エリック・バーンはかく語りき
という俺の命令を聞いたアスバルは案の定ブチギレた。
「ふざけんな、なんでオレがエル・ライ人なんかと組まなきゃならねえんだ! あんなタマなし野郎と仲良しごっこをさせられるなんざ冗談じゃねえ! てめえ、いくら皇帝のお気に入りだからって人をおちょくるのも大概にしろよ!」
といきなり怒鳴り散らされるのも当然想定内だ。
ゆえに「竜が怯える」という理由で、先に園の外まで移動しといて正解だったなと俺は自身の英断に腕を組み、うんうんと頷いた。が、アスバルはそんな俺の態度がますます気に入らないらしく、仁王像のごとき憤怒の表情をあらわにしている。
はあ……こいつを説得するのはかなり骨が折れそうだ。とはいえ一度引き受けちまったもんはしょうがないよなと腹を決めて、俺もようやく口を開いた。
「まあ、待て。おまえがキレ散らかすのも無理はないが、今回の決定には諸々の事情ってもんがあってだな……まず、アスバル。おまえの出身は元ノースランド同盟のエルタニン王国で間違いないんだよな? おまえが花竜を気にかけてたのはそのせいか?」
「あァ!? 何の話だ!?」
「花竜の主な生息地は、元エルタニン王国領にあるラスタバン半島だと聞いた。つまりおまえがさっき花竜の歌を真似られたのは、あいつらと同じ半島の密林で暮らしてたからだ。違うか?」
「……」
「おまけにさっきのハイビスやアロアロの反応を見る限り、あいつらはおまえに敵意を持ってない。なついてると言ってもいいだろう。そして竜が敵意を返さないということは、おまえもあの二匹には敵意や恐怖を感じてないってことだ。これが今回、おまえを花竜の担当にすると決めたひとつめの理由だな」
と、俺が順を追って説明する素振りを見せると、アスバルは黙って続きを促してきた。無論、俺を睨むやつの目には最上級の怒りと憎しみが燃えていたが、まずは俺の言い分をひと通り聞いてから、と思い留まる程度の理性は働いているようだ。
「んで、ふたつめ。まず、ハイビスとアロアロがどうやらおまえにはなついてるみたいだって情報を寄越したのは他でもないシエルだ。どうもあいつは前々から、おまえが二匹を気にかけてることに気づいてたみたいだな。で、その理由が気になって、あいつも花竜に興味を持つようになった。だからもしおまえさえよけりゃ、一緒にハイビスとアロアロの世話をしてみたいんだとよ」
「……はあ? あの腰抜けが自分でそう言ったのか?」
「おう。つってもあいつは園の記録係だからな。花竜の世話に夢中になって本来の仕事をほっぽり出されても困る。よって主担当はあくまでおまえで、シエルは副担当って位置づけだ。それでもいいかと確認したら、シエルは〝構わない〟ってよ」
「……」
「まあ、だがもちろん、おまえをシエルと組ませるメリットもある。あいつはここしばらく襟巻竜の記録を取るためにヘスペルと行動してたからな。担当竜を持つってのがどういうことかは、業務の流れも含めておまえよりも把握してる。あいつが補佐役になってくれれば、おまえも色々と助けられる部分があるだろう」
「ハッ。オレがエル・ライ人に助けられるって? いよいよ冗談でも笑えねえな」
アスバルは取りつく島もなくそう吐き捨てるや、仁王像の顔のまま片頬を歪めて笑った。その面構えの凶暴さたるや、もしこの場にシエルが居合わせたなら震え上がって「やっぱり考え直します」と言い出しそうな形相だ。
ま、幸い俺はアゴログンドに転生してきてからというもの、トラやヒグマよりも恐ろしいフリーダなる猛獣と相対してきたおかげで心臓が鍛えられ「笑えないと言いつつ笑ってるじゃねーか」と内心ツッコミを入れられる程度の余裕はある。
よって臆することなく腰に手をやると、ふう、とひと呼吸置いてから、ずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。
「アスバル。おまえが今更シエルと馴れ合いたがるわけがないってことは分かってる。だがひとつ訊いておきたい。おまえはなんで今もエル・ライ人を憎んでる?」
「はあ? てめえ、ノースランド同盟のことをあれこれ調べたんじゃねえのかよ。だったら同盟出身者がエル・ライ人を憎む理由なんてとっくに知ってんだろ」
「ああ。けど俺が知ってるのは同盟出身者がエル・ライ人を憎む理由であって、おまえがエル・ライ人を憎む理由じゃない。この間ギゼルも言ってたが、おまえはどう見ても大陸統一戦争のあとに生まれた男だろ? だとすりゃ七十年前の戦争のことも、滅亡する前のエルタニン王国のことも、直接知ってるわけじゃないってことだ。なのになんでそんなにエル・ライ人が憎いんだ? 奴隷にされて、故郷から引き離されたことを恨んでるからか?」
「ハッ……故郷? 故郷ってどこだよ?」
「はあ? だから、おまえがもともと暮らしてた旧エルタニン王国領の……」
「知らねえな。確かにオレの父親の父親……つまり祖父さんは昔エルタニン王国で暮らしてたらしいが、統一戦争のあとすぐに帝国の奴隷にされて祖国から引き離された。で、商品として売られた先で同じ奴隷との繁殖を強要されて生まれたのがオレの親父であり、オレだ。だからオレァ、エルタニン王国なんて知らねえよ。一度も行ったことすらねえ」
「な……」
「だがそのジイさんが死ぬまでずっと言ってたんだ。オレらがこんな目に遭わされるのは、全部同盟を裏切ったエル・ライ人のせいだってな。やつらさえ存在しなけりゃオレたちは今頃、祖国で幸せに暮らせていたはずだと……だからエル・ライ人にはオレたち以上の苦しみを味わわせて、罪の重さを理解させてやらなきゃならない、償わせてやらなきゃならない、ってな」
まるで自然の摂理でも語るかのように平然とアスバルが言うのを聞いて、俺は不覚にも慄然と立ち竦むことしかできなかった。……じゃあ何か?
