キメラがふたり(★)
フリーダと別れて控えの間に戻っても、ジュンコの顔色は悪かった。いや、むしろさっき謁見室で見たときよりも、さらに悪化しているような気さえする。
「おい、ジュンコ。大丈夫か?」
と深紅や金を基調としたけばけばしい内装の室内で心配になった俺が尋ねても、ジュンコは顔面蒼白なまましばらく口をきかなかった。
さすがは神竜の血を引くと自称するだけあって、普段は怖いものなど何もないかのように振る舞うジュンコが、一体どうしちまったんだ?
あんなに怯えていたイヴでさえ謁見室を出たらけろっとした様子で、いつもの調子を取り戻したのに。
「……水」
ところが俺とイヴがどうしたものかと顔を見合わせていると、不意にジュンコが何か呟いた。
「え? 何だって?」
「……水が飲みたい。喉が渇いた……」
……おいおい、こんなときに水って。そんなに喉が渇いたなら竜術で水を作っちまえばいいだろ、と言おうとして、そういやジュンコもアルコル宮で過ごすからには奴隷という扱いになると言われ、術枷を嵌められたことを思い出した。
ってことは竜術を使いたくても使えないのか……。
かと言って俺たちが通された控えの間には、水瓶や水差しは見当たらない。さっき謁見室に呼ばれるのを待っていたときは、メイドが飲み物を出してくれたんだけどな。まさか俺たちが戻ってくるとは思わず、片づけられてしまったみたいだ。
となると残る手段は……。
「あのぅ……」
と俺は仕方なく、室内にいるもうひとりの人物に声をかけた。言わずもがな、フリーダの代わりに俺たちをここまで案内してくれた皇宮の近衛騎士だ。
そいつは奴隷である俺たちの見張りも兼ねているのだろう、先程から出入り口に仁王立ちして、鎧を着た彫像のごとく動かなかった。
が、俺が恐る恐る声をかけるや、ぎろりと目だけを動かして凝視してくる。
「す、すみません……奴隷ごときが厚かましいお願いをするようで大変恐縮なんですが、飲み水を一杯恵んでいただけませんかね……?」
「……」
「い、いや、あの、この子が陛下との謁見でよほど緊張したのか、喉が渇いちまったみたいで……フリーダ……じゃなくてゴンデシャル侯爵が戻るまで、我々はここを動けませんので……」
「……」
「え、えーっと……起きてます?」
「当たり前だ。任務中に居眠りする騎士がどこにいる」
「ヒィ! す、スンマセン……!」
場をなごますための小ボケのつもりだったのに、血走った目を見開いてマジレスされた俺は情けなくも縮み上がった。
うう……フリーダはフーヴェルオが首に縄をつけてくれてるから何とかなっているものの、こいつは俺たちに情けをかける理由など持たない鎧武者だ。
よって機嫌を損ねれば、人権のない俺たちは何をされるか分からない……とそれ以上何も言えずにガタガタと震えていたら、
「……水を」
「え?」
「いいから、早う、水を、寄越せ」
と、ソファの上のジュンコが突然顔を上げ、出入り口を塞ぐ騎士様に向かって畏れ多くも命令した。
途端に俺の全身をぞくりと駆け巡ったのは──まぎれもない、畏怖の念。
まるで不意に遭遇したエゾヒグマと目が合ったときのような、魂が竦み上がる感覚があった。そしてどうやらジュンコに睨まれたあの騎士もまったく同じ感情に囚われたらしい。その証拠に動揺した様子で舌打ちし、
「くっ……ぜ、絶対にここを離れるなよ!」
と捨て台詞のごとく吐き捨てると、なんと騎士は俺たちを残して出ていった。
ほ、本来は皇宮に立ち入ることすら許されない俺たちを置いていくなんて、絶対にありえないと思ったんだけどな……。
「お、おい、ジュンコ。おまえ、いま何をしたんだ?」
「別に。見てのとおり命令しただけじゃ。まあ、神竜の血を引くわしの命令に逆らえる者など、アゴログンド広しと言えどもそうはおらんじゃろうがの」
「め、命令しただけって……それってつまり言霊とかいう力を使ったんじゃないのか? けどおまえ、術枷を嵌められてるのにどうやって……」
「術枷? ……ああ、こんなもの、わしにとってはただの飾り同然よ。何ならすぐにでも壊せるが、大人しくつけておった方がよいのじゃろ?」
「は……はあ!? だ、だけど術枷には、竜術を封じる力があるって……!」
「確かに人間程度の氣ならば封じることもできよう。されどわしは腐っても火神竜。高貴なる魂を持つ者にかような玩具を嵌めたところで意味をなさぬ。枷を嵌められるとき、内側に彫られたまじないを見たが、あれは身につけた者の氣をいくらか削ぐためのものであって、竜術を打ち消すためのものではなかったしの」
な……なんてこった……。
ってことは、氣をコップの水に譬えるなら、この術枷とかいう腕輪はコップの中身をほんの少し減らす効果しかなくて、古代竜くらい強い魂の持ち主ともなれば、減った分なんか無視していくらでも水を注ぎ足せるってことだよな?
