そういうとこだよ(★)
イヴとジュンコを除くアルコル宮の主要な面々が揃った談話室は、何とも形容し難い異様な雰囲気に包まれていた。
向かいのソファに座っているのはにこにこと終始嬉しそうなアリスター博士と、彼女の隣で長身を縮こまらせているへスペル。
対してこちらのソファに座っているのは、何とも言えない複雑な表情を作ったギゼルと、先刻の怒り覚めやらぬまま鬼の形相をしているフリーダ。
でもって俺とラドニアはフリーダたちが腰かけるソファの後ろに突っ立って、思わず互いに目配せし合う──うまくいったな。フリーダたちが目の前にいる手前、口が裂けてもそんなことは言えないが、どちらも内心ほくそ笑みながら。
「……なるほど。ではアリスター博士。貴女はそこの元奴隷を、今度は奴隷ではなく貴女の研究所の一員としてドラゴン・パーク計画に携わらせたい、とおっしゃるわけか。竜はおろか魔獣の知識さえ満足に持たず、一度は与えられた役割を放棄して逃げ出した、無責任で軟弱なその男を」
「はい! これは私の個人的見解ですが、竜族の生態研究は、今後の魔獣学の発展にも欠かせないものだと考えています。何しろ同じ自然界で暮らす竜と魔獣の生態は、切っても切れないほど密接に関わり合っていますから。ですのでヘスペルさんにはまず、竜の園で様々な竜についての知識を学んでいただきたいのです。以前から申し上げているとおり、私は自身の研究もあり、こちらに常駐するのは難しいので……」
「しかし博士は既にスライムを使って綿密な情報共有を図っておいでだ。であるならば、まるで役に立ちそうもない無学の輩をわざわざ私費で雇ってまで園に置かれる必要はないのでは?」
「確かにリュージさんたちとは毎日連絡を取らせていただいていますが、やはり現地にいなければ把握し切れない情報というのは多々ありますし、私も普段は自分の論文執筆に追われて、竜研究の記録にまで手が回らないというのが実情です。ですのでヘスペルさんには、そういった記録の作成と保存もお願いしたいという思惑がありまして……」
「お言葉ですが、博士。其奴は字の読み書きができません」
「あら、ですがこちらでは陛下のお計らいで、奴隷にも無償で読み書きを教えていらっしゃるのでは? ヘスペルさんも以前はそちらで字を習っていたそうなので、引き続き他の皆さんと一緒にお勉強させていただけたらと思うのですけど」
「いや、園の手習い塾はあくまで皇宮奴隷の教育のために陛下が無償で施されているもの。ゆえに残念ながら、既に奴隷身分ではなくなった者の参加まで許可することは……」
「では私の研究資金から皇室に受講料をお支払いします。そうすれば問題ありませんよね?」
「……確かに然るべき対価をお支払いいただけるのであれば、陛下からのお許しも下りるかとは存ずるが。しかし研究者にとって、研究費の確保というのは常に重要かつ困難な課題であると認識しております。だというのに、貴重な資金をさように些末なことのために浪費されるのは──」
「ああ、資金についてはご心配には及びません。幸い当研究所は所長が存命である限り、お金には一切困らずに済むことになっていますので」
「……はい?」
「私の研究にかかる費用はすべて、終身契約に基づいてケルノウ海運商会が持ってくれることになっているんですよ。あ、ケルノウ海運商会というのは、大陸西端のケルノウを本拠地とする商会で、私の実家でもあるんですけど……」
「……商会の名前は存じ上げている。ケルノウ海運商会と言えば近年、絹をも凌ぐ品質の毛織物を生産し、巨額の利益を上げているという……しかしあの商会が博士のご実家だったとは……」
「そうですね。今は私の義甥が商会の代表を務めているので、親族関係にあることは以前ほど知られていないかもしれません。ただ商会が特許を取得している例の毛織物〝ケルウェン〟は、私のヘンウェン研究を下敷きに商会と共同開発したものなんです。おかげで当時はそこそこ騒がれたんですけど……と言ってももう二十年以上前のことなので、世間に忘れ去られていても当然なんですけどね。あはは……」
と博士は苦笑して、恥ずかしそうに頬を掻いてみせたものの、一方の俺たちはと言えば揃いも揃って絶句していた。いや、なんというか、もはやどこから驚けばいいのやら……博士の実家が商家だってのも初耳だし、しかもその実家は博士の研究によって巨万の富を築いた大金持ちだって?
だけどヘンウェンと言えば、確か俺たちがアリスター魔獣研究所を訪ねたときに博士が事故で逃がしちまってた、あのシロイノシシのことだよな?
