眠っておくれ(★)
ヘスペルが倉庫から見つけてきた鎖を使って、レクスの角を鉄格子に固定した。
ちょうど鎖の先に鉄の輪っかがついていて、そいつが角にぴったり嵌まったおかげで、想定よりしっかり保定できたのが不幸中の幸いだ。
しかしあまりにも輪のサイズがぴったりなもんだから、よくこんな都合のいいものを見つけてきたな、と俺はヘスペルを褒めかけたが、直前ではたと気がついた。
ああ……そうか。恐らくこの鎖は皇属竜狩猟団の備品だ。
鎖の先についてる輪っかはたぶん、捕獲した竜をつなぐための首枷だろう。
そいつがたまたまレクスの角のサイズにぴったりだっただけの話で、間違ってもこういう事態のためにあらかじめ用意されていたものではない。
まあ、とは言え今は非常事態だ。利用できるものは全部利用して、レクスを必要以上に苦しめることなく眠らせてやらなければ。
俺はレクスの角がしっかり鉄格子とつながれたのを確かめると、よし、と自分に気合いを入れて、ヘスペル以外の全員を檻から出した。
唯一ヘスペルだけ檻内に残したのは、俺にもしものことがあったら即座に役目を引き継いでもらうためだ。本人は名指しされると口もとを引き攣らせたものの、ラドニアを危険に晒すわけにはいかないし、ギゼルにはレクスが眠ったのち確実にとどめを刺してもらうという役割がある。
だから消去法でヘスペルを指名したわけだが、長年ラドニアの旅に同行していたというわりにこいつはすっかり及び腰だった。レクスは既に朦朧として動けないというのに、歩み寄るのもおっかなびっくりといった感じでまったく頼りない。
こいつにレクスの命運を委ねるのは心許なさすぎるな……。
となると、やはりここは俺がやらねば。ヘスペルはあくまで緊急時の補欠と考えて、期待しすぎないようにしよう、うん。
「んじゃ早速始めるぞ。このブリキ缶の中身を布に垂らして、そいつをレクスの鼻に当てればいいんだよな?」
「ええ、そうよ。そして布が乾いてきたらまた薬剤を点滴するの。だけど気化した麻酔薬を自分も吸ってしまわないように気をつけて。一応私も竜術で補助はするけれど……」
「オーケー。ヘスペル、おまえはなるべく安全な位置で、いつでも予備の麻酔薬を受け取れるように準備しといてくれ」
「は、はい……」
と俺が指示する前から、ヘスペルはレクスの角が届かない檻の隅にへばりついているので、まあ当面心配はいらないだろう。問題はむしろ麻酔を扱う俺の方だ。
布に染み込ませた麻酔を気化させて吸入させる……なんて原始的なやり方を目の当たりにするのはもちろん初めてだし、前世でも動物に手ずから麻酔をかけるなんて経験はしなかった。そういうのは園の専属獣医の仕事だったからな。
一応、顔には鼻から下を覆うように布を巻いたが、こんなのはただの気休めだ。
ガスマスクのように隙間なくぴったりと顔を覆うものではないから、下手をすると俺までガスを吸い込んで、レクスより先に気を失うおそれがある。
だからラドニアが竜術で分厚い風素の層を作り、俺の頭部をすっぽり覆ってガスを散らすと言うが、竜術をよく知らない俺には本当にそんなことが可能なのかどうか確信が持てなかった。
おまけにレクスが暴れ出したら竜術が乱される可能性もあるとか言ってたしな。
「リュージ」
だとしても今は腹を決めてやるしかない。
俺はふーっと深く息を吐き、精神統一を試みた。
そんな俺の名を鉄格子の向こうでイヴが呼ぶ。
振り向くとイヴは両手で格子を掴み、俺よりも不安そうにこちらを見ていた。
ああ、いけね。
そういやこいつは人間よりも遥かに高い共感能力を持ってるんだったな。
ならこれ以上不安にさせるわけにはいかない。
ゆえに俺はニカッと笑い、イヴを安心させてからレクスへ向き直った。
