そこまでに、強くなればいい」
今回、彼女が強くなりたいと、ちゃんとした戦い方を教わりたいと言った理由を、優は昨日の戦いが引き金になったのだろうと推察している。何も出来ずに敗北してしまったことへの焦り、悔しさ。
それらの感情が爆発し、強くなりたいと言う想いがはやった。
ただ──悪くはない兆候だ。いずれ教えなければならないと思っていた。それに、この技術は出来るだけ早く教え、盗んでいってほしいのだ。とにかく、相手の動きを読むという技術の体得は時間がかかる。
「さて、天城に治癒魔法をかけられたところで……ここ最近、ずっと触れてこなかったオリジナルについて踏み込もうか」
「桜火繚乱、ですね……」
桜火繚乱とは、メアが作り出した改変魔法オリジナルだ。
オリジナルにも、二つ種類がある。もとからあった魔法を改変するものと、一から作りだしたもの。そして、厄介なことに、改変魔法でもいくつか分類がある。
例えば、イグニスの場合。一節だけ変えたり、一文字だけ変えるのは部分改変というものだ。こちらに関しては、まず時間はかからない──というか、六級であれば誰でも出来る芸当だ。
対して、イグニスを基本骨子にして詠唱全てを変えるのは全改変だ。こちらがメアがやったもので、即興で出来るような代物ではない。
本当なら、ここら辺はおいおい教えていくつもりだった。まず部分改変、そこから全改変──という風に段階を踏んでいくと思っていたのだが、大分裏切られた。いい意味でだが。
勿論、変えた方がいい部分があるのは間違いない。
「イグニスを基本にして、その形を桜……というか、落ちる葉に変えるアイディアは悪くない。むしろ、目の付け所はいい。直線的にしか進まないものを不規則に変化させたけど……少し足りないかな」
「足りない、ですか……?」
「ああ。まあ、仮の話だけど。俺だったら、あの魔法に風の元素を付け加える。理由は分かる?」
「風に揺られれば、更に不規則になる……ですか?」
「正解。メアの出したいいポイントを更に伸ばすってことだよ」
優の持論だが、メアの改変魔法オリジナルのいいところは、相手に軌道を予測させない所である。まるで、それはさながら散る花々のように。そして、それは風によって舞うことで更なる不規則さを生み出す。
だから、そこを伸ばす。勿論、悪いところもないわけじゃない。詠唱を短縮したほうがいいとか、もうちょっと威力を上げた方がいいとか。だが、悪いところを変えるよりも先に伸ばせるところは出来るだけ伸ばしてしまった方がいい、と勝手に思っているのだ。
「ただまあ、あの詠唱の中に風の元素入れるって結構難しいから……当分は手探りだね。どの組み合わせがいいのか、ひたすらに探すしか道はないわけだし」
「分かりました、オリジナルはちゃんとやっておきます……あ、あと。優先輩、向こう一週間指導できないって本当ですか?」
「ああ……いや、依頼を受けに行く前だったら指導できないわけでもない。まあ、できて一時間かそこらになるけど……」
「それでもいいので、特訓つけてくれませんか? ……強く、なりたいんです」
「それは勿論、仰せのままに。とはいえ、一応メアにも仕事が入っていないわけでもない」
「──?」
「最近、この街付近で怨霊が大量発生しているのは分かってるよね? ……人手が足りない。そういうわけで、この街でフリーであるメアに声がかかったんだ。……勝手に決めるようで悪いけど、メアにはこれに行ってもらいたいんだ」
怨霊と言うのは、言うなれば魔獣の一歩手前だ。死ぬ間際、強烈な想いに駆られた魂は怨讐の成れの果てとなる。有名なので言えば、後悔、と言う感情だろうか。魂にその感情が絡みつき、具現化することでこの世を騒がす悪となっているわけだ。
何より問題なのが、一般人に乗り移り好き勝手できるというところだろう。魔法士も例外ではなく、基本ツーマンセルだったりスリーマンセルなどで対応し、一人が乗り移られても他の人間が対処できるようにしている。
それはさておき。怨霊程度であれば、メアであっても対応はできる。いや、むしろ、そうでなくては困る。
「怨霊……?」
「なにか苦い思い出でも?」
「そ、そういわけじゃっ、ないんですけど……」
どこか苦々しく反論するメアだが、本人が何でもないと言っている以上深く追求はしないでおくべきだ。そう、それが本人のプライドだったり何だったりに抵触するのならば。
「それじゃあ……ひとまず休憩しよう。天城、今どれくらい──何を読んでるのか、聞かせてもらいたいところだけども?」
「これですか? 雑誌ですよ、最近噂の政治家……増野栄次郎の殺害予告についての見解とか何とか。優さんも一応見ておきます?」
優に持ち込まれたもう一つの依頼。それは政治家増野栄次郎の護衛だ。
