ドロドロでギラギラ
ティアが誰にも知られないようにアルコル宮を抜け出すのは思いのほか簡単だった。竜の園では毎日十時から十四時までが手習いの時間で、そこから一時間の休憩のあと、十五時から十八時までみんな働いている。
必要に応じて園と宮とを行き来しながら仕事をしているリュージもそうだ。アルコル宮では十九時からみんなで集まって食事をするから、リュージもその時間までは朝からずっと休みなく竜の世話をしたり、書類とにらめっこしたりしている。
特にここ数日は元老院会議とかいう大事な集まりのための準備があるからと言って、リュージはラドニアやジュンコと根を詰めて話し合っていることが多かった。
でもってイヴは先日生まれたブルーの子の傍を離れず、エレノアも宮内の掃除をしたり、洗濯物を取り込んだり、料理をしたりと忙しそう。
そしてそんなリュージたちが悪いことをしないか見張るためにいるというギゼルも、最近はリュージたちの話し合いによく混ざっていて、ティアのことは気にもかけていないみたいだった。今日も襟巻竜の世話があるヘスペルは授業のあと、いつものようにティアを送り届けるとすぐに園へ戻っていったから──いける。
人間たちが作った〝時計〟という名の円盤が十六時半を示す頃、ティアは満を持してアルコル宮の二階にあるリュージの部屋の窓から飛び出した。
窓辺に置かれたスライムのフレディが、ちょっと驚いたようにみょいんみょいんと伸び縮みしていたけれど、だいじょぶだよ、と落下しながらティアは笑う。
次の瞬間、長く伸びた銀髪の間からバサリと竜の翼が開いて、ティアの姿は瞬く間に体長二メートルほどの星竜のそれへと変化した。
もちろんティアが姿を変えられるのは自分自身の肉体だけだから、竜の姿になると着られない衣服は前脚で抱えている。そうしながら遥か天空まで一気に上昇し、地上の人間には気づかれない高さを飛んだ。肉体を構成する源素の中でも特に光素の比率が高い星竜の白い鱗は、常に仄白く発光している。
夜になるとその発光がよく見えて、まるで星の輝きのようだからと、人間たちはティアの一族を〝星の竜〟と呼ぶらしかった。
母大樹の森で出会ったときよりひと回りもふた回りも大きくなったティアの鱗もまた、今や立派に輝いている。竜族の中でも特に美しいと評判のこの姿をリュージにも見てもらいたいけれど、それはまた次の〝さぷらいず〟だ。
いつもは歩いて行き来するのに二十分ほどかかる竜の園までの道のりも、成長したティアの翼にかかればひとっ飛びだった。さらに上空一〇〇〇メートルの距離からでも地を這う獲物を見つけられる視力を駆使して、園の周りに人気がないことを確認し、サッと翼を折りたたむや、茂みに向かって急降下する。
「よい、しょ……っと!」
ほどなく植え込みの陰で人間の姿に戻ったティアは、頭と腕を通すだけの簡易な衣服をそそくさと身にまとい、竜の園の裏口を目指した。現在竜たちが飼育されている建物には、ゴミを運び出したり井戸で水汲みをしたりするときに使われる裏口があって、ケニーから事前に〝そこから入ってくるように〟と言われていたのだ。
「こんにちわぁ、お使いにきましたぁ!」
奴隷が逃げ出さないよう出入り口で目を光らせている近衛騎士にもケニーから言われたとおりの挨拶をして、人目を避けながら慎重に園の地下を目指す。
地下と言ってもアルコル宮と同じ半地下で、竜たちの餌を準備する部屋や奴隷用の食堂などがある場所だった。
そしてちょっと細い通路を入った先には、色んな道具が雑多に詰め込まれた物置部屋がある。いずれ何かに使えるかもしれないが、今のところは特に使い道なしとしてずっと放置されているガラクタが山を成している部屋だ。
ティアがその扉をノックして耳を澄ませると、ほどなくそっと隙間が開いて、ギラッとした目が見えた。が、目の持ち主はやってきたのがティアだと知るや途端に相好を崩し、にんまりとしてみせる。
