ご開帳(★)
瞬間、地を蹴って飛び立とうとした白竜の飛膜を、人造の牙が食い破った。
アレと似た翼を持つコウモリなどの飛膜もそうだが、一見薄っぺらに見える膜にもちゃんと血管が通っていて、傷つけば血を流す。
何しろアレは揚力を得て飛ぶために広く伸びた皮膚の一部なのだ。
そいつに穴を開けられたら、当然ながら激痛で泣き叫ぶに決まっている。
「キュウウウ……!!」
俺の鼓膜を震わせた二度目の悲鳴。
甲高い叫びを上げて地に落ちた白竜は横ざまに倒れ、苦しそうにもがいていた。
だが、左の翼を貫通した矢は刺さりっぱなしだ。淡黄色の飛膜に開いた穴に比して矢羽がデカく、そいつが引っかかって抜けずにいるらしい。
白竜もそのことに気がついたのか、痛みをこらえるように翼を持ち上げると、長い首を伸ばして矢に噛みつこうとした。そうして自力で引き抜こうという算段だったのだろうが、しかしそんなもの、お優しい人間様が待ってくれるはずもない。
「右だ! 右の翼も狙え……!」
と、二十メートルほど先で誰かが叫ぶのを効いた刹那、俺の心臓は沸騰した。
右の翼も狙え、だ? ふざけんなよ、てめえ。
竜の隣にいる全裸の、見るからに怪しい人間の存在をまるっと無視しやがって。
それとも何か? 怪しすぎて逆に見なかったことにしてるのか?
「ママー、あれ何?」と尋ねる我が子の目を塞いで「見ちゃいけません!」ってやるアレの原理か? だとしたら嫌ってほど見せつけてやろうじゃねえか。
俺は一糸まとわぬ姿──正確には葉っぱ一枚ならまとっているが──の全身を開いて、竜をかばうように立ち塞がった。が、連中はそんな俺の姿が見えているのかいないのか、弓を構えたまま駆け足で肉薄してくる。
……おい。俺、ちゃんと見えてるよな?
まさかこの身は霊体で、霊感のあるやつにしか見えない、とかいうオチじゃないよな? さっきチビ助に噛まれて血も出たしな? な!?
「止まれ」
地球で一度死んでる手前、八俣竜司幽霊説を完全に否定できなかった俺は、弓を手に迫り来る謎の集団が五メートルほど先で立ち止まるまで、正直生きた心地がしなかった。色んな意味で。
しかしよほどのヘタクソでなければ確実に矢が届くであろう距離まで詰めてきた連中は、足を止めるや否やその矛先をびたりと俺へと向けてくる。あ、よかった。
狙いをつけられてるってことは俺、ちゃんと見えてるってことだよな……!?
「貴様、何者だ?」
誰がどう見てもバチバチに命を狙われているにもかかわらず、うっかり喜びに目を輝かせてしまった俺へ、ついに誰何の声がかかった。尋ねてきたのは、俺たちを囲む猟師らしき連中の中でも特に恵まれた体躯を誇る──女だ。
そいつが険しい顔つきで進み出てきたとき、俺は我が目を疑った。
何しろ、デカい。何がデカいって、まあとにかく色々デカいが、特筆すべきは身長一七四センチの俺をも優に超えるであろう背丈だ。
おかげで話しかけられるまで相手は全員男だと思っていた。
よくよく見れば胸も尻もとんでもなく主張が激しいのだが、肩幅もあるし全体的にガッシリしていて、遠目からだと男か女か判然としない逞しさを誇っている。
腕や腿の引き締まった筋肉は、まるで女子レスリング重量級選手のそれ。
おまけにホワイトブロンドの髪は伸び放題で、今は後ろでひとつに括られているものの、ほどいたら一気に広がりそうな毛量だった。動物の毛皮を加工した衣服をまとっていることや、左の頬にいかにも戦士の証っぽい三本傷があることも相俟って、そこはかとなく〝アマゾネス〟という形容がしっくりくる。
動物で譬えるなら真冬のカナダオオヤマネコ。
力強くどっしりとした四肢と鋭すぎる眼光を備えたそのオオヤマネコは、自身もまた大振りな弓を構えたまま、並々ならぬ気迫を湛えて言葉を続けた。
「母大樹の森に我ら以外の人間がいるというだけでも問題なのに、その格好は一体何の冗談だ? ここが皇帝陛下の許可なき者の立ち入りを禁ずる禁足の地と知った上での狼藉か」
「えっ……い、いや、俺は……」
ちょ、ちょっと待て。目の前に現れた女のデカさに驚くあまり思考が出遅れたせいもあるが、質問に答える以前に情報が多すぎて困惑した。
何しろ相手が口にしたのは、現代人の俺には馴染みのなさすぎる単語ばかりだ。
母大樹の森? 皇帝陛下? 禁足の地? 何だそりゃ?