かなり強引な方法で衆目の目を集めさせ、今最も総理大臣に近いとされている人間。いわゆる革新派、というやつだろう。街を盛り上げるためであったら、文化遺産や伝統さえ崩すような人間だ。
「……いや、いいかな。そこまで依頼人について詳しく知りたいわけでもないし……」
「人となりぐらいは知っておいた方がいいんじゃないですか? ほら、最近ですと色々と秘密主義が多かったりとしますし。殺害予告が出るに至った経緯とか」
「そう言われると見たくなるね……まあ、確かに誰から殺害予告が出されたのか、暗殺依頼が飛ばされたのは興味がある」
「私もです。同じ政治家同士だと思っていたんですが……どうも、そうには見えなくて。この人、裏では相当根回ししてるみたいですよ」
「そこは、おいおいだろうね……ただ、魔法士と言う超常に頼る時点で普通じゃないのは分かり切ってる。まあ、暗殺なんていうものに自ら関わるのは天神だけだろうから、そこを辿れば分かるんだろうけど」
今回、なぜ優に護衛の任務がやってきたのか──それはあちら側が指名してきたかららしい。それもおかしな話だ。確かに、彼らは魔法士の存在を黙認している。が、彼らは表立って魔法士の力を使いたがらない。まあ、自らの地位も何もかもを奪いかねない不安定要素を近づけさせない、という意味だろう。だからこそ、積極的にかかわらないのが常のはずだった。
「いずれにせよ、今回は異常だ。次期総理大臣候補に送られた殺害予告に、そもそもなぜ俺を指名してきたか……謎は多いけど、ただまあ、謎っていうのは結局外側から眺めているだけじゃ掴めない。一歩踏み込む必要がある。例え、それが罠でもね」
「あまり無茶はしないでくださいね? 私は工場の件があるので同伴できませんが……」
「気を付けてくれ。あそこには番犬がいる……それも、恐ろしく強い奴がね。たぶん、工場に入らない限り、手を出してくるような人種ではないだろうけど……」
「はい。でも……工場は異常です。まるで、別空間のように魔力が捻じ曲げられているんです。彼女……早瀬雲母に関しても謎は深まるばかりですし……」
「それなら、夜叉神家当主が直々にやればいいんじゃないかな? どうせまだここら辺にいるんじゃないかな?」
「当主は……既に東京に戻っていますよ。というか、そもそも、三家の一角の頂点である方が、こんな仕事には首を突っ込みませんよ。……粗相はありませんでしたよね? 大丈夫ですよね? 有栖様に銃とか突きつけたり、手を出していたりしていませんよね……?」
「……うん、なかったよ」
即答し、天城の懸念は必要ないと言外に告げる。
──彼女が心配する理由も分からなくはない。つい先日。何もかもが始まる一日前。優は一人で夜叉神家当主夜叉神有栖と極秘の面会を行っていた。
無論、表面上は先月の事件の事。内容は、というか本心は全く違っていた。
──優を、『愚者』を夜叉神家に取り込むと言うこと。先月の事件で、優が隠していることを盾にしての条件だった。なんとか機転で脱し、巻き込まない約束を取り付けたものの──所詮は口約束。双方の条件と言うのも、実力行使に出てしまえば意味を失う。
いずれ、しっかりとした対策を考えねばなるまい。
「そう言えば、優さん。そのうち、洞窟にでも行きませんか? ほら、この前埋め合わせするって言ってくれたじゃないですか」
「なんでそこで洞窟なんだ……海でも、プールでも、なんならお祭りでもいいのに」
「この世には吊り橋効果というものがあってですね……まあ、高所はないわけですが、その代わり夜に行って心霊体験で距離が縮まる……なんていうプランを考えてますが、いかがですか?」
「天城さん、俺は時々あなたが怖くなるよ。いや、ほんとに」
「大丈夫です。もしも迷ったときは、風がする方向に向かえば外に繋がってますから」
「天城さん!?」
冗談なのか本気なのか、分からない顔で言う天城に思わず叫んでしまうが、当の本人は可愛く下を出す程度にとどまっている。天城の怖いところは、どこまでが冗談でどこからが本気なのかが掴めない事だ。こればっかりは何年ともに仕事をこなしても分からないだろうと思っている。
「と、ともかく! 早く帰った方がいいのではないかな!? ほら、人手が足りてないんだろう!?」
「そうですね……それでは、また明日会いましょう」
そういうわけで、天城を速攻で帰宅させ、優は端っこで三角座りをしていた白神桃華を呼び寄せて──。
「それじゃあ、メア。一応、仕事が始まるまで仕込みはする。吸収して強くなってくれ。依頼、頑張ってくれ」
「はい。優先輩も、頑張ってください」
「少し、待っていてくださいませ。一度、二人きりで話したかったのですわ」
「……分かった。外で待ってる。が、あまり遅くならないようにしてくれ」
彼女の並々ならぬ感情を受け、それだけ伝えその場を去る優。
これで、この空間に残されたのは、ただ二人だ。金髪少女白神桃華と銀髪少女メアのみ。