「待ってたよ、ティアちゃん」
招き入れられて中に入ると、暗くて埃まみれの物置部屋にはケニーの他、ふたりの男奴隷がいた。よくケニーと行動を共にしているマグノとライアンだ。
この三人は非常に仲がいいらしく、手習い塾でも一緒にいることが多かった。
そんな彼らの姿を照らすのは、リュージが常々「においがひどい」と苦言を呈している魚油のランプひとつだけ。
嵌め殺しの小さな採光窓しかない物置部屋は言わずもがな密室で、肉食のティアでさえちょっと顔をしかめたくなるような悪臭が充満していた。
「ほんとに抜け出してこれたんだな。リュージさんやブルグント公子には見つからなかった?」
「だいじょーぶ! リュージもギゼルもずっとウチアワセでカンヅメだから、ティアがアルコル宮を出てきたところ、見られてないよ~!」
「そっかそっか。なら思いっきりイイコトしても大丈夫そうだなぁ」
「うん! リュージにさぷらいず、でしょ? ティアはなにをすればいいの?」
「そうだな。じゃあまずは、服を脱いで裸になってくれる?」
「……うん? なんで?」
「なんでって、そりゃもちろん──おれらと子作りするためだよ」
とニヤつきながら言うが早いか、三人の中で一番大柄なマグノが突然、ドンッとティアの体を突き飛ばした。おかげでティアはよろけてしまい「わっ……!?」と悲鳴を上げてお尻から倒れ込む。
おかげで尻餅をついたティアはしかし、辛うじて腰を強打せずに済んだ。というのもティアが倒れた床の上には、アルコル宮のそれに比べるとずいぶんペラペラで薄汚れてはいるものの、奴隷の寝台に使われるマットレスが積まれていたためだ。
「おら、三人でマワさなきゃならねえんだからさっさとしようぜ。どいつもこいつも溜まってンだ、一発ずつじゃ足りねえだろ?」
「だな。しかも奴隷のおれらがこんな上玉抱けるチャンスなんざそうそうないぜ。最低でも三発はヤッとかねえと」
「んじゃ、まずは約束どおりおれからな。不正なし、恨みっこなしで引いた籤の結果だ、文句言うなよ?」
「分ぁってるよ、いいから早くしろ。女はおれらが押さえておくから、さ!」
と告げるが早いか、マットレスの上に長躯を乗り上げてきたマグノが、座り込んだ状態のティアをさらに押し倒した。そうしてティアを組み敷き見下ろしたマグノは、獲物を追い詰めた捕食者みたいな目で舌なめずりをしている。
そこでティアはようやく気がついた。たったいま自分を取り囲む三人の氣は、全然キラキラなんてしてない。むしろ赤と黒が入り混じったような、ドロドロでギラギラの──まるで狩りをするときの竜みたいだ。
そう思ったときふと脳裏をよぎったのは、昨日ヘスペルからかけられた忠告。
『手習い塾のやつらはみんなティアちゃんを狙ってるんだから、絶対に隙を見せちゃいけないよ』
そうだ。そうだった。
昨日のヘスペルの話は、人間のことをよく知らないティアには半分くらいしか理解できなかったけれど、そういえば両親からも聞かされたことがある。
人間は竜を食べるのだ、と。
アゴログンドの自然界において、竜は天敵のいない頂点捕食者だ。
魔獣の中にも竜を襲って食べるものなどひとつもいない。
何故なら彼らは知っているから。
竜がいなければ、アゴログンドの秩序はいずれ崩壊するということを。
けれどその事実を知らない人間たちは平気で竜を狩って、食べる。だから人間には気をつけなさいと、ティアも成竜たちから絶えず忠告されて育った。
でも、今のティアは見た目だけなら人間だ。
「ひとまず黙っていれば竜とは見破られないだろう」と火神竜からもお墨つきをもらったし、他の人間たちには必ず正体を隠し通すと、リュージとも約束した。
なのに彼らは今からティアを食べようとしている。氣を見ればすぐに分かる。
──どうして? 自分が竜であることをどこかで見破られたのか?