イノシシの毛から作られる毛織物なんて地球じゃ見たことも聞いたこともないが──少なくとも素材としては羊や兎、アルパカの毛なんかが一般的だ──何でもあとから聞いた話によれば、ヘンウェンという魔獣は〝白毛期〟と呼ばれる時期に摂取した食べ物の種類によって、体の色や形態が大きく変わる生き物なのだという。
これは変化が表れるまで数世代かかる源素組成の変異とは違い、ヘンウェンという魔獣が生まれ持った特徴であるらしい。おかげでヘンウェンはつい最近まで、多種多様な近縁種を持つヘンウェン属という括りで魔獣学上の分類がなされていた。
が、その定説を覆し〝ヘンウェン属に属するすべての種は同一の生物である〟と結論づけたのがアリスター博士だったというわけだ。
「今やケルノウ海運商会の代名詞にもなっているケルウェンは、博士の研究過程で偶然生まれた餌の配合によって、ヘンウェンの体毛が異様に発達したことをきっかけに誕生した商品なの。このヘンウェンの毛から作られた織物は絹のような手触りと光沢に加えて、優れた保温性と撥水性を持つ点が着目されて、今じゃ王侯貴族がこぞって買い求めるほどの高級品になっているのよ」
とは、のちに聞いたラドニアの言だ。
要するにケルウェンとは地球でいうところのカシミアみたいなもので、さしずめ『繊維の女王』ならぬ『繊維の王』なのだと俺は理解した。
博士はそのケルウェンをより高品質なものにするための改良と、安定供給のためのノウハウの構築を商会と共に実現し、一躍ときの人となったらしい。そんな博士の経歴にも驚くばかりだが、とは言え俺が何より呆気に取られたのは、見るからに殺気立っているフリーダを前にしても怯まず渡り合ってみせた彼女の胆力だった。
正直、以前研究所で世話になったときの博士は絵に描いたようなドジッ子で、どこか頼りない印象だったのに。かつての第一印象から一転、フリーダをまんまと言い負かしてしまった彼女の舌鋒には、確かに商人の血を感じた。まさか博士が、必要とあらばここまで堂々と主張や交渉のできる人物だったとはな……。
ううむ、アリスター家恐るべし。いや、この場合年の功と言うべきか?
しかしまあ〝人に歴史あり〟とはよく言ったものだ。
おかげで俺たちはもう一度迎えることができた。
今度はアリスター魔獣研究所の一員となって帰ってきたヘスペルを。
「ヘスペル」
ほどなくフリーダが諸々の報告のため、本宮へ行ってくると告げて立ち去ると、張り詰めていた談話室内の空気がようやくゆるんだ。が、三週間ぶりに戻ってきたヘスペルは、ラドニアに呼びかけられてもうつむいたまま顔を上げない。
膝の上に置かれた両の拳も固く握られたままで、ほどかれる気配はなさそうだ。
まあ、そりゃそうか。博士に連れられて大人しく戻ってきたってことは、やっぱり宮を出てからの生活はうまくいかなかったってことだもんな。
新しい職を見つけて順風満帆に第二の人生をスタートさせていたなら、そもそもここに戻ってくる理由がない。と、俺たちも当然察しがついてるわけだから、恥ずかしいやら情けないやらで、すぐには顔を上げられないのも無理はない──
「ラドニアさん……その節は、本当に……本当にすみませんでしたぁっ!」
ところがまずは一旦、まったく関係のない話でもして場をなごませようかと思ったら、突然ヘスペルがソファから滑り落ち、床に膝をついてがばりとひれ伏した。
他方、予想もしていなかった展開に俺たちは虚を衝かれ、揃って唖然とヘスペルを見やる。……うん、これはアレだ。まごうことなき土下座だ。
まさか本場の日本では既に失われつつある伝統文化を、異世界で目の当たりにするとは……いや、まあ、あの仕草は土下座というより、降参の意思をはっきりと表すことで、相手への服従や敬意を示す生物的習性なんだろうけど。
「ちょ、ちょっと、ヘスペル……何してるの? いいから頭を上げてちょうだい」
「いえ……! 僕は……僕は、ラドニアさんにあんな失礼なことを言っておきながら、結局おめおめと出戻ってきて……本当になんとお詫びすればいいのか……!」
「し……〝失礼なこと〟って? おまえら、ヘスペルが宮を出ていく前に何かあったのか?」
と、ヘスペルのただならぬ様子に俺がそう尋ねれば、本人は土下座したまま硬直し、ラドニアも口を噤んだ。
が、次にこちらを向いたラドニアは、俺を見るなり意味深な笑みを浮かべる。
ソファに腰を下ろしたままのアリスター博士も、エレノアが淹れてくれた紅茶を片手にやたらとにこにこしているし……な、なんだ、この妙な空気は?