互いに見つめ合い、静観を決め込み──やがて、最初に動いたのは。
「神薙芽亜……私は貴女を認めていませんわ」
「──」
「理屈がどうというわけではなく……ただ単に、認められないのですわ。才能がないのなら、別の道を歩めばよかった。にもかかわらず、それを捨てこの世界に来た貴女が、酷く腹立たしい」
「それは……」
「慣れ合うつもりはありませんの。それでは、さようなら」
「──」
それだけ伝えて。白神桃華は踵を返し、扉の方へと向かっていく。その後ろ姿に、メアは何も言えなくて──。
「意外と辛辣なことを言うんだね」
「当然ですわ。この世界は、所詮血や才能が物を言う……この上なく残虐な世界。彼女のように、才能なき者が上に上がれるほど甘くはないのですわ」
「それは、当人の努力次第だろう。どんな原石だって、丁寧に磨かなければ輝かない。それと同じだ。輝く才能がなくたって、人は強くなれる。……彼女は、少なくとも才能に溺れるような人間ではない」
「なぜ、どうして、そこまで貴方はそこまで彼女に執着するんですの……?」
なぜか、と問われれば、結局は一つしかない。
「彼女が、俺にとっての弟子で……俺は彼女にとっての師匠だ。それだけで理由は十分だと思うが?」
その答えに、一度白神桃華は呆気にとられたように立ち止まり──。
「いえ。その、意外にもしっかりと教師役? というか師匠をこなしているのだなと。第一印象ではそういうのが感じ取りにくかったので、驚いている最中ですわ」
「いきなり、そういう方向に話を持っていくか……まあ、一般人を装って生きているからね。それも当然っちゃ当然だけども」
「歪んでいますのね。恐ろしく、不愉快なまでに」
「──えっと、どういうことかな?」
突き刺すような視線と、声に。優は彼女と正対する。
「そもそも、魔法士と言う人間でも、一般人であることに変わりないのでは? 一般人とは、普通に生活している者のことを言うのですし」
「確かにそうだね。俺は別に日常を過ごせていないわけじゃない。戦争の真っただ中にいるわけでも、何か特殊な力を持っているせいで何かに巻き込まれているだなんてことはない。そういう意味であれば、確かに一般人なんだろう」
まるで、他人事のように告げる優に、目の前の少女は眉を顰めた。
当然だろう。優の言い方では、一般人ではないと言っているようなものなのだから。
「ただ……俺は人じゃない。今の俺があるのは、結局中学時代に出会った一人の少女のおかげだよ。それまでは、人の感情なんてものが何一つ理解できなかった。嫉妬、憎しみ、喜び、何もかも。唯一理解できたのは羨望だけ。それ以外は、共感なんてもってのほかだった」
機械のような彼を変えてくれたのは、たった一人の少女だ。彼を好きだと言って、だけど、彼が殺した人物。彼女に会わなければ、もうとっくに擦り切れていたはずだ。
だが、そうならずに、優が今の今まで壊れていないのは──きっと、その少女のおかげだ。
「ただ取り繕っているに過ぎない。自分は人間であると、一般人であると思い込んでいるからに過ぎない」
所詮はメッキだ。例えるなら、人語を話す機械に人間の皮を被せているだけ。
それを剝がされないように、自分は皆と同じだと言い張り、思い続けているだけ。
しかし、結局は人でない事は変わらない。
「俺は、そもそも自分を人だと、人間だと思っていない。救われるべきではないし、救いを求めてはいけない。そういう生き物なんだよ。俺はさ」
罪。彼が犯した、罪がきっとそうさせている。
終わりのない贖いを、報いを。
それを知ってか知らずか、彼女は少しだけ目を伏せて──。
「悲しいですわね」
「そういうものかね。自分では、悲しいとか苦しいとか、そういう感情が完全じゃないから、理解することは出来ないんだよ」
涙は流し終えた。声は枯れるまで叫び続けた。何もかも奪われた。
だから、もう彼には感情を正しく理解することは、恐らくできない。
「──少々、真剣になってしまいましたわ。無礼を詫びますわ、『愚者』」
「そうしてくれるとありがたいんだけどね……こっちも、喋りたくないことまで喋り過ぎた」
そんな風に頭を抱え──自らの家に帰宅するのだった。
「おか、ぇ……り……?」
「なぜそこで疑問形なんだ……ともかく、遅れてすまなかったね。これ、コンビニ弁当。好みが分からなかったから、適当だったけどいいかな?」
「…………!」
帰宅した優を迎えたのは、昨日から引き取っている少女──早瀬雲母だ。大分、警戒が解けてきたのか、少しは喋ってくれるようになってきたのだ。
これは、進歩……と言っていいのだろうか。いや、いいのだろう。たぶん。
「…………いた、だきます……」
「ああ……ついでに、麦茶買ってきておいたから、勝手に飲んでいいよ。俺は先に風呂入ってからにするから」
そんなこんなで、一夜を過ごすのだった。




