一方、その頃アルコル宮では
「よし。ひとまずはこんなところだな」
と俺は食堂のテーブルに広げた図面を見下ろして、作業にひと区切りをつけた。
ふう……長いこと同じ姿勢で集中してたせいで体の節々がにぶく痛むが、そこそこ時間をかけただけはあり、我ながら会心の出来映えだ。
バルトロマイの月二十四日、闇曜日。
ついに襟巻竜の屋外飼育場、その完成予想図が完成した。
俺が手がけたパースの中では、華奢ながらもしっかりとした鉄の柱を支えにしたガラス張りの壁が園路に沿って北、南、西の三方向にそそり立っている。
唯一打ちっぱなしのコンクリート壁になる予定の東側は、併設の竜舎へつながる仕切りだ。ガラスの壁の内側に広がる放飼場の敷地はおよそ五〇〇㎡ほどある。
五〇〇㎡、というのはダチョウのつがいを飼育する際に必要な最小スペースを参考にした数字で、体格的にはダチョウの半分くらいしかないカールにはいささか広すぎるかもしれない。何しろ分かりやすく譬えるなら、こいつは地球でいうところのテニスコート二面分だ。
しかしこれは追々飼育頭数を増やすことを念頭に置いての設計で、竜が狭苦しい檻の中に閉じ込められているというイメージを払拭するためでもあった。
加えて放飼場の内部には、野生の襟巻竜の生息環境を再現するための植栽を設ける予定だ。ただ壁の高さが三メートルくらいであることを考えると、あまり高く育つ樹木は採用できない。
ここのところの樹種選定はアリスター博士や帝立竜術研究所と要相談だろう。
うっかりガラスの壁を超える高さの樹木を導入すれば、カールはひょひょいと天辺までよじ登り、そこからの滑空で脱走しちまう可能性があるからな。
「うーん……本音を言や、ここには擬木が使えりゃ一番手っ取り早くて助かるんだけどなあ。作り物の木なら勝手に伸びる心配もないし、わざわざどっかから成木を引っこ抜いてきて植え直す手間も費用も省けるし、何よりずっと管理もしやすい。ただアゴログンドにはまだ精巧な擬木や擬岩を作れるだけの技術がないから……」
「……ぎぼく?」
「おう。擬木っていうのはな、人間が本物に似せて作った偽物の木のことだよ。地球の動物園じゃこいつがよく使われてたんだ。本物の木や岩を使うより、導入までの時間やコストを大幅に削減できたからな」
「にせもの……ちきう……?」
「……って、おまえに話すにゃまだ早かったか。最近ちょっとずつ語彙が増えてきたとは言え、専門的な話は難しいよなあ」
と言って苦笑しながら、俺は図面を睨んでいた顔を上げ、向かいの席で鉛筆を握り締めているイヴを見やった。俺が飼育員時代のプレゼン作成で培った画力を総動員し、図面に向かってひたすらパースを描いていたら、イヴも真似して絵を描きたがったからとりあえず紙と鉛筆を与えてみたのだ。
そのイヴの手もとにあるB5サイズくらいの紙の上には、何か黒くモジャモジャした物体と、そこから生えた人間の手足のようなものがある。
うん……こいつはなかなかの画伯だな。地球の幼稚園児といい勝負だ。
ちなみにそれ、もしかしなくても俺の絵だったりする?
えーと……もしそうだとしたら上出来だ。ハンサムに描いてくれてありがとな。
次に描くときには、モジャモジャの下に顔と首と胴体があることも思い出してもらえると嬉しいけど。
「リュージ、そろそろペレットが焼き上がるわよ」
ともあれあとはこのパースをもとに、アカデミーの技師に頼んで具体的な設計図を起こしてもらうだけだ。
となれば早速こいつをギゼルに託し、アカデミーまで届けてもらおう──と最後にもう一度図面を眺めていたところで、不意に呼び声がかかった。
見れば食堂に隣接した小さな食器室から、地下の厨房へ行っていたはずのラドニアが顔を出している。実は今日は飼育施設の図面を描く傍らで、竜たちの食料となる人工飼料の開発も進めていたのだ。
「お、もうそんな時間か。こっちもちょうど今、放飼場のパース作成にひと区切りついたところだ。早速実食タイムと洒落れ込めそうだな」
「あら、それはタイミングがいいわね。一度図面を拝見しても?」
「おう。あくまで完成イメージであって、実際にこんな施設にできるかどうかはアカデミーの叡智にかかってるけどな」
言いながら俺はテーブルの上を滑らせるようにして、完成した図面をラドニアへと差し出した。放飼場の植栽なんかは、ラドニアから事前に聞き取りした襟巻竜の情報をかなり参考にしたから、俺のイメージとラドニアのイメージに齟齬がないか確認してもらういい機会だろう。
しかしここまで来ると、ようやくドラゴン・パーク計画が形になりつつあるのだという実感が湧いてくる。もちろんまだまだクリアしなければならない課題は多いものの、こうして具体的な施設のイメージも固まってきたし、襟巻竜が近づくことを嫌う強化ガラスについても開発の目処が立った。
二十日前に行われた検証実験では、ロレンソン博士が提案した〝強化ガラスに金素を塗布する〟という方法によって、木属性の襟巻竜が本当にガラスに近寄らなくなることが立証されたのだ。実験には博士が用意してきてくれた数種類の金素塗布ガラス──金素を含んだ薬液を強化ガラスの表面に塗布したもの──が使用され、どれくらいの金素濃度から襟巻竜が近づかなくなるのかを検証した。