だけど俺はてっきり、術枷とは水を溢れさせないためにギッチリ蓋をするための道具だと思っていたから、ジュンコの答えはかなり衝撃的だった。……あれ? というか言霊って、異なる言語での意思の疎通を可能にする力も持ってるんだよな?
なら、術枷をつけられても特に影響なくジュンコと会話できているのもそのおかげだとして……俺は? 俺はなんでジュンコ以外のやつらとも普通に会話できてるんだ? 言霊も氣の一種だっていうんなら、術枷で氣を抑えられてる俺は本来、言霊の恩恵を受けられないはずだよな……?
「そんなことより、竜司。単刀直入に言う。──わしの正体が見抜かれた」
「……へっ?」
「あの竜殺しの倅、只者ではない。というか……というかアレは一体何じゃ? どうしてやつの魂が人間の中に……あれではまるで……!」
「お、おいジュンコ、落ち着け。俺にも分かるように説明してくれよ。おまえの正体がバレたってどういうことだ?」
明らかに動転している様子のジュンコに、俺は順を追って話すよう求めた。
するとジュンコもようやく冷静さを取り戻したらしく、一度ふーっと息を吐いてから改めて口を開く。
「うむ……すまぬ。わしとしたことが、ちと取り乱してしもうたようじゃ。しかし今、それほどの事態が起きておるのよ。正直わしにも何が何だか……」
「いいさ。だったら分かることだけでも話してくれ」
「……そうじゃな。まず、わしの正体が見抜かれたと言った件じゃが……実を言うと先程の謁見中、わしはフーヴェルオなる男の心を読んでやろうと心読を試みたのじゃ。相手が人間ならば、わしらが魂に触れたところで決して気づきはせんからの。ところが……」
「ところが?」
「……やつの魂に触れてみて、わしは驚愕した。あれは……あれは少なくとも、正常な人間の魂ではない。まるで複数の魂が継ぎ接ぎされたような……」
「は……? た、魂が継ぎ接ぎって、どういうことだ……!?」
「わしにも分からぬ。そもそもあのような魂を生み出すことが可能なのかどうかさえ……されどわしが触れた魂は間違いなく、半分が人間で──半分が竜であった」
まったく予想もしていなかった答えに俺は愕然とした。
フーヴェルオの魂の半分が……竜? 一体どういうことだ? そもそも俺はアゴログンドにおける〝魂〟の定義も曖昧なのだが、仮に地球人がイメージする魂のようなものだとすると、フーヴェルオは人間と竜、ふたつの魂を持っている……?
