13話 素人
「やっぱり……神代君はこっちの人だよね。なんか、そんな雰囲気だったもん」
「委員長……その肌、まさか……?」
「勿論。だって、これがあれば、これを使えば。私は退屈な日常が払拭できる、退屈な日常から抜け出せる。何の刺激もない、何の意味もない世界から」
「──」
突如として現れた優のクラスの委員長、しかしその姿はあまりにも無残なものだった。第一、肌が紫色の時点でもうまずい。健康的な、一般的な人の肌はそんな異常な色ではないのだ。しかも、遠目なのでよく見えないが──何か、斑点が蠢いているような感じすらする。
もう──人間とは断定できない。
だが、そんなことよりも──。
「だけど……おかしいじゃないか。そもそも、魔人化してしまえば、思考能力は奪われるはずだ。まともな感情が残っている方がおかしい……なのに、なぜ、委員長は未だに自我を保っているんだ!?」
──魔人化状態になってしまえば、思考能力が低下し、自我を失う。それは天城に聞かされた前提のはずだ。彼らが──特に、天城が優に嘘を吐いたとは考えにくい。
とすれば、導き出されるのは一つしかない。
「前提が……間違っていたのか? 俺は、いや、三家……陰陽党は、今まで魔人化すれば思考を失うものだと思っていた」
「うん」
「だけど、違うのか!? まさか、今まで俺達が魔人だと思っていた奴らは……失敗作、いわば未完成品。結局、処理するのも面倒だから、こっちに押し付けていたに過ぎない……ああ、ああ! くそ、なんでその可能性に辿り着けなかった。ヒントはあったはずなのに!」
天城の証言から、以前の魔人決戦では三人中二人を捕まえておきながら、最後の一人を逃がしてしまったと。その話を聞いたときには、優はなんとも思っていなかった。思考能力がない中で、それでも本能などを使って逃げ出したのだと、そう思い込んでいた。
だけど、違ったら? その魔人が、平常であったならば。
人間は賢い生き物だ。勝てないと、不可能だと悟った何かに対し、知恵を駆使して逃げの手を打つことが出来る。それを、当てはめればいい。
自分の言うことを聞かない、つまりまともな思考能力を持っていない連中と一緒に逃げたところで足がついてしまう。だから、見捨てたのだ。
その時点で察するべきだった。
「委員長は……副作用もなく、ただ力を得ることに成功した、完成品」
「正解。いやあ、こっちが何も言っていないのに、推測してくれるから助かるなあ、神代君」
まるで煽るかのような委員長の声に、しかし優は全面的にスルーしながら、完成品、という部分を考えていた。委員長の肌、それに変貌。完全な意味での完成からは程遠いのかもしれない。ただ、一部の副作用を撥ね退けただけで、それ以外の副作用は撥ね退けられなかった。
とはいえ、数少ない魔人の成功例だ。陰陽党や三家あたりが喉から手が出るほど欲しい人間だろう。だが、その末路は拷問なり尋問なりだ。
「駅からここまで来るのに……私が頑張って走っても、20分はかかる……でも、神代君はそんなにかかってない……やっぱり、本気で授業受けていなかったんだね」
「スイッチがあるんだよ。明確な、ね」
誰かを救う、もしくは依頼を受けた際だけ、と決めている。以前、メアに話した自己暗示の類だ。なぜなら、この力は悪用するためにつけたものではないからだ。
「でも……神代君。今の私は強いよ? だって、魔人になったんだから」
「──委員長。改めて、聞いておくよ。どうして、こっち側に来たんだ。君は、こっちに来るべき人間ではなかったのに」
「決まってる。そんなの、誰から指摘されるまでもなく決まってる。だって、日常が退屈なの」
まるで、吐き出すように、自らが生きている世界への愚痴をこぼした。ともすれば、それは彼女が毎日誰かに送ろうとしていたメッセージそのものだ。
「変わらない日常、刺激のない毎日。毎日同じ人と話して、決められた規則にのっとって、決まった時刻に登校して授業を受けて帰って……ねえ、神代君。これってさ、本当に自由って言えるのかな?」
「……だから、こっち側に来たと?」