というか、そもそも俺は何故このオオヤマネコの言葉が分かるのか。
オオヤマネコは肌の色こそ浅黒いものの、顔のつくりは中東系でもアフリカ系でもなく欧米系──中でも特にアングロサクソン系と呼ばれるものに近かった。
要は地球で言うところのイギリス人とかアメリカ人とか、あの辺の国の人間の顔ということだ。肌が黒いのは恐らく先天的なものではなく後天的な理由、つまり日焼けが原因だろう。何故なら弓を構えたことでほんの少し捲れ上がった上衣の裾、そこから覗く肌が白い。とすれば仮にここが地球だったとしても、連中が流暢な日本語を喋っているのには違和感があった。
同じアゴログンド生まれのジュンコが日本語を使いこなしていた件については、飼育員の会話を身近に聞いて育ったからだろうと納得できたんだがな……。
「おまけに黒髪人──これはずいぶんとんでもないネズミが入り込んだものだ。そこにいる嬰竜を放したのも貴様か?」
「ど、ドラ……何だって?」
「嬰竜。今、貴様の背後にいる有翼類の幼体のことだ。罠が閉じているところを見ると貴様が逃がしたのだろう? だがその幼体は我ら皇属竜狩猟団から陛下への貢ぎものだ。悪いことは言わない。今すぐ両手を頭に置いて跪き、嬰竜を渡せ」
──まずい。何がまずいって、現在の俺を取り巻く状況すべてがまずいが、中でも一番まずいのがオオヤマネコの言ってることが何ひとつ分からんという現実だ。
確かに言葉は通じてるのに、話の半分が意味不明。これが異世界の洗礼ってやつか。とは言え文脈から相手の意図するところを何となく察し、空気を読むことに関して日本人の右に出る者はいない。ゆえに俺は前世で培った日本人としての忖度力をフル稼働させ、オオヤマネコが言わんとしていることの主旨をこう理解した。
すなわちさっきまで後ろの白竜が囚われていた罠はこいつらが仕掛けたもので、獲物を勝手に逃がされては困るからさっさと渡せ、ということかと。
当然ながら、連中に命を握られている俺に選択権はないのだろう。
助かりたければ言われたとおりに竜を差し出し、この場を丸く収めてもらうしかない。加えてさっきオオヤマネコは、ここが皇帝の許可なく入ってはいけない土地だというようなことを言っていたし、万が一にも逆らえば、ただでさえ悪い状況がさらに悪化するであろうことは想像に難くなかった。
「もう一度だけ言う。両手を頭に置いて跪き、大人しく竜を渡せ」
しかし、俺にも簡単には退けない理由がある。
ゆえに回答を保留して目まぐるしく思考を回していると、その沈黙に焦れたらしいオオヤマネコが、金色の瞳に殺し屋のごとき眼力を湛えて服従を促した。
ふん、この際だ。正直に言おう。
めちゃくちゃ怖え……!
本物のオオヤマネコが人間を襲ったという話は寡聞にして聞かないが、同じネコ科の動物には人間などひと噛みで殺せてしまう猛獣が多くいる。たとえばライオンとかトラとかピューマとか。そいつの前に文字どおり全裸で放り出された気分だ。
されど俺が今、地球での記憶を持ったまま異世界の大地に立っているのは、あの日ジュンコと交わした約束を守るため──すなわち、この世界で絶滅の危機に晒されている竜たちを救うため。ならば俺の取るべき行動はひとつだ。ちら、と肩越しに見やった先では、左の翼と後肢から血を流した白竜が怯え切って震えている。
そんな動物が目の前にいるのに、放って逃げるという選択肢は、俺にはない。
だったらあとはイチかバチかだ。
「……分かった。だがこいつを渡す前にひとつだけ、見てもらいたいものがある」
俺はチビ助をかばうために広げていた両腕をゆっくりと下ろして、相手の指示に従うふりをしながらそう前置きした。こちらは見るからに丸腰だし、向こうは数的有利も確保している。これくらいのハッタリなら聞く耳を持ってくれるはずだ。
案の定オオヤマネコは弓を構えたまま、されどわずかに殺気を鎮めた。猛獣と遭遇したときは、まず行動のひとつひとつを静粛かつ緩慢に行うこと。間違っても大声で悲鳴を上げて騒いだり、暴れたりして相手を刺激してはいけない。その鉄則が活きた。じっと俺を見据えたオオヤマネコの眼差しは言葉の続きを促している。
ゆえに俺は頷き、右手の指先を側腹部、つまり自らの脇腹に這わせた。
そこには俺の大事なムスコを隠す、お手製の褌の結び目がある。後ろで結ぶと結び目が緩んだときにいちいち面倒だからと、体の横で結んだのが功を奏した。