こいつは──こいつ自身はエル・ライ人から直接何かしらの危害を加えられたわけでも、特別祖国に愛着があるわけでもなく、ただ大人の言いつけを守ってエル・ライ人を迫害してるだけだってのか?
そんな理由で他人を殴りつけ、笑いながら命を踏み躙ることができると?
ああ……いや、もちろん分かってた。人間がそういう特異な残虐性を持つ生き物だってことは、前世でも嫌ってほど思い知らされて分かってたさ。
だが分かっていても眩暈がする。こういう現実を改めて目の当たりにすると、俺たちのやろうとしていることなんて全部無駄なんじゃないかって気がしてな。
けど、だからと言ってここで立ち止まるわけにはいかない。突き詰めれば目下竜族が抱える問題も、アスバルとシエルが抱える問題も、根本にあるものは同じだ。
相手に対する偏見と相互理解の拒絶──とにかくすべてはこれに尽きる。
特にアスバルのような人間が分かり合おうとする努力を嫌がるのは、今まで自分が悪と見なし、押さえつけてきた人間よりも自分の方が遥かに劣っていたり、非があったりすることを認めるのが恐ろしいからだ。そして何より、やり場のない怒りや悲しみや劣等感をぶつける先がなければ、こいつらは自分の心が持たないことを知っている。ゆえに自分の苦しみを他人に背負ってもらおうとする。
だったら誰かがもっと別の方法で苦しみを取り除いてやらなきゃ、アスバルもシエルも、どちらも死ぬまで救われない。
そう思い直した俺はふーっと一度、肺が空っぽになるまで息を吐いた。
そいつと共にアスバルに対する怒りや軽蔑、失望なんかも吐き出して、代わりに胸いっぱいの覚悟を吸い込んでから、言う。
「よし、分かった。じゃあアスバル、やっぱりおまえは明日からシエルとふたりで花竜の担当だ。他の飼育員にも今日の夕礼で周知するから、そのつもりでいろよ」
「……はあ!? てめえ、今の話を聞いてなかったのかよ!」
「アホ、聞いてたからこそ言ってんだろ。どうやらおまえは口で言っても理解できるタイプの人間じゃなさそうだからな。だったらシエルの望みどおり、あいつのやりたいようにやらせてみるのが一番だと判断したまでだ」
「だからそいつが意味不明だっつってんだよ! あの野郎、一体何様のつもりだ? 皇帝のお気に入りを味方につけて調子に乗ってんのかよ? そんで今はオレよりも自分の方が立場が上だと見せつけて勝った気になりたいってか? てめえが偉くなったわけでもねえくせに、そんなくだらねえ方法でオレに復讐できると思ってんなら、とんだおめでた頭だな!」
「めでてえのはてめえの頭だよ、サル」
「あァ!?」
「アスバル。おまえはどっちが上か下かだの、マウントを取るだの取られるだのって思考でしかものを考えられねえのか? だとしたら、おまえは正真正銘のサルだよ。早く皇帝の前まで行ってケツを突き出してこい。〝どうぞワタクシめのケツにあなたのモノを突っ込んで下さい〟ってな」
それが群の中で立場の弱いサルが、立場の強いサルに対して行う礼儀作法だ。
俺が声を荒らげもせず淡々とそう言えば、アスバルの額にたちまち血管が浮き出した。次の瞬間、やつは膂力にものを言わせて俺の胸ぐらを掴んでくる。
今、ここにはイヴもジュンコも、ギゼルもヘスペルもいない。
つまりこいつが拳を振り上げたところで、止めに入る相手は誰もいない。
だがそんな状況が、俺にはかえって好都合だ。
「いいか、アスバル。シエルがおまえと組んで花竜の世話をしたいと言い出したのはな、自分の祖先が犯した罪を償うためだ。あいつは自分が生まれる前に起きた、自分とは何の関係もないはずの出来事にまで責任を感じて、何かしなきゃならないと思ってる。その心がけは立派だが、おまえには何の罪もないはずだと俺が何度説得しても首を縦には振らねえんだ。だから俺はあいつの気持ちを汲んで、望みを叶えてやることにした。今までとは違う形であいつが贖罪に打ち込めるようにな」
「ハッ……何だよ、やっぱりとんだおめでた野郎じゃねえか。オレと組んで竜の世話なんぞすることが何の償いになるってんだ? マジで頭沸いてんじゃねえのか」
「……アスバル。おまえ、ここまで言われてまだ分からねえのか? だからおまえはサルだっつってんだよ」
「あァ!?」