「うん。そりゃ、私だって人を殺すことに何の感慨も抱いていないような奴に手を貸すのは嫌だったよ? でも、他に何もないんだもん、この欲望を満たしてくれる何かは。……最初は、つまらない日常を変えようと思って、今までとは違った趣味に手を伸ばしてみた。例えば、クラス内の性格、趣味嗜好、果てには学力や能力まで把握した……けど、ダメだった。どうしても、満たされなかった。何をどうしても、この想いをどうにかするなんてできっこなかった」
「──」
「だから、自分に正直になったの。このなんともない、くだらない日常をどうにかできるなら、悪魔にだって魂を売り飛ばしてやろうって」
委員長の、その告白を聞いて。優は少しだけ考えこんだ。そう、彼女の趣味も、なぜかクラスメイトの学力も、身体能力も把握しているのは、そういう理由があったわけだ。全ては、くだらない、退屈な日常を変えるために彼女が選んだ選択肢。
きっと、苦肉の策だったのだろう。本当は選びたくなかったのだろう。この世界が、彼女の望む通りであれば、きっとこんな世界になんて来なかった。
だが──優はそんな考えなど、許さない。
「そんなことのために、その力を使うことは許されない」
自然と強い口調で、優は口を開いていた。
「その力は悪用するためにあるものではない、その力は誰かの欲望を満たすためにあるものではない。それに……なんだと? 日常がつまらない、退屈? ──ふざけるなよ。その日常が欲しい奴だって居るんだよ。当たり前の日常がね」
「──っ」
遊び感覚でこの力を使う? 自らの欲を満たしたいがためにこの力を使う? ダメだ。そんなことだけは許さない。覚悟もしていない奴が、その力を使うな。
この世界は、簡単でも、単純でもない。死だってあるし、逆に殺す側に回ることだってある。その際に、こう言うのか? 遊びだったと。ほんの冗談だったのだと。
──ふざけるな。そんな言葉など、愚者は認めない。
「メア。下がってくれ。こいつは俺がやる。魔法の使い方も、その心得も、何もかも分かっていないやつに、負けるわけにはいかない」
「分かり、ました……」
それだけで、メアは後ろに下がっていく。恐らくは、自らが邪魔だと判断したのだろう。だが、未だ絵はそっちの方がいい。彼女に魔法を捨てさせるのならば──圧倒的な力でねじ伏せるしかない。
ならば、簡単だ。
「いいの? 今の私はそっちが呼んでる魔人? ってやつと同等だよ? 勝てるの?」
「問題ない。──魔法なんて、一切使う必要もない。遊び感覚でこの世界に来たこと、後悔させる」
短くそう答えて。戦闘が、始まった。
「我は希う。万物を焼き尽くす炎を──イグニス」
先に動いたのは委員長の方だった。優の見立てからすれば、彼女は秀才だ。計算は言わずもがな、暗鬼だって得意中の得意だろう。ゆえに、彼女からすれば元素を含む単語を全て覚えることなど造作もないのかもしれない。
その証拠に──メア以上の速度で詠唱を唱え終える。
魔法の詠唱には勿論技術が必要だ。例えば、並行して詠唱を行えるか、詠唱を噛まずにいえるか、それでいてどれだけの速さで言えるか。詠唱に気を取られないことも重要だ。ここだけを聞けば、子供でも出来そうなものだが──これが意外と難しい。
人間の脳は、二つの事を同時に、完璧にすることなどできない。どうも、聞いたところによるとマルチタスクによって思考能力が低下するらしい。これには明確な理由が存在するのだが──まあ、ここで論じても意味はないだろう。
ゆえに、と言うべきか。そういう人材は重宝されるのだ。
──さて、話を戻して。
委員長の周りに炎──それも、通常のイグニスとはあまりにもかけ離れた火球が出現した。通常よりも猛々しく燃え、大きくなっている。勿論、オリジナルを作り出したわけではない。あくまで、既存の魔法で、ここまでの威力を出している。
これが、魔人となった者に与えられる強さだ。
だが──。
「それじゃあ、当たらないよ、委員長」
優に向かって射出されるそれらを、全て躱しきった。
一個も当たらないとは思っていなかったのか、委員長は顔を驚愕に染めて──。
「──っ、なら、もう一度!」
「何度やっても結果は変わらない。なぜなら、魔法の使い方がなってないからだ」