それによってある一定以上の金素濃度になると、ガラスの向こうに餌があるのを認識しても、カールが反応を示さないことが確認できたのだ。
もちろん実験中に何度も餌を与えたせいでカールが満腹になっただけ、という可能性も考慮して、後日再検証を行ったが、やはりカールはガラス面の金素量がある一定の数値を超えると、物欲しそうに餌を眺めてうろうろしつつも、結局最後までガラスの隙間に首を突っ込んで肉を掠め取ろうとはしなかった。
ロレンソン博士はこの検証結果をもとに、より品質のいい金素塗布ガラスを安定供給するための準備に取りかかってくれている。
今回の実験では偶発的に、高濃度の金素液を均一に塗布したガラスは地球でいうところのマジックミラー的な特徴を持つことも明らかになり、新発見に沸くアカデミーは金素塗布ガラスの開発にかなり乗り気になっているという。
まあ、俺としては、屋外では天候や時間帯によって向こう側が見えたり見えなくなったりする可能性のあるマジックミラーは使いにくいので、カールがガラスに近寄らなくなるギリギリの濃度での運用を考えてるわけだけど。
でもアゴログンド版マジックミラーが完成すれば、こいつは屋内展示施設に使う分にはもってこいだ。ついでに今後襟巻竜以外の竜を飼育する場合にも、金素塗布ガラスと同じ原理を利用できそうだと判明したのも収穫だった。
個々の竜の属性によって飼育設備に工夫を持たせられる、というのは、地球の動物園にはなかった要素なのでなかなかに面白い。
もちろんその分、地球での飼育より気をつけなきゃならない点も増えるわけだから、いいことづくめってわけでもないけどな。
「へえ……思っていたよりずっと自然に近い環境ね。広さも充分みたいだし、これだけの設備があればカールが受けるストレスも最小限で済むはずだわ。少なくとも今いる檻の中よりは、よっぽど快適に過ごせるはず」
「ああ。ただこの辺の植栽については要検討だ。こないだの会議では高さが囲いを越えない程度の樹木を選定すると言ったが、それ以前の問題として、襟巻竜が好む木と好まない木が存在する可能性もある。だからより正確な条件としては樹高三~四メートル程度、かつ襟巻竜の生息域での自生が確認できる木ってことになってくると思うんだよな」
「なるほど……とすると選べる樹種がかなり限定されてきそうね。襟巻竜が好んで棲む森とそうでない森が分かれば、前者の植生を調べて共通する樹種を割り出せるけど、そもそも今は襟巻竜の個体数が減っているから……」
「ああ。つまりデータが圧倒的に足りないんだよな。とりあえずはカールが捕獲された森と、こないだ襟巻竜の生息が確認できた母大樹の森の植生を参考にするしかなさそうだが……」
「そうね。あとはふたつの森で生息域が被っている魔獣がいれば、その生態も参考になるかもしれないわ。特にこの間の内容物調査で襟巻竜の糞と思われる排泄物に含まれていたプーカやジャッカロープなんかが好む植物があれば、襟巻竜の好む植生とイコールの可能性があるじゃない? 特にプーカは他の魔獣が食さない種類の木の実をよく食べるってアリスター博士がおっしゃってたし」
「あー、例の幻覚作用がある木の実ってやつか。そうだな……博士が戻ったら、あの辺の話ももう少し詳しく聞いてみた方がよさそうだ。ところで……」
「ん?」
「いや、その……俺が製図に没頭してる間に、博士から何か連絡はあったか?」
「いいえ、今のところはまだ何も」
「そ、そうか……」
「気になるの? ヘスペルのこと」
「い、いや、別にそういう意味で聞いたわけじゃ……!」
ととっさに反論しかけて、されど俺はすぐに無駄だと悟った。
何故ならすぐそこで微笑むラドニアが、何もかもお見通しって目をしてたから。
くそ……これじゃどっちが年上なんだか。俺はあまりの決まりの悪さに目を泳がせながら、気まずさを誤魔化すように頬を掻いた。
「あー、まあ……まったく気にならない、と言えば嘘になるわけだが……あいつの目のこと、知らなかったとは言え、だとしたら俺も大人げなかったなーと、ちょっと反省してたりもするし……」
「素直でよろしい。だけど前にも言ったとおり、ここを出ていくと決めたのはヘスペル自身でもあるのよ。だからあなたが必要以上に責任を感じることはないわ」
「ああ……そりゃもちろん分かってるんだけどさ。けど、もっとちゃんとあいつと向き合ってやってりゃ、他の道を示してやることだってできたかもしんないだろ。そういうところ、俺も園長としての自覚が足りなかったなーと……」
「リュージ。あなたって本当にお人好しなのね」
「……生憎おまえほどじゃないけどな」
となおもそっぽを向きながら、俺は年甲斐もなく唇を尖らせてささやかな反抗を試みた。が、対するラドニアは大人の余裕さえ感じさせる態度で声を上げて笑うばかり。くっ……やっぱりこれじゃどっちが年上か分からんぞ……!