「いいえ、別に大したことじゃないの。ただヘスペルが宮を出ていくときに、あなたばかり持て囃されてずるいと駄々をこねたものだから、私もつい呆れちゃって」
「ら、ラドニアさん……!!」
「うふふ。ヘスペルさんはただ、リュージさんのことが羨ましかっただけなんですよね? 大丈夫ですよ、クリソプルさんもそこは分かって下さってますから」
「あ、アリスター博士まで!!」
と何やら顔を上げるなり涙目になっているヘスペルを見て、俺の頭はますます疑問符まみれになった。ヘスペルが俺を羨ましがってたって、一体何の話だ? 少なくとも俺の前では、そんな素振りを見せたことは一度もなかったけどな……。
「まあ、それはともかくとして、ヘスペル。あなたが宮を出る前に、私が言った言葉の意味は分かった?」
「……はい。全部……ラドニアさんの言ったとおりでした……」
「よろしい。なら、あなたが真っ先に謝るべき相手は私じゃないってことも、もう分かってるわよね?」
「……」
とまるで幼子でも諭すような口調でラドニアが言えば、ヘスペルは床の上に正座したままうなだれた。あー……うん。いまいち話は見えないが、要はラドニアは、俺とヘスペルを和解させようとしてるわけだな。まあ、確かに俺たちはほとんど喧嘩別れみたいなもんだったから、心遣いは有り難い。
けど、俺も同じ男だから分かる。
少なくとも異性の前じゃ、素直に頭は下げにくいよな。
男ってのはいつだって、女の前ではかっこつけてたいもんなんだよ。
それも生物としての本能に刻まれた習性だから仕方ない。自然界じゃ女に愛想を尽かされると、子孫を残せないという最悪の未来に直面する可能性があるからな。
「……ヘスペル」
だけど俺たち人類は、進化の過程で〝理性〟という宝を手に入れた。
野生で生き残るための本能を敢えて抑制し、許しや相互理解といった手段を用いて種の団結を強め、生物としての新たなステージへ進むために。
「まあ、なんだ。お互い色々と積もる話はあるわけだけど……まずはこれだけ言っとくよ。──おかえり」
俺が頭を掻きながらそう告げるや、視界の端でヘスペルの肩がぴくりと揺れた。
かと思えばあたりに重い沈黙が垂れ込め、あれ、もしかしてかける言葉を間違えたか? と冷や汗が噴き出してくる。が、数瞬ののち、
「……そういうとこだよ」
と微かな声で、うつむいたままのヘスペルが吐き捨てるのが聞こえた。
「僕、あんたのそういうとこが嫌いなんだ。いつだって僕にはできないことを、平然とやってのけるから」
「お……おう……そいつはどうも、すみませんでした……?」
「……でも、悔しいけど今なら分かる。間違ってたのは僕の方だって。だから、その……戻ってきてもいいって言ってくれて……ありがとう……ございました……」
と、最後は何やら消え入りそうな声ではあったものの、俺は聞いた。
確かに聞いた。ヘスペルの口から紡がれた和解の言葉を。
おかげで俺もようやくふっと肩の荷が下りる。
よかった。どうやらヘスペルは他に行く宛がないからと、嫌々ながらも仕方なく帰ってきた、というわけではなさそうだ。
「いや。こっちこそ、戻ってきてくれてありがとな。俺もおまえに謝りたいことがあったんだ。もう一度ちゃんと話せる機会をもらえて、よかったよ」
「……リュージ、」
「あー、けどアレだ、ここじゃ何だな。というか、二階に置いてきたジュンコがそろそろ心配だ。イヴが呼びに来ないってことは大丈夫だと思うが……ちょっと上で話さないか? 男ふたり、水入らずでな」
恐らくブルグント家の屋敷からここまで来る道中で、ことのあらましはギゼルから聞かされたのだろう。ようやく顔を上げたヘスペルは、右手の親指でクイッと二階を示した俺を見て、ほんの少しの戸惑いを見せつつも頷いた。念のためラドニアにも「構わないよな?」と目だけで尋ねれば、こちらも頷きが返ってくる。
よし。これでようやく園長らしい仕事ができそうだな。
悩める若人がいるなら手を差し伸べてやるのもまた、年長者の役割だ。
▼カシミア
インド北部の高山地帯、カシミール地方などに生息するカシミアヤギの体毛を材料とした毛織物のこと。柔軟で独特のぬめりがあり、保温性と保湿性に優れる。
軽くて温かい上に肌触りがよく、絹に似た上品な光沢も持つことから『繊維の女王』とも呼ばれる。
カシミアヤギは主に高地の寒冷な地域に生息するため、全身を覆う粗毛の下に体温を逃がさないための柔毛が密生しており、これがカシミアの材料となる。
が、この柔毛を集めるのに非常に手間がかかる上、1頭から150~250g程度しか採取することができず、セーターを作るだけでもヤギ約4頭分の毛が必要となる。
こうした稀少性から、毛織物の中では特に高価なことでも知られている。
参考・画像引用元:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%82%A2




