男と男の話
「ヘスペル!」
と、俺が二階の寝室へ戻るなり、弾むような声を上げたのはイヴだった。
すぐさま視線を走らせた先のベッドは天蓋が下りたまま。
これなら中のジュンコの様子をヘスペルに見られることはない。
真っ先にそれを確認した俺がほっと胸を撫で下ろすのと、そんな俺に続いて部屋へ入ってきたヘスペルにイヴが駆け寄るのが同時だった。
どうやら俺たちが部屋の外でごたごたしている間もイヴはきちんと言いつけを守り、ジュンコの傍についていてくれたらしい。
が、ヘスペルの姿を見つけるや否やぴこーん!と効果音がつきそうな勢いで立ち上がり、きらきら目を輝かせながら、いきなりヘスペルへ抱きついた。
途端に「うわあっ!?」と耳まで真っ赤になったヘスペルの悲鳴が響き渡ったことは言うまでもない。そうして慌てふためくヘスペルを余所に、イヴはゴロゴロと喉を鳴らして、嬉しそうに額を擦りつけていたが。
「ちょっ……ちょちょちょリュージ!? い、イヴちゃんが、イヴちゃんが……!」
「ああ、そいつもおまえがいなくなってから、ずいぶん寂しがってたからな。戻ってきてくれて嬉しいんだろ」
「そっ……それは有り難いけど、この感情表現は倫理的にまずいのでは……!?」
「おう。おかげで俺もめでたくフリーダたちから変態ロリコン野郎の称号をもらったよ。だがおめでとう、これでおまえも晴れてこっち側だな」
「何清々しい顔で親指立ててるわけ!? 言っとくけど僕にそういう趣味はないし、ロリコン仲間になるつもりもないからね!?」
「失敬な。俺だってそんな特殊性癖持ってねーっての」
などと即座に反論しつつ、俺はとりあえず座れと目だけで奥の円卓を示した。
宮を囲む雑木林が一望できる角窓の手前では、大理石っぽい見た目の素材でできた円卓を挟んで二脚の椅子が向かい合っている。その椅子にヘスペルがおずおずと腰かけるのを後目に見ながら、俺は一度だけちらと天蓋の中を覗いてみた。
ジュンコは相変わらず赤竜の姿のまま、眠ってるみたいだな……。
ちょっとやそっとうるさくした程度では起き出しそうもないが、なるべくそっとしておいてやろう。ひとまず俺が部屋にいる限り、誰かに天蓋の中を覗かれるのは防げるものの、騒がしくしてジュンコの体に障ったら元も子もないからな。
「リュージ。その、ジュンコちゃんは……」
「ああ、まだ眠ってる。だが、ラドニアの処置のおかげでだいぶ落ち着いたみたいだ。しばらくはこのまま寝かせといた方がいいな」
「う、うん……けど、ジュンコちゃんみたいな小さい子がいきなり矢で射たれるなんて……あんまりだよ。しかも鏃にはご丁寧に毒まで塗ってあったんだろ?」
「ああ……俺がもっと真面目にジュンコの話を聞いてやってりゃよかったんだ。そうすれば今回の事件も未然に防げたかもしれないし、おまえを園から追い出したりもしなかった」
「え……ど、どういうこと?」
と、早速席に着きながら困惑しているヘスペルを置いて俺は一旦踵を返し、衣装室へと向かった。小さくてもさすがは宮殿と言うべきか、アルコル宮の主寝室にはたくさんの衣服を収納しておくための衣装室がついており、俺は現在そこを物置き代わりに使っている。
そして没になった図面やら強化ガラスのサンプルやら、色んなものが雑多に置かれた中からある箱へ手を伸ばし、被せておいた布を払って一本の瓶を掴んだ。そいつを目の前に掲げてにんまりしたのち、すぐにヘスペルのもとへと引き返す。
「おい、ヘスペル。おまえ、酒は飲めるか?」
「は? ま、まあ、人並みには飲めるけど……それが何か?」
「ああ。今なら俺とおまえのふたりっきりだし、男同士腹を割って話すならやっぱコレだろ。おまえが帰ってきた記念に飲もうぜ」
そう言って俺がドンッと卓に置いてみせたのは、艶っぽい琥珀色の液体で満たされた酒瓶だった。そいつを見たヘスペルが「えぇっ!?」と素っ頓狂な声を上げ、卓上に身を乗り出したイヴも「おぉ……!」とでも言いたげな顔をしている。まあ、後者はこの瓶の中身が何なのか、絶対分かってないんだろうけどな……。
「ちょ、り、リュージ! 奴隷のあんたがなんでお酒なんか持ってるんだよ!?」
「いやあ、こんなこともあろうかと、事前にアリスター博士に頼んでこっそり持ち込んでもらったんだよ。あ、もちろんギゼルには内密にな」
「こ、こんなこともあろうかと、って……じゃあ、ひょっとしてあんたは、僕が出戻ってくることを確信してたわけ?」
「いや、さすがに確信してたってほどじゃないが──信じてたよ。おまえなら色々思い直して、また帰ってきてくれるんじゃないかってな」
言いながら今度は室内にある戸棚を開けて、中から錫製の杯をふたつ取り出した。いかにも高級そうな装飾が散りばめられた戸棚とは裏腹に、杯の方は何の変哲もない……というか、何ならやや使い古された感のある無地のものだ。
アルコル宮には手入れされずに傷んだ家具こそ残されていたものの、さすがに食器や衣類などの日用品はすべて運び出されたあとで、どうしても生活に必要なものはあとから奴隷用として届けられた。ゆえに手近な品はどれも粗品ばかりというわけだ。ま、生粋の庶民である俺としては、割ったら即断頭台に送られそうなグラスやなんかを使わされるより、こっちの方が遥かに気楽で助かるけどな。