「シエルはおまえと行動を共にすることで、まずおまえのことを理解しようとしてんだ。本当は顔を見るのも怖くて怖くてたまらねえくせに、何をどうすれば正しい償いができるのか知るために歩み寄ろうとしてるんだよ。それに比べておまえは何だ? 自分の不幸を他人のせいにして当たり散らすしかできねえガキが、他人の罪まで背負って生きようとしてるシエルの強さを笑えると思うなよ」
俺が胸ぐらを掴まれたまま唾を吐くようにそう言えば、いよいよアスバルの顔面が髪の色にも負けないほど赤黒く染まった。かと思えばやつは衝動に任せて拳を振り上げ、俺の右頬に狙いを定める。されど俺は動じなかった。どころか、目だけでさらに挑発してやる──さあ、やれるもんならやってみろ、と。
「……っ」
頭上高く振り上げられたアスバルの拳がぶるぶると震えていた。
本当は今すぐにでも俺をタコ殴りにしたくてしょうがないだろうに、どうしても振り下ろすことができないらしい。……だろうと思ったよ。
何せ俺をぶん殴り、暴力でもって従わせようとしたならば、アスバルは今度こそ自分はサルだと認めることになる。そしてここまで言葉を尽くしてもそれが理解できないほど、アスバル・ルイバという男は馬鹿じゃない。
俺はそう信じたからこそ、こいつと一対一で話せる状況を望んだ。
こいつが他の誰でもない、自分自身の意思で暴力を思い留まれるかどうか見定めておきたかったからな。
「よう、どうした。お得意のモンキー・パンチは繰り出さねえのか?」
「……ってめえ……!」
「んな顔ですごんでも効果がねえってことくらい、いい加減学習しろ。あと、ついでに言っておくとな。おまえがそういう歪んだ思想の持ち主に育っちまったのは、確かに親や環境のせいだ。だが自分で自分の間違いに気づける年齢になってもまだ間違いを認めて正せないのは、おまえの弱さや傲慢さのせいだ。これ以上俺にサルだの何だの言われたくねえなら、言われなくて済むように変わってみせろ。かのエリック・バーン医師も言ってたろ。〝他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる〟ってな」
「そんな野郎、知らねえよ」
と珍しく正論を吐くが早いか、アスバルは突き放すような勢いでついに胸ぐらから手を放した。おかげで俺は危うく体勢を崩し、生け垣に突っ込むところだったがすんでのところで踏み留まる。そうしてボロ着の襟もとを正しながら目をやれば、アスバルは心底忌々しげに明後日の方角を向いていた。
そこで何もない宙空を親の仇のごとく睨み据えながら、やつは言う。
「……てめえ、マジで頭イカレてんだろ。オレひとりが変わったところで、この世の何が変わるってんだ? 奴隷にも未来があると、本気でそう思ってんのか?」
「やる前から言い訳を準備するのはよせ。努力して報われなかったときに失望するのが怖いのは分かる。けど実際に俺は変えてみせただろ。まだほんの微々たる変化だが、園での奴隷の待遇をな」
と俺が現実を突きつければ、さすがのアスバルもついに口ごもった。が、それを認めるのがどうしても癪だったようで、今度はキッと俺を睨めつけながら言う。
「そいつはおまえが皇帝のお気に入りだからできたことだろ。前にも言ったが、オレらみてえな下級奴隷はメアレスト人にとってモノ同然なんだよ。だから……!」
「だったらその皇帝のお気に入りが手伝ってやるよ。ひとりじゃ無理だと思うなら俺を頼れ。シエルがそうしたみたいにな」
「なっ……」
「安心しろ。俺は相手がエル・ライ人だろうがエルタニン人だろうが差別しない。ただし、おまえが嫌だと言っても絶対に見捨ててやらんから覚悟しておけ。俺の助けが必要なくなる日まで、ずっとつきまとってやるからな!」
と、最後に腕を組んだ俺が堂々とそう宣言したことで、アスバルもようやく「こいつには何を言っても無駄だ」と理解したようだった。かくて萎え気味に嘆息したアスバルを、俺は勝ち誇ったように笑い飛ばしてやる。しかしこれでさしものアスバルもケツに火がついたはずだ。何せ俺を黙らせるには言われたとおりシエルと組んで、両者の間に横たわる問題を解決する以外なくなったんだからな。
こうなればあとはこっちのもんだ。マジで覚悟しとけよ、シエル、アスバル。
おまえらのことはこの俺が、責任を持って最高の飼育員にしてやるからな!