いや、でも、彼らがティアを呼んだのは、リュージへの〝さぷらいず〟のためだと言っていたはず……。そう混乱したティアは、自分を見下ろしながら粗末な腰紐を解き始めたケニーを見やって思わず尋ねた。
「け、ケニー……なにするの? 〝さぷらいず〟は?」
「あ? ああ、だからコレがサプライズだよ。だってリュージさん、最近周りに女奴隷が増えすぎて困ってるだろ? 淫乱だとかロリコンだとか、貴族どもにあらぬ疑いをかけられまくってさ」
「ヒャハハッ、そうそう! だったらその中からひとりくらい、おれらがもらってやろうって話になったんだよ。君は奴隷になったばっかりだから知らないかもだけど、皇宮じゃ未婚の女奴隷は男奴隷の性処理役も兼ねてるわけ。で、妊娠したら今まで関係を持った男の中から好きなやつをひとり選んでそいつと結婚するんだよ」
「〝ケッコン〟──」
「そういうこと。聞けばリュージさんって、マジでただの一回も君らのこと抱いてないらしいじゃん? せっかく園で唯一未婚のエレノアをあてがわれたってのに、あいつにも全然手ェ出さないって言うしさ」
「ククッ……なのに女狂いだの何だのって難癖つけられまくって可哀想だよな? だからおれらも日頃の感謝を込めて、リュージさんの悩みの種を減らす手伝いをすることにしたんだよ。で、結果ティアちゃんが妊娠すれば立派な〝サプライズ〟だろ? ってわけで──大好きなリュージさんのためにも、おれらを楽しませてくれよな?」
ドロドロでギラギラの氣をまといながらケニーはそう言って、いよいよ自らの脚衣を脱ぎ捨てた。が、ティアにはますます分からない。
インラン? ケッコン? リュージのため?
つまり彼らに大人しく従えば、リュージが喜んでくれるということだろうか?
だけどティアは、食べられたくない。
リュージがくれた服を引き裂き、ケニーが覆い被さってきたとき、ティアははっきりそう思った。だいたいリュージが──あの日母大樹の森で、まだ人間と意思の疎通も図れないほど弱く小さかったティアを命懸けで守ろうとしてくれたリュージが、ティアが食べられることを望むはずがない。
要するに、ケニーたちの言うことは全部ウソだ。
ああ、お父さまやお母さまや天神竜さまの言うとおりだった。
人間はアゴログンドで唯一竜を食らう、残忍で狡猾なイキモノ。
だけど、だったらティアはどうすればいい?
こんなやつら、有翼類がひと噛みすればあっという間に絶命する。
あるいは竜術を使って追い払ってもいい。
しかし問題はそのどちらを選んでも、ティアの正体が露見してしまうということだ。ならば力づくで三人を振り払って、ここから逃げ出してしまおうか。
けれどそう思っても、マグノとライアンに押さえつけられ、さらにケニーに抱き着かれた状態では容易に逃げられそうもない。人間の姿のままでは、どんなにもがいたところで彼らを振り払えないと悟った。かと言ってリュージとの約束を守るためには竜の姿にも戻れない。どうすれば、どうすれば、どうすれば──
「や、やだ……やだぁっ……!!」
と、ティアの体中を舐め回していたケニーが大きく口を開き、いよいよティアの胸もとに食らいつこうとするのを見て思わず叫んだ。
すると次の瞬間、まるでそんなティアの想いに呼応したかのごとくものすごい騒音が鳴り響き、物置部屋の扉が蹴り破られる。
「なっ……!?」
これにはさすがに驚いたらしい三人が、捕食者に見つかった小魔獣みたいに飛び上がって入り口を振り向いた。ティアも瞳いっぱいに涙を溜めて目をやれば、扉が半分取れかけてしまった入り口の向こうに、誰かいる。
「あ……アスバル……!」
やがてケニーが面食らったようにその名を呼ぶのを聞いて、ティアも目を丸くした。そう、そこにいたのは本物の捕食者みたいな眼をしたアスバル・ルイバだ。