「しかもそれがただの竜の魂であったならまだよかったんじゃがの。あれは……そう、わしが読み違えるはずもない……神竜の血を分けた我が兄弟──天神竜のものであった。人間どもが天王竜とか呼んでいる、光の竜じゃ」
「は……? 天王竜、って、七年前にフーヴェルオを攫った古代竜のことだよな? そいつの魂がなんでフーヴェルオの中に? さっぱりわけが分からないぞ……!?」
「じゃからわしにも何が何だか分からんと言っておるじゃろう! ただ、そうじゃな……譬えるならば天神竜とフーヴェルオの魂をふたつに分けて、それぞれを片方ずつ無理矢理くっつけたような……そんないびつな形じゃった。あんなことをすれば本来は肉体が崩れ、原型を保ってはおれぬはずじゃが……」
「そ、そうなのか?」
「うむ。魂というのはいくつかの重要な役割を持っているのじゃが、うちひとつが〝持ち主の肉体を決められた形に維持する〟というものでの。魂の中には言わば個の設計図のようなものがあり、それによって肉体の構成に必要な源素が集められるのじゃ。されどその設計図が半分に破られ、別の設計図とくっつけられたら……」
「……普通はキメラが生まれるか、破綻して全部がダメになるか、だよな」
と、ようやく少し話が見えた俺が言えば、ジュンコも神妙な顔で頷いた。
参ったな……俺はただこの世界の絶滅危惧種を救うために動物園を作りたいだけだってのに、どんどん話が複雑になっていく気がする。
正直ここまで来ると凡人代表みたいな経歴しか持たない俺には手に負えない。
だって、人間と竜の魂が半分ずつくっついてるって何だよ? いくら何でもファンタジーすぎるだろ? そいつは俺が知ってる〝生物〟の範疇を軽く超えてる。
もういっそ何も知らなかったことにして、とにかくドラゴン・パークさえ無事に作り上げることができれば、俺は──
「リュージ」
ところが軽い眩暈を覚えた俺が額を押さえ、そんな思考に逃げかけたとき。
隣に座っていたイヴが突然俺の袖を引き、じっとこちらを見つめてきた。
そうして困り顔の俺を映した、水宝玉みたいに澄んだ瞳は。
──たすけて、と。
そう言っている気がする。何故かは分からないけれど、切実に。
「……竜司。おんしが困惑するのも無理はない。かく言うわしも未だに状況を整理し切れておらんからの。なれどひとつだけ言っておく。これは確信が得られるまで黙っておきたかったのじゃが……そこにいるイヴという娘もな。恐らくは天神竜の血を引く者じゃ」
「……え?」
「其奴の魂の波長は天神竜のものによく似ている。ただしフーヴェルオとは違い、イヴの魂は竜と人間の魂が完全な形で融合しておる。つまりイヴは正真正銘イクスの子ということじゃ。本来雌雄の別を持たぬ古代竜は、子を生すことなどできぬはずなのじゃがな……」
「お……おい、ちょっと待てよ。それじゃ、フーヴェルオは──」
「ああ。恐らくイヴがイクスの子だと知った上で監禁していた可能性が高い。何しろやつの魂の半分はイクスなのじゃ。異なる者同士の魂を掛け合わせるなど、前代未聞ゆえ詳しいことは分からぬが……先刻わしが魂に触れたときの反応からして、イクスの魂はフーヴェルオの一部として機能しておる。じゃからわしが触れようとしたことにも即座に気づき、撥ね除けたのじゃ。気安く触れるな、とな」
ひと息にそこまで説明すると、ジュンコは天鵞絨のソファに深く沈み込んで、再びふーっと息を吐いた。話をしたことでいくらか気持ちも落ち着いたのか、顔色はさっきまでに比べればだいぶいい。
……しかし本当にとんでもないことになったな。
おかげでフーヴェルオが敵なのか味方なのか、ますます分からなくなった。
というかフリーダやギゼルはこのことを知ってるのか?
やつらが俺にドラゴン・パークを作らせようとする理由はなんだ?
そいつはフーヴェルオの中の天王竜が命じていることなのか、それとも……。
「……とにかく、じゃ。今ひとつだけ確かなことは、わしが地球に行っていた二十年の間に、イクスの身に何かが起こったということ。ゆえにわしは会いに行かねばならぬ。今もやつがいるはずの〝天竜の頂〟への」
「〝天竜の頂〟って……オルンダルゴ大陸で一番高い山だって噂の?」
「ああ。なれど生まれたばかりの今のわしでは、まだあの頂へは辿り着けぬ。もうしばらく肉体が成長するのを待ってからでなければ……ゆえに、竜司。おんしに頼みたいことがある」
「な、何だよ?」
「かような事態に巻き込んでおいて、虫のいいことを言うようじゃが……この身が〝天竜の頂〟まで飛んでゆける体になるまで、どうかわしを守ってはくれぬか?」
「お、俺がおまえを守る?」
「そうじゃ。わしの正体が知れてしまった以上、人間どもは何を仕掛けてくるか分からぬ。加えてわしの肉体は見てのとおりまだ不完全なのでの。己が身を守るにも限界があるのじゃ」
「い、いや、おまえなら誰が相手でも平気でのしちまいそうな気がするが……」
