空から来た娼婦
ガシャン、と無慈悲に鍵のかかる音を聞きながら、俺は鉄の扉の上部についた小窓へ手を伸ばし、そこに下りた冷たい鉄格子を掴んだ。
「あの……フリーダさん? 違うんですよ。いやマジで違うんですって」
「何がどう違うというのだ? 今回貴様が公衆の面前で堂々と痴態を晒したことについては、複数の証人がいる。あれだけの人数に現場を目撃されていながら、まだ言い逃れようなどとは見苦しいぞ」
「いや、だから俺はむしろ被害者であって、あの女が誰かも知らないって言ってるだろ!? だいたいこっちはいきなり空から降ってきた人間の下敷きにされて、危うく死ぬとこだったんだぞ!? なのになんで懲罰房に入れられてるわけ!?」
「では聞くが、貴様はまったく面識のない女が初対面にもかかわらず、いきなり男に馬乗りになって頬擦りするなどという奇行を演じると思うのか? 仮にそんなことが起こり得ると思い上がっているのなら、やはり貴様には独房がお似合いだ」
「いや、そりゃ俺だっておかしいとは思うけどさ! 事実起こっちまったからには他に釈明のしようがないっていうか!?」
「フン。では他によい言い訳が浮かぶまで、そこで頭を冷やしていろ。あのティアとかいう女からも、その間に事情を聴取しておく」
「え!? いや、ちょっと、フリーダさん!? まさかこのまま俺を置いてくなんて言いませんよね? からかってるだけですよね!? こう見えて俺、今日も園の管理のためにやることが山ほどあるんですけど──って聞いてる!? おい、返事しろよ、フリーダ! フリーダァァァ……!」
鉄格子越しの叫びも虚しく、俺を竜の園とは別の区画にある奴隷小屋の懲罰房へぶち込んだフリーダは、無情にも扉の前から姿を消した。
そうして足音は遠ざかり、俺は扉とは反対側の壁に設けられた小さな隙間以外、他に光源もない地下の独房に取り残される。
ああ、くそ……なんでいつもこうなるんだよ!?
神様、俺、何か悪いことしましたか!?
アゴログンドに転生してきてからというもの、ただひたすら竜族の救済のためだけに走り回ってきたってのに、この仕打ちはあんまりだ。
俺はがっくりとうなだれながら、奥行き一畳半ほどしかない牢屋の床にずるずると座り込んだ。中には便所代わりのブリキのバケツしかない劣悪な場所だとは聞いてたが、マジでほんとに何もないんだな、ここ……。
こんなところに数日間も閉じ込められていたアスバルたちには正直同情してしまう。まあ、あいつらの場合は八割自業自得だけどな……。
「はあ……しっかし結局何だったんだよ、あのティアとかいう女……」
聞き手など物言わぬ石の壁しかいないと知りながら、思わずそんな悪態が口を衝く。突然何の前触れもなく空から降ってきた銀髪の女。さっきはとっさに「空から女の子が」なんて叫んでしまったが、冷静になってよく見てみると、どう若く見積もっても十九歳か二十歳くらいだろうと思われる相手だった。何者かと尋ねると本人は「ティア」と名乗ったが、まったく聞き覚えのない名前だし……。
ていうか、俺さ……ここからちゃんと出られるんだよな?