始めるぞ、と改めて声をかければ、視界の端でラドニアが頷いた気配がある。
それが合図だった。俺はまず横たわったレクスの鼻先に座り込み、ゴツゴツとした鼻筋を撫でてやる。レクスは痛みと熱と内臓が圧迫される苦しみでもはや息も絶え絶えではあるものの、まだ意識は残っているのだ。
その証拠に辛うじて開いた瞼の下から、虚ろな眼が俺を見ている。
……大丈夫だ。俺はおまえの敵じゃない。すぐに楽にしてやるからな。
「レクス、今からおまえに麻酔をかける。ほんの少し眠るだけだ。心配しなくても大丈夫だからな」
俺はそう声をかけると、今度は手にした白い布で、ジャコウウシの額のように盛り上がったレクスの鼻筋を擦った。まずはただの布の感触に慣れさせ、危害を加えようとしているわけではないことを示すためだ。
にしてもレクスの額は硬い。拳の裏で叩けばコンコンと音がしそうだ。
額から鼻先にかけて、皮膚が盛り上がったようになっている部分には鱗がない。
ということはこれもたぶん角の一部なのだろう。
一角竜は森の中を疾駆して狩りをするというから、途中で硬い木や岩に激突しても耐えられるよう、頭部のつくりを進化させたに違いない。さらにメスを巡ってオス同士が争うときも、この額のこぶが相手の角から身を守る盾になる。
さながらスティラコサウルスとパキケファロサウルスが合体したような生き物なんだな。なのに肉食だってんだから面白い。
もっとおまえのことをよく知りたかったよ。心の中でそう言葉をかけながら、俺はついに問題の布をレクスの鼻先へ持ってきた。手拭いのような形状のその布を、角の根もとに巻きつけて余りでレクスの鼻孔を覆う。
そこに麻酔薬入りのブリキ缶を押し当てた。こいつは缶から伸びた突起を押し込むと、点滴口が開いて中から薬が漏れてくるつくりのようだ。
とは言えあくまで人間用に用意されたものなので、点滴する薬剤の量が調節しやすいよう、ちょぼちょぼとしか中身が出てこない。これほどの巨体を誇るレクスを眠らせるには、結構な量の麻酔を吸わせる必要がありそうだが──
「グモ……」
気が急くのをどうにかこらえながら、俺は力の限りブリキ缶の突起を押し込み、薬剤を地道に垂らし続けた。そうしてただじっとレクスが眠るのを待っているだけなのに、何故か額からはだらだらと汗が流れてくる。しかし汗を拭いたくとも、生憎両手は塞がってるしな……と内心困っていたときだった。
半開きになったレクスの口の奥から微かな呻き声が漏れる。
気づいて顔を上げた刹那、レクスはさらに大きな声で長く鳴いた。
まずい。さすがに異変を感じ取ったか。
うっかりガスを吸わないよう直前まで息を止めていた俺はそこで短く息継ぎし、そして気づいた。ああ、確かにこいつはにおう。いわゆるシンナー系の臭いだ。
レクスはそいつに耐え難くなったのか、においの元凶を俺ごと振り払おうと頭を振った。が、俺も慌ててレクスの角にしがみつき、振り払われてなるものかと両足を踏ん張る。最初はレクスもなけなしの力で辛うじて首を振ったようで、そんなに激しい抵抗じゃなかった。ところが多少嫌がった程度では俺が離れないと分かったのか、レクスが再び咆吼する。今度は明らかに敵意を感じる叫びだった。
大きく開かれたレクスの口には、鰐のような牙がずらりと並んでいる。
「リュージ!」
レクスが怒り出したのが檻の外にも伝わったのだろう。
イヴとラドニアが血相を変えて格子に掴みかかるのが分かった。
が、さすがの俺も今度ばかりは大丈夫だと余裕を見せる余裕がない。
レクスの喉の奥から吹きつけてくる咆吼と生臭さに耐えながら、歯を食い縛って麻酔の処置を維持し続けた。布ごしにレクスの鼻孔を押さえ、なおも麻酔薬を垂らし続ける。もうそろそろブリキ缶の中身が半分になりそうだ。
あと少し。あと少しで麻酔が効いてくるはず……!
