よーいドン!
トーストを口に運ぼうとしていた手が、空中で止まった。
学園入学の話、初耳だ。
異世界では、十六歳になる魔法使いの子供たちは魔法学園に入学する。それぞれの国には一つずつ魔法学園が存在し、学生たちが研鑽を積んでいるらしい。
確かに、俺は今年で十六歳。あっちの世界でも高校生だ。実際に俺も高校入学前の春休みを謳歌していた。だが異世界に飛ばされ、さっそく借金を背負わされてしまったから学生気分で居られるわけがない。俺には、学園生活なんて全く関係無いとばかり思っていた。
「言ってなかった? 今日が受験申請の提出期限だよ☆」
マリンは壁の凹みからいつの間にか脱出し、トーストにジャムを塗っている。その手には、金縁の装飾が施された『アスガル魔法学園』の受験申請書が握られていた。
「学園生活なんて、この際どうでもいいんだ。俺はさっさと、このクソみたいな借金を返したいんだよ」
「それは無理だよ、お兄ちゃん。『アスガル王国』の法律、知らないの? 『一定以上の魔力保有者は、十六歳から学園に通って魔法使いのライセンスを取得しなければならない。未取得者が魔法を無断で使用した場合は現行犯逮捕』らしいよ? 今のままだとお兄ちゃんは返済どころか、一生タダ働きして、魔力を絞られるだけ絞られて、干物にされ続ける生活だね」
つまり、学園に行かなければ俺の借金生活どころか、人生そのものが詰むのか。
「でも、良いことの方が多い。王国の魔法使いや騎士団の部隊に口利いてもらえるし、学園生のクエスト報酬は税金掛からないから、そのままもらえる。冒険者として生活するにしても、学生時代から名を売っておいて損は無いだろうね。おまけに特待生になれば、学園生活で掛かるお金は一切不要」
「……王国、クエスト報酬、特待生」
良いことばかりじゃないか。
「ティア姉は特待生として卒業済み。ミスト姉は特待生受験に寝坊したから、一般生徒として在学中。今一年生だから、ソウタお兄ちゃんが入学できれば一個先輩だね」
やはりミストは、お外でもミストのままか。我が家の次女は、闘牛士の真似事をして吹っ飛ばされて星になって消えた。きっと今頃、ジャングルの奥地でマンガ肉でも齧り付いているのだろう。
「借金を最短で完済したいなら、学園を使い倒すのが一番だよ☆」
「通う。で、何をすればいい?」
「話が早くて良いね。この申請書を持って、一時間以内に学園の正門を潜って魔力認証を済ませてきて。一秒でも過ぎたら、その瞬間に指名手配だから。罰金は無いけど、お兄ちゃんの首に賞金が懸かっちゃうかもね★」
「一時間後!? 学園まではどれくらい掛かるんだ!?」
「どうだろう? 五十九分くらいじゃない?」
俺は飲みかけの牛乳を吹き出しそうになった。
今すぐ家を飛び出さなければ、俺は犯罪者だ。
「大丈夫だって! お兄ちゃんなら行けるよ、頑張って~」
マリンが呑気に手を振る横で、俺は椅子を蹴るようにして立ち上がった。エプロンを脱ぎ捨てる暇も惜しい。受験申請書をひったくり、ジャージのポケットにねじ込む。
「行ってくる!」
俺は玄関を飛び出し、全力で地面を蹴った。
あっちの世界で志望校に合格した時は、受験が終わって清々したくらいにしか感じなかった。だが今は、賞金首になる恐怖で突き動かされている。
一分を争うこの状況で、障害物を避けながら必死になって走り続けた。路地裏を抜け、石畳を叩き、最短ルートで進みながら、アスガル魔法学園に向かう。残り時間は分からない。腕時計を持ってくればよかった。
異世界に来てからずっと、ミストの無茶な特訓に付き合わされて魔力の使い方は自然に身に付いた。
魔力を足に集中させる。学園でライセンスを取る前だが、バレなければいいだけの話。捕まる前に正門に辿り着けばセーフだ。俺は高く跳躍し、荷馬車の上を風のように通り過ぎた。
その時、頭上から聞き覚えのある、抜けた声が降ってきた。
「あ、ソウタ君発見!」
見上げると、マンガ肉に齧り付いているミスト姉さんが居た。
屋根の上で、ワイルドな朝食を始めている。
「鬼ごっこ?」
「違う! アスガル魔法学園の受験申請に行くんだ!」
「そうなんだ! じゃあ、私が鬼ね!」
「話聞いてた!? オマエと遊んでる暇なんて無い! 放っといてくれる!?」
「よーいドン!」
ミストは手に持っていたマンガ肉を一瞬で平らげると、屋根から屋根へと猛烈な勢いで跳躍を開始した。
「ちょっ、待て! なんでお前が追いかけてくるんだよ!」
「鬼ごっこでしょ!? 捕まえたら私の勝ちー!」
「邪魔だ!」