* * *
「うわあああん、リュージぃ! どうして連れていかれちゃったのぉ!? やっと会えたと思ったのにぃ……!」
と、部屋の真ん中にへたり込んで泣く女を前に、一同はどうしたものかと顔を見合わせた。そこはアルコル宮の談話室。つい二時間ほど前、突如空から現れて、その豊満な肉体で竜司を押し潰した謎の女は、事情を聞いてやってきたフリーダに彼が連行されてからというもの、終始この調子だった。
いや、しかし彼女の容姿を〝豊満な〟と形容するのはいささか語弊がある。
というのも実際に豊満なのは肉体のごく一部だけで、彼女の体格をより正しく表すならば〝出るところがですぎている〟だ。おまけに衣服も無駄に露出度が高く、彼女のあられもない姿を目撃した者の多くは、ひょっとすると娼婦なのではないかと推測していた。仮に娼婦でないとするならば痴女だ。
でなければ何故あれほど過剰に肩やら胸やら腿やらをあらわにする必要があるのか。こんな女にいきなりのしかかられたばかりに、公然猥褻の疑いで懲罰房送りにされた竜司が気の毒だ。おまけに自ら「ティア」と名乗った彼女は竜司と引き離されると、豊かに波打つ銀髪を振り乱して泣くばかりで、まるで話にならなかった。
そこで困り果てたラドニアが改めて身を屈め、ティアに話しかけてみる。
「ねえ、ティア。リュージがいなくなって心細いのは分かるけど、そろそろあなたがどこの誰で、何のためにリュージに会いに来たのか教えてくれないかしら? その理由次第ではリュージもすぐに戻ってこられるかもしれないし……」
「うぇぇん、やだやだ~! ティアは今すぐリュージに会いたいの~!」
「……困ったわね。これじゃほんとにリュージが戻るまで話を聞けそうにないわ」
と、ため息をついたラドニアは自らの頬に手を当てて、考え込むように腕を組んだ。すると今度はヘスペルが、フリーダ不在の間ティアの監視と調査を命じられたギゼルを見やり、日頃の報復だとばかりにチクリと言う。
「こういうときこそ公子の出番なんじゃないの~? 今こそメアレスト貴族お得意の〝武力行使〟の使いどころでしょ。試しに腰の剣を突きつけて、洗いざらい話すように脅してみたら?」
「ほう。いかにも教養に欠けた傭兵崩れが言い出しそうな野蛮な手段だな。だが私は仮にも騎士の生まれだ。ゆえに無辜の女子供に剣を向けることは、幼い頃から遵守してきた騎士道に反する。そういう役回りはむしろ貴君にこそお似合いだろう」
「ぼ、僕だって女性に手を上げたりするわけないし!? ていうかそもそも僕はもう傭兵じゃなくて、アリスター魔獣研究所の竜学者見習いだもんねー!」
……結局またいつもの不毛な言い合いが始まった。これでは埒が明かないと確信したジュンコは、頭痛をこらえて深々とため息をつく。まったく、アゴログンドに来てからたったの四ヶ月足らずで、ここまで足並みの揃わない人間どもをどうにかこうにかまとめ上げてきた竜司の手腕には改めて感服するばかりだ。
されど彼が不在の今、場を仕切れるのはもはや火神竜たる自分しかおるまい。
そう腹を決め、コホンとひとつ咳払いをしたジュンコはついにつかつかとティアへ歩み寄った。そうして一同へくるりと向き直って言う。
「皆の衆。ここは一旦わしからこやつに話を聞いてみるゆえ、一度ふたりきりにしてはくれまいか。このティアなる者も突然見知らぬ人間に囲まれて混乱しておるのやもしれんし、子どものわしが相手なら安心して話をしてくれるやもしれん」
「え? だけどさすがにジュンコひとりに任せるのは……」
「そうだよ! 第一リュージがいつ懲罰房から出してもらえるか分からない以上、ジュンコちゃんの傍には僕がついてないと! いつまた危ないヤツがリュージのいない隙を狙って襲ってくるか分からないし……」
(ああ、そうか。そういえばそんな問題もあったのじゃったな)