「リュージ、足もと!」
瞬間、檻の隅からヘスペルが叫ぶのを聞いて俺はとっさに右足を引いた。直後、バクンと恐ろしい音を立て、先端が嘴のように尖ったレクスの口が閉じられる。
あ、危ねえ……! 右足を噛み千切られるところだった……!
俺は牙が届かないよう腰を引き、いわゆるへっぴり腰の体勢を取ってレクスの角に抱きついた。するとレクスは低くうなり、今度は立ち上がろうと足掻き始める。
おいおい、冗談だろ。おまえはもう立てないんだって……!
こんな方法でしか眠らせてやれなくて悪い。
でも、頼むからこれ以上自分を痛めつけないでくれ!
「リュージ、もうやめて! それ以上は危険だわ……!」
「デカい声出すな、レクスが怯える! いいからおまえは竜術に集中……!」
「でも……!」
と、ラドニアがさらに何か言いかけた、そのときだった。
裂帛の叫びとはこのことか、と納得するほど甲高い叫びを上げたレクスが、今度は床に四肢を踏ん張り、渾身の力で頭を振り始める。
弱り果てた肉体の一体どこにそんな力を残していたのか。
いや、あるいはこれが〝生きたい〟と願う生き物の底力なのか。
たぶん事前につないだ鎖がなかったら、俺はあっという間に吹き飛ばされて壁に叩きつけられていたことだろう。
けれどもこうなることを予想して対策を打っていたのが功を奏した。思い切り頭を振ったレクスの動きはしかし、ビンと張った鎖によって止められる。
だが抵抗は止まなかった。レクスが不快の原因を取り払おうと暴れるたび、鎖と鉄格子が擦れ合って激しい金属音を奏でる。
お、おいおい……アレで火花とか散らないだろうな?
確かラドニアの話では、気化した麻酔薬は発火性が高くて危険だって──
「リュージ!」
刹那、俺の名を叫んだのは果たして誰だったのか。
その答えを脳が弾き出すよりも早く、俺の耳が金属の砕ける音を聞いた。
「え?」
と呆気に取られて見やった先で、レクスの角をつないだ鎖がぷつりと切れる。
信じ難い光景だった。レクスが文字どおり死に物狂いで発揮した最期の力が、幅三センチはあろうかという鉄製の鎖を見事に引き千切ったのだ。
「……すげえ」
直後、俺の口からぽろりと零れたのは、自分でも驚くほど頭の悪い感想だった。
次の瞬間、鎖の拘束を振り払ったレクスがとんでもない力で頭を振り、角にしがみついたままの俺を鉄格子とは真逆の壁へ叩きつける。
「……!!」
誰かが何か叫んだ気がした。いや、あるいは俺が叫んだのかもしれない。
痛みを感じるより先に脳を揺さぶった衝撃が、俺の視界を暗転させた。
ああ、マジでとんでもねえ。これがかつて密林に君臨した、王の力だ。
▼ジャコウウシ
アラスカ、カナダ北部、グリーンランドといった寒さの厳しい北極圏を中心に生息する大型の草食動物。体長194~246cm。繁殖期には額当てのように広く硬い角基部を使って、オス同士が壮絶な頭突き合戦を繰り広げる。分厚い体毛を持つため寒冷な気候には強い一方、暑さに弱く、地球温暖化による絶滅が危惧されている。
また同じ理由で日本の気候に順応するのが難しいことから、2021年現在、国内にジャコウウシを見られる動物園は存在しない。
参考・画像引用元:
https://zoo-kan.com/2021-07-18/
https://www.polewards.com/about-musk-ox/
https://www.youtube.com/watch?v=gp3Cwzk0hpk
▼パキケファロサウルス
白亜紀後期、北米大陸に生息していたとされる草食恐竜。
体長4~6m。河童の皿が盛り上がったようなユニークな頭部を持ち、ドーム型の頭蓋骨は25cmもの厚みを誇る。この頭部を使ってジャコウウシのようにオス同士が決闘し、メスを奪い合っていたと考えられている。日本国内では福井県立恐竜博物館(福井県勝山市)で近縁種の全身骨格を見ることができる。
参考・画像引用元:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AD%E3%82%B1%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B9
https://kyouryu.info/pachycephalosaurus.php