アリスター博士がブルーの卵を携えて帝都へやってきてから早四日。
闇曜日の今日、世間は休日だ。アゴログンドで唯一の暦であるソフィア暦では、毎週闇曜日と光曜日が日本で言うところの土日になっている。
もちろん年中無休で働くことを宿命づけられている奴隷には関係のない話だが、しかし客人であるアリスター博士は別だ。
彼女は現在帝都にあるブルグント伯爵家、つまりギゼルの屋敷で寝泊まりしていて──本人は俺たちと一緒にアルコル宮に泊まると言ってくれたのに「あそこは奴隷の住処ですので博士はお泊めできません」とギゼルの野郎が断固拒否した──闇曜日と光曜日は自由に過ごせることになっていた。
そこで俺たちは博士に折り入ってある頼みごとをしたのだ。どうか皇宮から出られない俺たちに代わって、ヘスペルの様子を見てきてはもらえないか、と。
「あいつがとっくにメアレストを出たってんなら、俺もそれ以上どうこうするつもりはないんですけど……ただ、もしどこにも行く宛がなくて路頭に迷ってるようなら、ほっとくのも忍びないんで……だからそのときはもう一度、あいつにチャンスを与えてやりたいと思うんです。まあ本人はそんなこと望んでないかもしれないから、これはあくまで俺のわがままなんですけど」
と俺が相談を持ちかければ、アリスター博士はふたつ返事で、
「そういうことでしたら任せて下さい!」
と頼もしく胸を叩いてみせた。
いや、博士に張り切られると有り難い一方で、何故だか不安な気持ちも同時に込み上げてくるわけだが、こんなことを頼める相手は彼女しかいない。フリーダやギゼルはヘスペルのことなんて何とも思ってなさそうだし……ましてや手を差し伸べてやってくれなんて頼んだところで、結果は暖簾に腕押しだろうからな。
「……黒眼人、か」
けれども俺はラドニアから聞かされたヘスペルの半生に思いを馳せて、思わずそう呟いた。アゴログンドへやってきたばかりの頃に、ここじゃ黒髪黒眼は忌み嫌われると聞かされてはいたものの、まさか目が黒いだけでそこまで壮絶な人生を歩まされるとはな……。
あいつの生い立ちを知ったあとだと、今の自分がどれほど人や環境に恵まれているのか身に染みて理解できる。確かに身分は奴隷だし、フリーダやギゼルからの当たりはキツいし、文句を言いたくなることもあるけれど、ヘスペルが受けてきた仕打ちに比べりゃ俺が味わってる不自由や屈辱なんて屁みたいなもんだ。
正直、俺はドラゴン・パーク計画に携われるなら身分なんか何でもいいと思ってる節があるし。何より、より目立つ黒髪人でありながらヘスペルほどの迫害を受けていないのは、皇帝の奴隷という身分に守られてるおかげだろう。
「んん……まあ、この件については考えてもしょうがない。とにかくまずはペレットだな、ペレット! 厨房でジュンコとエレノアも待ってるだろうし、今は目の前のやるべきことに集中──」
「──きゃあああああっ!?」
ところがそう意気込んで、何となく漂い始めた湿っぽい空気を蹴散らそうとしたときだった。突如響き渡った甲高い悲鳴に俺たちは揃って喫驚し、思わず顔を見合わせる。今の声は、ひょっとして地下から……!?
「エレノア……!」
直後、真っ先に反応を示したのはイヴだった。
どうやら今の悲鳴の主はエレノアだと竜の聴覚が聞き分けたらしく、弾かれたように食器室から地下へと続く階段に飛び込んでいく。
もちろん俺たちもすかさずあとを追った。
何だろう。背を焼くような嫌な焦燥感がある。果たしてこの予感の正体は──と螺旋状に続く階段を下り切り、厨房へ駆け込んだところで息を飲んだ。
何故ならそこには、矢を受けて倒れ込んだジュンコの姿があったから。