と、ヘスペルの言葉でようやく自らの身の上を思い出し、ジュンコは内心舌打ちした。が、我が身の危険を一時的にでも失念してしまう程度には、この状況はジュンコにとって緊急事態だということだ。ゆえに一刻も早く目の前のこいつから話を聞かなければならないというのに、人目があったのではそうもいかない。
かくなる上は声を使わず、心読による会話を試みるか……いや、だがいつの間に情報を聞き出したのかと怪しまれても困るし……かと言って言霊の力で命令し、彼らを強制的に追い出したとしても、それはそれでのちのち問題が──
「だいじょぶ。ジュンコは、イヴ、まもる!」
ところがジュンコがひとりで対応に苦慮していると、突然予想もしていなかった助け船が出た。驚いて目をやれば、そこではブルー入りの籠を抱えたイヴが、自信満々と言いたげな表情で胸を張っている。
おまけに籠の中のブルーまで「ピャッ!」と鳴いて得意顔をしているし、リュージが不在の間のジュンコの警固は自分たちに任せろとでも言いたいのだろうか。
まあ、確かに護衛を任せるとしたら、竜術が使えるブルーと竜の血がもたらす怪力持ちのイヴの方が、正直ヘスペルよりは頼りになりそうな気もするが……。
「えぇ……いや、そりゃイヴちゃんは竜の血を引いてるから、普通の女の子じゃないのは分かるけど……」
「うーん……そうね。だけど子ども相手なら何か話してくれるかもっていうジュンコの言い分にも一理あるわ。そういうことなら試しに少しだけ、ジュンコとイヴだけ残して私たちは外に出てみる?」
「ピィ! ピィ、ピィ!」
「あら、ダメよ、ブルー。竜なんてもっと怖がられるに決まってるんだから、あなたは私たちと一緒に来なさい」
「ピ……!?」
「それを言うなら、半人半竜の化け物などもっと警戒されるのではないか?」
「公子、口には気をつけて。ジュンコの件でリュージがあなたを疑ったとき、イヴがあなたをかばったことを忘れたとは言わせないわよ」
〝化け物〟という言葉を聞いた途端、にわかに眼光が鋭くなったラドニアに指摘されると、珍しくギゼルが押し黙った。あの口達者な若造が言い負かされるとは珍しい、と思いながら、ジュンコはラドニアの機転と聡明さに感謝する。
さすがは竜司が園で最も信頼している敏腕竜医だ、話が分かる。
かくしてしょんぼりと肩を落としているブルーを連れたラドニアとヘスペル、そしてギゼルが部屋を出ていくと、談話室には数瞬の静寂が訪れた。
部屋を出ていく間際のヘスペルには「何かあったら大声で呼ぶんだよ!」と念を押されたが、残念ながら部屋のすぐ外で待機するという彼らには、これから話す内容を一言たりとも聞かれてしまうわけにはいかない。
「……それで、イジェンティア? おんしは何をしにここへ来た?」
ゆえに三人が部屋を出た瞬間、竜術を用いて扉の前に分厚い真空の壁──音を伝える空気が一切ない空間──を作り出すと、ジュンコは赤い瞳をじろりと動かし、人の姿で床に座り込んだ彼女を見やった。
すると彼女は先程まで散々泣き喚いていたのが嘘のように静まり返り、代わりにくすりと、蠱惑的なほど赤い唇に笑みを刻む。
「さすがはファルさま、一瞬でティアの真名を見抜いちゃうなんてすごいな~」
「とぼけるでない。おんしの正体が人間でないことなど、にわかに空から現れた時点ですべてまるっとお見通しじゃ。あのような派手な現れ方をして、人間どもにどこからやってきたのだと問われたらどう誤魔化すつもりか?」
「ん~、そのときは竜につかまって食べられそうになってたんだけど~、巣に運ばれてる最中に空からリュージの姿が見えたから、興奮して暴れたら落ちちゃったってことにしますぅ~!」
と、何とも気の抜ける口調で返され、ジュンコはため息と共に眉間に皺が寄るのを自覚した。ティアの魂に触れたときから、彼女がまだだいぶ幼いことは分かっていたが──だとしても遥か天空で暮らすはずの星竜の子どもが何故、竜司の存在を知っている?
「えへへ、それじゃああらためて、火竜の王にごあいさつしますね~! あたしの名前はイジェンティア。ファルさまの護衛とヤマタ・リュージの監視を命じられてきた、天神竜さまの使いですぅ~!」