「よし。そんじゃ早速、俺たちの再会を祝してってことで──」
「リュージ。イヴのは?」
「え?」
「こっぷ。イヴのは?」
「い……いやいや、酒はおまえにはまだ早いからダメだ。どう見ても未成年だろ、おまえ」
「イヴのは……!?」
「いやだからおまえは飲んじゃダメなやつなんだって! 代わりに、あー、ほら、アレだ、あとでハチミツ舐めさせてやるからこれは我慢しろ、な!?」
と、見たことのない飲み物に興味津々のイヴをどうにか抑えて、俺はふたり分の杯に酒を注いだ。途端にツンと鼻を突くような、鋭いアルコール臭が立ち上る。
何故か自分だけ同じものをもらえないと知って膨れっ面をしていたイヴは、このにおいを嗅ぐや否や「!?」とでも言いたげな顔をして円卓から跳び離れた。
人より遥かに優れた嗅覚を持つイヴには恐らく、とんでもない刺激臭を放つ異物に思えたのだろう。
「あ、ちなみにこれ、ラム酒らしいんだけど、おまえ飲み方は? 生憎ストレートか水割りしか選択肢はないわけだが」
「ラドニアさんか博士に頼めば竜術で氷を作ってもらえるから、ロックもありだと思うけど?」
「いや、俺もどうせならそうしたいが、ギゼルにバレると面倒だから今回はナシの方向で」
「じゃあ、ストレートで」
「ほう。なら俺もそうしよう」
普段の言動を見ていると、ヘスペルはさほど酒に強いようには見えないのだが、そこは腐っても傭兵と言うべきか。
アルコール度数が軽く四十度はありそうな酒をストレートで、とは剛毅なことだと思いながら、俺も同じ飲み方をすることにした。が、正直言うと、前世ではもっぱら日本酒と焼酎ばかり飲んでいた俺にとってラムはキツい。
日本酒も焼酎も、二十度くらいが一番うまいと思ってたオッサンなんでな……。
けどこういうときはほら、まず連帯感というか親近感というか、そういうのが大事だろうし。何より一対一だとどうしても滲み出てしまう圧迫面接感も、酒を交えればいくらか緩和され、お互い気楽に話せるはずだ。
傍で寝込んでるジュンコには悪いが、今だけは見逃してくれよな。
そう思いながら俺も向かいの席に着き、ヘスペルの前で杯を掲げた。
するとヘスペルはちょっとばつが悪そうにしながらも、自分の杯を手に取り、俺のに軽くぶつけてくる。よかった。アゴログンドにも乾杯の習慣はあるんだな。
「乾杯」
唯一知ってる英語圏での乾杯の音頭を取って、俺はニッと笑ってから杯に口をつけた。途端にカッと喉を焼くようなアルコールの味が口内へ広がり、一瞬遅れてラム酒特有の甘味がやってくる。アゴログンドに来てからは初の、さらに前世から数えれば約一年ぶりの酒だ。地球ではそこそこの酒飲みだったと自負する俺も、これには思わず「くぅ~っ!」と声が出た。
久しぶりの飲酒だってことを差し引いても、蒸留酒はやっぱりキくな……!
「あ~、キツい……! でもうまいなー、このラム。ゴールドだからかもしれないが、思ったほど癖がなくて……」
「……うん。たぶんいい銘柄のラムだと思うよ。なんたってアリスター博士が選んできてくれたんでしょ?」
「ああ、さすが実家が金持ちなだけはあるよな。博士が商家の生まれだって聞いたときは驚いたが」
「ケルノウ海運商会って言ったら、西部では名前を知らない人はいないくらい大きい商会だしね……話を聞くと博士も色々苦労してきたみたいだけど」
と、すぐそこにある角窓から外へ視線を馳せながら、何やら感慨深げにヘスペルは言った。ここへ来る前、博士とヘスペルの間でどんなやりとりがあったのか、当然ながら俺は知らない。けれどあれほど頑なになっていたヘスペルが嫌々ではなく自主的に宮へ戻る決断をしたらしいところを見ると、きっと博士もこいつが立ち直れるよう手を尽くしてくれたのだろう。
酒の件も含めて、あとで改めて礼を言っとかないとな。
「んで? どうだ、三週間ぶりに帰ってきた感想は?」
「いや、感想って言われても……まあ、とりあえずほっとした、かな。やっと屋根のある場所で寝られると思うと……」
「屋根のある場所で、って……じゃあおまえ、宮を出てからはずっと野宿してたのか? ラドニアがギゼルの目を盗んで、最低でも数日は寝泊まりするのに困らない額の金を渡したと言ってたが」
「うッ……そ、それはその……ぼ、僕にも色々事情があったんだよ! ていうか、リュージはなんで僕に……戻ってきてもいい、なんて言ったわけ?」
「分かんないか?」
「……。いや……たぶん、分かる」
「はは。おまえ、この三週間でだいぶ丸くなったな」
「バカにしてる?」
「褒めてるんだよ。ちなみにさっきの質問の答えとしては、少なくとも単なる同情じゃない。今はそこだけ分かってくれてりゃ充分だ」
俺が再び杯を傾けながらそう言えば、ヘスペルは向かいでうつむいた。
そんな俺とヘスペルの横では、いつの間にかベッドの傍から自分の椅子を運んできて座ったイヴが、酒瓶を手に取ってくんくんとにおいを嗅いでいる。
とは言え鼻を近づけては渋い顔をしてるから、ひとまず口をつける心配はなさそうだ。が、しげしげと酒を眺めるイヴの様子に俺が気を取られていると、
「……ごめん」
と、不意にヘスペルが謝った。