メアに言ったことだ。イメージ。それと、魔法の基礎だ。それが、委員長の場合はなってない。そして、彼女は素人だ。メアと同等ぐらいに。
メアにすら、未だ動いている相手に向けての練習などしていない。それは勿論、それほどまでに難しいからだ。そこまでやるのなら、並行詠唱にまで足を突っ込まなければいけないため、一週間だけでは教えることが出来なかったのだ。
「それに……狙う場所を注視しすぎだよ。それだと、みすみす相手に情報を送ることになってしまう……。世の中には、視線から、筋肉の僅かな硬直、動きなどを見て相手の行動を予測するなんて言う馬鹿げたことをする奴だって居るんだから」
勿論、そういう馬鹿げた芸当ができるのはあくまで一握りの人間だけだ。唯一無二の才能を持ち合わせ、尚且つ努力することを諦めなかった者にだけ、その境地に至ることを許される。
優は、その領域に達していない。疑似的な再現は可能だが、魔法に頼らなければならない時点で彼らの足元にも及んでいない。
「それでも……委員長であれば、見破れる。俺がその境地に至ってなくても、さほど問題じゃない。素人は当てよう、当てようと言う方向に意識が持っていかれて、駆け引きなんてしようとしないんだから」
魔法とは、基本的に万能ではあるが、しかし勝手に相手に命中するなんて言うことはない。魔法を命中させるのは、本人の技量と──相手との駆け引きだ。
「委員長。これが、こんなものが、求めてやまなかったものだよ」
「く……」
「望むのなら、まだ続けてもいい。たぶん、結果は何一つ変わらないけどね」
委員長が魔法を放つ。優がそれを躱し、少しずつ彼女の近くへと進んでいく。それの繰り返し。
──認めたくないのだろう。自分が全てを投げてまでやってきた世界で、こんな風になるとは。
信じていたのだろう。この世界でならば、自らの欲を満たせると。
こういう手合いは最も面倒だ。なぜなら、言っても聞かない。だから──。
「ご退場願おう、委員長。もう、こんな世界に来ないことをお勧めするよ」
「あ──」
委員長の前にあっさりと辿り着いた優は──ポケットから護符を取り出し、それを発動させた。
複合魔法。四元素をこねくり回して、ようやっと見つけた最適解。
相手に何の傷も与えずに、戦闘不能へと持っていける魔法。空気を振動させ、相手の脳を揺さぶることで強制的に気絶状態へと陥らせるために作った魔法だ。
ちなみに、護符とは魔法を保存できる代物だ。その効果から数が少ないため、自作している魔法士も少なくはない。かくいう優だって、自作した。
優の魔法を身近で食らったため、崩れ落ちる委員長を手で支え、一息つく。
「これで、一件落着か……?」
もはや、何の音もしない世界で、優はそんな風に呟いた。かすかに聞こえるのは、委員長の息とメアの呼吸だけ──なお、メア自体は優のやってのけた事に愕然している状態だったが。
戦闘中も響いていた少年の声も、肌を焼くような音もしなくなっていたので、こちらについても問題ないだろう。惜しむらくは、あの薬がなんだったかを聞き出せなかったことだ。残念ながら、優は薬によって何が引き起こされるかを知らない。
(ここら辺は、メアに聞けば分かる事か……これは、暫く周りが騒がしくなりそうだな……)
魔獣の出現に、謎の薬。そして、前例のない副作用のない魔人──完成品。今まででは辿り着くことの出来なかった秘密が、一気に集まってしまっている。定石ならば、まず委員長は三家、もしくは陰陽党に引き渡すのが一番だろうが、彼らに渡せば拷問まがいや解剖までやらかす可能性があるので却下だ。ゆえに、隠蔽するべきかと思考を纏め、未だ開いた口が塞がらない状況のメアに近づいて──。
「ああ、くそ。どいつもこいつも役に立たない……チクショウ! ああ! なんで! どうして!? この世は僕の思い通りにならないんだよ!?」
だが、彼らの安堵感をぶち壊すかのように。後方より、イラついた声が響き渡った。
そして、優がその先で見たものは──。
「嘘、だろ……お前も、成功例かよ……!」
肌を禍々しい模様で染め、瞳を充血させた化け物──魔人へと昇華した人間が、怒りの形相で立っていた。