俺は勿体つけるような仕草で──そう、さながら奇術師が観客の注目を引きつけ、ゆっくりと魔法の布を取り除くあの瞬間のように、優雅に褌の結び目を解く。
「は」
と、目を見開いたオオヤマネコの口から存外間の抜けた声が漏れるのを聞きながら、俺は己のすべてを曝け出した。もちろんタネも仕掛けもない。
ただ公衆の面前で、堂々とかっこつけながら猥褻物を陳列しただけだ。
あ、ってことは仕掛けはなくともタネはあるか。なんつって。
「────」
その瞬間、森は静まり返った。
依然として得物を構えたままの連中が、全員呆気に取られているのが分かる。
開いた口が塞がらない、という慣用句をここまで見事に体現する人間と出会ったのは、五十六年の人生でも初めてのことかもしれない。
しかしただひとり、俺の奇術をもってしても時間が止まらなかった者がいて、そいつはこちらを凝視したまま、ぶるぶると全身を震わせ始めた。
言わずもがな、この場で唯一の女──件のオオヤマネコだ。
「き……きっ……きゃああああああああああああああああッ!?!?!?」
オオヤマネコの悲鳴は思いのほか可愛かった。
さっきまでの殺し屋めいた低音が嘘のようだ。
だが反応は期待どおり。刹那、俺はただちに身を翻すと、足もとで震えていた白竜を瞬時に抱き上げ手近な藪へ飛び込んだ。
はちゃめちゃに取り乱しているらしいオオヤマネコの絶叫を背中で聞きながら、とにもかくにも追っ手の視線を切れそうな茂みを選んで疾走する。
「キュッ……キュウッ!?」
小脇に抱えられた白竜も動揺していた。一体何が起きているんだと言いたげに忙しなく首を振り、必死に状況を飲み込もうとしているように見える。
驚かせて悪いな。けど今だけは噛みついてくれるなよ……!
「ああああああああッ、おッ、追えッ! やつを追えッ! 決して逃がすなァッ! この私の目をあのような汚物で穢したこと、末代まで後悔させてやる……ッ!」
遠くでオオヤマネコが何か叫んでいるのが聞こえたが、俺は無視して走り続けた。まったく、自ら急所を晒す行為は相手に対する反抗の意思がないことを示す生き物の常套手段だってのに、野生を捨てた人間様にはやはり通用しないらしい。
となれば三十六計逃げるに如かず。
俺は手負いの白竜を抱えたまま、母大樹の森とやらを一心不乱に駆け抜けた。
腕の中で激しく困惑している白竜の悲鳴を引き連れながら。
▼カナダオオヤマネコ
体長67~110cm。生息地はカナダ及びアメリカ合衆国の針葉樹林。
豪雪地帯に適応し、雪に沈みにくい大きな四肢を持つ。生息域が広く個体数も安定していると考えられているため、絶滅に関しては軽度懸念とされているものの、アメリカ国内では絶滅危惧種として1999年からコロラド州への再導入が行われている。2021年現在、日本国内で飼育展示されている動物園はゼロ。
ただし宇都宮動物園(栃木県宇都宮市)、羽村市動物公園(東京都羽村市)、京都市動物園(京都府京都市)、王子動物園(兵庫県神戸市)では近縁種のユーラシアオオヤマネコの展示を見ることができる。
参考・画像引用元:
https://mammals.carnegiemnh.org/pa-mammals/lynx-lynx-canadensis/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B3
https://carnivore.jp/canada-lynx/
▼ピューマ
北米~南米に生息する大型ネコ科動物。体長85~197cm。
クーガーやアメリカライオン、マウンテンライオンとも呼ばれる。ただしライオンのような鬣は持たない。かつてはアメリカのほぼ全域に生息していたが、狩猟の対象になったり、家畜を襲う害獣として駆除されたりしたため、20世紀初頭にはアメリカ中西部と東部に生息していた亜種はほとんど姿を消してしまった。
日本国内で飼育展示されている動物園は盛岡市動物公園(岩手県盛岡市)、日本平動物園(静岡県静岡市)、神戸どうぶつ王国(兵庫県神戸市)など。
参考・画像引用元:
https://pz-garden.stardust31.com/syokuniku-moku/neko-ka/puma.html
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20141218/428886/