「確かに、敵がひとりやふたりならば負けはせん。されど武装した人間どもが束になって襲ってくれば為す術はない……無論危険に巻き込むのは本意ではないが、今のわしが頼れるのはおんししかおらんのじゃ。ゆえに頼む。代わりにわしも、おんしが助けを必要とするときには必ず力になると約束しよう」
と体を起こして言ってから、ジュンコは上目遣いに「……どうじゃ?」と尋ねてきた。……おいおい。庇護欲をそそる幼女の見た目でその顔は反則だろ。
かと思えばすぐ隣でも、袖を掴んだままのイヴがまっすぐに視線を注いでくる。
握る手にぎゅうっと力を込めながら。
……やれやれ。女子ふたりにそんな顔をされたら、おっさんは完敗だよ。
絶対に守ってやらなきゃって気になっちまうじゃねえか。ちくしょうめ。
だが、そうだな。もしも来世があるのなら、また飼育員をやりたいという俺の願いをジュンコは叶えてくれた。
まだ完全な形にはなっていないものの、竜の園の管理に奔走する日々は充実しているし、ドラゴン・パーク計画の実現を夢見る日々も正直楽しい。
フーヴェルオの思惑が何であれ、俺はやっぱりパークを完成させたいんだ。そのためにイヴやジュンコを守る必要があるのなら、俺も必死にない智恵を絞ろう。
恐竜や動物の知識以外、何の取り柄もない俺の武器はそれしかないからな。
「……分かった。俺に何ができるのかは正直分からんが、最善は尽くそう。生まれたてのおまえの世話をするのは二回目だしな。慣れたもんさ」
「竜司……!」
「けど、悪いが腕っぷしには期待してくれるなよ。何しろ前世では酔っ払いとモメた結果一方的にボコられた実績がある。あれ以来俺は誓ったんだ。たとえこの先何があろうと、決して暴力には訴えないガンジーのような男になると──」
「阿呆め。わしはおんしのそういうところを見初めて選んだのじゃ!」
俺の前世からの誓いをみなまで言わせず、刹那、にっと犬歯を見せて笑ったジュンコが向かいから飛びついてきた。あまりにも突然の出来事に反応しきれなかった俺は「おわっ!?」と悲鳴を上げながら、ジュンコの体重を支え損ねて倒れ込む。
そこへ嬉しそうな顔をしたイヴまでのしかかってくるものだから大変だった。
俺はふたり分の体重を受けて「ぐぇっ」と呻き、高級ソファの上で朝飯を戻しそうになる。が、そんな俺のことなどお構いなしに、竜っ娘ふたりは額を擦りつけてゴロゴロと喉を鳴らし出す始末。お、おい、おまえら、なつくのはいいがこんなとこをまた誰かに見られたら……!
「待たせたな、リュージ」
と、俺が一種の危機感に急き立てられて、ふたりを引き離そうと首根っこを掴んだときだった。お約束のように控えの間の扉が開き、聞き慣れた声が入ってくる。
──あ、終わった。俺はそう直感した。
再び虚無の境地に至り、ソファの上で仰向けに倒れたまま見やった先には、いつかのギゼルとまったく同じ表情でこちらを見つめたフリーダがいる。
「……いや、新たに陛下へ報告せねばならん事案ができた。そのまま待っていろ」
「待ってフリーダさん行かないで!? 陛下に報告しないで!? 誤解だからァ!」
そう告げて踵を返し、再び扉の向こうへ消えようとするフリーダを俺は必死に呼び止めた。ただでさえ問題が山積みなのにこれ以上話をややこしくしないでくれ!
動き出したばかりのドラゴン・パーク計画は、どうやらやっぱり前途多難だ。
▼エゾヒグマ
北海道やサハリン、南千島列島、中国北東部、朝鮮半島などに生息するクマ。
体長190~230cm。近年、北海道の市街地での目撃が増加しており、害獣として捕獲・駆除される事例が報告されているが、これは森林開発による生息地の減少の他、無知で無責任な観光客がクマを見ると喜んで餌づけしてしまい、人間の食べ物の味を覚えさせていることも原因のひとつと言われる。
なおクマは一度味を覚えた食べ物に対して強い執着心を見せるため、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件(1970年)のように重大な殺傷事件を起こす可能性がある。特にヒグマは本州に生息するツキノワグマよりも遥かに大型で攻撃的なため、過去にも多数の死亡者を出す獣害事件を何度も引き起こしている。
日本国内では円山動物園(北海道札幌市)、上野動物園(東京都台東区)、東山動植物園(愛知県名古屋市)、王子動物園(兵庫県神戸市)、熊本市動植物園(熊本県熊本市)などで飼育展示されている。
参考・画像引用元:
https://pz-garden.stardust31.com/syokuniku-moku/kuma-ka/ezo-higuma.html
https://withnews.jp/article/f0170810001qq000000000000000W06910101qq000015701A
https://youtu.be/Unw9-gOuiOY




